ニュース・日記

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風通信94

2017/04/26(Wed)
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村上春樹の最新作『騎士団長殺し』の中で、
印象深く繰り返されているパッセージがある。
それは、「時間」にまつわるものです。
たとえば、
「あなたはものごとを納得するのに、
 普通の人より時間のかかるタイプのようだ。でも、
 長い目で見れば、たぶん時間はあなたの側についてくれる」とか、
「時間が与えてくれるものもある。
 時間を味方につけることが大事な仕事になる」とか、
「〜やがては薄らいで消えてしまう。しかし記憶は残る。
 記憶は時間を温めることが出来る」など、です。

『職業としての小説家』という昨年発売されたエッセイ集の中でも、
「時間を自分の味方につけるには、
 ある程度自分の意思で時間をコントロールできるように
 ならなくてはならない、というのが僕の持論です」とある。

村上春樹は哲学者じゃないので、
現象学的な「時間論」を披瀝したわけではないだろう。
おそらくここから読み取れることは、
時間に耐える力を身につけなくちゃならない
ということなのではないだろうかと思います。
韓国には「黒白論」という思想があるそうで、
とにもかくにも黒か、白かに
振り子が大きく揺れる傾向があるそうな。
時間に耐えるという思想は、それとは正反対の思想で、
振り子の揺れをじっと見つめ続けるということだろう。

それにしても、不思議ですね。
今、僕の前には生まれたばかりの赤ん坊がいるとする。
同時に死に逝く老人がいるとする。
そして、それをじっと見つめる僕がいるとする。
ジャネーの法則からすれば、その長さはまったく違う。
同じ時間を生きているんだけれどね。共通するのは、
その連続する時間の延長にある明日は未定だということ。

一時期はやった言葉に
「想定内」という、いかにも賢しらな言葉がある。
あれは嫌な言葉だったなぁ。
先に結論があるんじゃなくて、揺れ動く時間の中で、
ボクシングの軽量級世界チャンピオンのような
軽やかなフットワークを以て、
次の時間を生きるというのが大事なんじゃないかと思うのです。
だって、わかんないもん、明日のことは。
こんなことをいうと、
「君ィ、それは無節操で無計画で、およそ建設的じゃない」
と、必ず言う、恐ろしくきまじめな
頭の悪い教師みたいな人がいるけれどね。
たしかにそれはそうかもしれないですねと僕はきっと言うだろうし、
むげに否定はしないけれど、
じゃあ、節操があり、計画的で、建設的であることが、
そんなに素晴らしいことなの? と心の中でつい思ってしまう。

今日とは違う明日をしっかり生きる力があれば、
とりあえずいいんじゃないかと思う。
その中で緩やかに一貫した想いが流れていればいいんだし。
時間の重さに耐える力があれば、それは可能だろうし。
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