ニュース・日記

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風通信194

2020/07/20(Mon)
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 人の手によってこの世に存在させられたものは、すべてデザインされたものです。こと舞台に限ってみても、役者の衣装、メイク、そもそもの演技から、劇判のセレクト、ライティングのアプローチ、そして大道具や小道具などの装置まで。僕らのような零細アマチュア劇団の場合、そうはいっても、すべてが叶えられるわけじゃない。それらは「舞台の経済」と密接に関わっているんだよ。落としどころをどのあたりにするかが問われる。まあ、そういう意味では「ご都合」が大事。

 初期の僕らの舞台を支えてくれたのは、彼が高校生の時から知っている、あのA君です。思えば、随分と無理難題をふっかけてきたんだ。A君、すみません。そして、ありがとう。演出家の要望をほとんど叶えてくれた。例えば、ある芝居では舞台にどうしても本砂が欲しくて要求したところ、彼は仕込み前の夜中に、津屋崎の海岸に行って、ズタ袋十個分の砂を小屋に運び入れたことがありました。照明屋さんなのに、装置屋までやったことになります。本水もやりました。窓の外は夜の雨。窓ガラスに雨の雫がオープニングからエンディングまで流れ続けるというアイデアだった。ポンプなんかは経済的に造れないから、パネルの後ろの人形のところで鎮を重ねて、当時は若手、というか大学生だったかなぁ・・・Kさんや最近この通信に登場してくるSさんが芝居のあいだ中、如露で滴を作っていました。腕がパンパンになったと言われたような気がする。感謝です。まあ、若者だし・・・ふふ。400人くらいの人が観たと思うんだけど、しかし、そこに気づいた人はヒトケタ代でした。残念。芝居はすべてが虚構だけど、だからこそ細部に本物を仕込むことで観る人の身体の感覚にリアリティを感じさせ得ると思うんだ。嘘と分かっていながら物語に同期できるというかね。A君はそこに50番代と80番代の色を組み合わせた、それはそれは美しい明かりを作ってくれたことも覚えています。そんな明かりは現実にはない。だからもちろん嘘なんだけど、観ている人は(舞台上では)現実として認識するなのだ。・・・あ、うまく説明できていませんね。
 本業の明かりでは、別の時に、もしかしたら失礼にあたるかもという要求をしたこともある。その舞台では、全編を通して柔らかな明かりだけが欲しかった。ボーダーだけだと強すぎたし、それで、トップサスもなくし、光源が推定されないような舞台照明を作ってくれと言いました。ヤレヤレ。結論から言うと、その舞台は、客席から見えないような状態で、ステージ上の全面に厚手の半透明のビニールシートを掛けることになった。灯体の効果を見せるなということでもありますから、灯り屋としては、忸怩たる思いだったろうな、と思うばかりです。そして、今回もそのA君が照明を担当します。無理は言わないようにしよう。

 僕は舞台に建て込みをしないタイプの舞台をずっと創ってきました。用いた方法は見立てね。言ってみれば日本の旧い伝統的な舞台技術です。それにしてはアブストラクトな舞台ばかりだったけど。松羽目ほどじゃないな。ただし、自分の考えるここだけはというところは、さっきの雨のようにリアリティを心がけています。あくまで独りよがりにならないようにはしているんだけど、人にはそれぞれの物差しがあって、その尺度がなかなか難しいんだなぁ。こっぴどく扱き下ろす人もいる。あげつらうのが趣味の人もいるし、ま、それは仕方ないよね、残念だけど。僕はこれからも、死ぬまできっと建て込んだ舞台装置は作らないだろう。もう、先は長くないけどさ。今回は、三場ともマンションの一室が舞台。しかも一場と三場は同じ部屋。二十代後半の女性の部屋だけど、それらしい物は何一つ置かないつもりだ。でも、ホリゾントの幕はそのまま使ったのでは意味がない。(あ、つまり、舞台上の総てのものは必ず意味が在るモノなんです)部屋であることは、部屋だということは、お客さんに最低限伝えなくちゃならないんだ。君がたった一人のお客さんだったら、「そう思ってくれ」と言えるんだけど、そうはいかない。じゃあ、それをどの程度工夫すればいいか。もう、必死で考えるのさ。役者としての付き合いからはじまったN君や、A君との相談が始まります。絶対作りたくないのはドンクサイ舞台。うまくいくかどうか分からないけれど、そう心がけている。生き方と同じです。

 今日は、ちょっと専門的なタームがあって芝居とは無縁の君には読み辛かったかなぁ・・・。
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