ニュース・日記
文化放送というラジオ局がある。
今はどうか知らないけれど、そこに出版を担当する部署があった。
僕が編集者見習いをしていた時、
そこで、いくつかの仕事をしたことがある。
しかし、その仕事の話ではない。
先日、村上春樹の新作を読んでいたら、
「沈黙にも音がある」という一節があって、
これって、あれだよね、と思った次第。
武満 徹の著作集のタイトルです。
『音、沈黙と測りあえるほどに』
この本が出版されたのは1971年だった。
ほぼ半世紀前の本だ。
文化放送の出版局にいた担当者は、
当時はたぶん、退職なさっていて、
今でいう再任用の形で勤務されていたのだろう。
ちょうど今の僕がそうであるように、
人生の黄昏れた領域に足を踏み入れていた時期の。
20代前半の僕にとっては、
父親よりも年上で、
ちょっと知的な近所の小父さんという感じだった。
ある日の打合せが終わったときだったか、
“ルノアール”で一緒にお茶を飲んでときだったか、
彼が、「武満の今度の本。タイトルがいいよねぇ」
と、ボソッと言葉を漏らしたのです。
遠くにあるものを見つめるように目を細くしてね。
意味が全然わからなかった。つまり、どこがいいのか。
武満も知らなかったし。
高校時代から学校をサボって、
学校から歩いて行ける綱場町の“シャコンヌ”に入り浸っていたのに、
現代音楽、まして日本の作曲家なんて知らなかったんですね。
「たけみつ? ですか」
「うん、ブマンテツだよ」
「はあ」
「ほら、武士の武に、潮か満ちる、徹底するの徹。で、タケミツトオル」
今、ちくま文庫の武満のエッセイ集を読むと、
彼がいかに日本の音と格闘していたかがわかる。
そして、それが世界に通用したことも。
日本の音の多くは、
音と音のハザマにある沈黙の音、云々。
僕は、今までも武満徹をブマンテツとつい言ってしまう。
若いころの刷り込みは恐ろしいですね。
でもね、それはやっぱり良かったのではないかと思う。
僕は、そんな風にして春先のモルダウ河みたいに
ゆっくりと大人になっていったのだから。
人生は経験と継続、
そして好奇心と必要性が彩りを添える。
年月というものは、
人をいろんな風に変えていくけれど、
たぶん、白黒付けることなく
ゆっくりと時間に寄り添っていけばいいのかもしれないです。
村上春樹の言葉は、さりげなく行間に潜んでいる。
昼下がりのレストランの
一番奥の席に誰かが忘れた贈り物みたいに。
今はどうか知らないけれど、そこに出版を担当する部署があった。
僕が編集者見習いをしていた時、
そこで、いくつかの仕事をしたことがある。
しかし、その仕事の話ではない。
先日、村上春樹の新作を読んでいたら、
「沈黙にも音がある」という一節があって、
これって、あれだよね、と思った次第。
武満 徹の著作集のタイトルです。
『音、沈黙と測りあえるほどに』
この本が出版されたのは1971年だった。
ほぼ半世紀前の本だ。
文化放送の出版局にいた担当者は、
当時はたぶん、退職なさっていて、
今でいう再任用の形で勤務されていたのだろう。
ちょうど今の僕がそうであるように、
人生の黄昏れた領域に足を踏み入れていた時期の。
20代前半の僕にとっては、
父親よりも年上で、
ちょっと知的な近所の小父さんという感じだった。
ある日の打合せが終わったときだったか、
“ルノアール”で一緒にお茶を飲んでときだったか、
彼が、「武満の今度の本。タイトルがいいよねぇ」
と、ボソッと言葉を漏らしたのです。
遠くにあるものを見つめるように目を細くしてね。
意味が全然わからなかった。つまり、どこがいいのか。
武満も知らなかったし。
高校時代から学校をサボって、
学校から歩いて行ける綱場町の“シャコンヌ”に入り浸っていたのに、
現代音楽、まして日本の作曲家なんて知らなかったんですね。
「たけみつ? ですか」
「うん、ブマンテツだよ」
「はあ」
「ほら、武士の武に、潮か満ちる、徹底するの徹。で、タケミツトオル」
今、ちくま文庫の武満のエッセイ集を読むと、
彼がいかに日本の音と格闘していたかがわかる。
そして、それが世界に通用したことも。
日本の音の多くは、
音と音のハザマにある沈黙の音、云々。
僕は、今までも武満徹をブマンテツとつい言ってしまう。
若いころの刷り込みは恐ろしいですね。
でもね、それはやっぱり良かったのではないかと思う。
僕は、そんな風にして春先のモルダウ河みたいに
ゆっくりと大人になっていったのだから。
人生は経験と継続、
そして好奇心と必要性が彩りを添える。
年月というものは、
人をいろんな風に変えていくけれど、
たぶん、白黒付けることなく
ゆっくりと時間に寄り添っていけばいいのかもしれないです。
村上春樹の言葉は、さりげなく行間に潜んでいる。
昼下がりのレストランの
一番奥の席に誰かが忘れた贈り物みたいに。