ニュース・日記

ニュース・日記

風通信155

2018/02/25(Sun)
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去年だったか、ある日のこと、
ふと、「生きる気力」が自分の中で、失われているなぁ、
と感じることがあった。
「生きる気力」というものがどういうものであるか、
説明するのは、とても難しい。
アルチュール・ランボーが貿易商人として
死ななければならなかったのをうまく説明できないように。
(あえて言えば)その「気分」は、すぐに消えちゃったけれど。
でもそれから、ときどき、排水溝の泡沫のように、
心の中に浮かんでは消える。

芝居を再開しようと思った。

ところが、
2月に入ってしばらくして、突然、自分の中で、
「生きる気力」が失われつつあると感じ続けていた。
自己分析すると、かなり、重症です。
そんな中、昨日、
久しぶりに若い友人たちと一席を囲んだ。
若いといっても、すでに50の声は聞いている。
誰もがそうであるように、50年も生きると、
生まれたばかりの赤ん坊のままいられるわけがない。
口には出せない、あれやこれやを抱えたまま、
日々を彼らは自分に与えられた場所で生きている。
僕のような口舌の徒ではないので、
いわゆる談林風発というわけではないが、
この30年人生意気に感ずという付き合い方をしてきた。
年齢差もあり、経験も違うが、教えられることも多い。

2月が逃げる、3月は去るという。
早く、春にならないかな。
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風通信154

2018/02/17(Sat)
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平昌オリンピックも半ばを過ぎましたね。

冬季のオリンピックの競技の中で、
時間が合えば観戦するのは、
カーリングです。男女ともに面白い。
戦術の予想をしながら見ます。
今回、男子は惜敗気味。
まだ、この先スウェーデン、カナダと、
強いチームとの試合が待っているので、厳しい状況。
女子の方は、今日の午前中、韓国に負けたものの、
夜のロシアとの試合に勝ったので、
現在の調子を維持すれば、
準決勝ラインには到達するでしょうね。
頑張ってもらいたいものだ。

見てはないけれど、フィギュアスケートでは、
羽生結弦が、2大会連続の優勝だって。
どこぞの誰かが、
きっと国民栄誉賞の準備をしているよね。
ヤレヤレ。
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風通信153

2018/02/16(Fri)
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最近の若者が本を読まないと言われて久しい。
大ベストセラーという話もとんと聞かないし、
出版事業も厳しい状況だという。いわゆる出版不況ね。
しかし、本当に本を読んでいないかというと、
実はそれほどでもないと思えるんですね、僕には。
なるほど、いわゆる純文学なるものは
たしかに、売れていないみたいだし、
読まれてもいないのかもしれないですね。

それほどでもないというのは、
ライト・ノベルは、
一時期のケイタイ小説ほどでもないけれど、
読まれているんじゃないかと、
なんとなく感じているからである。

半期ごとの芥川賞の発表はニュースでも取り上げられるし、
村上春樹の小説が出れば、本屋で単行本が平積みされる。
でもですね、たとえば第1回の芥川賞受賞作、
石川達三の『蒼氓』という作品を読む若者は
皆無といえないまでも、ほとんどいないんじゃないだろうか。
いや、そもそもです、泉下の石川さんに申し訳ないけれど
「石川達三」という名の作家を知っている人が
若者の中にいるとも思えないのですね。ということは、
「石川達三」なる文学者は彼らの中では存在していないことになる。

僕は、フェイスブックもしないし、
ツイッターも、そしてラインもしない。
だから、そういうものがこの世にあることを
知識としては知っているんだけれど、
存在はしていないのと同じことなのです。
そういえば、NHKの報道番組でよく目にする、
画面の下の方に存在する一行のコメント、
あれがツイッターなのかしらね、
あれ、究極の自己満足じゃありません? 
いやいや、もしくは共感の極地とも言えるかもな。しかし、
僕のような年寄りは、
それを読まされてもねぇ、といつも思います。
そもそも、こういうことを書くこと自体が、
すでにどうしようもないオヤジなのでしょうが。
願わくば、同調圧力だけは止めて欲しいなぁ。

話がそれました。

少なくとも、僕の中では、その良し悪しは別として、
「石川達三」は存在している。
つまり、すごく単純化して言えばですね、
僕の現実的世界と、若者の現実的世界は違うわけで、
見えているものも、たぶん違うんじゃないかと思うのです。
村上春樹の『18Q4』の世界ですね、これは。
タイムスリップ。
おなじ空間で呼吸し、同じ時間で行動しているにも関わらず、
別世界に生きているという事実。
どちらが本当の現実か、なんてナンセンスですね。
きっとどちらも現実で、リアルなんだな。
さらに言えば、その現実はどちらも正しく、正当なんですね。
だから、近頃の若者は、とかは言うまい。
まあ、昔からそうものだった、
と識者は言うかもしれないけれど。

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風通信152

2018/02/10(Sat)
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オリンピックが始まりました。
日ごろ見ることのない競技種目が見られるのは、
やはりそれなりに興味深い。
TVのスイッチを押すことが多くなりそうです。
開会式はチラッと見ましたが、あれって、なんでしょうね。
演出というのかなぁ・・・、やっぱり。
オリンピックごとに
いろいろ工夫してはあるんだろうけれど、
そのスタイルはいつも同じ。
もっとも、広いセンターステージを使うとなったら、
同じようなモノにならざるを得ないのでしょう。
同工異曲。それぞれの国の文化や歴史を謳い込む。
国民国家の概念から一歩も出ていないし。
それにいちいち感動を装う解説者とか、 
アナウンサーの言葉もうるさくて仕方がない。

2020年の東京オリンピックの開会式も
きっと同じようなモノになるんだろうな。
もう、準備は始まっているはずだし、
電通か博報堂のような広告代理店ばかりが
結局のところ、
国税を取れるだけ取るような経済構造なんだろうと思う。

スポーツそのものは
知性よりいちはやく感情に訴えるという意味でも
とても分かりやすいものだから、ドラマも造りやすい。
そのことの是非は、まあ、どうでもいいんだけど、
たかだか、3分くらいの競技を見るために、
TVは延々とコマーシャルを流すわけで、
まるで、CMとCMの間に競技が挟まっているみたいで、
なんだか、本末転倒のような気もする。
競技のTV放映は、
もっとシンプルにならないものかなぁとつい思ってしまう。
選手がこのステージに立つために如何に努力してきたか、
などというドキュメンタリーを見せられてもね。
だって、誰だって、自分の領分においては、
彼らなりの精一杯の努力をしているはずなんだから。
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風通信151

2018/02/07(Wed)
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今日は午後から、陽射しが眩しかった。
空気はカンカンに冷えていて、まるで
チェーホフの作品に出でてきそうなコバルト色の空。

昨日の福岡は、雪の朝。
勤務先で、重要な業務があるために、
遅刻、欠席は許されない。

行きましたよ、車で。

僕の住まいは、
100メートルくらいの川幅の河畔だし、
海からも2キロくらいしか離れていないので、
ほとんど路面に雪は溜まらずの状況だった。

勤務先は、
中腹とは言えないまでも、
小高い山をちょっと登ったところにある。
積もってましたね、10pくらいは。

とりあえず、麓までは行けた。そして・・・、
坂を登ろうとした時、タイヤが
ゴツン、ゴツンと音を立てて、横滑りした。
シフトをドライブにしていたにもかかわらず、
突然、サム・ペキンパーの映画のハイライトのように、
ゆっくりと、
そう、スローモーションで後方に動き出した。
ヤバイ!(と本来はこういうときに使います)
で、とりあえず、なんとか止めて、
気合いを入れて慎重に歩道に乗り上げることにした。
そこで、ストップ。
雪は降り止まず、あとからあとから降ってくる。
車から降りて、さて、どうしたものかと思案橋。
その横で、ワシャワシャと音を立てて、
車が何台もゆっくりと通り過ぎてゆく。
ちょうど、その時バスが通過した。
思わず、バスの乗客と思わず目が合う。
そこにいたのは、
勤務先の上司、というか、トップでした。
彼は、なぜかニコニコしながら僕を眺めて、通過してゆく。
ヤレヤレである。
僕は、ハイハイと自分自身に相づちを打ち、
まあ、捨てよう!とあっさり乗り捨てることにした。
後で取りにくればいいと。

サクサクと音を立てて、雪道を歩いて行った。

帰りは、すでに乾いた道路でした。

そういえば、過日の東京の大雪。
六月のガールフレンドから、
帰れなくて、会社でしばらくコーヒーじゃぁと、
メールがあったことを思い出した。
その後、メールはないけれど、無事に帰られたんだろうか。

このところ、
北陸地方では40年ぶりの大雪とか。
きっと、昨日は、
朝倉の被災地も深い雪だろう。

あれくらいの雪で!
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風通信150

2018/02/06(Tue)
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毎年のことだが、この時期に必ず購入する雑誌がある。
まあ、雑誌というか、PR誌なんだけど。
一回書いたかなぁ・・・。
みすず書房のPR誌「みすず」である。
1、2月号は読書アンケート特集。
さまざまな人が、2017年中に自分が
感銘を受けた本を5冊まで取り上げ紹介するものだ。
こんな専門の本が出ているのかと毎回感心する。
一生をかけて専門の領域を追究する人々がいる一方、
よくわからないけれど、面白いことを試みる人がいる。
そして、それを評価し、紹介する人(執筆者)がいる。

たとえば、
『東北おんば訳 石川啄木のうた』という本。
おんばとは、おばさん、おばあさんたちのことらしい。
(ちなみに、パソコン上で「おんば」と打ち込むと
「乳母」と転換されます。)
これは啄木の短歌を土地の言葉に戻してしまおうとする試みらしい。
「きしきしと寒さに踏めば板軋む/かへりの廊下の/不意のくちづけ」は、
「ぎしぎしど寒(さん)みィ板(いた)場(ば)踏んでげば/帰(け)ァる廊下で/いぎなり チュ」
と生まれ変わる。
まあ、だから、なんなの?とか、
ちょっとそれはどうかな?とか、思うことはいろいろあるだろうけど、
この発想には、あえて言えば、
標準語と地域語における表現方法の互換性の可能性など、
膨らむ余地はあるかもしれないと感じさせはする。
そういえば、
津軽方言を使って詩を書いていたのは高木恭造だったなぁ、
と思い出したりする。

たとえば、
ヴァルター・ベンヤミンとグレーテル・アドルノの
『往復書簡 1930〜1940』を翻訳した人がいて、
それを評価する人がいる。
あの時代のドイツ、ユダヤの知識人の
知と精神と魂の共振の輝き。
いったい、何人の人が読み、感慨に耽るのだろう。
アドルノの妻となる女性の書簡は
たしかにちょっと読みたい気もするけど、
たぶん、僕は読まないなぁ・・・。でも、
そういう本があるということを知っただけでも、
生きていた価値がありそうな気がする。
そして、本棚にあるベンヤミンのいくつかの著作集と、
アドルノの伝記の何ページかを繙くかもしれない。

少なくとも、昼休みのちょっとした休憩タイムに、
パラパラと読む雑誌で、これで、2ヶ月は保つ。
300円! リーズナブルである。
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風通信149

2018/02/04(Sun)
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だいたいにおいて、この日記には、
きまじめに自分の思いを書くことはしないと決めていた。
あくまで自分の文章修行(この年でなんだけど)のつもりで、
あることないこと、適当に織り込んで書いてきたんです。
だから、書いた内容にもちろん小さな事実を元にした
大きな創作があるわけでして。ところが、
最近、どうも想いのままにだらだら書いてしまったような、
文章に色気がないような、そんな気がする。
これは良くない。
というわけで、改めて気持ちを入れ替えて、
進めることにしようと思う。
片手で足りるほどだけど、コアな読者もいるので、
僕がどこまでが本気で、
どこまでが調子に乗って好きに書いているのか、
適当に判断して下さい。

とは言うものの、以下は事実です。

先月、演劇活動を再開すると決めて、
さっそく、ひとりの役者に会ってきた。
彼女とは、一度一緒に舞台を創った事がある。
一応、ある劇団に属しているのだが、
彼女の、とりあえず個人としての思いを確かめたくて。
話し終わって、今月は劇団の主宰者に会うつもりだ。
もちろん、客演の了解を得るためです。
男の役者は、まだ会ってはいないけれど、
受けてくれるかどうかは別として、
僕なりの「この人たちと」というある程度の目星が立っている。
我が畏友、岩井は通行人程度の役で出演します。はは。
僕は男が好きなわけではないけれど、
男芝居を創るのが好きだし、個人的には得意だと思うんです。
でもまあ、とりあえず、どうしても彼女には出てもらいたかったし、
彼女からも、
どうしても出たいというオファを昨年来もらっていたので、
即決、決定です。
女性の役者と言えば、一緒に芝居を創りたいと
前々から候補を考えている人が三人いるんだけど、
ひとりは熊本在住で遠いし、
ひとりはよんどころない事情で舞台には立てないし、
ひとりはすごく忙しそうだし、で、
まったくの素人でもいいのかなとも思います。
本が決まっていないのに、と、普通だったら思われるだろうが、
ほら、変な譬えですが、
ご飯は食べたいときに炊かれていなくちゃ食べられないから。
このへんの案配が難しい。

今週は、ちょっとした祝い事で、
旧劇団員と一献を傾けます。
僕の考えを伝える会にもなりそうだ。
みんなから、意見をもらうことにしよう。
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風通信148

2018/02/03(Sat)
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ときどき、『源氏物語』を読むことがあるが、
11世紀の初頭にあれほどの物語が生み出されたということは、
ほとんど奇跡に近いとつねづね思っていた。

ある時、「どこが凄いと?」と尋ねられたことがある。

その時に、どこを取り上げて話したか、
今となっては思い出せないんだけれど、
たぶん、「若紫」の冒頭じゃなかったかと思う。

ここは、光源氏が、はじめて紫の上を見出す、
いわゆる「北山の垣間見」のシーン。
ポイントは、二つです。

ひとつは、紫の上が本文に登場するシーン。
源氏の目を通して情景が活写される。
まるでジャン=リュック・ゴダールの初期の映画のように、
語り手がフレームの外から語りかける。
その上で、紫式部は紫の上をすぐには登場させない。
ふと時間が止まったような印象を受ける。そして、
10歳ほどの美しい(あるいは可愛らしい)少女として
彼女はフレームの中に走りながら入ってくるのだ。
秀逸である。

その直後に、もうひとつの素晴らしい描写がくる。
ここは原文で、
「髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして」
ね? 僕はこれが凄い描写だと思うのです。

思い出すのが、杉山登志なんです。
60年代に見た彼の資生堂のCMの斬新さ。
印象に残っているのが、
公衆電話BOXを鏡代わりにして、
ルージュを塗る女性。
当時の僕の年齢からすると、
素敵なお姉さんという感じだったかなぁ。
彼女が、舞うようにTVの中で動く。
その時の揺れる髪。
ビダルサスーンが古典的なボブカットを元とする
新しいヘアースタイルを確立したのが1960年代。
まさにその髪型だったような気がする。
揺れる髪・・・、紫式部はあの原稿用紙5000枚に届こうする
長大な『源氏物語』の中心となる女性の登場に、
こういう仕掛けをしたように思えるんですね。
20世紀の美の在り方が、
すでに11世紀に表現されていることの凄さ。
僕は奇跡的なことだと思う。

揺れる髪には個人的な好みもあるかもですが・・・。

ところで、天才の名を恣にして37歳で自死した杉山には、
忘れられない遺書が残っている。
『リッチでないのにリッチな世界など分かりません。
ハッピーでないのにハッピーな世界など描けません。
夢がないのに 夢を売ることなどは……
とても……嘘をついてもばれるものです』
というものだ。

ひたすら豊かさを求めた高度成長期、
そして虚栄のバブルという時を
駆け抜けた戦後の「昭和」という時代。

痛いなぁ。
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風通信147

2018/02/02(Fri)
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僕がはじめて買ったレコードは、
イギリスのロックバンド「アニマルズ」の『朝日のあたる家』だった。
たしか、330円のEP版で、B面はなんだったか、もう覚えていない。

どうして、こういう話をはじめたかというと、
昨年末から、いよいよ収集がつかなくなったので、
CDを整理しはじめたからなんです。
ありましたね、アニマルズ。ちゃんとCDで持ってたんだ。
もっとも、ベスト盤だから、その他の曲も入っているけれど。

ストーンズとビートルズが、
ブラック・ミュージックの影響下でスタートしたように、
アニマルズ、そのバンドリーダーのエリック・バートンも、
黒人ブルースからその音楽履歴が始まっている。
いわゆる「ブリテッシュ・インベーション・バンド」として
アメリカの音楽市場を席巻したものの、
ついに、エリック・バートンとアニマルズは
スフィスケイトされることなく、黒い地点に留まったままで、
UKのポピュラー音楽史のページの中にあるだけだ。
きっと不器用だったんだろうな、彼は。
いや、ブラック・ミュージックを愛しすぎていたのかもしれない。
愛しすぎると愛を失う。
彼が、ブルースの魂を失ったわけではないけれど。
ともあれ、バディー・ホリー以来、
アポロ劇場の舞台に立った二人目の白人という栄誉は消えないですね。

話が思いがけない方向へ行っちゃったけれど、
CDの整理はまだ終わっていない。
UKのバンドが多いロックはどうにか終わった。
ジャズはコンボとピアノ・トリオがどうやら目星がついたけど、
クラシックはほとんど手つかず。
ジャズの次に枚数が多いのになぁ。
いつまでかかることやらデス。
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風通信146

2018/02/01(Thu)
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このところ、日記の更新がなされていない。
空行く雲が風に流されて行くように、
月日が寒さに震えながら過ぎていくんです。
本業の方も忙しかったし、表層的に生きていたわけね。
つまり、本も読まず、映画も観ていないのです。

さて、今日からは如月。

メールも手紙も電話もない生活という。
それがいまのところ、僕の習いとなっている。
うたかたのような思いは浮かぶのだけれど、
そっと自己完結して、安らかな冬の夢に落ちる。
ときどき、面白いメールをくれる友人がいて、
まあ、とりあえず、そういう奇特な人は、
ひとりくらいしかいないわけですが、
昨夜は、久しぶりのメールだった。

「いにしへのしづのをだまきくりかえし昔を今になすよしもがな」

この歌について。

ときどきは、こういう心境にもなりますね。
でも、失われたときは二度とは戻っては来ないんだよなぁ。
この世界にある美しいもののほとんどは、
記憶の中にしか存在しない。そして、
起きてしまったことは、
粉々に割れてしまった番町の皿と同じで、
どんなに手を尽くしても、元通りにはならない。

むかし理由があって別れたガールフレンドと同じで、
思い出すと胸が温かくなる。
でも、逢わない方がいいんだよね、もう元に戻れないから。
好むと好まざるとに関わらず。
たぶん、それが人生というものなんだろう。
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