ニュース・日記

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風通信88

2017/03/27(Mon)
風通信 |
この一ヶ月、わりと頻繁に日記を更新し続けた。
飽きっぽい僕としては、珍しいことだった。
今さら日記を書きはじめたのにはそれ相当の理由がありそうだが、
実はそれほどのさしたる理由があるわけではない。
劇団の解散時に、スヌーピーのグッズをくれた女の子に
今年になって早々に会うことがあって、彼女が
「風通信」を楽しみにしてたので、再開をと言ってくれたこと。
それと、ベガとアルタイルみたいに遠く離れたガールフレンドへ、
手紙やメールを送る代わりの心算だった。
それと、やっぱり文章修行ですね。しかし、
考えてみたら、この年でいまさら、文章修行もないけれど、
文章というのは、人の生き方と同じで、
経験を積み、知識を蓄積し、試行錯誤を経て、
はじめて身につくわけだし、だからこそ
これで完成という終わりはないわけだしさ。
劇団は解散して一年、HP自体も閉鎖すべきなんだろけど、
矢野がもう少し残しときましょう、ということだったしさ。

解散前はパンフや、日記で必要に応じて文章を書くこともあった。
その時々に、劇団員からの感想があったのだけれど、
その機会もなくなって、
ちょっとそれはどうかな、という感じだったのです。
言葉を綴るということは、
言うまでもなく世界を分節化することだから、
文章を書かないということ、つまり言葉を残さないということは、
僕自身としては退化しているような気もしていたんです。

ところが、ここで思いがけない心境に立ち至った。

ローマン・ヤコブソンが『一般言語学』の中で、
興味深いエピソードを採録しているという。
曰く「新婚夫婦の会話」。分かりますよね?
夫「やっと着いたね」
妻「着いたわね」
夫「いい風景だ」
妻「ほんと、いい風景」
夫「気持ちがいいな」
妻「ええ、すごく気持ちがいい」
このコミュニケーションは情報交換ではない。
ここにあなたからのメッセージを一言も聞き漏らさず、
ちゃんと受け止めている人がいるということです。
この交換的なメッセージはかなり重要だろうと思う。

僕が日記を書いているのは、
ただただ、日記の文章をバケツに細々と垂れ流しているような、
そんなものではないだろうかと感じがしてきたのだ。
つまり、スヌーピーの彼女みたいに、
いくたりかの人は読んでいるだろうけれど、
受け止めている人は皆無ではないかと思い至ったのです。
まあね、コツコツと文章修行しているわけだから、
書くこと、そこで満足すべきなんだろうけれど。
その文章力は一向に進歩しないし、そもそも文章が下手。
あ、「しもて」じゃなく、「へた」です(笑)

舞台なら、目の前に熱を持った人がいる。
どっかで演出家を募集してないかなぁ。
ヤレヤレ。
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