ニュース・日記

ニュース・日記

風通信171

2019/02/03(Sun)
 |
今日は節分。
明日からは、春ですなぁ。
だからだろうか、如月というのに、
今日は春の嵐の福岡です。

今年も年末から年始にかけて、京都で過ごしました。
穏やかな天気で、京都の底冷えも感じなかった。
さすがに比叡山の麓辺りでは、
それなりに冬の空気を感じはしたけれどね。
一乗寺に、「恵文社一乗寺店」という本屋があって、
お店そのものが思想のような店内。
そこで長い時間を過ごすことができた。
足利美術館や渋谷の松濤美術館で開催された
吉増剛造展のカタログが買えたのが嬉しい。
そういえば、群馬にある大川美術館では、
松本竣介の長期に渡る回顧展が開催されているけれど、
群馬はなかなか遠いですね、やっぱり。

もう少し、恵文社の話を続けます。

もちろん、
たとえばジュンク堂に平積みになっているような本もある。
でも、その大半は、ああ、こんな本があるんだというような
さまざまな分野のセレクトされた本が並んでいる。
そして、その中のいくつかは、
古い木製のショーケースの奥に収まっているんです。
最近はネットで本を注文することが多いので、
本の持つこの物理的な触感が懐かしい。
曇り空の午後に行ったせいか、店内は暗く、
要所要所にクリプトン球の電灯が付いていて、
落ち着いて本を探すことができるけれど、
老眼が手放せない僕としてはいささかつらいものがあった。でも、
ちょっと幸せな時間だった。

恵文社を出て、とりあえず出町柳まで出て、
それから、ジャズ喫茶のYAMATOYAまで。
大音響が苦手の連れが一緒だったので、
スピーカーの前には座らず、店内の奥に陣取って
恵文社で買った鶴見俊輔の本を読み上げた。
ページをめくる速度が格段に落ちたことを改めて確認。
たぶん、体力が落ちたせいだろうな。
ヤレヤレである。

年末に、旧劇団員に約束した台本の締め切りは
1月いっぱい。
中旬までは本業が忙しかったけれど、追い込みを掛けた。
本日、第1稿、完成。
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風通信170

2018/11/28(Wed)
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来年は、2019年です。
ソビエト連邦が崩壊してから
30年の年月が経ったということだ。
それは、社会主義の壮大な失敗だったと思うけれど、
だからといって、
マルキシズムが誤りであったとは言えない。

なぜ今頃、マルクスの話かと言えば、
先日、NLT2018の、『ヤング・マルクス』を見てきたからです。
ロンドンに新しくできた劇場の柿落とし公演らしい。

いつもながら良くできた舞台だ。
舞台美術、仕掛けも充分愉しめたし、
装置が見せるロンドンの貧民街の雰囲気が良く出ていた。
新作のせいか、珍しくメイキングがあり、
それがインターミッションの後、2幕のはじめにあって、
一気に後半を見せ、美しい終幕へと落とし込む。
良くできた台本でしたなぁ。
まさに若きマルクスの人となりを中心に
テンポ良く話は展開する。
そのカリスマ性と憎めない自己中心性。
(だからこそ、この作品は喜劇となるわけでね)
そんな人物から紡ぎ出される資本論は、
あの時代のあの場所のイギリスだからこそ
生まれたんだろうと思います。
やはり、偉大な思想家で、哲学者なんだろうな。
共産主義とか社会主義とかは後追いの概念化だと分かる。

今回も役者の力を感じました。ヤレヤレ。
どうして、あんなに飄々と演じることができるんだろう。

ただ僕としては、場転の音がちょっとなじめなかった。
演出家の意図は分かるつもりだが、
もう少し、印象的なリフというか、
パッセージのある音が欲しかったという感じ。
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風通信169

2018/11/24(Sat)
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いつものことだけど、冬の夜はシリウスを見つめる。
今年もみることが出来たと思う。言うまでもなく、
来年も見られるという保証はない。それにしても、
今夜も晴れて凍てついた空に美しく輝いている。
君は見ているだろうか。

先日、YouTubeで、
Wolfgang Amadeus Mozart:
Clarinet Concerto in A major, K.622
をチェックした。オケはIceland Symphony Orchestra。
たぶん、これから残り少ない冬の夜の定番は、シリウスとこの映像。
何度も見ることになるだろうと思う。なによりソロがいい。
ソロはArngunnur Árnadóttirという主席クラリネット奏者。
音は素直でとても美しい響きだし、静かな情熱を感じる。
たぶん、Icelandの人なんだろう。
名前を発音できない。ちょっと残念です。

Piano Concertoほどではないけれど、
この曲は僕の定番なので、CDは違う演奏家で
5種類くらいはある。それぞれに良さはあるけどね、
深みは別として、こんなみずみずしい演奏はない。
知的だし、作品に正面から向き合っているというか。
彼女の第2楽章の暖かさは冬の夜に似合う。

今まで自分の道だと思って普通に歩いてきたのに、
いつの間にか、
その道が足元からすっと消えてしまうことって、
人生には往々にしてあるものだ。
そんな時、そんな冬の夜、見上げるのはシリウス。
いつも変わらず、南東の空に静かに瞬いている、僕のために。
そして、君のために。
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風通信168

2018/10/22(Mon)
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備忘録というか、自分に対して追い詰めたというか、
とりあえず、先日、次回公演のことを情報として流した。
そう! 書いた以上は止めたとは言えないですもんね、普通。
一応、真っ当な社会人としての在り方からして。
『リア王』の時は、台本書くのに三ヶ月はかかったから、
今回も最低それくらいはかかるだろうと思うなぁ。
今度の芝居、中心になる男性と女性、実は・・・、
この人たちに演ってもらいたいと決めているんです。
その人たちでなくちゃ、できないとまで思っている。
男優とは先日、たまたま会ったんで、
「これこれなんやけど、演ってくれん?」と言ったら、
即答で、OKをもらったから嬉しかった。
女優はまだ話せていない。ヤレヤレ。だけど、
ここまで引き延ばしたんだから、ゆっくりと創ります。
キャストについて決まっているのは、その二人と、あとは、
公演が決まったら是非呼んでほしいと言ってくれた女優がひとり。
出演者がけっこうな数になりそうな作品だから、ちょっと心配。
集まらなかったら、そのときはその時考えようっと。
年末に向けて旧メンバーと飯でも食べながら、相談しようか。
矢野と、川中はスタッフワークをしてくれるだろうか(が)。
「か」と「が」の差は意外ほどは大きいですね。
これだけ不義理をしているとなぁ・・・。

この半年、たくさんの音楽を聴いたし、たくさんの映画を観た。
そして、たくさんの国内外の戯曲を読んだ。
だけど芝居はほとんど見ていません。
自分の頭の中で上演されている芝居を見るのが精一杯でした。
ただただ、ブーメランのような仕事場と自宅の単振動。
友だちからも恋人からも、もぅいない人と思われている。
それはそれでちょっと淋しかったりする。
淋しさには名前がない。でも、なかば自業自得で、笑い話。
それにしても、昨日今日と夕暮れが美しい。
オレンジ色の斜めの光に照らされた
暖色系の色あせた木々、そして高い空で輝く銀色の雲。
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風通信167

2018/06/01(Fri)
風通信 |
僕の「NTL2018」はデヴィット・ルヴォー演出の
『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』からはじまった。
堪能しましたね、やっぱり。
台本も演出も素晴らしいけれど、なにより役者が巧い。
この本は昨年の11月にシアター・トラムで上演されていて、
僕はその時『24丁目の桜の園』を観る予定にしていて、
残念ながら、日程が被っちゃったのだったなぁ。
やっぱり、東京はせめて2泊くらいしないとなと。
それにしても、イギリスのオーディエンスは素晴らしい。
あんな不条理劇を、老若男女が愉しんでいるのです。
なんか、伝統が違うよなと思った次第。
来月はピーター・シェーファーの『アマデウス』だ。
これも楽しみである。

アントンの、「本」がやっと絞られてきた。
詰めをはじめると、同時に、
そろそろキャスティングをしたい。
出てくれる役者がいるかなぁ・・・。
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風通信166

2018/05/13(Sun)
風通信 |
久しぶりの何も予定もない土曜日の午後だったので、
まあ、こういうときにこそ、
「積ん読」だけの何冊もの本を開けばいいようなものだが
ついつい、今のところ、そこそこ頑張っている
SB(対日ハム)の試合をTV観戦してしまいました。
両チームともはじめこそ活気があったのだけれど、
中盤から停滞気味の試合で、
ずいぶんと消化に悪い試合だったですね。
SBは交流戦前はだいたいこんなもんかな。

TVを見ていて驚いたことがあった。
表の攻めがスリーアウトで終わると、
当然攻守入れ替えになりますね、
その間にTVCMが入るわけです。その長いこと!
CMが終わり、試合に転換した時には、
攻撃側の一人目のバッターの結果は出ていて、
バッターボックスには、
すでに二人目のバッターがいるという次第なんですね、これが。
はじめ、よく理解できずに、
CMが長いなぁとは思っていただけなのだが、
まさか、次の攻撃の一番バッターの結果を
見せないということがあるとは思わなかった。
これ、驚きじゃないかなぁ。普通なのかしら。
試合を見ているのではなく、
まるでCMの間に試合を見ていると錯覚しそうでした。
別の時間帯では、CMが終わって、
15秒くらい、試合を見せて、その間、アナウンサーは
「今日はSBと日ハムの試合をお送りしています」といい、
また、CMが出されたりした。
なんだか、バカバカしくなってスイッチを切ったけれど、
おそらくTV局も経営的に苦しんだろうけれど、
なんというか、僕には、これは、
やっぱり視聴者を馬鹿にしているように思えるのですね。
そりゃないだろォと言いたくなる。

知り合いの若い友人が
静岡の地方局でディレクターをしていて、
直接聞いた話だけれど、ドラマ予算がなくて、
なんと彼の自宅の部屋を舞台に撮影したことがあるという。
まあ、臨場感もあってそれなりによかったというのが、
彼の見解なんだけれど、どうなんでしょう?
在るモノに合わせて脚本も変えるのか? 
という野暮な質問はしなかった代わりに、
そりゃ、シマえてるなぁというのが僕の見解で、
そんなことしていると早晩、
TVの世界も終焉を迎えるよなぁと呟いたら、
もしかしたら、終わってるかもしれませんねぇと
その場にいた別の友人が答えてくれた。
いつ見ても同じような芸人ばかりがひな壇に座って、
およそ、痴性的な言説を垂れ流してばかりいるしね。

先の話に戻るけれど、
病気かなにかで家から出られない人がいてね、
強烈なSBのファンとする。今日の放映が、
彼が唯一楽しみにしているTVの放映だとする。
ちゃんと見せろよ、と言ってはいけないのだろうか。
きっとそういう人のことは考えないんだろうな。
つまり、自分たちの都合ばかりの、身勝手な、
突き詰めて言えば、想像力の欠如とは言えませんかねぇ。
嫌なら見なければいい、とは、まさか言わないだろうけど。
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風通信165

2018/05/04(Fri)
風通信 |
昨日、今日と、「博多どんたく港まつり」です。
一度だけ出かけたことはあるが、それっきり。
この両日は基本的に、街へ出ない。
もちろん、素人演者として演舞場で踊ることもしない。
例年のことだが、公称、200万人の人出だという。
最終日の今日は、「総踊り」ということで、
「どんたく囃子」をみんなで(飛び入りも含めて)踊りながら、
パレードをするらしい。
らしいというのは、よく知らないからだ。

そもそも、みんなで一緒に踊るというのが、
よく分からないし、あまり好きではないのです。
当然、近年の「よさこい祭」(よさこい踊り)は、
すでに好きでないどころか、嫌だなあと思うのですね。
あの無我の境地の踊り手たちがちょっと恐いのだ。
「ファシストは澄んだ目をしてやってくる」みたいな怖さ。

「港」といえば、福岡市内に、「港」という町名がある。
大小の漁船や運搬船なんかが係留されている港町だ。
そこは大好きな場所で、
ときどきその近辺の駐車場に車を置いて、歩くことがある。
西公園の山の麓に沿った道路の商店街から
細い路地を抜けると、海の匂いがして、港がある。
「かもめ広場」と名付けられたパーキングには、
いつだって何台かの車が駐まっていていて、
少し汚れた軽トラックやバンばかりで、いわゆる高級車はない。
そういう車は、天神方面への抜け道となっている
広場の横を走る短い道路を過ぎていくばかりだ。
今でこそ、区画整理が進んでいて、
それなりに小綺麗な町となっているけれど、
むかしは戦前から残っているような古い建物が多く、
雑草の生えた空き地もあった。
そこには、使い道の分からない、
何年も雨に打たれて半ば朽ち果てたような船舶用具が
放置されていて、たいていは猫が日向ぼっこをしていた。

いま、瀟洒なラブホテルが建っている場所には、
遠いむかし、「かもめホテル」という古い小さなホテルがあった。
遠洋航海の船乗りが泊まる宿です。
僕の父親は船乗りで、僕が生まれてからは、
福岡からの定期航路の乗組員になっていたが、
昔の同僚で遠洋航海に出ていた人が何人かいたのだろう、
夕闇が染まる頃に、僕を自転車の荷台に座らせて、
彼らに会うために、ときどきだが、ホテルに行っていた。
半ズボンとランニングシャツという出で立ちを覚えているので、
たぶん、夏場が多かったんじゃないかな。
そして、きっと父親はまだ再婚していなかった。
ホテルにはなんでもかんでも笑い話にしてしまうおばさんや、
綺麗なお姉さんや、痩せたお兄さんがいて、
「坊や、花札しようか」などと言って、よく遊んでくれた。
飲み物は決まって三ツ矢サイダーだった。
まだ、コカコーラはなかった時代だ。
ホテルの壁は薄汚れていて、電球は白熱灯で、
今にして思えば、粗悪だったのだろう、
窓ガラスから見える何本もの船のマストは
枯れそうな植物の茎みたいにゆがんでいた。
みんな共和的に貧しかった遠い昔の話だ。

みんなどこへ行ってしまったんだろう。

懐古しているつもりはないんだけど。

町は街になり、小綺麗な通りになった。
雨が降るとぬかるんでいた通りはアスファルトで固められ、
雑草の生える余地もない。
車は通り過ぎるだけだし、
日向ぼっこをしていた猫もほとんど見かけない。
でも、なんだか、僕らの時代は、
生身の人間の尺度で測られていた時間や空間が
決定的に失われたのではないかと思うことがある。
オシャレなカフェや、
高い天井を持ったエントランスのある商業ビル。
おそらくそれが進歩というものなんだろうし、
僕もそれを享受し、否定するつもりもないけれど、
ときどき、僕らは遠くまで来たんだなぁと思うのです。

昨日、今日と珍しく晴天に恵まれた「どんたく」だった。
たくさんの観光客が訪れたことだろう。
福岡市では2020年までに、ホテルが33棟開業するらしい。
日本を訪れる東南アジアや欧米の客を取り込む目論見らしい。
なんの疑いもなく、すべて、経済。経済指数に体温はない。
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風通信164

2018/04/27(Fri)
風通信 |
去年の今日も、同じような日だった。
晴れ渡った空は初夏を予感させるようだった。
静かに、静かに人は去って行ったのだった。
哀しみよりも、
その穏やかさがなによりありがたかった。

今日は鴻巣山の霊園へ。
三十年近く、毎月通っているのに、
今まで一度として気付かなかったことがある。
そこに大好きな花を見つけたのです。
大好きなのに、名前を知らない。
真ん中が黄色で、周りが白い花弁。
花弁の数は多くないから、ヒナギクじゃないだろう。
マーガレットというのかなぁ・・・。
細い茎の上にスッキリと一輪だけ花を付けている。
一本だけ見つけて、視線を上へ移すと、
柔らかな芝生の坂に、
天国からの贈り物のようにいくつも咲いている。
それが、午後の陽射しの中で、
てんでに揺れているのだった。

近くを見ることも大切だけど、
ときとして、人は、
遠くを見つめなきゃ、いけないんだよね。
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風通信163

2018/04/22(Sun)
風通信 |
僕は楽器が弾けない。
学生の頃、
アコースティック・ギターは少し爪弾いたけれど、
わずかなコードと、簡単なアルペジオを覚えただけで、
それ以降、触ってはいない。
一度、ブルースハープをしようかと思って、
とりあえず「C」調のものを一本購入したけれど、
どこかにいってしまった。
何か楽器が出来たら、いいだろうなと思う。

「手風琴」というものがある。
いわゆるアコーディオンですね。
ちなみに、オルガンは「風琴」といいます。
いずれも、いろんな音のする風を作り出して、
それを組み合わせて弾く楽器だ。
その親戚にバンドネオンがあり、その習得の難しさから
「悪魔の楽器」と言われているそうだ。

寺山修司に
「海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり」
という有名な短歌作品がある。
この少女は、おそらく長期療養中なのだろう。
そして、そのベッドサイドで、不器用な少年は立ち尽くす。
現実の行為というより、イメージの作品のような気がする。
言葉の二律背反ですね。
でも、確かに言葉は全能ではないのだ。

今日のような穏やかな春の日の午後。
空を渡る風を感じながら、
ぼんやりと霞んだ水平線を前にした砂浜で。
缶ビールを片手に、君と座ったままで、
何の役にも立たない、つまらない話をしてみたい。
僕が「手風琴」を弾けたなら、
少女の傍らで、ひとつひとつの音を確かめながら、
言葉にならない言葉で、話していたい。
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風通信162

2018/04/07(Sat)
風通信 |
言葉は不自由なものだ。
想いをどれだけ尽くしても、
届かない。届かないどころか、
言葉を尽くせば尽くすほど、
その分だけ、
ますます想いから遠く隔たってゆく。
語り尽くせない。
だから、紋切り型の定型で。
「ご自愛下さい」・・・万感の思いを込めて。

人との出会いも似たようなものかもしれない。
会えば会ったで、会い尽くせない。尽くしきれない。
だから、会わなくてもいい。それどころか、
会わないことの方が、
いま目の前にいることより大事なのだ。
万感の想いを込めて、
ぼくのなかにあなたはいる。
あなたのなかにぼくはいる。
そう信じられるのだから。
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風通信161

2018/03/31(Sat)
風通信 |
プロ野球が開幕しましたね。
わがソフトバンクも渋く勝利して、まずは1勝。
この積み重ねの果てに、もう1頂!が来る(笑)
(分かる人には分かるKWです)
昨日はMLBも開幕しました。
エンゼルスの大谷が初打席初ヒットだって。
その大谷の話から、
過日、友人の原クンと焼き肉を食しながら
盛り上がった。

原(以下H) だいたい、あの顔が好かんのだね。
僕(以下B) どこが?
H いや、あのドヤ顔。フィギュアスケートの羽生と同じ顔でさ。
B なるほど。でも、実績あるんだから、仕方ないんじゃない?
H いや、実れば垂れる稲穂かなってね、言うだろ?
  The boughs that bear most hang lowest. という諺が英語圏にもある。
B でも、年齢が年齢だから。致し方ない。
H 藤井聡太を、見ろよ。年齢とは関係ない。
B スポーツと将棋を比べたら・・・。
H うん、そ。・・・そのフィールドの広さというか、
  マスに見られているというか、分かってるんだよ。
  だから、あんな顔ができる。僕ってスゴイでしょ? って。
B でも、確かにスゴイじゃん。誰でも出来ることじゃない。
H たまたま、そう生まれついただけでね。もっと謙虚にならなくちゃ。
B あそこに行くまではそれ相応の努力はしてると思うよ。
H 努力? でも、誰でもが大谷になれるわけじゃない。
B それでもだよ、
  彼らの努力は認めなくちゃな。結果は結果として認めるやろ? 
  君だって。
H それと顔つきとは関係ない。
対他的存在じゃないんだよ。対自ばかりでね。
B それって、古くない?
H まあ、サルトルだしね、確かに。
  んで、顔つきと言えばさ、松本人志の顔も嫌でね。
B 誰?
H ダウンタウンの、芸人だよ。
B はぁ。(H、ここでスマートホンで画像を見せてくれた)
H この顔、嫌と思わんか?
B まあ、汚い顔ではあるな。
H いや、貧しいね、この顔。
B 顔に責任はないやろ。
H いや、ある。40過ぎたら自らの顔に責任が生じる。
B ああ、リンカーンだった?
H そ。今どき、彼は芸人界のご意見番だそうな。
B ご意見番?
H 彼の漏らした感想がネットで拡散して、賛否両論。話題になる。
B まあ、このご時世だな。
H 芸人というのはさ、そもそもホスピタリティの存在なんだ。
B なるほど。夢路いとし、こいしとか、ダブルけんじとか。
コロンビアトップ、ライトは面白かった。
H ・・・それって、古過ぎやろ。
B いや僕、好きだったもん。あれで笑い過ぎて泣くという経験をした。
僕にとって古いのは、アチャコ、エンタツ。
H おまえ、話にならん。ま、確かに、
  あの頃の芸人の話芸はホスピタリティがあったな。
  偉そうなことをいわなかった。
それが、たとえば松本なんか、偉そうに言うんだな。
しかも、それをありがたがるマスコミ、というか大衆。
B 大衆ってさ、そういうもんなんじゃない? 
  自らの判断はとりあえず横におくというか。
H いや、もともとそんなもん、ないんだよ。
B そんなもん?
H あ、自らの自律的な判断ね。
B そりゃ、言い過ぎだろ。
H いや、そうだね。ちゃんとオルテガは早くに定義している。
B オルテガ・・・。
H そ、オルテガ。・・・主客転倒してるんだな。
  つまり、本来、主人を笑わせるはずのお笑い芸人が、
まるで主人のようになっている。
B ホスピタリティというわけか。
H ああ、そういうことだな。よくTVで、コメントしてるだろ。
B ああいうの、ひな壇芸人って言うんだって。
H ひな壇? なるほど。芸とも呼べない芸の垂れ流しだよな。
B まあね、だから飽きられたら、すぐ捨てられる。
H あのひな壇だって、結局は自己完結の構図。
B ん?
H 自分たちの世界でじゃれ合っているだけだろ?
  そこには、TVを見ている我々の、
  他者の視線というものがない。

話し好きの友人と食事に行くのは考えものだ。
彼らは、一様に、よくしゃべり、よくたいらげる。
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風通信160

2018/03/27(Tue)
風通信 |
春の選抜高校野球が始まった。
僕は、ソフトバンクの試合はときどき見るけれど、
野球観戦がそれほどすきなわけではない。
だから、高校野球だからといって、
それを見ることはほとんどない。
もちろん、プロの野球とは違った魅力があるのは、
認めるんだけれど。

こと野球に限らず、
スポーツは勝つためにやっているはずだ。
しかし、勝たないからといって意味がないとは言えない。
スポーツの最も大事な点は、負けるということだ。
トーナメントの試合では、勝者以外は、
参加者の全員が負ける。そして、いうまでもないことだが、
その勝者もいつかは負ける。
だから、スポーツにおいては、
負けることこそ当たり前の、普遍的なことになるだろう。
そこから、
負けて挫けている他者への思いやりも生まれよう。
オリンピックで、金メダルを取ることは
素晴らしい達成だとは思う。
でもね、僕は、勝つことよりも、
負けることの方が大事な経験なんだよね。
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風通信159

2018/03/17(Sat)
風通信 |
3年ほど前のことだが、2ヶ月ほど、
よんどころない事情で藤崎に住んでいたことがある。
市営地下鉄の藤崎駅から3分ほどのマンションだった。
202号線と原大通りが交差する早良口に面していて、
両方とも広い道路だから、夜間でも車が走る。

舞台の稽古が終わって帰る時刻でも、人通りがある。
このことがなんだかとてもいい感じだった。
その2ヶ月を除けば、ずっと同じところに居住している。
この住まいは玄関のドアを開けると目の前に室見川が流れていて、
豊かな水の傍らという立地は、すごく気に入ってるんだけど、
午後9時も過ぎると、ほとんど人通りも絶えてしまうという住宅街。
静かな夜のとばりが降りるだけなんですね。
それはそれでなんの不足もないんだけれど、
あの藤崎での生活は、妙に心地よいものだった。

僕は、18歳から28歳まで東京に住んでいた。
何ごともなければ、あのまま東京にいたと思う。
嫌いではなかったんですね、あの街が。
なぜ好きだったかというと、
たぶんそれは当事者回避の位置にいられたからだと思う。
つまり、観察者。
それと、孤独感。このふたつ、
まあ、似たようなものでもあるし、同時に、
まったく別物と考えられないこともないですね。

本当の孤独は人混みの中にこそある。だから、
都会にこそ真の孤独があるというのは、
シャルル・ボードレールが
つとに指摘したところだったと思うけれど、
その片隅で、他者と無関係に、
静かに人知れず生きていくというのは素敵です。
都会ではそれが可能になる余地がある、
というか、それが都会という存在なのだろう。
それで、思い出したけれど、
高校生の時に、
岡林信康の『俺らいちぬけた』の冒頭のフレーズに
強く惹かれた記憶がある。
たぶん、原点の一部分を占めている感覚なんだろうな。

僕は、分析家ではないから、
この嗜好(あるいは志向)が、どういうものかよく分からないけれど、
人混みの中で無名に生きることがいいと思うのです。
もちろん、舞台を創るという意味では、
僕にだってそれなりのナルシズムや自己顕示欲がないわけではない。
でも、比較的乏しい方だと自己分析している。
(まあ、往々にして自己分析って間違いが多いものですが)
そもそも、こうした日記を書くこと自体、どうなの?
と突っ込みを入れたくもなりますが。
要するに自己への執着は少ない方だと思う。その意味では、
それがもう少しあれば、
もっといい作品が出来ただろうと思うこともある。

僕は、いまでも天神に行くと、
たとえば福ビルのシアトルズ・カフェのテラスで、
カップになみなみと注がれたカプチーノを飲みながら、
通り過ぎる人を見るのが好きだ。
ひとりひとりが人生を背負って歩いている。
そのあれやこれやを想像し、
それがどんなふうに身体に形象化されているか。
つらつらとそんな思いを広げるわけです。

と、ここまで書いて、
自分でもある程度は分かってはいるんだけれど、
すごくシンプルに言えば、
わがままで、身勝手な人間なんだな、俺は。
「そ、要するにィ、ほどほどのお金があって、
好きな本を読んで、好きな音楽を聴いて、
好きな映画を観て、それ以外のことは
どーでもいいのよ、あなたは」と、彼女は言う。
やれやれである。

なんか、東京に行きたくなったなぁ。
そこに行くと、
素敵なガールフレンドが待っている。
・・・ような気がするしね。
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風通信158

2018/03/11(Sun)
風通信 |
今日は、3.11。
あれから、7年の歳月が流れた。
あの日、目の前にあったのは、
僕の想像力や、認識能力を遙かに凌駕するほどの、
すさまじい自然災害だったのを思い出す。

なくなった人々のご冥福を祈りたい。
と同時に、
愛しい家族や、友人を失った人の哀しみを思うと、
胸が痛む。

あれは、天災と人災の記憶だ。

天災は、「時」が救済してくれる部分がある。
復興という言葉があるように、
道路は修復され、家屋は建て直されるだろう。
この列島に生き続けた僕らの先祖は、
そのようにして生きてきたはずだ。

人災もまた、本来なら救済されるべきだろう。
しかし、
いまだに「原子力発電」を目論む電力会社があり、
そのことに異議を申し立てる国会議員はおらず、
国民不在の政争に明け暮れるばかり。

僕らは遙かな子孫に何を残せるのだろう。
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風通信157

2018/03/10(Sat)
風通信 |
2年ほど前、職場のでの環境が変わったのを機に、
車を、それまでの「オペル」からホンダの軽自動車に換えた。
免許取り立ての半年間、スズキの2気筒に乗った以外は、
アメリカ車、イギリス車、ドイツ車と外国産の車ばかり乗っていた。
僕はどちらかと言えば、
ローリスク・ローリターンの収入の、しがない身なんだけどれど、
日本車の、至れり尽くせりのご親切は、
今ひとつ、車を走らせる面白みが感じられなくて、
家族のここよからぬ心情はともかくも、
経済に見合わない車ばかり乗ってきたのです。

維持費のことも考えて、軽自動車に買い換えたのだが、
母親の病院の送り迎えのこともあり、
4ドアのゆったりした車を前提に探して、
買ったのが「N・BOX/(スラッシュ)」だった。
この車は、なぜこんな軽自動車を作ったの?
と思われるような妙な車で、車内に
低音域用に17センチのバックロードホーン型の
ウーハー・スピーカーがひとつ、
それから、同じく中音域用の17センチのスピーカーが4個。
さらに、アルミドーム型のツィーターが4個。
計9個のスピーカーが標準装備してある。
もう、それはコンサート・ホールです。
セロニアス・モンクの息遣いやら、バド・パウエルの呻き声やら、
が、すさまじい臨場感で迫ってきた。
ジェシー・ノーマンのドラマティコなソプラノは、
ミラノ・スカラ座で聞くような感じでした。
(あ、念のため、僕はミラノ・スカラ座に行ったことはありません)

だから、それはそれで満足していたのだが、
先月、突然、車を買い換えようという気になってしまった。
もちろん、軽自動車です。
けばい女性に惹かれる男性は、死ぬまでけばい女性に惹かれ続ける。
問題のある男性に惹かれる女性は、同じように
死ぬまで問題のある男性に惹かれ続ける。人の趣向というか、好みは
一生涯変わることはないような気がする。
車の好みも、わりとそれと近いものありそうな気がしますね。
僕は、もう、文字通りの爺ちゃんなので、
ジイさんが乗るのに、ある意味、適した車を選んだつもりだ。
新しい車は納期にあと2ヶ月かかるらしい。
僕は、メガネを1年に一回は買い換える。
そのたびに、メンバーの栃原が、
「今度はどんな女の子と付き合ってるんですか?」
と十年一日のように尋ねる。
車を換えたことを知ったら、きっと訊くだろう。
「今度はどんな女の子を乗せるんですか?」
現実的ではないにしろ、しかし、
そう尋ねられることは、けっこう名誉なことですね。
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風通信156

2018/03/05(Mon)
風通信 |
いやぁ〜、ほんとに今回は、僕としては、
長い・・・というか、
長かった。相当危うい状況に落ち込んでいました。
いま、少し回復途上。

その場所に、
ひとりで行ってひとりで帰ってきたような。
僕は、もう長く生きないかもしれないなぁ。

芝居の準備も、それなりの型(スタイル)があるわけで、
先日までは、すごく無責任な言い方にはなるけれど、
そんなこと、どうでもいい、とか思っちゃってね。
こんな僕でも、
待ってくれている仲間がいるし、
もちろん自分のためにもなんだけど、
そうはいかない。大丈夫。

で、なにをやっていたかというと、
もちろん、なにもやっていない。
一応、どうにか、仕事にはいけましたな。はは。
そういえば、なぜか夏目漱石の俳句を繙いていましたね。
とりあえず、気に入ったのは、次の二句

〜寝てくらす人もありけり夢の世に〜
〜菫程な小さき人に生まれたし〜

今宵の風は春の風。
そういえば、

〜吾妹子を夢見る春の夜となりぬ 〜

というのがあったなぁ。
初句は「アギモコ」と読む。恋人のこと。
・・・万葉ですね。・・・つまらない知識。
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風通信155

2018/02/25(Sun)
風通信 |
去年だったか、ある日のこと、
ふと、「生きる気力」が自分の中で、失われているなぁ、
と感じることがあった。
「生きる気力」というものがどういうものであるか、
説明するのは、とても難しい。
アルチュール・ランボーが貿易商人として
死ななければならなかったのをうまく説明できないように。
(あえて言えば)その「気分」は、すぐに消えちゃったけれど。
でもそれから、ときどき、排水溝の泡沫のように、
心の中に浮かんでは消える。

芝居を再開しようと思った。

ところが、
2月に入ってしばらくして、突然、自分の中で、
「生きる気力」が失われつつあると感じ続けていた。
自己分析すると、かなり、重症です。
そんな中、昨日、
久しぶりに若い友人たちと一席を囲んだ。
若いといっても、すでに50の声は聞いている。
誰もがそうであるように、50年も生きると、
生まれたばかりの赤ん坊のままいられるわけがない。
口には出せない、あれやこれやを抱えたまま、
日々を彼らは自分に与えられた場所で生きている。
僕のような口舌の徒ではないので、
いわゆる談林風発というわけではないが、
この30年人生意気に感ずという付き合い方をしてきた。
年齢差もあり、経験も違うが、教えられることも多い。

2月が逃げる、3月は去るという。
早く、春にならないかな。
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風通信154

2018/02/17(Sat)
風通信 |
平昌オリンピックも半ばを過ぎましたね。

冬季のオリンピックの競技の中で、
時間が合えば観戦するのは、
カーリングです。男女ともに面白い。
戦術の予想をしながら見ます。
今回、男子は惜敗気味。
まだ、この先スウェーデン、カナダと、
強いチームとの試合が待っているので、厳しい状況。
女子の方は、今日の午前中、韓国に負けたものの、
夜のロシアとの試合に勝ったので、
現在の調子を維持すれば、
準決勝ラインには到達するでしょうね。
頑張ってもらいたいものだ。

見てはないけれど、フィギュアスケートでは、
羽生結弦が、2大会連続の優勝だって。
どこぞの誰かが、
きっと国民栄誉賞の準備をしているよね。
ヤレヤレ。
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風通信153

2018/02/16(Fri)
風通信 |
最近の若者が本を読まないと言われて久しい。
大ベストセラーという話もとんと聞かないし、
出版事業も厳しい状況だという。いわゆる出版不況ね。
しかし、本当に本を読んでいないかというと、
実はそれほどでもないと思えるんですね、僕には。
なるほど、いわゆる純文学なるものは
たしかに、売れていないみたいだし、
読まれてもいないのかもしれないですね。

それほどでもないというのは、
ライト・ノベルは、
一時期のケイタイ小説ほどでもないけれど、
読まれているんじゃないかと、
なんとなく感じているからである。

半期ごとの芥川賞の発表はニュースでも取り上げられるし、
村上春樹の小説が出れば、本屋で単行本が平積みされる。
でもですね、たとえば第1回の芥川賞受賞作、
石川達三の『蒼氓』という作品を読む若者は
皆無といえないまでも、ほとんどいないんじゃないだろうか。
いや、そもそもです、泉下の石川さんに申し訳ないけれど
「石川達三」という名の作家を知っている人が
若者の中にいるとも思えないのですね。ということは、
「石川達三」なる文学者は彼らの中では存在していないことになる。

僕は、フェイスブックもしないし、
ツイッターも、そしてラインもしない。
だから、そういうものがこの世にあることを
知識としては知っているんだけれど、
存在はしていないのと同じことなのです。
そういえば、NHKの報道番組でよく目にする、
画面の下の方に存在する一行のコメント、
あれがツイッターなのかしらね、
あれ、究極の自己満足じゃありません? 
いやいや、もしくは共感の極地とも言えるかもな。しかし、
僕のような年寄りは、
それを読まされてもねぇ、といつも思います。
そもそも、こういうことを書くこと自体が、
すでにどうしようもないオヤジなのでしょうが。
願わくば、同調圧力だけは止めて欲しいなぁ。

話がそれました。

少なくとも、僕の中では、その良し悪しは別として、
「石川達三」は存在している。
つまり、すごく単純化して言えばですね、
僕の現実的世界と、若者の現実的世界は違うわけで、
見えているものも、たぶん違うんじゃないかと思うのです。
村上春樹の『18Q4』の世界ですね、これは。
タイムスリップ。
おなじ空間で呼吸し、同じ時間で行動しているにも関わらず、
別世界に生きているという事実。
どちらが本当の現実か、なんてナンセンスですね。
きっとどちらも現実で、リアルなんだな。
さらに言えば、その現実はどちらも正しく、正当なんですね。
だから、近頃の若者は、とかは言うまい。
まあ、昔からそうものだった、
と識者は言うかもしれないけれど。

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風通信152

2018/02/10(Sat)
風通信 |
オリンピックが始まりました。
日ごろ見ることのない競技種目が見られるのは、
やはりそれなりに興味深い。
TVのスイッチを押すことが多くなりそうです。
開会式はチラッと見ましたが、あれって、なんでしょうね。
演出というのかなぁ・・・、やっぱり。
オリンピックごとに
いろいろ工夫してはあるんだろうけれど、
そのスタイルはいつも同じ。
もっとも、広いセンターステージを使うとなったら、
同じようなモノにならざるを得ないのでしょう。
同工異曲。それぞれの国の文化や歴史を謳い込む。
国民国家の概念から一歩も出ていないし。
それにいちいち感動を装う解説者とか、 
アナウンサーの言葉もうるさくて仕方がない。

2020年の東京オリンピックの開会式も
きっと同じようなモノになるんだろうな。
もう、準備は始まっているはずだし、
電通か博報堂のような広告代理店ばかりが
結局のところ、
国税を取れるだけ取るような経済構造なんだろうと思う。

スポーツそのものは
知性よりいちはやく感情に訴えるという意味でも
とても分かりやすいものだから、ドラマも造りやすい。
そのことの是非は、まあ、どうでもいいんだけど、
たかだか、3分くらいの競技を見るために、
TVは延々とコマーシャルを流すわけで、
まるで、CMとCMの間に競技が挟まっているみたいで、
なんだか、本末転倒のような気もする。
競技のTV放映は、
もっとシンプルにならないものかなぁとつい思ってしまう。
選手がこのステージに立つために如何に努力してきたか、
などというドキュメンタリーを見せられてもね。
だって、誰だって、自分の領分においては、
彼らなりの精一杯の努力をしているはずなんだから。
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