
ニュース・日記
<続きです>
今回の『ザ・初見!』は、
すでに書いたように、1回目からすれば、
かなりハードルが上げたプログラムだった。
読みをせずに、半立ちをするんだからなぁ。
とんでもないことです。
なんとか舞台が成立したのは、やはり役者の力が大きかった。
いや、ほんと頭が下がります。
いくつか仕掛けをしたのだが、
残念ながらすべて不発に終わった。う〜ん。
まあね、その責任は僕にある。
ひとつだけばらしておこうか。
当日のパンフレットに、
大将の紹介で、「八代亜紀のファン」というのを書き入れた。
なぜに? というのが仕掛けのとっかかりのはずだったのです。
たぶんそれに注目した人は役者の含めて皆無だったのだろう。
実は、台本に「間」という指示が書いてあって、
この「間」のときに流す予定でした、『舟歌』を。
ところが、「間」が取れなかったのだわ。
取れていれば、え? なんで? となり、
アドリブで台詞が入るかなと期待したのでした。
見事にこけました。
致し方ない。無理を承知で仕掛けたんだもの。
220便から続きですが、
まあ、ことほどさように音楽はいつでも僕の周りにはある。
考えてみれば、中学校時代にFEN(米軍極東放送網)で、
はじまり、FM放送が開始されるや、ステレオ放送に驚き、
音楽漬けの毎日だったからねぇ。
そういえば、先日、
友人の椎葉ユウのポッドキャスト(シイバゼミナール音楽の時間)を
聴いていたら、“チカフェルディ”というバンド(のひとり)がゲストで、
彼らの曲を2曲ほど流していた。
この曲は〜の影響を受けてる、
あ、これは〜の線を狙ったんだな、などとはわかったけれど、
20前後の若者の音としては、
音の重ね方といい、コーラスの処理といい、
そのレベルの高さにすごいなと感心した。
椎葉君に「今どきの子って、あんななん?」と尋ねたら、
まあ、そうらしい。
小さいころから、彼らの前にいくたりもの音楽があって、
どの方向に向かうか彼ら自身が模索しているんでしょう、とも。
僕は、ある時期からバンドの音がまったく聴けなくなった。
yoasobiも、緑黄色社会もどこがいいのか、まったくわからない。
わからないというのは、良いも悪いも何も感じない
ということでもある。音は別として、
つまり、言葉が届かないということなのかなぁと思う。
結局のところ、聴き続けてきた音を
繰り返し、繰り返し聴くしかないのかもしれない。
まあ、古典的な作品には、それなりの深みはあるから、
新たな発見もないわけじゃないし。
今回の『ザ・初見!』は、
すでに書いたように、1回目からすれば、
かなりハードルが上げたプログラムだった。
読みをせずに、半立ちをするんだからなぁ。
とんでもないことです。
なんとか舞台が成立したのは、やはり役者の力が大きかった。
いや、ほんと頭が下がります。
いくつか仕掛けをしたのだが、
残念ながらすべて不発に終わった。う〜ん。
まあね、その責任は僕にある。
ひとつだけばらしておこうか。
当日のパンフレットに、
大将の紹介で、「八代亜紀のファン」というのを書き入れた。
なぜに? というのが仕掛けのとっかかりのはずだったのです。
たぶんそれに注目した人は役者の含めて皆無だったのだろう。
実は、台本に「間」という指示が書いてあって、
この「間」のときに流す予定でした、『舟歌』を。
ところが、「間」が取れなかったのだわ。
取れていれば、え? なんで? となり、
アドリブで台詞が入るかなと期待したのでした。
見事にこけました。
致し方ない。無理を承知で仕掛けたんだもの。
220便から続きですが、
まあ、ことほどさように音楽はいつでも僕の周りにはある。
考えてみれば、中学校時代にFEN(米軍極東放送網)で、
はじまり、FM放送が開始されるや、ステレオ放送に驚き、
音楽漬けの毎日だったからねぇ。
そういえば、先日、
友人の椎葉ユウのポッドキャスト(シイバゼミナール音楽の時間)を
聴いていたら、“チカフェルディ”というバンド(のひとり)がゲストで、
彼らの曲を2曲ほど流していた。
この曲は〜の影響を受けてる、
あ、これは〜の線を狙ったんだな、などとはわかったけれど、
20前後の若者の音としては、
音の重ね方といい、コーラスの処理といい、
そのレベルの高さにすごいなと感心した。
椎葉君に「今どきの子って、あんななん?」と尋ねたら、
まあ、そうらしい。
小さいころから、彼らの前にいくたりもの音楽があって、
どの方向に向かうか彼ら自身が模索しているんでしょう、とも。
僕は、ある時期からバンドの音がまったく聴けなくなった。
yoasobiも、緑黄色社会もどこがいいのか、まったくわからない。
わからないというのは、良いも悪いも何も感じない
ということでもある。音は別として、
つまり、言葉が届かないということなのかなぁと思う。
結局のところ、聴き続けてきた音を
繰り返し、繰り返し聴くしかないのかもしれない。
まあ、古典的な作品には、それなりの深みはあるから、
新たな発見もないわけじゃないし。
“総合芸術”という言葉で、何を思い浮かべるだろう。
辞書的にいえば、
まずは、リヒャルト・ワーグナーの楽劇あたりだろうか。
“演劇”はもちろん、総合芸術です。
そこに含まれるのは、ハイカルチャーとしての
文学であるし、音楽であるし、美術であるし、
舞踏などのサブカルの要素も数多く含まれる。
アントンの芝居は、僕の趣味からけっこう劇伴に凝っていた。
最初に作品を支えている時代、地域などを考慮して、
楽曲のテーマを決める。
たとえば、『ハワード・キャッツ』だったら、
家族愛に満ちたアイルランドの音楽、
『リア王』だったら、ケルトの音楽という具合に。
『ワーニャ伯父さん』の場合は、人生の黄昏をイメージして、
中世から近代までのオーボエをメインにした室内楽。
部分的にも喜劇の『桜の園』では、
時代の変化にまるで無頓着なおばさんラネーフスカヤが
おそらく遊びまくったはずのパリ生活を彷彿とさせる
ミュゼットの類いとかです。
こうしたテーマ以外にも、
日常耳にしている楽曲で、
あ、これは舞台に使えるなぁというものがある。
そういうのを溜めておくと、経験上、いろんな芝居で使えるのです。
クィーンの❝Somebody to Love❞なんかの場合だと、
あるとき、車を走らせている途中でカーラジオから流れてきて、
ああ、これは・・・
客電が落ちて、暗転の中でイントロのハーモニーが流れてきて、
18秒後に緞帳が上がり、上がりきったところで、
明転になり、物語はじまる・・・たぶん、SF的な話がいいかもとか、
イメージが広がっていった、という具合に。
ちなみにこれは、
アントン以外の舞台で実際にそのように使った。
記憶に残っていると言えば、
『ティーンエイジャーのための演劇ワークショップ』で、
野田さんの『赤鬼』を上演したとき。
人間が本質的に持つレイシズムと、
自由への渇望を信じられない透明感で描いた傑作だから、
どういう劇伴がふさわしいだろうかと悩み、
最終的には、バッハの無伴奏チェロソナタを使った。
もちろん、第1番から第6番までのすべてが対象で、
しかも演奏者によって解釈表現が違うので、この曲はカザロスで、
この曲はシュタルケルで、この曲はマイスキーでとか、
それだけで、一か月を費やしたことを思い出す。
CDの時代だから、それができたのだと思う。
それが、いまや、サブスクの時代で、
たいていの楽曲はいくらでもネット上で聴くことができる。
To be continued
辞書的にいえば、
まずは、リヒャルト・ワーグナーの楽劇あたりだろうか。
“演劇”はもちろん、総合芸術です。
そこに含まれるのは、ハイカルチャーとしての
文学であるし、音楽であるし、美術であるし、
舞踏などのサブカルの要素も数多く含まれる。
アントンの芝居は、僕の趣味からけっこう劇伴に凝っていた。
最初に作品を支えている時代、地域などを考慮して、
楽曲のテーマを決める。
たとえば、『ハワード・キャッツ』だったら、
家族愛に満ちたアイルランドの音楽、
『リア王』だったら、ケルトの音楽という具合に。
『ワーニャ伯父さん』の場合は、人生の黄昏をイメージして、
中世から近代までのオーボエをメインにした室内楽。
部分的にも喜劇の『桜の園』では、
時代の変化にまるで無頓着なおばさんラネーフスカヤが
おそらく遊びまくったはずのパリ生活を彷彿とさせる
ミュゼットの類いとかです。
こうしたテーマ以外にも、
日常耳にしている楽曲で、
あ、これは舞台に使えるなぁというものがある。
そういうのを溜めておくと、経験上、いろんな芝居で使えるのです。
クィーンの❝Somebody to Love❞なんかの場合だと、
あるとき、車を走らせている途中でカーラジオから流れてきて、
ああ、これは・・・
客電が落ちて、暗転の中でイントロのハーモニーが流れてきて、
18秒後に緞帳が上がり、上がりきったところで、
明転になり、物語はじまる・・・たぶん、SF的な話がいいかもとか、
イメージが広がっていった、という具合に。
ちなみにこれは、
アントン以外の舞台で実際にそのように使った。
記憶に残っていると言えば、
『ティーンエイジャーのための演劇ワークショップ』で、
野田さんの『赤鬼』を上演したとき。
人間が本質的に持つレイシズムと、
自由への渇望を信じられない透明感で描いた傑作だから、
どういう劇伴がふさわしいだろうかと悩み、
最終的には、バッハの無伴奏チェロソナタを使った。
もちろん、第1番から第6番までのすべてが対象で、
しかも演奏者によって解釈表現が違うので、この曲はカザロスで、
この曲はシュタルケルで、この曲はマイスキーでとか、
それだけで、一か月を費やしたことを思い出す。
CDの時代だから、それができたのだと思う。
それが、いまや、サブスクの時代で、
たいていの楽曲はいくらでもネット上で聴くことができる。
To be continued