ニュース・日記

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風通信107

2017/07/11(Tue)
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『バーディ』という映画の中で、
主人公の二人が出会うシーンがある。
おそらく60年代後半のアメリカの地方都市だ。
妙に懐かしい風景だった。

廃車寸前の錆びたポンコツの横には、
背の高い雑草が茂り、
空き地では少年たちが三角ベースの野球をする。
ときどき、大きなフライが上がって、
近所の家の庭に落ちる。
そこにはちょっと小太りの小母さんがいて、
必ず洗濯物を干していたり、取り込んでいたりする。
そして、「あんたたち他で遊びなさい」とか、小言を言う。

日本でも同じような風景がいたる処にあった。
僕もそんな中で生きていたはずだ。

今の博多駅が出来る前は、祇園町に駅舎が建っていた。
絵に描いたようなという比喩があるが、
現在の門司港駅のようなルネサンス式の重厚な建築物だった。
駅の南側には多くの農地や空き地が広がっていて
そこで日の暮れるまで遊んでいた。
上空では灰色の軍用機が頻繁に飛んでいた。
現在の福岡空港が当時は米軍の板付基地だったからだろう。
民間機の離着陸も併用されていたように思うが、
なにしろ子供の記憶だ。はっきりしない。
祖母がベースの近くに住んでいて、よく遊びに行ったものだ。
歩いて行く時は、それが近道だったから、
御笠川に懸かっていたベースへの引き込み線の鉄橋の上を歩く。
ちょうど、『スタンド・バイ・ミー』の少年たちのように。
当時すでに錆びていたから、使用されていなかったのだろう。
自転車で走れば15分。でも、ときどきはバスに乗る。
降車するのは「板付ベース前」というバス停だ。
そのバス停は国道3号線に沿って
永遠まで続いているような金網の前に立っていた。
そして、その向こうには蒲鉾型の米軍の住宅があり、
住宅の前の芝生では軍人の家族の出入りが見える。
すごく、スマートに見えた。
バス停から少し歩くと、金網の下に沢山の弾薬が落ちていた。
それをよく拾って、サンドペーパーで磨いて、
戦利品のような感じで学校に持っていったものだ。
中には、薬莢付きの物もあって、
磨いている途中に暴発して、指をなくした友達もいた。

僕の家は典型的なブルーカラーで、
ご近所はたぶん、いちように貧しかったけれど、
どこまでも広がるような青空の下の生活だったように思う。
身を震わせるような幸せもなかったし、
魂を揺さぶるような不幸もなかった。
まるで初夏の昼下がりのような日々。
それは、あらかじめ失われた時間にちがいない。
心をほっこり温めてはくれる。
わけあって別れた女の子に
再び会ってはいけないのと同じようなものかもしれない。
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