ニュース・日記
どのような国の歴史にも、
あるいはどのような人の歴史にも、
いくつかの分水嶺があると村上春樹は言っている。
たとえば、アメリカにとっての『1929年』
ユリウス・カエサルにとっての『ルビコン河』
アドルフ・ヒットラーにとっての『スターリングラード』
バイロン卿にとっての『チャイルド・ハロルドの巡礼』
ビートルズにとっての『サージャント・ペパー』
しかし、残念なことだが、それがいつかはわからない。
多くの場合、それを感知することはできないのだ。
その真の意味は、まるで長期手形の決済のように、
後日、静かにやってくる。
しかるべき歳月を隔てて、改めて知ることになるのだ。
大学時代の終わり頃、
府中競馬場近くの一軒家を借りていた。
僕はそのころは、適当にアルバイトをして、
かといって将来のことで漠然と不安を感じることもなく、
なんとかなるだろうというお気楽な生活に浸っていた。
年齢を重ねるにつれて、
時間はどんどん過ぎ去る速度を上げていくものだ。
だから、あの頃、時間は止まっていたような気がする。
家賃は友達四人で出し合っていた。
金曜日の夕方から人が集まり、未明まで麻雀大会。
アルコールはほとんどなかったが、
部屋がかすむほどにタバコの煙が充満していた。
明けて、土曜日の午前中の光の中を、
みんなで汚れたスニーカーやつっかけを履いて、
総菜パンと牛乳を片手に府中競馬場に行った。
パドックを見て、馬券を買って、一日過ごす。
そして、帰ってから、
再び牌を振る・・・信じられないような生活でしたね。
そこでは、人が人を呼び、
ずいぶんと大勢の人間が集まってきた。
その中には、後に服役した人間もいたし、
現在、日本を代表する企業の重役になった人間もいる。
多彩な人間が集まってきたけれど、
女の子は入れないことが不文律だった。
ごく自然に、そういうものだと誰もが感じていた節がある。
みんなほとんどバカで、いい加減で、
どうしようもなかったけれど、
人のあら探しみたいなことはしなかったように思う。
家賃を出し合っていた四人の中のひとりが森川だった。
To be continued
あるいはどのような人の歴史にも、
いくつかの分水嶺があると村上春樹は言っている。
たとえば、アメリカにとっての『1929年』
ユリウス・カエサルにとっての『ルビコン河』
アドルフ・ヒットラーにとっての『スターリングラード』
バイロン卿にとっての『チャイルド・ハロルドの巡礼』
ビートルズにとっての『サージャント・ペパー』
しかし、残念なことだが、それがいつかはわからない。
多くの場合、それを感知することはできないのだ。
その真の意味は、まるで長期手形の決済のように、
後日、静かにやってくる。
しかるべき歳月を隔てて、改めて知ることになるのだ。
大学時代の終わり頃、
府中競馬場近くの一軒家を借りていた。
僕はそのころは、適当にアルバイトをして、
かといって将来のことで漠然と不安を感じることもなく、
なんとかなるだろうというお気楽な生活に浸っていた。
年齢を重ねるにつれて、
時間はどんどん過ぎ去る速度を上げていくものだ。
だから、あの頃、時間は止まっていたような気がする。
家賃は友達四人で出し合っていた。
金曜日の夕方から人が集まり、未明まで麻雀大会。
アルコールはほとんどなかったが、
部屋がかすむほどにタバコの煙が充満していた。
明けて、土曜日の午前中の光の中を、
みんなで汚れたスニーカーやつっかけを履いて、
総菜パンと牛乳を片手に府中競馬場に行った。
パドックを見て、馬券を買って、一日過ごす。
そして、帰ってから、
再び牌を振る・・・信じられないような生活でしたね。
そこでは、人が人を呼び、
ずいぶんと大勢の人間が集まってきた。
その中には、後に服役した人間もいたし、
現在、日本を代表する企業の重役になった人間もいる。
多彩な人間が集まってきたけれど、
女の子は入れないことが不文律だった。
ごく自然に、そういうものだと誰もが感じていた節がある。
みんなほとんどバカで、いい加減で、
どうしようもなかったけれど、
人のあら探しみたいなことはしなかったように思う。
家賃を出し合っていた四人の中のひとりが森川だった。
To be continued