ニュース・日記

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風通信179

2019/03/18(Mon)
風通信 |
遅まきながら、
やっと『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を観た。
WOWOWで放映されたもの。
いやぁ〜、こういう映画があるから、
映画というジャンルは廃れることがないんだなぁ。

神経が隅々まで行き届いた物語世界です。
無性に誰かに語りたい作品だった。だから、
時系列ではなく、僕なりのメモを残しておきたい。

物語は、冬から春。
もちろん、それには再生の意味があるだろう。
その時間の中で、過去の回想シーンが流れ、
それが登場人物たちの「今」に関係づけられる。
自分の不注意で幼子三人を焼死させた主人公は、
それ以来、時間が止まったまま、
ボストンで便利屋として「今」を生きている。
故郷に残った兄が亡くなり、
その葬儀と残された甥の世話で、とりあえず、
マンチェスター・バイ・ザ・シーに帰ることになる。
そこが彼の、物語のトポスとなる。
彼がそこを離れて、ボストンで生活しているのは、
結局は、過去から単に逃れるためとも言えるのだが、
兄の死は、そういう彼を半ば強制的に「過去」へ引き戻す。
けれど、彼はかたくなに「今」を生きるしかない。

ひとりの人間が
ひとりだけで変わるということは不可能だろう。
そのための仕掛けが用意される。

余命を告げられていた兄は、遺言書を残していて、
それには、彼が16歳の甥の後見人になることと書いていた。
それは誰も、想像していなかったことだし、
当の本人でさえも困惑する。ともあれ、遺言は遺言。
なぜ兄がそうしたのかが、全編を通して語られることだ。
真意はたぶん、「過去」の止まった時間の中に生きている主人公を、
「未来」へ生きていかせようとする願いなわけです、おそらく。
後見人になることがどうしてそうなるのか。
誰しも、避けたい過去があるとき、
本当はその「過去」に向き合わないと「未来」を生きていけない。
兄の真意は、なにより弟である主人公を「未来」に生かすこと。
後見人になるということは、言うまでもなく、
一度は逃げた故郷に帰ることを意味し、
この町の残らざるを得ない状況を作ったのですね。

【印象に残ったいくつかのシーン】
主人公が事故後に、故郷を出てボストンに行く時の、
二人の別れは何気ないシーンなのだが、
カメラワークは抑制が効いている。
寄ることはせずに、中間距離を保つのだ。
下品な映画は、ここでアップにして、
別れの言葉をそれぞれに呟かせたりする。
その時五歳くらいの息子を
兄が「叔父さんが行くぞ」と呼ぶんだけれど、
すぐには登場させない。
計算されたシーン。

ボストンに着いて、アパートを借りる。
何もない部屋。生きる価値を見いだせないことの表示。
寝るだけでいいという主人公に、
訪れた兄は、ソファやテーブルを買い与える。
しかし、回想シーンでは主人公はそれらを廃棄している。
そこまでかたくなのだ。
そして、物語の終盤。
すべてが終わってもう一度ボストンに帰るとき、
彼は甥に「一部屋取って、ソファーベッドを買おう」という。
「行かないかもしれないよ」と甥が言うと、
「じゃあ、物置にでもするさ」と答える。
つまり、彼の今回のボストン行きは
「未来」に向かうことだということなのだ。
巧いですねぇ・・・。

甥っ子を、兄の古い友人に託して、(つまり後見人を止めて)
ボストンに帰ろうとするのに対して、甥は、
「僕を棄てるの? 逃げるの?」と言うんだけど、
彼は「いや、乗り越えられないんだ。(だからこの町を出る)」
と言葉に出す。だけど、
言葉に出せるようになったということが重要でね。
自分のことをこうして他者に客観的に語れるようになったときに、
人はそれまでの自分と違った自分を獲得するはずだ。

よく、この場所を選んだと思うなぁ。
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」って、町の名前です。
イングランドのマンチェスターではない。
アメリカ東部、マサチューセッツにある。
・・・といえばビージーズですね。(分かる人には分かる)
海が美しいから、そしてボストン辺りの富裕層の
ちょっとしたリゾートだから、「バイ・ザ・シー」が付いたらしい。
だから、町に住む人々は漁業などの第一次産業に従事したり、
リゾートの運営に携わるいわゆるブルーカラーの人々だろう。
美しいけれどわびしい町。
そこで、日々の営みが繰り返されている。
兄の奥さんはアル中になって結局は離婚。
(だから、後見人が必要になる)
主人公も事故後、妻とは離婚している。
甥が、離婚した母親の家に行くシーンが挿入される。
母親は敬虔なクリスチャン(おそらく牧師)の妻になっている。
この町では、裕福な家だろう。彼は居心地が悪い。
彼は二度と母親の元には行かないだろうと思われる。
あっち側には行かないのだ。
主人公も、再婚した元妻と再会し、心情を告げられる。
ここでは、号泣しながら語る元妻と
言葉を発することができない彼はアップで表現される。
そうでなくちゃですね、ここは。
このシーンを用意することで、
彼の心の中が次第に整理されることになるのだろうな。
もちろん、同時に観ている僕らの心も。

まだまだ、あるので、たぶん、つづく。
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