ごあいさつ(「パンフレット」より)

ごあいさつ(「パンフレット」より)

「映画の話から・・・。」

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◇ 劇団アントンクルー代表:安永史明(演出)

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「寝食を忘れて」という言葉がある。

遙か昔。今から20年以上も前の話だ。僕は文字通り、寝食を忘れて映画を観ていた。
ある年の冬のはじめ、駒場の雀荘の2階で友達と250本達観(という言葉があるかどうかわからないけれど)の祝杯を上げた記憶があるので、たぶんその前後の数年間は、それくらいは見ていたんだろうと思う。

思えば、幸福な時代でした。当時僕は学生だったし、時間はたっぷりあった。
おそらく大学に行くより、道玄坂や新宿にあった名画座に通う方が多かったように思う。
しかし、父親が生きている間は、この話は誰にもしたことがない。

それほど観ていたわりに、カット割りを調べようとか、フレームの使い方を確かめようとか、つまり、映画を勉強しようなどとはまったく考えなかった。
そしてもちろん、映画作家になろうとか、脚本家になろうとかもまったく考えなかった。
我ながら不思議な気もする。

毎日、テトラパックの牛乳(って、知ってますか?)とカレーパンを持って、ひたすら作りの悪い、たいてい朱色の安っぽいシートに身体を深く埋めるだけだった。

好きな映画は何度でも観た。でも、今覚えているのは壁のクロスが剥がれた跡や、シミの付いたコンクリートの床ぐらいだ。どうにも、これも我ながら情けない気がしますね。

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なぜ映画の話をしたかというと、この作品を読んだ時、それが優れた芝居の台本ありながら、映画を観ているような錯覚にとらわれたからだ。
もちろん、それは夏の盛りの美しい夕暮れのように個人的で、根拠のない感想に過ぎないのだけれど。
個人的といえば、いくつかのシーンは思い入れがとても深い。我ながら珍しい体験だった。

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今は、もうあの頃のように映画を観ることはない。

でも、天神コアビルのシアトルズコーヒーのカフェテラス。
道行く人を観ていると、映画のようにひとりひとりの物語が見えるようなときがあるのですね。
誰でもひとつの物語を持っているなんて、ずいぶん手垢の付いた言葉は使いたくないのだが、おそらく『ハワード・キャッツ』の物語は、キャッツだけの物語なのではなく、きっと誰かの物語なんじゃないかと思う。

まるでドアの下に差し入れられた手紙のように、ささやかな共感が行き交う。
などということあれば、それはそれで素敵なことだと、我ながらほくそ笑んだりする。あららですね。
さて・・・。

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本日はありがとうございます。アントンクルーの芝居をはじめてご覧になる方も、もう何回目かしらん、という方も、ゆっくりとお楽しみください。

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・・・仕込み前日に、スタン・ゲッツを聴きながら。

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