ニュース・日記

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風通信213

2023/05/14(Sun)
風通信 |
 福岡市の総合図書館内にある映像ホール・シネラでは、毎月特集を組んで所蔵映画を上映している。福岡市のアジア戦略と相俟ってその多くはアジア映画が多いのだが、今月は「食卓」という生活文化的なテーマで日本映画も含めた作品群だ。こういう企画を待っていましたね。映画に描かれた「なになに」という企画である。ちなみに4月は『ディアスポラ・民族離反』がテーマだった。それではちょっと大きすぎる。あくまで僕の価値基準ではあるけれど。
 4日の成瀬巳喜男の『妻よ薔薇のように』を観てきた。1935年(昭和10年)の作品。いつも思うのだが、午前11時の開演というのはどうかと思うけど。休日だからというわけではない。基本的に11時か、14時なんです。まあ、それはともかく、けっこう楽しめた。台詞回しがどうしても戦前の日本映画独特の抑揚(たとえば、小津における原節子の言い回しというか)から免れてはいないのだが、映像的には、カット割りといい、オーバーラップの処理といい、象徴的なシーンの造型といい、あるかなきかの細やかなユーモアなど、とてもおよそ100年前の映画とは思えなかった。僕は愉しんだのだが、映画史をやっている人や、旧い映画に興味を持つ人は別にして、いまどきの若い人にはやはりダルいかもしれない。30人近くいた観客も年配の人が多かった。
 絢爛たる映像の溝口健二や、外連味たっぷりの黒澤明に比べると、小市民的な世界観に満ちている成瀬作品だが、それだからこそと言うべきか、妙に心に滲みる。昭和初期の働く女性の口から「月給45円だから、お金がないの」などという台詞が発せられるところなど、いかにもという感じですね。小津安二郎もいくたりかのいわゆる庶民の女性を描いたが、その手の台詞はない。東京から長野へ、家を捨てた父親を連れ戻しに行こうとするヒロイン。彼女が歩く長野の農村風景は現在もある中国の山間の村落のような風情で、映画が撮られた後10年もしないうちに世界を相手に無謀な闘いを挑んだ国であるとは信じられない。しかし彼の視座はそんなところにあるのではないんだな、きっと。家庭を捨て、別の女性と子までなして生きている父親は長野の山奥であるはずもない(だろう)砂金を取っているのだ。現実に、当時の長野県でそういうものが仕事として成立していたかどうかは知らないが、いわゆる髪結いの亭主(これは文字通り)という在り方。男性原理からすると、まあ、許しがたい男かもしれないが、あくまで成瀬の視点はそこを突こうとはしない。彼は立派な人間が好きではないのだろう。批判するのでもなく、糾弾するのでもなく、淡々と描く。その分だけやさしい。ヒロインの母親と、今父親が共にに暮らしている女性との人物造型が少しばかり類型的ではあるものの、観ている分にはそのことでかえって理解が進む。
それにしても、こういう映画はなかなか観る機会がないですね。個人的に細々ながらコレクションはしているなんだけど。戦後の20年代から30年代に撮影された作品なんかほとんど観ることができない。僕がなぜこの時代に注目するかと言えば、それは地方の時代だったからだ。上記の作品でも長野の農村風景が描かれていたが、戦後すぐの映画はその多くが地方舞台にした作品が多いのだ。『カルメン故郷に帰る』とか、『二十四の瞳』とかがすぐ思い浮かぶ。もちろん、主要都市が戦禍のために壊滅していたという事情や、地方でロケした方が食べられるという食糧事情にもよるのだろうが、戦前、戦後と続いた日本の姿がそこにはあるはずなのだ。古い日本の景観だからからいいというのではない。たしかに地方には日本人が生きていたように思う。一般の映画観ではおそらく不可能だから、せめて公共の図書館でそういった作品を上映する企画とかできないだろうか。
 ともあれ、今回の企画、『家族ゲーム』や『泥の河』(僕にとってはベストテンです)、『夫婦善哉』や、『砂の女』など優れた日本映画が上演される本企画は、個人的には大ヒットだった。
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