ニュース・日記

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風通信187

2020/05/14(Thu)
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平野啓一郎の書いたものを読む必要があって、とりあえず手近な小説を読んだ。君は小説を読んだかなぁ。小説の話をした記憶がほとんどないので、たぶん読まないんじゃないだろうか。間違ってたらごめん。芥川賞の受賞作品である『日蝕』にしようかと思ったんだけど、重そうだったので評判の『マチネの終わりに』に読むことした。それまで、初期のエッセイ『文明の憂鬱』や、『カッコいいとは何か』を読んでいたんだけどね。ちなみに後者は講談社の現代新書版で500頁に迫ろうかという労作です。

感想? うん、面白かったよ。よく出来た作品だ。大人の恋ね(笑)

人は自分でそのことを認識しているかどうかの違いはあるにせよ、人生においてぎりぎりの場所まで行って、何かを見て戻ってくる経験を持つものだ。ことに恋愛に関して言えば、その人の一生のトーンを決める場合がある。そういう物語です。物語のはじめの方で主人公が「人は変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えている。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものだ。」という台詞(舞台じゃないんだから「言葉」だね)を言う。この言葉が最後まで響いていて、終章にもう一度繰り返されるんだ。僕らの人生では、遠い日の些細な記憶が30年後に重大な意味を帯びるということがありそうな気がする。あるいは生死をかけた恋愛沙汰が淡い夢になることが、これは往々にしてある。記憶とはたぶん、そういうものだし、そうでなくっちゃ僕らは前に進めないよね。経験の重みや鮮やかさの軽重や強弱が更新されるわけだ。

君とともに過ごした過去も更新されていくはずだ。とりあえず、それがいいことなのか、悪いことなのか、いまひとつ分からない。ただ更新されていくという事実がただそこにあるだけだな。そしてもちろん、僕らはその事実に対してじっと耐えることしかできない。そうは言いながら、ただね、藤原定家が晩年にのこした歌が妙に心に滲みる。こういう歌です。

見しはみな夢のただちにまがひつつ昔はとほく人はかへらず

話を戻すと、『マチネの終わりに』は映画になったそうだ。まあ、なるだろうね、やっぱり。映画向きの題材だし。ただ、主演が福山雅治で、ヒロインが石田ゆり子だって知って、腰が砕けそうになった。所詮映画だから、誰でもいいんだけど、福山雅治って、木村拓哉がそうであるように、福山雅治でしょ、いつだって。『そして父になる』?『容疑者Xの献身』?『真夏の方程式』?『SCOOP!』?『るろうに剣心』?『第三の殺人』? 永遠に福山は福山であり続ける。あのアニメ顔はちょっと遠慮したいなぁ。君はどうですか?そして、石田ゆり子? はぁ〜と、語尾が上がってしまいそうだ。国際的な場で活躍し、社会性はいうまでもなく、強い意志と物事を公正に判断出来る高い知性の持ち主という設定のヒロインとしては、ミスキャストじゃないかと思うんだけど。彼女は切れ味が悪い。

しっかりした原作のあるたいていの映画は、原作より劣るものだけれど、それはなぜだろうかとときどき考えることがあるんだ。なぜかなぁ。ありていに言えば想像力の問題に収斂されるんだろうけど、僕はね、寓話性を読み取れるところかなと思っている。魅力的な登場人物や心を揺さぶられる出来事は映画も本も同じ、もちろんストーリーも。でも、本は常に寓話性に満ちているのに対して映画のいくつかはそれがない。あくまで原作のある作品の話だけどさ。

本といえば、アルベール・カミュの『ペスト』を再読しました。ちょっと恥ずかしいかもな。大学生の時、読んだ本です。まあ、成長というのか、あの頃読み飛ばしていたあれこれやが今になって分かる。ヤレヤレ。

次は今年の芝居について、少しだけ書くと思うよ。
元気でいて下さい。
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