ニュース・日記

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一ヶ月過ぎて・・・

2011/04/11(Mon)
須賀敦子の名随筆『ミラノ 霧の風景』は
「遠い霧の匂い」という小品からはじまる。

霧・・・といえば強烈な思い出がある。

僕は車の運転が好きで、
どこに行くにもたいていは車を利用する。
僕が宴会でたいてい不調法するのは、アルコールが苦手のせいもあるが、
お酒を飲んで愉しむより、
宴果てた深夜の都市の広い道路を、
カーステレオでアート・ペッパーなんかを
少し大きめの音量にセットして走らせるのが好き
というのが理由のひとつなんですね。

二次会明けで、楽しそうに笑い合っている若い集団。
急ぎ足、少し前屈みで横断するサラリーマン。
肩を組んで寮歌でも歌っていそうなオジサン。
見られることに慣れていそうな若い女。
いくつもの人の風景を
視野におさめながら、車をゆっくり走らせるのは悪くない。

いや、霧の話だ。

車は好きでも、
だから遠方のドライブなんかは、ほとんどしない。
でも、時々は必要があって出かけることもある。
むかし、女の子と、まあ、必要があって、
佐賀まで出かけたことがある。
一日中雨だったが、夕方にはその雨も降り止んだ。
僕らは七山温泉近くにいて、
三瀬トンネルまではちょっと遠回りなので、
福岡に帰るルートの最短距離を選んだわけです。
長野峠を越すのがよかろうと。

夜の闇がゆっくりと降りはじめていた。
対向車もなく、
それなりに快適なスピードで走っていた。
時々、車の前を、
白い霧が風に吹かれる白い木綿のシーツのように流れた。
峠の頂上(というのかしら)付近に来たとき、
その白い塊が横に流れる回数が多くなってきた。
あれ? っと、思っていると、
突然、
ミラノの霧のように2メートル先も見えなくなった。
車は下り道にさしかかっていた。
今にして思えば
おそらく、止まるべきだったのだろう。
しかし、
その時は走り続ける以外のことは考えなかった。
わずかに見える路肩の白いラインだけが走る方向を示していた。
まぁ、方向と言えればの話ですが。
助手席はひたすら沈黙。
僕はといえば、
内心では、これはちょっと・・・と思いながらも、
こんな霧ははじめてだ、とか
けっこう緊張するね、とか
あまりスピードを落とすとかえってよくないな、とか
まったく、問題ない、愉しもう、とか・・・
だから、やっぱりその場をなんとか乗り切ろうと
頑張っていたんじゃないかと思うのです。

どれくらいの距離を走ったのか分からない。

突然、
まるでそれがはじまった時のように、霧が晴れた。
気づかなかったのだが、下り坂はとっくに終わっていた。
車を止めて、シートベルトを外し、外に出た。
見上げると、空には星が輝いていた。
それは、にわかには信じられない現象と思えたんです。

5分前には三尺前も見えなかったのに、
5分後には永遠の夜空が見える。
10分前にはいつ谷底に落ちてもおかしくなかったのに、
10分後には、ゆったりと家路に向かっている。

僕は思うのだけれど、
日頃はまったく意識していないのだが、
極論すれば、僕らの生は死と紙一重ではないか。
揺るぎない「生」の隣に、静かに「死」はあるのだと思う。
その境目がどこにあるのかおそらく誰にも分からない。
「メメント・モリ」なのだ。
それは分かっているのだ、充分に。しかし、
それでもやはり、
東日本大震災では、置き去りにされた時間が多すぎる。

史明
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