ニュース・日記

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風通信83

2017/03/13(Mon)
風通信 |
文化放送というラジオ局がある。
今はどうか知らないけれど、そこに出版を担当する部署があった。
僕が編集者見習いをしていた時、
そこで、いくつかの仕事をしたことがある。

しかし、その仕事の話ではない。

先日、村上春樹の新作を読んでいたら、
「沈黙にも音がある」という一節があって、
これって、あれだよね、と思った次第。
武満 徹の著作集のタイトルです。
『音、沈黙と測りあえるほどに』
この本が出版されたのは1971年だった。
ほぼ半世紀前の本だ。

文化放送の出版局にいた担当者は、
当時はたぶん、退職なさっていて、
今でいう再任用の形で勤務されていたのだろう。
ちょうど今の僕がそうであるように、
人生の黄昏れた領域に足を踏み入れていた時期の。
20代前半の僕にとっては、
父親よりも年上で、
ちょっと知的な近所の小父さんという感じだった。

ある日の打合せが終わったときだったか、
“ルノアール”で一緒にお茶を飲んでときだったか、
彼が、「武満の今度の本。タイトルがいいよねぇ」
と、ボソッと言葉を漏らしたのです。
遠くにあるものを見つめるように目を細くしてね。
意味が全然わからなかった。つまり、どこがいいのか。
武満も知らなかったし。
高校時代から学校をサボって、
学校から歩いて行ける綱場町の“シャコンヌ”に入り浸っていたのに、
現代音楽、まして日本の作曲家なんて知らなかったんですね。
「たけみつ? ですか」
「うん、ブマンテツだよ」
「はあ」
「ほら、武士の武に、潮か満ちる、徹底するの徹。で、タケミツトオル」
今、ちくま文庫の武満のエッセイ集を読むと、
彼がいかに日本の音と格闘していたかがわかる。
そして、それが世界に通用したことも。
日本の音の多くは、
音と音のハザマにある沈黙の音、云々。

僕は、今までも武満徹をブマンテツとつい言ってしまう。
若いころの刷り込みは恐ろしいですね。
でもね、それはやっぱり良かったのではないかと思う。
僕は、そんな風にして春先のモルダウ河みたいに
ゆっくりと大人になっていったのだから。

人生は経験と継続、
そして好奇心と必要性が彩りを添える。
年月というものは、
人をいろんな風に変えていくけれど、
たぶん、白黒付けることなく
ゆっくりと時間に寄り添っていけばいいのかもしれないです。

村上春樹の言葉は、さりげなく行間に潜んでいる。
昼下がりのレストランの
一番奥の席に誰かが忘れた贈り物みたいに。
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