ニュース・日記

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風通信207

2022/01/17(Mon)
風通信 |
 1月10日は成人の日。白亜紀みたいな昔のことだから覚えていないけれど、いわゆる式典には行ってない。それはもう間違いのないことだ。当時は儀式的なことは完璧に拒否していた頃だったしね。でも今日は成人式の話ではありません。
 10日の午後、東京FMの「村上RADIO」で、「成人の日スペシャル〜スタン・ゲッツ音楽を生きる」という特別プログラムが組まれた。チャーリー・パーカーはもう、神様みたいなもんだけど、その対極にいるようなレスター・ヤングが好きな僕としては、当然スタン・ゲッツも好きで、特にヨーロッパでの録音は愛聴盤だった。番組で語られた内容には目新しいトピックはなく、だいたいが『Stan Getz:A Life in Jazz』に書いてあるものだった。それでも、ここではひとつだけ、語られた、これはという彼のエピソードを紹介したい。
 日本でいう中学生の時代にサックスを中古で手に入れたスタン・ゲッツはめきめき腕を上げて、高校に入った15、6歳で、すぐにプロになった。彼にはいくつかの特別な才能があったからだと言われている。そのひとつは、オーボエからクラリネット、アルトサックス、バリトンサックスまで、リード楽器は何でも吹けてしまうこと。そのうえ歌心があって音感がいいから淀みなくもぎたてスムージーみたいに吹けること。そして、これが重要なんだけど、写真能力の持ち主だったということだそうだ。写真能力というのは、楽譜をぱっと見て、初見で暗記してしまう能力のことです。才能があるということは、そういうことですね。『アマデウス』の中で、サリエリの楽曲を聞いた直後にそれを再現した神童モーツァルトのエピソードを描いたピーター・シェーファーの戯曲を思い出す。もっとも、モーツァルトの伝記本を読むと椅子から転げ落ちそうなエピソード満載なので彼は別格だろうけど。言うまでもないことだが、だからこそ、ミドルネームがアマデウス(=神に愛されし者)であっても不思議じゃないんだよね、きっと。つまり、それはほんとに特別な才能なんだな。この類いの才能をもうひとつ。青柳いづみこさんの本を読んでたら、20世紀初頭にフランスにいたジャーヌ・バトリというメゾ・ソプラノ歌手の話があった。彼女はラベルの歌曲集『シェラザード』を代役として歌ったということだ。さて、ここからが重要なんです。決まっていた歌手の急な病いのために急遽呼び出された彼女が、代役としてステージに立つまでに残された時間は2時間。つまり開演の2時間前に彼女は初めて楽譜をみたそうな。つまり、初見です。作曲者のラベルはきっかり1時間半の指導だけだったと。そしてバトリはオペラ・コミック座の舞台で、まるで自分のおなじみの曲のように歌ったらしい。感激したラベルは「感嘆すべき音楽家ジャーヌ・バトリさまへ。1904年10月12日の離れ業への感謝の念をこめて」と楽譜の上に献辞を書きつけたという。いつの世にも信じがたい才能を持つ人はいるものだ。
 しかし、ひとくちに才能と言っても、さまざま。音楽は矢のようにストレートに心の中に突き刺さり、一瞬で魂の次元を変えてしまうものだから、その創造もかくあらんと思うけど、演劇の舞台はね、そうはいかない。今回のプロデュース公演のタイトルは「ザ・初見!」です。そもそも芝居と音楽と同列には語れないし、上記のエピソードと比ぶべくもないのですが、今回の試みは、まさに、タイトル通り。どういう進行かって? もうちょっと待ってね。
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風通信206

2022/01/09(Sun)
風通信 |
 コロナウイルス感染症第6波がついに始まった年明けです。
 こういう時期だから多くの人が映画館は回避しがちだろうけど、幸いなことに最近はネットフリックスとかアマゾンプライムとか、ネットでの映画環境が充実してきた。ちなみに僕はWOWOWを契約しているので、WOWOWシネマをよく利用する。わりとなんでも見る方です。それでも、食わず嫌いのホラーは見ないか。それと、日本のアイドル系のラブストーリー。一生懸命演っているのは理解できるんだけど、典型的な表層芸術で、要するにそれだけで・・・、しかし、つまり、以前は少しは見ていたわけだ。同じく以前見ていて最近見なくなったのが、韓国映画。別に僕の中でサラサラした血が流れているわけじゃないけれど、見ているうちに、身体中の血がドロドロしてくる感じがして辛くなる。アジア映画では、やっぱりいくつかの中国映画が面白い。台湾の映画もなぜかパス。欧米の映画では、イギリスの映画が僕の一押しで、次ぎにフランス。スカンジナビア系の映画も沁みるときがある。ドイツ映画はメロドラマもコメディも波長が合わない。今さら比較論でもないが、印象主義芸術観と表現主義芸術観の違いというところだろうか。こうして国民国家の名前を付けていうとなんだかバイアスがかかっちゃうけど、やはりそれぞれの国に底流するものはありそうな気がする。それはそれとして、僕が最初に触れたのはやはりアメリカ映画だった。ハリウッド映画はプロットの予想がつくことも多いが、B級まで含めると層が厚いと思う。
 ところで、昨年の後半に見た『スカイライン』という映画で興味深い、というか、かなり衝撃的な発見をした。この映画は3部作らしい。(いまのところ第1作で挫折)2〜3部は面白いかもしれません。もっとも、『Xメン』という3部まで作られた映画の3作目で、登場人物が「3作目ってだいたいにおいて見る価値がないのよね」という自虐ギャグを言っているから、そんなものだろうと思う。『スカイライン』は映画のジャンルとしてはエイリアンものです。ただひたすらエイリアン星人がUFOキャッチャーみたいに地球人を母艦に吸い上げるだけのワンシュチエーションの話で、終わりの方になんか地球防衛軍みたいな戦闘機が登場して、その母艦やエイリアンを攻撃するという作品。ちなみにリドリー・スコットの『エイリアン』みたいな造型の象徴性はない。マンションの一室からその情景を見ている人物がいて、彼が視線を窓外に送る直前に横顔のワンカットがある。その背後に壁が見えるのだが、そこにポスターがさりげなく貼られているのがわかる。たぶん、3秒から5秒ぐらいのカット。そのポスターは時代はいつのものかわからないのだけれど、そこにははっきりと「神風」という字が読み取れるのだ。そして、次のカットはエイリアンの母艦に突っ込む地球防衛軍の戦闘機というシーンが続く。まるでアメリカ軍の航空母艦に体当たりする日本軍の戦闘機の映像をクリアーなカラーフィルムで見る感じとでも言おうか。いやぁ、太平洋戦争開戦後、80年という時間が経過したにもかかわらず、「神風特攻隊」というのはアメリカ人の深層には刻み込まれているのですね。最近読んだコラゲッサン・ボイルの小説にも「カミカゼ」という語があったし。日本という国家が、そういうシステムを容易に作り出す国家だということは忘れてはならないのだろうな。昨年再放送されたNHKの「新・映像の世紀」の21回は「銃後の太平洋戦争」だったが、このシステムの異常さがあらゆるシーンで延々と続いている。なんだか、遠い昔の話ではないような気がした。
 プロデュース公演の第2弾「ザ・初見!」の公演日が決まりました。3月14日です。一夜限りの公演。コロナの影響がないことを祈るばかり。
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