ニュース・日記

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風通信189

2020/06/06(Sat)
風通信 |
高校3年生に対して文章を求められた。元の文は長いので
ちょっとはしょって、その一部を載せます。
最後のパラグラフは、部分的に村上春樹の文章を基にしています。
芝居とは関係なしよ(苦笑)


自分では想像すら出来ないことがこの世には起こる。

 20110311。車を走らせていた僕はカーラジオでアナウンサーの押し迫った声を聴いていた。自宅に戻って、いちおう確認しようというくらいの気持ちでTVのスイッチを押したんだ。画面はおそらくヘリコプターからの映像なのだろうが、何を映しているのかよく分からなかった。土色のキャンパス布を何かが一瞬の淀みもなくまるで黒い液体が染み込むようにどす黒い色に変えていく。アナウンサーの「これは水です。迫っています。」と繰り返される言葉。そして、その日の夜、次々に放映される水に浮かべた模型のように家々を飲み込んでいく津波の渦を見ながら僕は言葉を失った。そして多くの命が失われた。

 202005××。人類が滅亡した後、景観だけが残されたような都市。リドリー・スコットがメガホンを取った近未来の映画のようだった。人が一人として歩いていない渋谷のスクランブル交差点やネオサインが誰に見られるともなく点滅するタイムズ・スクエア。パリの18区、モンマルトルの丘の階段に溢れていた喧噪が聞こえない。まるでジョルジュ・デ・キリコの絵画だ。けれどそのすべてが幻想ではなく、Phenomenon of truthだった。この二つの現実。自分の生涯でこんな情景を五感で知ることがあるとは思ってもみなかった。自分では想像すら出来ないことがこの世には起こるんだと思った。そして、言うまでなくグローバル化した世界中で信じられない数の命が失われた。

 長く生きていると、さまざまな死に出会う。僕もこころざし半ばで倒れたいくたりかの友人がいる。残された僕はちゃんと生きているだろうかと自問することがある。すると自分の人生について改めて気づいてしまうんだ。僕の人生はけっこういい加減です。でたらめなこともしているし、嘘もつくし、約束も破る。パンを食べれば必ずパンくずを落とすし、CDプレーヤーのスイッチは間違いなく消し忘れる。君たちの名前もなかなか覚えられない。身勝手だし、自己弁護はするし、我知らずいろんな人を傷つけても来た。嫌になる。それでもときどき、思うことがあるのだ。亡くなった人の分も生きていかなくてはならないと。日常生活の中で「いやだなぁ、こんなこと」とか、「やってられねぇよ、うんざりする」とか思いそうになると、思い半ばで死んじゃった人のことを思う。そして「がんばらなくちゃ」と自分に言い聞かせる。

 この3ヶ月、君たちは何を考えたんだろう。

 君たちは年が明けると、高校を卒業することになるよね。大学に行く人もいるし、専門学校の扉を開く人もいる。社会人として踏み出すことを選択する人もいるだろう。でも、どの道を歩くにしても君たちの人生には何の保障もないという事実は見つめなければならない。何が起こるか分からないのがこの世の中だからだ。今度の伝染病は、そのことを僕らに教えてくれた。では、どうすればいいのか? 答えはたぶん一つしかない。いま目の前にあることに誠実に向き合うことだろう。アルベール・カミュは『ペスト』という小説の中で情況に誠実に向き合う人間を描き切っている。君たちは誠実に向き合えただろうか。だからね、そういう意味で今回のコロナ・ウイルスによる空白の時間は大事だった。おそらくYouTubeとか見まくっただろうね。そのことが頭ごなしに悪いこととは言わないけどさ。しかし、今回の休校は「考える」よい機会だったんだ。何も考えなかった人は、今からでも遅くはない。人は「それでは遅い」とか「まだ早い」とかいろいろに言うけれど、時間は単線で動くものじゃないのだから、いつだって、遅いということはないんだ。思ったときがすべてのはじまりなんだよ。

 なぜ大学進学を思ったのか。今、その答えを見つける時間は残念ながら君たちに残されてはいない。大学に進学するためには何をしなければならないかが分からない人はいないはずだ。仮に分からない人がいたとすれば、その人は大学進学を止めた方がいい。大学に進学するだけが人生じゃないし。それに大学に行けばそれなりの就職が出来るだろうというのは単なる蓋然性に過ぎないんだし。その一方で運動が苦手な人がいるように、勉強が苦手な人もいるはずだ。もう勉強はしたくないから大学へは行かない、という選択をする人もいるだろう。そんな明確な意思があればそれはそれで素敵なことなんだろうと思う。

 結局のところ、君たちはどのように生きていくのだろうかが、いま問われている。

 生きていくのに大事なことは、現実の観察と内面への想像力だ。その二つのどちらかがない人間は政治家をはじめとして実はたくさんいる。ネットで他者に対して誹謗中傷する輩も多い。彼らはなぜそうであり続けるのか。答えはシンプルです。現実の観察と内面への想像力、その二つを手に入れるのは容易なことじゃないからだ。でも出来ないことはない。手に入れるために必要なのは「知性」に尽きると思う。では、その「知性」を身につけるのはどうすればいいか。それは君たちのような年齢の時に、しっかりと誠実に学び、考えることしかない。君たちはどう生きていくのか。人間の得意技のひとつに、自分を騙すということがあるし、人は時としてその陥穽に嵌まりやすい。しかし、だからこそ、もう一度、少しでもいいからどう生きるのかという問いに向き合ってもいいかもしれないと思うのです。

 ところで、新型コロナ感染が拡大するアメリカで、映画俳優のトム・ハンクスがオハイオ州の大学で語った卒業スピーチは感動的だったよ。「君たちの人生についてこう語ることになるだろう。コロナ以前はこうだった。巨大なパンデミック以前は、とね。他の世代で語られるように、君たちの人生は永遠にコロナ以前として定義されることになるだろう。・・・我々はウイルスを克服した“その後”を生き続けることになる。大きな犠牲を強いられる事態を君たちは生き抜くことになる。そして、平常化を再始動させる役割を果たす」

 君たちの中には、ユーラシア大陸の東の隅で、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、ヤバイかっこうで位置しているこの土地に営々と流れ続けてきた人間たちの魂の欠片がある。日本人に生まれたということを言いたいわけじゃないよ。先年帰天されたドナルド・キーンという国文学者は20代までアメリカで生きてきて、その後この土地に移住し、ひとりの人間としてこの土地の魂を持って生き抜いた。つまりこの土地で生きるということを言っているんだ。先に述べたように僕らは「無常」という移ろいゆく儚い世界に生きている。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていく。大きな自然の力の前では人はほんとに無力な存在だけど、そのような儚さの認識は、僕らの基本的イデアのひとつにもなっている。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も僕らには具わっているはずだ。僕らは新しい現実を確かに見つめる力と豊かな内面への想像力とを新しい言葉で連結させなくてはならない。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはならない。それが畑の種蒔き歌のように、自分や人々を励ますことになる。僕らはかつて、まさにそのようにして、この国を再建してきた。その原点に、僕らは再び立ち戻らなくてはならないだろうな。君たちこそがそれを担う人なんだろう。トム・ハンクスが言ったように「大きな犠牲を強いられる事態を君たちは生き抜くことになる」にしても。

 さて、君たちはどう生きるかな。

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