ニュース・日記

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風通信221

2025/04/05(Sat)
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<続きです>

今回の『ザ・初見!』は、
すでに書いたように、1回目からすれば、
かなりハードルが上げたプログラムだった。
読みをせずに、半立ちをするんだからなぁ。
とんでもないことです。
なんとか舞台が成立したのは、やはり役者の力が大きかった。
いや、ほんと頭が下がります。
いくつか仕掛けをしたのだが、
残念ながらすべて不発に終わった。う〜ん。
まあね、その責任は僕にある。

ひとつだけばらしておこうか。
当日のパンフレットに、
大将の紹介で、「八代亜紀のファン」というのを書き入れた。
なぜに? というのが仕掛けのとっかかりのはずだったのです。
たぶんそれに注目した人は役者の含めて皆無だったのだろう。
実は、台本に「間」という指示が書いてあって、
この「間」のときに流す予定でした、『舟歌』を。
ところが、「間」が取れなかったのだわ。
取れていれば、え? なんで? となり、
アドリブで台詞が入るかなと期待したのでした。
見事にこけました。
致し方ない。無理を承知で仕掛けたんだもの。

220便から続きですが、
まあ、ことほどさように音楽はいつでも僕の周りにはある。
考えてみれば、中学校時代にFEN(米軍極東放送網)で、
はじまり、FM放送が開始されるや、ステレオ放送に驚き、
音楽漬けの毎日だったからねぇ。
そういえば、先日、
友人の椎葉ユウのポッドキャスト(シイバゼミナール音楽の時間)を
聴いていたら、“チカフェルディ”というバンド(のひとり)がゲストで、
彼らの曲を2曲ほど流していた。
この曲は〜の影響を受けてる、
あ、これは〜の線を狙ったんだな、などとはわかったけれど、
20前後の若者の音としては、
音の重ね方といい、コーラスの処理といい、
そのレベルの高さにすごいなと感心した。
椎葉君に「今どきの子って、あんななん?」と尋ねたら、
まあ、そうらしい。
小さいころから、彼らの前にいくたりもの音楽があって、
どの方向に向かうか彼ら自身が模索しているんでしょう、とも。

僕は、ある時期からバンドの音がまったく聴けなくなった。
yoasobiも、緑黄色社会もどこがいいのか、まったくわからない。
わからないというのは、良いも悪いも何も感じない
ということでもある。音は別として、
つまり、言葉が届かないということなのかなぁと思う。
結局のところ、聴き続けてきた音を
繰り返し、繰り返し聴くしかないのかもしれない。
まあ、古典的な作品には、それなりの深みはあるから、
新たな発見もないわけじゃないし。
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風通信220

2025/04/02(Wed)
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“総合芸術”という言葉で、何を思い浮かべるだろう。
辞書的にいえば、
まずは、リヒャルト・ワーグナーの楽劇あたりだろうか。
“演劇”はもちろん、総合芸術です。
そこに含まれるのは、ハイカルチャーとしての
文学であるし、音楽であるし、美術であるし、
舞踏などのサブカルの要素も数多く含まれる。

アントンの芝居は、僕の趣味からけっこう劇伴に凝っていた。
最初に作品を支えている時代、地域などを考慮して、
楽曲のテーマを決める。
たとえば、『ハワード・キャッツ』だったら、
家族愛に満ちたアイルランドの音楽、
『リア王』だったら、ケルトの音楽という具合に。
『ワーニャ伯父さん』の場合は、人生の黄昏をイメージして、
中世から近代までのオーボエをメインにした室内楽。
部分的にも喜劇の『桜の園』では、
時代の変化にまるで無頓着なおばさんラネーフスカヤが
おそらく遊びまくったはずのパリ生活を彷彿とさせる
ミュゼットの類いとかです。

こうしたテーマ以外にも、
日常耳にしている楽曲で、
あ、これは舞台に使えるなぁというものがある。
そういうのを溜めておくと、経験上、いろんな芝居で使えるのです。
クィーンの❝Somebody to Love❞なんかの場合だと、
あるとき、車を走らせている途中でカーラジオから流れてきて、
ああ、これは・・・
客電が落ちて、暗転の中でイントロのハーモニーが流れてきて、
18秒後に緞帳が上がり、上がりきったところで、
明転になり、物語はじまる・・・たぶん、SF的な話がいいかもとか、
イメージが広がっていった、という具合に。
ちなみにこれは、
アントン以外の舞台で実際にそのように使った。

記憶に残っていると言えば、
『ティーンエイジャーのための演劇ワークショップ』で、
野田さんの『赤鬼』を上演したとき。
人間が本質的に持つレイシズムと、
自由への渇望を信じられない透明感で描いた傑作だから、
どういう劇伴がふさわしいだろうかと悩み、
最終的には、バッハの無伴奏チェロソナタを使った。
もちろん、第1番から第6番までのすべてが対象で、
しかも演奏者によって解釈表現が違うので、この曲はカザロスで、
この曲はシュタルケルで、この曲はマイスキーでとか、
それだけで、一か月を費やしたことを思い出す。

CDの時代だから、それができたのだと思う。

それが、いまや、サブスクの時代で、
たいていの楽曲はいくらでもネット上で聴くことができる。

To be continued
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