ニュース・日記
先週は、本業の仕事がタイトで、結局、
NTL『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』は
見に行けなかった。残念。
でも、『チャイメリカ』は観てきました。
雨の中、北天神の市民会館に向かう道は、女性ばかり。
ん? なんかねぇ、予感はしてたんだ。
須崎公園まで行くと、やはり女性ばかり。
なんだか、ジャニーズの公演に行くような気分になった。
本は、もう間違いなくよくできている。
天安門事件の例の写真。(戦車の前に立つ若者=市民)
その写真を撮ったカメラマンと若者の、
その後の30年に亘る人生を虚実取り混ぜて描いたもの。
演出もいつもよりクスグリが少ないような気もしたけれど、
ラストシーンなどを観れば、いかにも栗山さん。
服部さんの照明も手堅い。シャープな明かりです。
ただねぇ、役者が・・・。
ここ2年ほど、映像でしかないんだけれど、
イギリスの役者を見続けているせいか、
この舞台の役者の力が足りないのが分かる。
伝統と気品と老獪な現実主義を以て
イギリスの役者、舞台はできあがっている。
もちろん、きっと、言葉の問題もあるとは思いますよ。
確かに、翻訳すればそういう意味なんだろうけど、
ひとつひとつの言葉の担う守備範囲が違う。
日本語の冗長率の高さなのかなぁ。
巧く言えないのだけれど。
それでも、オンボロ車にはオンボロ車でしか味わえない、
独特の感覚というものがあるので、
戯曲における日本語の精査が必要なのかもしれません。
エンディングの後、暗転になって、カーテンコール。
僕は比較的前の方の席だったんだけど、
周りが全員、スタンティング・オベーションするの。
まあ、観なくてもいいけれど、
一人だけ座っているのもどうかと思って、
僕も立ち上がって拍手をしていました。
袖に、田中圭と満島真之介が捌けるとき、
両手を肩あたりで軽く振って、さよなら。
すると、あろうことか、ほとんど僕の周りの全員が
同じ仕草でさよならするわけさ。
天に祈る修行僧の敬虔さを以て天井を見上げていた。
松竹や東宝の企画じゃなく、
世田谷パブリック・シアターの企画だから、
商業演劇とはいえ、もう少し違うはずだ思っていたんだけど、
やっぱり商業演劇そのものでした。
観客のたぶん25%くらいは
「天安門事件」の歴史的意義を知らないだろうと思った。
中国政府があの事件をどのような形で処理したのか、
僕だって(いや、誰だって)正確に知りようがないし、
その意義を把握しているわけではないけれどね。だから、
歴史(すでにこの事件は歴史だ)は想像力なのだと考えていた。
いうまでもなく、ここに文学の価値が生じるんだけどね。
それにしても、
S席9500円というのは、高額すぎないだろうか。
生前、博多座の小松支配人が、高額な演劇料金は
自ら演劇をつぶすようなものだと、おっしゃってたが、
本当にそうですね。
ついでのように書いてはいけないのだが、今日は震災の日。
どれだけ時間が経過しても、
愛する人を失った人の悲しみが癒えることはないだろう。
もちろん天災にはなすすべがないが、問題は人災。
この日が来るたびに、東京五輪の誘致会場で、
現総理大臣が「福島はコントロール」されていると、
全世界に向けて、
信じられないような『嘘』をついたことを思い出す。
その人物を戴く僕らも同罪かもしれない。
NTL『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』は
見に行けなかった。残念。
でも、『チャイメリカ』は観てきました。
雨の中、北天神の市民会館に向かう道は、女性ばかり。
ん? なんかねぇ、予感はしてたんだ。
須崎公園まで行くと、やはり女性ばかり。
なんだか、ジャニーズの公演に行くような気分になった。
本は、もう間違いなくよくできている。
天安門事件の例の写真。(戦車の前に立つ若者=市民)
その写真を撮ったカメラマンと若者の、
その後の30年に亘る人生を虚実取り混ぜて描いたもの。
演出もいつもよりクスグリが少ないような気もしたけれど、
ラストシーンなどを観れば、いかにも栗山さん。
服部さんの照明も手堅い。シャープな明かりです。
ただねぇ、役者が・・・。
ここ2年ほど、映像でしかないんだけれど、
イギリスの役者を見続けているせいか、
この舞台の役者の力が足りないのが分かる。
伝統と気品と老獪な現実主義を以て
イギリスの役者、舞台はできあがっている。
もちろん、きっと、言葉の問題もあるとは思いますよ。
確かに、翻訳すればそういう意味なんだろうけど、
ひとつひとつの言葉の担う守備範囲が違う。
日本語の冗長率の高さなのかなぁ。
巧く言えないのだけれど。
それでも、オンボロ車にはオンボロ車でしか味わえない、
独特の感覚というものがあるので、
戯曲における日本語の精査が必要なのかもしれません。
エンディングの後、暗転になって、カーテンコール。
僕は比較的前の方の席だったんだけど、
周りが全員、スタンティング・オベーションするの。
まあ、観なくてもいいけれど、
一人だけ座っているのもどうかと思って、
僕も立ち上がって拍手をしていました。
袖に、田中圭と満島真之介が捌けるとき、
両手を肩あたりで軽く振って、さよなら。
すると、あろうことか、ほとんど僕の周りの全員が
同じ仕草でさよならするわけさ。
天に祈る修行僧の敬虔さを以て天井を見上げていた。
松竹や東宝の企画じゃなく、
世田谷パブリック・シアターの企画だから、
商業演劇とはいえ、もう少し違うはずだ思っていたんだけど、
やっぱり商業演劇そのものでした。
観客のたぶん25%くらいは
「天安門事件」の歴史的意義を知らないだろうと思った。
中国政府があの事件をどのような形で処理したのか、
僕だって(いや、誰だって)正確に知りようがないし、
その意義を把握しているわけではないけれどね。だから、
歴史(すでにこの事件は歴史だ)は想像力なのだと考えていた。
いうまでもなく、ここに文学の価値が生じるんだけどね。
それにしても、
S席9500円というのは、高額すぎないだろうか。
生前、博多座の小松支配人が、高額な演劇料金は
自ら演劇をつぶすようなものだと、おっしゃってたが、
本当にそうですね。
ついでのように書いてはいけないのだが、今日は震災の日。
どれだけ時間が経過しても、
愛する人を失った人の悲しみが癒えることはないだろう。
もちろん天災にはなすすべがないが、問題は人災。
この日が来るたびに、東京五輪の誘致会場で、
現総理大臣が「福島はコントロール」されていると、
全世界に向けて、
信じられないような『嘘』をついたことを思い出す。
その人物を戴く僕らも同罪かもしれない。