ニュース・日記

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風通信180

2019/03/20(Wed)
風通信 |
つづきです。

ちょっとドキッとするシーンがある。
主人公が昼寝をしている。右にパンニングしていくと、
死んだはずの娘たちがいて、「パパ、私たち焼け死んじゃうの?」
10秒ぐらいのカットである。
次の瞬間、部屋に煙が充満していて、
キッチンでフライパンのソースが焦げていることに気付く。
ただそれだけなんだけど。もちろん、そりゃ夢でしょ、である。
きっと、夢の中では子供たちは永遠にあの時のままなんですね。
けれど、こういうシーンの積み重ねが、
徐々に主人公のかたくなな心を柔らかくしていくわけだ。

小道具も効いていた。
主人公がキッチンでコーヒーを飲むときのマグカップの色。
主人公が乗る、やはりそれでしょ、という車の選択。
美しく並べられたライフルなどの銃器の棚の照明。
ここはユーモアのシーンだった。
さりげなく重いテーマの中に、
分かるか分からない程度のユーモアがちりばめられている。
主人公が夜中にコンビニに行くときに
劇中曲としてアルビニーノのアダージョが流れたときには
ちょっとした違和感を感じたけれど、次の瞬間に
その意図は理解させる心憎さ。でも、僕はベタだと思う。

後見人に指名されて、ボストンを引き払うとき、
主人公が3枚のフォト・スタンドを
本当に丁寧に布に包むシーンがある。
兄の家で彼が寝る部屋の家具の上に、
そのスタンドはキレイに並べられている。
後半、ホッケーや、バンドや、
女の子とセックスすることしか
考えていない甥が、そのフォト・スタンドを偶然見つけて、
じっと見つめるシーンが挿入される。
台詞もなく、ただじっと見つめる甥っ子。
6秒から10秒ぐらいの長いカットなんだよね。
おそらく、彼はその時、叔父の痛みを知ることになるのだ。
そのようにしてたぶん人は大人になっていく。
16歳であれば、成長という言葉で表現されるのだろうが、
彼が変わることが、主人公が変わることの予兆になるのだろう。

女性モテるという意味では、主人公と甥は似ている。
だけど、この映画にセックスシーンはない。
きわどいところまでいくのだけれど。
それは映画作家の選択された品性とみておきたい。
人も殺されず、セックスもない。
そういう作品を書いてみたいと、
『羊をめぐる冒険』で鼠が言ってたことを思い出します。
(『ピンボール』だったかなぁ)
主人公の兄は、人望厚い人物だと設定されているのに比べて、
主人公は若い頃から、やんちゃ。
それも甥っ子が受け継いでいる。そして、
父親の埋葬まで遺体を冷凍することへの心理的抑圧に、
耐えきれないナーバスなところも似せているのだ。
今の主人公でなく、16歳の時だったらという意味です
丁寧な人物造型だ。

回想で、兄の船の上で甥をからかうシーンがある。
複数回見せるのです。これが伏線でね。
エンディングまで待たないとわからない。
静かな船上シーンで、
主人公と甥が並んで釣り糸を垂れている。
主人公はボストンで再生の日を生きるだろう。
そして、甥はこの町で父親がそうであったように、
漁師として生きていくだろうと予感させる。
つまり、
やんちゃだけの子供ではなくなったということです。
船を誰が操縦しているか、などと邪推してはいけない。
エンディングはこうでなくちゃいけないのだ。
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