ニュース・日記
福岡の桜もどうやら終わりのようだ。
今日の室見川河畔公園の桜は、七分葉桜になって、
その花の下を人々がゆっくりと歩いていた。
例年、この季節に届く桜便りがある。
長いつきあいのガールフレンドからです。
今年は、夜桜の画像が添付してあった。
染井吉野じゃなく、
ぼってりと重い八重桜。
「年年歳歳花相似たり」ですね。
もちろん、この句の眼目は、その後の
「歳歳年年人同じからず」だけど。
たしかに、人の世は変化する。
世も変われば、人も変わる。
息をのむような素晴らしい恋も、
深い闇の中で行き惑う恋も、
いつか時間の中に消えていきます。
ものごとには潮時というものがあるような気がする。
その時は一度失われてしまえば、たいていの場合、
二度とやってくることはないというのが、
ささやかな僕の人生の教訓です。
谷川俊太郎が唄ったように、人は言葉を持っているから、
あの時、こうすればよかったとか、つい思ってしまう。
でも、失われた時は二度と帰っては来ない。
3月の悲しい犬なら、
海に向かって、ただ遠く吠えるだけ、
そうすることで、哀しみに耐えるんですね。
言葉で自らを騙したり、慰めたりはしない。
今年も春が逝く。
また来む春と、人は云う。
今日の室見川河畔公園の桜は、七分葉桜になって、
その花の下を人々がゆっくりと歩いていた。
例年、この季節に届く桜便りがある。
長いつきあいのガールフレンドからです。
今年は、夜桜の画像が添付してあった。
染井吉野じゃなく、
ぼってりと重い八重桜。
「年年歳歳花相似たり」ですね。
もちろん、この句の眼目は、その後の
「歳歳年年人同じからず」だけど。
たしかに、人の世は変化する。
世も変われば、人も変わる。
息をのむような素晴らしい恋も、
深い闇の中で行き惑う恋も、
いつか時間の中に消えていきます。
ものごとには潮時というものがあるような気がする。
その時は一度失われてしまえば、たいていの場合、
二度とやってくることはないというのが、
ささやかな僕の人生の教訓です。
谷川俊太郎が唄ったように、人は言葉を持っているから、
あの時、こうすればよかったとか、つい思ってしまう。
でも、失われた時は二度と帰っては来ない。
3月の悲しい犬なら、
海に向かって、ただ遠く吠えるだけ、
そうすることで、哀しみに耐えるんですね。
言葉で自らを騙したり、慰めたりはしない。
今年も春が逝く。
また来む春と、人は云う。