ニュース・日記
今日から、旧盆です。
僕はどちらかというと、いわゆる神や仏は信じない方だが、
亡くなった人の魂は存在すると思っている。
だから、今年は初盆でもあるし、
例年のように、迎え火を焚いて、魂を迎える。
先日のアントンの集合では、
亡くなった勘タンさんの話も出た。
彼が亡くなる前の、
説明のつかない不思議な現象についての話も。
生き続ける限り、僕らは忘れることはないだろう。
亡くなった人に対して僕らに出来ることは、
たぶん二つある。
ひとつは、その人がこの世界に存在していたことを
忘れないでいること。
これは言うほど簡単ではない。
人間の記憶というのは身勝手で、
時間というものは想像以上に
僕らを遠くへ運ぶものだからだ。
しかし、忘れないでいるかぎり、
魂というものは確実に存在する。
もうひとつは、もっと難しい。
それは、その人が生きられなかった分を
残された僕らが生きるということだ。
それは、本来の僕らの「生」に足された「生」になる。
その意味では、僕ら「生」のある部分は、
亡くなった人によって、
生かされている「生」ということになる。
どのようなかたちになるにせよ、
果たせなかった夢や失われた志を生きなければならない。
これは、最初のことより難しい。
でも、努力しなくちゃいけないと思う。
生きていると、
嫌になることや、うんざりすることが多い。
もういいやと、投げ出したくなることもあるし、
何をやってもうまくいかない時期もある。
でも、そんなときに、頑張らなくちゃと思う。
思い半ばにして亡くなった人のことを思って。
僕はどちらかというと、いわゆる神や仏は信じない方だが、
亡くなった人の魂は存在すると思っている。
だから、今年は初盆でもあるし、
例年のように、迎え火を焚いて、魂を迎える。
先日のアントンの集合では、
亡くなった勘タンさんの話も出た。
彼が亡くなる前の、
説明のつかない不思議な現象についての話も。
生き続ける限り、僕らは忘れることはないだろう。
亡くなった人に対して僕らに出来ることは、
たぶん二つある。
ひとつは、その人がこの世界に存在していたことを
忘れないでいること。
これは言うほど簡単ではない。
人間の記憶というのは身勝手で、
時間というものは想像以上に
僕らを遠くへ運ぶものだからだ。
しかし、忘れないでいるかぎり、
魂というものは確実に存在する。
もうひとつは、もっと難しい。
それは、その人が生きられなかった分を
残された僕らが生きるということだ。
それは、本来の僕らの「生」に足された「生」になる。
その意味では、僕ら「生」のある部分は、
亡くなった人によって、
生かされている「生」ということになる。
どのようなかたちになるにせよ、
果たせなかった夢や失われた志を生きなければならない。
これは、最初のことより難しい。
でも、努力しなくちゃいけないと思う。
生きていると、
嫌になることや、うんざりすることが多い。
もういいやと、投げ出したくなることもあるし、
何をやってもうまくいかない時期もある。
でも、そんなときに、頑張らなくちゃと思う。
思い半ばにして亡くなった人のことを思って。