ニュース・日記

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風通信159

2018/03/17(Sat)
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3年ほど前のことだが、2ヶ月ほど、
よんどころない事情で藤崎に住んでいたことがある。
市営地下鉄の藤崎駅から3分ほどのマンションだった。
202号線と原大通りが交差する早良口に面していて、
両方とも広い道路だから、夜間でも車が走る。

舞台の稽古が終わって帰る時刻でも、人通りがある。
このことがなんだかとてもいい感じだった。
その2ヶ月を除けば、ずっと同じところに居住している。
この住まいは玄関のドアを開けると目の前に室見川が流れていて、
豊かな水の傍らという立地は、すごく気に入ってるんだけど、
午後9時も過ぎると、ほとんど人通りも絶えてしまうという住宅街。
静かな夜のとばりが降りるだけなんですね。
それはそれでなんの不足もないんだけれど、
あの藤崎での生活は、妙に心地よいものだった。

僕は、18歳から28歳まで東京に住んでいた。
何ごともなければ、あのまま東京にいたと思う。
嫌いではなかったんですね、あの街が。
なぜ好きだったかというと、
たぶんそれは当事者回避の位置にいられたからだと思う。
つまり、観察者。
それと、孤独感。このふたつ、
まあ、似たようなものでもあるし、同時に、
まったく別物と考えられないこともないですね。

本当の孤独は人混みの中にこそある。だから、
都会にこそ真の孤独があるというのは、
シャルル・ボードレールが
つとに指摘したところだったと思うけれど、
その片隅で、他者と無関係に、
静かに人知れず生きていくというのは素敵です。
都会ではそれが可能になる余地がある、
というか、それが都会という存在なのだろう。
それで、思い出したけれど、
高校生の時に、
岡林信康の『俺らいちぬけた』の冒頭のフレーズに
強く惹かれた記憶がある。
たぶん、原点の一部分を占めている感覚なんだろうな。

僕は、分析家ではないから、
この嗜好(あるいは志向)が、どういうものかよく分からないけれど、
人混みの中で無名に生きることがいいと思うのです。
もちろん、舞台を創るという意味では、
僕にだってそれなりのナルシズムや自己顕示欲がないわけではない。
でも、比較的乏しい方だと自己分析している。
(まあ、往々にして自己分析って間違いが多いものですが)
そもそも、こうした日記を書くこと自体、どうなの?
と突っ込みを入れたくもなりますが。
要するに自己への執着は少ない方だと思う。その意味では、
それがもう少しあれば、
もっといい作品が出来ただろうと思うこともある。

僕は、いまでも天神に行くと、
たとえば福ビルのシアトルズ・カフェのテラスで、
カップになみなみと注がれたカプチーノを飲みながら、
通り過ぎる人を見るのが好きだ。
ひとりひとりが人生を背負って歩いている。
そのあれやこれやを想像し、
それがどんなふうに身体に形象化されているか。
つらつらとそんな思いを広げるわけです。

と、ここまで書いて、
自分でもある程度は分かってはいるんだけれど、
すごくシンプルに言えば、
わがままで、身勝手な人間なんだな、俺は。
「そ、要するにィ、ほどほどのお金があって、
好きな本を読んで、好きな音楽を聴いて、
好きな映画を観て、それ以外のことは
どーでもいいのよ、あなたは」と、彼女は言う。
やれやれである。

なんか、東京に行きたくなったなぁ。
そこに行くと、
素敵なガールフレンドが待っている。
・・・ような気がするしね。
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