ニュース・日記

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風通信213

2023/05/14(Sun)
風通信 |
 福岡市の総合図書館内にある映像ホール・シネラでは、毎月特集を組んで所蔵映画を上映している。福岡市のアジア戦略と相俟ってその多くはアジア映画が多いのだが、今月は「食卓」という生活文化的なテーマで日本映画も含めた作品群だ。こういう企画を待っていましたね。映画に描かれた「なになに」という企画である。ちなみに4月は『ディアスポラ・民族離反』がテーマだった。それではちょっと大きすぎる。あくまで僕の価値基準ではあるけれど。
 4日の成瀬巳喜男の『妻よ薔薇のように』を観てきた。1935年(昭和10年)の作品。いつも思うのだが、午前11時の開演というのはどうかと思うけど。休日だからというわけではない。基本的に11時か、14時なんです。まあ、それはともかく、けっこう楽しめた。台詞回しがどうしても戦前の日本映画独特の抑揚(たとえば、小津における原節子の言い回しというか)から免れてはいないのだが、映像的には、カット割りといい、オーバーラップの処理といい、象徴的なシーンの造型といい、あるかなきかの細やかなユーモアなど、とてもおよそ100年前の映画とは思えなかった。僕は愉しんだのだが、映画史をやっている人や、旧い映画に興味を持つ人は別にして、いまどきの若い人にはやはりダルいかもしれない。30人近くいた観客も年配の人が多かった。
 絢爛たる映像の溝口健二や、外連味たっぷりの黒澤明に比べると、小市民的な世界観に満ちている成瀬作品だが、それだからこそと言うべきか、妙に心に滲みる。昭和初期の働く女性の口から「月給45円だから、お金がないの」などという台詞が発せられるところなど、いかにもという感じですね。小津安二郎もいくたりかのいわゆる庶民の女性を描いたが、その手の台詞はない。東京から長野へ、家を捨てた父親を連れ戻しに行こうとするヒロイン。彼女が歩く長野の農村風景は現在もある中国の山間の村落のような風情で、映画が撮られた後10年もしないうちに世界を相手に無謀な闘いを挑んだ国であるとは信じられない。しかし彼の視座はそんなところにあるのではないんだな、きっと。家庭を捨て、別の女性と子までなして生きている父親は長野の山奥であるはずもない(だろう)砂金を取っているのだ。現実に、当時の長野県でそういうものが仕事として成立していたかどうかは知らないが、いわゆる髪結いの亭主(これは文字通り)という在り方。男性原理からすると、まあ、許しがたい男かもしれないが、あくまで成瀬の視点はそこを突こうとはしない。彼は立派な人間が好きではないのだろう。批判するのでもなく、糾弾するのでもなく、淡々と描く。その分だけやさしい。ヒロインの母親と、今父親が共にに暮らしている女性との人物造型が少しばかり類型的ではあるものの、観ている分にはそのことでかえって理解が進む。
それにしても、こういう映画はなかなか観る機会がないですね。個人的に細々ながらコレクションはしているなんだけど。戦後の20年代から30年代に撮影された作品なんかほとんど観ることができない。僕がなぜこの時代に注目するかと言えば、それは地方の時代だったからだ。上記の作品でも長野の農村風景が描かれていたが、戦後すぐの映画はその多くが地方舞台にした作品が多いのだ。『カルメン故郷に帰る』とか、『二十四の瞳』とかがすぐ思い浮かぶ。もちろん、主要都市が戦禍のために壊滅していたという事情や、地方でロケした方が食べられるという食糧事情にもよるのだろうが、戦前、戦後と続いた日本の姿がそこにはあるはずなのだ。古い日本の景観だからからいいというのではない。たしかに地方には日本人が生きていたように思う。一般の映画観ではおそらく不可能だから、せめて公共の図書館でそういった作品を上映する企画とかできないだろうか。
 ともあれ、今回の企画、『家族ゲーム』や『泥の河』(僕にとってはベストテンです)、『夫婦善哉』や、『砂の女』など優れた日本映画が上演される本企画は、個人的には大ヒットだった。
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風通信212

2022/12/30(Fri)
風通信 |
久しぶりに手紙を書きます。
 半年掛けた芝居が終わりました。一夜かぎりの奇跡のような公演だった。なにごともなくここまで来られたことは主催者として喜ばしい。いろいろあるのがつきものだから。けれど、僕は、なんだか、燃え尽きた感じです。とても疲れた。公演を終えて、こんな気持ちになることは初めてです。もちろん年齢のこともあるだろうな。でも、年齢という言葉では括れないものが身体の深いところにあるように思える。いろんなものが静かにそして着実に変化していて、その変化に身を晒す体力は僕にはもう残されていないような気がするんだよ。とても残念なことだけど。本多さんのときも、勘タンさんのときも、時間の重さに堪える体力はあった。勘タンさんの最後の公演、あの幻の『アントンクルーのワーニャ』公演のとき、僕は当日パンフにこんなことを書いている。「僕は芝居を創るたびに自分なりの目標を立て、毎回新しいことに挑戦してきたし、同じ技法は使わないようにしてきた。どんな場合にもそうだけど、その試みがうまくいったこともあれば、いかなかったこともある。でも、しないわけにはいかなかったのだ」確かに今回も同じスタンスで、初めての試みに挑戦した。そして、観劇したお客さんの評価は別にして、自分なりに思っていたことの80パーセントは達成したと思うよ。でも、だから? と空行く雲を眺めるような気持ちになってます。何だろうね。 
 と、ここまで書いて病に伏せっていました。どうやら快復したようだ。病が癒えて一週間、今日は卯月八日。この間に僕は誕生日を迎えて数値的にはひとつだけ年齢を重ねました。

2022年が終わろうとしている。
今年の3月に『大観望』を上演した後、演劇活動をしていない。舞台も見ていない、劇場でも、録画でも。新型コロナ感染症の影響ではない。ただただ、「演劇」というものから距離を置いたということだ。アントンの仲間とも3月以来話していないし、『大観望』を書いた別府とも別の要件で20分ほど言葉を交わしただけ。食肉解体業の冷凍倉庫で働くアルバイトみたいに仕事場に行き、仕事が終われば帰ってくる。さすがに家族とは食事を共にし、若干の会話もあるが、床につくまでの数時間は、ぼんやりと十月の海を眺めているように過ごすだけだった。
いつだったか、我が畏友である岩井眞實が「演劇は世界を変える力がある」ということを言ったことがある。そう信じることができると付け加えたようにも思う。いま僕は、彼の言葉に素直に心から頷くことができると同時に、結局は言葉なのではないかと思う。その意味では、音楽も世界を変えることができるはずだ。おそらく、岩井はそうありたいと願いつつ劇作家として、あるいは表現者として今も生きているだろう。僕は彼ほどの信念を持てたろうか。世界を変えようと志したろうか。劇作家として彼が書いたあの傑作『アントン・ユモレスカ』をはじめとして、僕の創作してきた舞台は残念ながら何も残せていないと思うし、一ミリの変化もなかった。ただ「時」が風のように吹きすぎただけだ。それはひとえに演出家としての僕の力のなさなのだと思う。それを実感した半年だった。俺はいったい何をしてきたのだと吹き行く風に問いたいくらいだ。僕のレゾンレートルは演劇しかなかったのに、である。定家の「見しはみな夢のただちにまがひつつ昔は遠く人はかへらず」という歌が、身に沁みる年の瀬である。
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風通信211

2022/03/06(Sun)
風通信 |
 事態が改善されたとは思わないけれど、ともあれ「蔓延防止措置」が解除されたのはなによりだった。いよいよ公演前一週間となった。通常ならこの時期、ほとんど毎日、返し稽古や、スタッフワークや諸々の打ち合わせで休む暇はないのだが、今回は10月の海のように、はじまりの予兆に満ちた穏やかな日々である。当日配布するパンフレット、チケットのデザインも完成し、あとはプリントアウトするだけだ。一夜かぎりの公演だし、情宣もしていないので集客は端から諦めている。だから印刷枚数も少なく、自宅のプリンターでできるだろうと、踏んでいる。
 今回の企画は昨年の7月頃から始まった。その時点でパワーポイントを使って初見の台本を観客と共有するなどの作品のコンセプトや実施の際の舞台の構想はすべて僕の頭の中で完成し、その上で別府に台本をオーダーした記憶がある。三週間くらいで第一稿が上がり、そのまま寝かせた。そして、制作スタッフの矢野と川中に今回の構想を伝え、相談したら「やりましょう!」という返事をもらったので、台本の修正に入った。彼ら二人が賛成してくれないと公演の実施は不可能なのだ。二稿、三稿(四稿までいったかな)と重ねて、年が明けた1月に決定稿の完成。制作スタッフと台本の内容について詳細な確認を行い、感染症の蔓延を片目で見ながら2月にスタッフだけで読み合わせをした。尺を取るためである。それが物語であるためにはある程度の長さは必要だが、今回の場合、長すぎても処理が難しい。30分から40分、別府にはそう頼んでおいた。おおむね予定通りでした。別府君ありがとう。内容的に倫理違反とかないかなど改めて確認して、準備が整った。もちろん、初見になるので台本へのフリガナを付けるなどの細かな作業は残っているにしても。そして、一番重要なのは、台本の分析。この一週間は読書も映画も・・・と、そうはいかないんだよなぁ。追い詰められると、ついついソッチやアッチに逃げてしまうのは、毎度のことである。高校生の時から試験前になると急に本を読みたくなったりした、あれです。たぶんこれは治らない病。昨日、ショーン・バイセルの『ブックセラーズ・ダイアリー』を読み終えたばかりなのに。総合図書館では予約20人待ちの本だけど、僕は同じ系統の本ならジェレミー・マーサーの『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』の方が面白かった。それにしても、今月はなにかと忙しい。先週は荻須高徳の展覧会を見に広島へ一泊で行ってきたし。いつもながら時間が停止したような錯覚にとらわれる「ひろしま美術館」。作品の前に不粋なラインなどもなく、作品に10センチくらい顔を近づけて観てきた。そのタッチや息遣いまで感じられる。彼のまとまった作品を観るのは久しぶりだった。鹿島 茂のパリ愛に満ちた一連の本をここ2〜3年読んでいたので、以前よりは描かれた対象、場所を捉えることができたような、なんだか奇妙な既視感である。古くは山田 稔、最近では堀江敏幸などパリに魅せられた文人は多いですね。人肌の感じられる魅力的な都市なんだろうな。月末は、佐賀で、辻井伸行のラフマニノフ。コロナ以前の、3年くらい前のサントリーホール以来だ。
 まだ3回目のワクチン接種は終わっていないのに、こういう状況はどうよ、と突っ込まれそうだからここで止めよう。3回目は4月1日。もちろんエイプリルフールではない。
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風通信210

2022/02/18(Fri)
風通信 |
 前回の公演もコロナ禍の中だったけれど、今ほど切実感はなかったように思う。もう、2年になるなぁ。・・・という情況で何か方法がないかという模索した。そのあげくが今回の上演スタイル。時間をかけてじっくり稽古を重ねて演じるわけではない。ただ、こういう形態もありかなとはひそかに思う。今、僕らを取り巻いている社会の状況を考えて、あえて情宣は最小限に留めた。それでも、簡単なフラーヤーくらいは作ろうかと。今日あたりから、一部で出回っているだろう。でも、たぶん誰も眼にしないような気もするので、そこに書かれている文言をここに書いておきたい。

 コロナ禍の中、生の舞台芸術としての演劇を模索しています。そのひとつとして、今回の舞台を創ります。福岡で長年芝居に取り組んで来た旧知の友人たちの協力の下に。役者さんはまず、文字通り「初見」で本読み。その中でサブテキストや表現を探ります。約30分程度のインターバルの後、同作品を改めて読みます。ここでリーディング公演になります。役者さんのプレッシャーは大きいのですが、彼らの表現の力をじ信じたいと思います。舞台の内容は、だから当日まで封印。ただ、中高年の男性五人の会話劇で、面白い舞台に仕上がると思います。平日になりますが、是非、劇場まで足をお運び下さい。

 と書いたものの、実は役者だけではない。演出することになる演出家もかなりのプレッシャーなのだ。だって、稽古場を見せるようなもんだし。それって、どうよ? という感じです。
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風通信209

2022/02/12(Sat)
風通信 |
 たしか40代の頃だったと思うけれど、福岡市の文化芸術財団から依頼されて「10代の演劇ワークショップ」を担当したことがある。参加者の母親が、それまで人前でほとんど話すことのなかった子どもがそのワークショップをきっかけとして、笑い、声を出すようになったので、どんなレッスンをしているのか知りたいと見学に来たことが記憶にある。「演劇の力」を感じた日々だった。ワークショップを企画するに当たって、半年をかけて文献やネットを検索し、さまざまなレッスンを考案した。おそらく20数種類のレッスンを考案したんじゃなかったかなぁ。そののち使う機会もなく、その時の資料はどこかにあるはずなんだけれど、所在は不明だ。

 先日、若い友人からメールをもらった。大学を卒業するにあたって、就職のことでモヤモヤ悩んでいる内容だった。なにか言葉を掛けてあげたいと思った。そして、突然ワークショップのレッスンのひとつを思い出したのだ。そのレッスンが「Calling・You」です。僕はオリジナリティがないから、たぶん何かをヒントにして考案したんだろうけど、こういうレッスンです。

 参加者の中から一人選ぶ。いちおうAとしておきますが、残りの参加者を仮にB〜Zとして、B〜ZをAから20メートルほどの距離を空けさせ、その離れた場に、Aに対して背中を向けた状態で、いわゆる体操座りでランダムに座らせる。定まったところで、AにB〜Zの誰かを選んで、声をかけなさいと指示する。ルールは名前を呼んではいけない、親密な(つまり、二人だけしかわからない)話をしてはいけない、くらいだったか。声だけで、呼びかけるだけで。それがルール。それを繰り返す。一方、B〜Zは自分に声が届いたと思ったら、そっと手を上げなさいと言っておく。一回目。誰ひとり手を上げない。続けさせる。Aはあれこれ工夫し始める。でも、これとわかる言葉は禁じられているので、とにかく「あなた! 君! ねぇ、こっち向いて!」・・・エトセトラ。誰も振り向かない。ここでストップ。B〜Zの向きをAに向かわせる。さて、Aが誰に声をかけたのかが発表される。Fだったとしよう。そこで、Fに聞くわけです。「呼んでたんだよ、聞こえなかった?」すると、Fは、「いや、なんだか、自分を飛び越えて、もっと、後ろの人を呼んでいるような気がした」という答え。2回目。同じです。今度はR。Rは「隣の人を呼んでいると思った」と言う。3回目。Q。すると、Gが手を上げる。違うんですね。「違うなぁ〜」と声をかける。そういうことを何回か繰り返しているうちに、偶然かもしれないけれどB〜Zの中の一人が手を上げる。これは正解です。そこで、すかさず、ストップ。「聞こえたの?」と聞くと、「たぶん、私に向かって声をかけたんだろうな、と思った」と答える。つまり、声のベクトルを探るレッスンですね。誰に向かって台詞を言うのか、どの方向に声を飛ばすのか、ということを体験するのです。

 僕が今日、思い出したのはこの「Calling・You」の中の「calling」という概念だったんです。これはもちろん、callの名詞形で、呼び出すこと。でも、辞書を繙くと「天職」という意味があるのだ。

 仕事というのは、自分にどんな適性があるのか、自分が何をしたいのか、という「自分が」という考えを捨てたところから始まると思う。自分の志向することにプライオリティを与える。それはそれで当然と言えば当然で、否定はしないけれど、ここはひとつ自分から離れてみることが大事なんじゃないかと思うのだ。そもそも、与えられた条件の中で、自分にできる最高のパフォーマンスを発揮するべく仕事をする、というのが仕事の真の在り方だと思う。だから、極論を言えば何でもいいんだな、きっと。言葉は悪いけど、「成り行き」で仕事を始めても、その中で自分の適性を発見していく旅だと考えるといいかもしれない。それにしても、我ながら「成り行き」って言葉、いいですね。正式な離職率は知らないけれど、けっこう学校を卒業して初めての就職先を辞める人が多いと聞く。まあ、理由は人の数に対応するだろうし、理不尽なこともあるので、わからないでもないけれど、あれって結局自分が考えていたイメージと仕事が合わないことが理由としては多いんじゃなだろうか。こんなはずじゃなかった、とかね。それって、僕に言わせれば逆でね。仕事に自分を合わせるんです。そういう努力することが仕事をするということなんだと思うのですな。そして、たぶん、ここが重要なんだけど、「仕事がそれを求める」。つまり、この仕事そのものが就職した人間に求めること、これが「Calling」ね。やっと繋がった。だから、たぶん、それほど深く考えないで、何でもいいはずだ。問題はその先にあります。そういう意味では、「結婚」と同じ。結婚した後、幸福になるか、不幸になるか、それは雲が西から東に流れて行くような自然の在り方ではない。自分の力で構築するものです。仕事もおんなじなんだな。

 僕は、自分が就活というものをしたことがないので、(あ、つまり成り行きで仕事始めたから)就職先を見つけることに対してのバリアーはなかった。今のスケールでいうと規格外の、どうしようもない学生生活だったから、まともな就職なんて考えられなかったわけだ。でも、まあ、なんとかなるかというスタンスでした。これまでそれで生きてきたし、残り少ないこれからもそうだろう。だから、こんなことを書いても役には立ちそうもないけど。
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風通信208

2022/02/05(Sat)
風通信 |
 オミクロン株の脅威がひしひしと迫り来る中、昨日、完成した台本の読み合わせをスタッフで行った。え? 今頃? とお思いでしょうが、これは今回のタイトル「ザ・初見!」が意味する一連の流れです。「ザ・初見!」とは言ってみれば、メタタイトルになるんですね。正式なタイトルは当日まで不明。(もちろんスタッフは知ってます)役者にも知らせないところが味噌、醤油です。
 読み合わせでは、尺を測ることが第一の目標。ほぼ予定したとおりで、まずは祝着。あとは台本上の問題点を各々指摘。若干の修正をすると言うことで、これも難なくパス。題材はなんであれ、それが芸術文化であればアクチュアルでなければならない。その意味からも、スタッフの了解は取れた。
 どういう感じで参加するかは、今のところ不明だが、できたら生演奏があった方がいいなぁと考えて、アマチュアのギタリストに参加してもらったんだが、それもイメージに合った。開演時間とか、タイムテーブルとか、ザックリとした打ち合わせを制作として、荒々しい土の塊に、どうやら目鼻が付いた顔が見えてきたような気がする。こういう作業は通例だと1年前くらいから始めるものだが、今回は1ヶ月前。これはもう、拙速を通り過ぎて、「遅かりし由良之助」(仮名手本忠臣蔵)だけれど、今回に限っては、それもこれも順当なる進行具合です。近々、予約システムも稼働する予定だ。
 出演する役者さんを知っている人ならわかると思うが、若くて40代。その他は50代60代の中高年の男性ばかりです。さて、どういう芝居になるんだろう。年齢に見合った想定の芝居です。・・・徐々に、お知らせしていきます、あ、これを読んでいる人がいればの話だけど。
 冒頭に書いたように、新型コロナ感染症(オミクロン株)の感染者数が驚異的な数字を示しているけれど、役者さんが元気で居るかぎり、公演は中止になりません。
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風通信207

2022/01/17(Mon)
風通信 |
 1月10日は成人の日。白亜紀みたいな昔のことだから覚えていないけれど、いわゆる式典には行ってない。それはもう間違いのないことだ。当時は儀式的なことは完璧に拒否していた頃だったしね。でも今日は成人式の話ではありません。
 10日の午後、東京FMの「村上RADIO」で、「成人の日スペシャル〜スタン・ゲッツ音楽を生きる」という特別プログラムが組まれた。チャーリー・パーカーはもう、神様みたいなもんだけど、その対極にいるようなレスター・ヤングが好きな僕としては、当然スタン・ゲッツも好きで、特にヨーロッパでの録音は愛聴盤だった。番組で語られた内容には目新しいトピックはなく、だいたいが『Stan Getz:A Life in Jazz』に書いてあるものだった。それでも、ここではひとつだけ、語られた、これはという彼のエピソードを紹介したい。
 日本でいう中学生の時代にサックスを中古で手に入れたスタン・ゲッツはめきめき腕を上げて、高校に入った15、6歳で、すぐにプロになった。彼にはいくつかの特別な才能があったからだと言われている。そのひとつは、オーボエからクラリネット、アルトサックス、バリトンサックスまで、リード楽器は何でも吹けてしまうこと。そのうえ歌心があって音感がいいから淀みなくもぎたてスムージーみたいに吹けること。そして、これが重要なんだけど、写真能力の持ち主だったということだそうだ。写真能力というのは、楽譜をぱっと見て、初見で暗記してしまう能力のことです。才能があるということは、そういうことですね。『アマデウス』の中で、サリエリの楽曲を聞いた直後にそれを再現した神童モーツァルトのエピソードを描いたピーター・シェーファーの戯曲を思い出す。もっとも、モーツァルトの伝記本を読むと椅子から転げ落ちそうなエピソード満載なので彼は別格だろうけど。言うまでもないことだが、だからこそ、ミドルネームがアマデウス(=神に愛されし者)であっても不思議じゃないんだよね、きっと。つまり、それはほんとに特別な才能なんだな。この類いの才能をもうひとつ。青柳いづみこさんの本を読んでたら、20世紀初頭にフランスにいたジャーヌ・バトリというメゾ・ソプラノ歌手の話があった。彼女はラベルの歌曲集『シェラザード』を代役として歌ったということだ。さて、ここからが重要なんです。決まっていた歌手の急な病いのために急遽呼び出された彼女が、代役としてステージに立つまでに残された時間は2時間。つまり開演の2時間前に彼女は初めて楽譜をみたそうな。つまり、初見です。作曲者のラベルはきっかり1時間半の指導だけだったと。そしてバトリはオペラ・コミック座の舞台で、まるで自分のおなじみの曲のように歌ったらしい。感激したラベルは「感嘆すべき音楽家ジャーヌ・バトリさまへ。1904年10月12日の離れ業への感謝の念をこめて」と楽譜の上に献辞を書きつけたという。いつの世にも信じがたい才能を持つ人はいるものだ。
 しかし、ひとくちに才能と言っても、さまざま。音楽は矢のようにストレートに心の中に突き刺さり、一瞬で魂の次元を変えてしまうものだから、その創造もかくあらんと思うけど、演劇の舞台はね、そうはいかない。今回のプロデュース公演のタイトルは「ザ・初見!」です。そもそも芝居と音楽と同列には語れないし、上記のエピソードと比ぶべくもないのですが、今回の試みは、まさに、タイトル通り。どういう進行かって? もうちょっと待ってね。
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風通信206

2022/01/09(Sun)
風通信 |
 コロナウイルス感染症第6波がついに始まった年明けです。
 こういう時期だから多くの人が映画館は回避しがちだろうけど、幸いなことに最近はネットフリックスとかアマゾンプライムとか、ネットでの映画環境が充実してきた。ちなみに僕はWOWOWを契約しているので、WOWOWシネマをよく利用する。わりとなんでも見る方です。それでも、食わず嫌いのホラーは見ないか。それと、日本のアイドル系のラブストーリー。一生懸命演っているのは理解できるんだけど、典型的な表層芸術で、要するにそれだけで・・・、しかし、つまり、以前は少しは見ていたわけだ。同じく以前見ていて最近見なくなったのが、韓国映画。別に僕の中でサラサラした血が流れているわけじゃないけれど、見ているうちに、身体中の血がドロドロしてくる感じがして辛くなる。アジア映画では、やっぱりいくつかの中国映画が面白い。台湾の映画もなぜかパス。欧米の映画では、イギリスの映画が僕の一押しで、次ぎにフランス。スカンジナビア系の映画も沁みるときがある。ドイツ映画はメロドラマもコメディも波長が合わない。今さら比較論でもないが、印象主義芸術観と表現主義芸術観の違いというところだろうか。こうして国民国家の名前を付けていうとなんだかバイアスがかかっちゃうけど、やはりそれぞれの国に底流するものはありそうな気がする。それはそれとして、僕が最初に触れたのはやはりアメリカ映画だった。ハリウッド映画はプロットの予想がつくことも多いが、B級まで含めると層が厚いと思う。
 ところで、昨年の後半に見た『スカイライン』という映画で興味深い、というか、かなり衝撃的な発見をした。この映画は3部作らしい。(いまのところ第1作で挫折)2〜3部は面白いかもしれません。もっとも、『Xメン』という3部まで作られた映画の3作目で、登場人物が「3作目ってだいたいにおいて見る価値がないのよね」という自虐ギャグを言っているから、そんなものだろうと思う。『スカイライン』は映画のジャンルとしてはエイリアンものです。ただひたすらエイリアン星人がUFOキャッチャーみたいに地球人を母艦に吸い上げるだけのワンシュチエーションの話で、終わりの方になんか地球防衛軍みたいな戦闘機が登場して、その母艦やエイリアンを攻撃するという作品。ちなみにリドリー・スコットの『エイリアン』みたいな造型の象徴性はない。マンションの一室からその情景を見ている人物がいて、彼が視線を窓外に送る直前に横顔のワンカットがある。その背後に壁が見えるのだが、そこにポスターがさりげなく貼られているのがわかる。たぶん、3秒から5秒ぐらいのカット。そのポスターは時代はいつのものかわからないのだけれど、そこにははっきりと「神風」という字が読み取れるのだ。そして、次のカットはエイリアンの母艦に突っ込む地球防衛軍の戦闘機というシーンが続く。まるでアメリカ軍の航空母艦に体当たりする日本軍の戦闘機の映像をクリアーなカラーフィルムで見る感じとでも言おうか。いやぁ、太平洋戦争開戦後、80年という時間が経過したにもかかわらず、「神風特攻隊」というのはアメリカ人の深層には刻み込まれているのですね。最近読んだコラゲッサン・ボイルの小説にも「カミカゼ」という語があったし。日本という国家が、そういうシステムを容易に作り出す国家だということは忘れてはならないのだろうな。昨年再放送されたNHKの「新・映像の世紀」の21回は「銃後の太平洋戦争」だったが、このシステムの異常さがあらゆるシーンで延々と続いている。なんだか、遠い昔の話ではないような気がした。
 プロデュース公演の第2弾「ザ・初見!」の公演日が決まりました。3月14日です。一夜限りの公演。コロナの影響がないことを祈るばかり。
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風通信205

2021/12/21(Tue)
風通信 |
ほぅと思わず口から出てきそうなニュースを知った。

 高等学校の教科書の話だ。文部科学省が12月8日に、来年4月から全国の学校で使われる教科書の採択結果を公表した。実社会で必要な国語の知識や技能を身に付けるために、新たに必修科目となる「現代の国語」という教科書。文科省はこの科目で扱う題材を評論や新聞記事などの「論理的・実用的な文章」とし、小説など文学的な文章は除くと説明していた。それを受けて各出版社は小説教材を入れないものをつくったらしい。検定合格は17冊。その中で、唯一、小説を掲載した第一学習社のものが、占有率16.9%でトップとなったというのである。

 第一学習社は、「現代の国語」に、芥川龍之介の「羅生門」、夏目漱石の「夢十夜」など小説5作品を載せ、その掲載の理由について、「教育現場から、現代の国語の授業で小説を扱いたいとの強い要望が多く聞かれた」と説明しているそうだ。現場の教員が小説を扱いたいというのはわかる気がする。青春時代には多くの文学作品を読んできた人たちだろうし、いわゆる「国語」という教科をなんとなくかもしれないが好きだったろうから。もっとも、理系科目がまったく手に余って国語教員となったという教師を僕は知っている。僕の中学校の先生だった。ま、それはいい。小説を扱いたいとアンケートに答えた教師たちが「羅生門」や「城の崎にて」を読んで深い感動を味わったかどうかはわからない。僕なんかは専門外だから、今さら「羅生門」でもないだろうとは思うが、現場の先生方はそうでもないのだろう。その他には、村上春樹の「鏡」、志賀直哉の「城も崎にて」がラインナップされている。個人的には村上春樹は、まあ、彼は世界的な文学者だからおくにしても「羅生門」と同様に「城之崎にて」はないだろうと思う。優れた作品であることは認めようか。でもつまらない。あれって、いわゆる私小説なのかなぁ。その小説を通して何を教えるというのだろう。たぶん、教員が読むであろうマニュアルにはいろいろ書いてあるんだろうけど。

 一方、文科省が上記のような通達をしたのは実は大学改革と軌を一にしているのじゃないだろうか。つまり大学教育から一般教養を除外し、実学志向を進めているということと同じ発想だと思う。高校生対象の場合は、社会人になって契約書を読んだり、報告書が書けなかったら仕事にならないねという発想かな。産業界からの要請もあるに違いない。プロ野球でよく聞かれる言葉なんだけど、勝ち抜くためには即戦力になる人間が必要だ、とかね。組織が必要とする以外の余計な知識や、人間の実存的な意味を考察するような知性はいらないということなんだろう。それをあえて言えば企業の専門性ということになろうか。ここでね、ひとつの問題が生じるような気がします。専門性が現実社会の中で巧く働くためには、自己の専門性だけを学べば事足りるわけではない。他分野の専門性と編み込まなければならないということだ。それがないと自分の専門性は全うされないのです、たぶん。同時にまた、専門性の持つ陥穽に陥らないために、自己の専門性を相対化しなければならないことも必要だろう。そこで決定的な作用を及ぼすのが想像力というものだ。そして、想像力の多くを育むのが文学、芸術などの営為だと思う。芥川龍之介だったか、「見えるものは見えないものに繋がっている」という言葉があって、見えないもの、つまり不在なものへの心のたなびきみたいなものを僕らは持たねばならないような気がする。だとすれば、高校の現場で文学作品を読む機会を除外するというのは、けっこう問題だと思うのです。

 公演の日程が3月にずれ込みそうです。今日、制作メンバーと軽く会食。そういう話になった。コロナが完全終息しているといいけれど。
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風通信204

2021/11/21(Sun)
風通信 |
 僕がクラシック音楽をちゃんと聴き始めたのは、たぶん高校生の時だったと思う。学校をサボってか、放課後だったか、博多区の綱場町にあったクラシック喫茶シャコンヌ≠ノ通ったものだ。珈琲一杯で何時間も居座ることができた。そこで、バッハもモーツァルトも、ベートーベンも知った。中学生の時はビートルズばかりで、のちに甲斐バンドで活躍するM君からレコードを借り、オープンリールのテープレコーダーに録音しては勉強しながら聞いてた。レコードは高くてとても買えなかったわけだ。テープレコーダーにしても叔父から譲り受けたものだった。ちなみにその叔父からもらったレコードの何枚かは記憶にある。クラシックばかりだった。でも、それらは名曲の抜粋で完全なものは聞いたことはなかった。
 シャコンヌ≠ナ聞き始めて、ときどきTVでNHK交響楽団の演奏を視聴するようになった。指揮者という存在を意識したのもその時だったように思う。最初に知った指揮者は岩城宏之だった。そして、ウォフガング・サバリッシュ。ロブロ・フォン・マタチッチも、オットマール・スウィトナーも知らなかった。ちなみに岩城宏之は1967年から2006年まで正指揮者。ウォルフガング・サバリッシュにいたっては、1967年から2013年まで40年にわたって棒を振り続けている。まさに一緒に成長したというか、N響を育てたというか、そんな感じですね。そのサバリッシュの最後の来日N響公演は、彼が81歳の時の2004年の11月13日だった。プログラムはベートーベンの第7交響曲。その日、こういう話が伝わっている。
 NHKホールでの最終リハーサルのあと、彼はいつものようにこう言ったそうだ。「今日の演奏会うまくいくといいね。この一ヶ月間のプログラムを一緒に演奏してくれてありがとう。また、次ぎ来る時ね」しかし、その日はそう言ったあと、「バイバイ」と言い足したという。それを聞き取れた団員も聞き取れなかった団員も「いま、何だったの?」身近な人に確認し合ったそうだ。学校の教室で教員がとても大事なことを言ったらしいとわかり、それを聞き漏らした生徒が互いに確認し合うような小さいけれど広い範囲のざわめきだったろう。晩年のサバリッシュは老齢のために椅子に座って指揮をしていて、だから振りも少し小さくなっていたそうだ。けれども、この日の本番は違って大きく振っている。何が起こったのか。団員のひとりひとりはその指揮ぶりにつられて、そして突然理解したのだろう、全員が前傾姿勢で演奏しはじめたのだ。その日の最終楽章の演奏を見ると、もう、すごいんですね。特に弦の楽団員。バイオリンは上半身が揺れ、楽器が上下左右に動くし、チェロは前後に揺れる。しかもそれが全員まったく同じ動きなのだ。きっと分かったんだよね。
 一般に美術は空間の芸術と言われるのに対して、音楽は時間の芸術と言われる。それはある一面はついているけど、そうとは言い切れないと思う。たしかに、一瞬一瞬、音は川のように流れ、消えていく。けれど、魂の共振とでもいうしかない空間があの場にはあったように感じる。言葉には結ばれない思いが空間に満ちているとでも言ったら分かってもらえるだろうか。集団の芸術の素晴らしさはこんなところにもある。
僕らが作る舞台もそうでありたい。

 2月のプロデュース公演の役者が決定した。思いの通じる役者さんたちに声をかけたつもりだ。いい舞台を創りたいものです。
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風通信203

2021/10/18(Mon)
風通信 |
コロナも収束の兆しが見えてきましたが、まだまだ余談は許さない状況です。すごくありふれた言い方だけど、お元気ですか? ワクチン接種は済みましたか? 
この情況の中、福岡で緊急事態宣言が解除された日に、プロデュース公演の企画会議をしました。メンバーは僕と制作スタッフ。とりあえず、動き出したわけです。
今、部屋ではNHK交響楽団1814回の定期公演の様子が大きい画面で映っています。広上淳一が愉しそうに「ドボ8」を振ってます。本当に愉しそうだ。なにより自分が愉しそうなんだよね。これは大事なことです。まず、自分が愉しいと思うこと。そんなふうに舞台を創っていきたい。別府の台本を読み込んでいます。急がなきゃと分かっているんだけど、なかなか・・・台本分析の時間が・・・これ以上書くと、言い訳になりそうだから、今日はここまで。
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風通信202

2020/10/23(Fri)
風通信 |
長い準備期間を経た公演が終わったよ。君はついに顔を見せなかったけど。想いが届かなかったかな。それはもう、仕方のないことです。

公演が終わるとたいていは一週間はボーッとして過ごすんだけど、今回はそうもいかない。制作から支払いの件でさっそくLINEが入るわけで。いつものアントンのほぼ3分の1のオーディエンスでさ。チケットは完売状態でまずまずだったけれど、会場が円形ホールという、そもそもが狭い会場だったしね。
つまんなかったという人もいれば、面白かったという人もいる。それは気にならない。僕が作りたかった作品を作って、制作は身を挺して動いてくれたしね。作家は美しい言葉で感謝の言葉を残してくれたし、バンドチームは晴れ晴れした顔でバラシの後、小屋を後にした。きっと楽しかったんじゃないかな。そして、もちろん、お客さんの何人かはいい時間を過ごしたと思ってくれたと信じられたしね。バンドリーダーの椎葉さんには、「楽しくやろうよ、あなたたちが楽しくやれば、お客さんも楽しいはずだから。こんな時期だからこそ、そういう時間を作ろうよ」と言ってて、それはおおむね実現したんじゃないかと思うんだ。越智さんのマリンバは素晴らしかったし、栗林さんのボーカルには心が癒やされた人が多かったはずだ。
コロナ禍の時期だからこそ、知恵を絞って装置のN君も舞台を考えてくれたし、ライブ感に拘わり、重要なアドバイスや、フォローをしてくれた照明のA君もいつも通り美しい明かりを作ってくれたし。今回はワガママばかり言って困らせた音響のT嬢には、毎度のことながらいつもの笑顔で癒やされました。やってよかったんじゃないかと思う。そして、この文章を読んでくれるいくたりかのあなたにも、感謝します。
芝居そのものは、なるほどライブでした。1回目と2回目は違うんだよなぁ〜、これが。そこのことも含めて、やっぱり空気感は映画やTVなどの映像表現とは違うと思った次第。ま、僕が今さら言うことじゃないけれど。
コロナ禍のために、関係者の人数を絞ったせいで、僕が転換をすることになった。公演のタイトル入りの黒のTシャツに、黒のマスク、黒のキャップ。裏黒の足袋。サングラスまでしようかと思ったんだけど、それはあんまりだし、だいいち舞台でつまずいたらかえってみっともないしで、それはしなかったけれど、初日が終わって制作のKが、間違ったでしょう・・・。かれはボソッと言ってました。はい。だって、始めてで、僕なりに緊張したわけです。

これから数週間はいろいろ頭を悩ませて大変だけど、とりあえず、今日までは気分はいい。たった一本のメールからはじまった今回の公演だった。君に話したいことがたくさんある。
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風通信201

2020/10/18(Sun)
風通信 |
とりあえず、ここまで来ました。今日が最後の稽古。でも、終わりなき旅です。
まあ、本番まで今日を含めて2日しかないのだけれど、2日もあると言えば言える。
今日最後に、明日は小屋入り。12時間かけて円形ホールで仕込みます。

N君の舞台は図面で見るかぎり、オシャレな舞台で、それが現実化すると思うとワクワクする。前にも書いたように、ドンクサイ舞台は好きじゃないので、彼もそれが分かっているのでいつもなんか、いい感じなのです。
先日は、照明のA君が稽古見学。音響のT嬢は別の現場で大忙し。

もちろん、こんな時期だから「観に来てくれん?」とは積極的に言えないせいもあって、お客さんは少ないけれど、素敵な時間を提供出来ればいいなぁ〜と思うばかりです。ようやく予約も動いてきたみたいだけど。さっきパンフレットを作った。我ながら、オシャレな感じ。ふふ。なんかね、ひとり芝居だから、少しばかりお客さんにしっかり物語の構造を理解してもらいたくて、そういうものを作った。単純なデザインだけどさ。

考えてみれば、ガッツリした現代劇を演出するのは、実は初めてなんです、アントンでは。も、試行錯誤よ。おまけに博多弁。よく出来た本だし、音と明かりと装置が入って観るのが個人的には楽しみではある。いつもそうだけど、どんな芝居になるかは僕の頭の中にあるんだけど、T・S・エリオットのいうところの科学反応? だから、いつもワクワクする。
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風通信200

2020/09/30(Wed)
風通信 |
今年の中秋は明日だったかな? ま、それでもね、今夜の月はとても美しいよ。油山の上にほどよい色で輝いています。こんなに月が美しい深更にはよくメールを送ってくれたね。

君は元気ですか?

僕の好きな映画に『夜空はいつでも最高密度の青色だ』というのがあるんだけど、なかなか捨てがたい素敵な言葉がいっぱいある。たぶん最果タヒの詩句がモトになっている台詞なんだろうな。「君に会わなくてもどこかにいるのだから、それでいい。・・・水のように、春のように、君の瞳がどこかにいる。会わなくてもどこかで息をしている。希望や愛や心臓をならしている。」
こういうのを美しい言葉というのですな、きっと。

君は元気ですか?

9月が過ぎていく。本業では1年で一番忙しい時期となるはずだったけど、それがコロナ感染症の関係で10月まで延びたんだよ。もうね、村の鍛冶屋のように働いたわけだ。休日というものがなかった。それでも、10月21日までは、休まない。走り続ける。今回は制作部が関係者の人数を極力絞り込んでいるので、いつもだったらステージのゴミを拾うくらいしかすることのない僕も、当日いろいろしなければならないことがあるらしい。ヤレヤレです。バックヤードで、使い古したパイプ椅子に浅く腰掛け、足を投げ出してモニターを見ているわけにはいかないようだ。もう、ヤレヤレです。でも、本番当日は、プロデュース・スタッフの言葉が最優先だから。特に、今回はコロナ感染症対策が最優先だし、彼らはそのことに神経の大部分を使っているのを知っているから、僕としては何も言えない。貝になる。コロナといえば、今日、福岡の芸術団体の大御所たちとの会議があった。いつもなら2時間くらいはかかる会議も約30分で終了。いろいろなところに影響がある。ま、当たり前だけど。お客さんには来てほしいけど、来てほしいってなかなか言いづらいよね。それでも、対策はほぼ完璧に実施するから、って。

芝居の稽古に終わりはない。有定さんと一緒に芝居を創るのは今回が初めてだ。昨日の言葉、「あのさぁ、本番当日まで・・・、一番いいと思うことを探し続けるから・・・。初日と楽日の間でも小返しはするよ・・・。」その場にいた制作部の川添は、「そうなんだよな」という苦笑い顔。彼女は素直だから「はい!」

明日も稽古です。

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風通信199

2020/09/07(Mon)
風通信 |
台風一過とはいかないけれど、想定より進行速度が速かったせいか午後には青空が見えていた福岡の空です。台風が過ぎて秋かも・・・、とはいいながら、今週はまだまだ酷暑が続きそうでやりきれない夏の終わりですね。
経費削減のために、チラシを誰かに依頼するのではなく、自分で作りました。フォトショップとイラストレーターを分からないなりに使ってみた。時間がかかったなぁ。同じ失敗を何度もしたり、やり直したり。本業と稽古の時間以外はほとんどそれに費やしました。画像は警固公園。CMの垂れ幕や、電線、不用な人物をカットして。だって、公園だもの、たくさんの人が歩いてる・・・。

物語はあるアパート。2階には港町司法書士事務所があり、3階より上は、賃貸の住宅。事務所には「野村 望」という60代前半の司法書士がいる。3階に「重宗 優」という薬局に勤める20代後半の女性の部屋。そこに居候する「大岡郁美」という同年代の女性。この三人が、それぞれ一人ずつ登場して進行するひとり芝居です。
 『タンドリーチキンの朝』→大岡郁美(演者:有定千裕)
 『アイランドキッチンの昼下がり』→野村 望(演者:中山ヨシロヲ)
 『ロングカーディガンの夜』→重宗 優(演者:有定珠菜)
「大岡郁美」は、舞台には登場しない「徳永正敏」という男性と付き合っているんだけど、どうやらその男性は「重宗 優」の元カレらしい。あれ、あれ?・・・複雑です。2階の「野村 望」は彼女たちとは面識がない設定。

オープニングとそれぞれのお話しの間には、バンドによる楽曲が入ります。いかにも素人くさいバンドです。どうやら同じアパートの住人らしいのです。総合タイトルは『Will you still love me tomorrow』で、もちろん、キャロル・キングの名曲です。まあ、「明日も私を愛してくれる?」くらいの意味かなぁ。舞台のオープニングで演奏されます。数多くのカバーがあるけれど、元にしたのはシュレルズ版です。本当はガールズ・コーラスを付けたかった。でも、コロナの影響でそれが出来なかったのです。まだ、間に合うので、「やりますッ!」という奇特な人いないかなぁ〜。

今日の西の空は、たたなづく豊旗雲・・・とでも言うのか、雲がまだ厚い。風が走っているので流れも速い。でも、その縁には、美しい夕焼けが輝いている。「Waterloo Sunset」もこんなふうだったろうか? キンクスの曲ですね。ウォータールー駅で出会った二人の目に映った夕焼け・・・。この楽曲も、幕間に演奏されます。
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風通信198

2020/08/13(Thu)
風通信 |
 いきなりプラトンの話です。素材は『パイドロス』ね。有名な文字批判です。もちろん、プラトンの著作だけど、ソクラテスの言葉を残している。ソクラテス自身は書き言葉を残さなかった。なぜかというと、話し言葉を信じていたからです。
 もう少し、詳しく話しておこうか。
どうやら、ソクラテスもプラトンも言葉というのは、話されたり書かれたりする以前にすでに存在していると考えていたんじゃないかと思う。その言葉が表出されるベクトルが書き言葉と話し言葉です。もちろん、この二つは同じものだから、共に人々の心の中に語りかけられ、育ち、心を太らせもするし、例えば真偽不明の情報を表層にだけ垂れ流しつづけるだけで心の中に止まらないこともある。繰り返すけど、そうした正反対の要素は書き言葉にも話し言葉にもある。ただしね、ここが重要なんだけど、ソクラテスは話し言葉のベクトルの方がより前者の在り方を保持していると言っているんじゃないかと思うんだよね。プラトンは偉いところはそのことを十分認識していながら不朽の言葉として書き言葉に残した。おそらく師に対する永遠の崇敬を込めてね。
 紀元前370年頃の話だけど、ソクラテスの想念は予言めいていると思いませんか。「書かれた言葉」の生む厄難はネット社会に生きている僕らには日常的に見聞する。ネットにおける誹謗や中傷の記事は枚挙に暇がないし、増幅される不信や憎悪は目を覆うばかりだ。先日の話、青森県に東京から帰省した男性の自宅に、「こんな時期になぜ帰ってくるのか。いい年をして何を考えているのか。近所には高齢者も幼児もいるのに・・・云々」というペーパーが投げ込まれたというニュースがあった。書いた人物のやむにやまれぬ心情は一応は理解できる。そういう人もいるかもしれない。(実際にいたけどね)しかしそれを書き言葉に残し、対象たる人物の玄関先に投げ入れるという心情はどうにも理解できない。まあ、これなんかも、書き言葉の弊害なのではないかと思うわけです。あるいは想像力の問題かもしれないけどね。
 芝居の言葉は書かれたものなんだが、話し言葉を想定している書き言葉です。今回の芝居では、作家の書き下ろした台詞はいわゆる標準語じゃない。博多弁です。『タンドリーチキンの朝』も『アイランドキッチンの昼下がり』も『ロングカーディガンの夜』も、すべて。なぜ博多弁で書いたのかはあえて聞かなかった。で、書き言葉だけど話し言葉なのね。だから、言葉が自分(同時に相手)に届き、自分(同時に相手)の中で想いが成長するようになってほしいのさ。それを目指しているというか。
 ジャン・コクトーのひとり芝居『声』のアイテムは、書かれた当時珍しかった電話です。混線という状況を上手に利用した作品だ。今回の三作も、電話がキーアイテムだけど、ま、混線はないわな。電話といってもネットがらみです。語られた言葉が相手にどんなふうに届くのか、自分の中にどんなふうに響くのかが、なかなか難しい。そして同時に難しいのが、身体。もし、古代の哲学者たちが考えていたように、言葉が発せられる前に存在しているとしたら、言葉が語られるとき、身体の所作はどうなるのだろうか。そして、コロナ対策として上下(かみしも)前奥(まえおく)二間(にけん)強のステージでの動線はどうする? 役者との二人三脚が続きます。本番まで。
 ケータイといえば、必要に迫られてLINEをはじめた。設定からなにから、すべて制作部にお任せ。使ってみると案外便利なことが分かった。もっとも単純な連絡以外は使ったことがないんだけどさ。
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風通信197

2020/08/09(Sun)
風通信 |
「ウイズ・コロナ」・・・思うんだけど、違うんじゃないか。いや、確かにそういうスタンスじゃないと今の現状は乗り切れないことは分かるよ。でもさ、なんだか、この言葉には違和感が残る。君はどうですか?
 僕らは報道にしたがって「感染症」と言ってるけど、要は昔から言われている疫病や伝染病なんだよね。歴史学的に見て、それが人類の社会に与えた影響は大きい。ある文明はマラリア原虫のために衰退したし、ある軍隊は極微のコレラ菌や赤痢菌のために壊滅した。中世末期ヨーロッパをおそったペストは近代を開く陣痛となったろ? だって文明世界全体で7千万人もの死者が出れば、古い観念や宗教の権威を失わせるというパラダイムシフトが起こって当然だからね。

 と、ここまでは前説でさ。前便の続きです。

 「ライブ感」こそ演劇の醍醐味だと思う。その意味で安易なリモート演劇(あ、もちろんリモート演劇そのものが安易と言っているわけじゃない)なんて僕らは拒否すべきだろうと思う。もし、リモートで演劇を配信したいなら、照明や音響や装置や、そもそも「本」のコンテンツまで考えたものでなくちゃいけないんじゃないかねぇ。それに十分な時間と入念な設計図もなくこんな時代だからリモートで芝居を、などと発想するのが安易ということで、それでは演劇の根本を見失うことになるはずなんだ。安易さに流れてはいけない。
 
 では、どうすればいいのか? 答えはいたって簡単だ。

 考え得るかぎりの知恵を絞ってコロナと戦い、舞台を創ることだ。感染のリスクがあるなら、できる限り感染を回避できるような舞台を創る。だから、確かにコロナは存在するし、僕らはその恐怖を感じながら日々を生きているから「ウイズ」なんだろうけど、なんかさ、「ウイズ」と言われると、共に生きていこうとか、存ることを前提としてうまく付き合おうとか、そんな発想のような気がするから、違和感があるんだよな。少し分かってくれる? 僕は戦うことが大切だと思う。そこでもし倒れても、生き残った人間がきっと新しい何かを作ってくれると信じているからね。
 歴史上、どのような劣悪な環境でも悲惨な情況でも、人間はまずもって演劇から始めた。なぜなら、そこにひとりの人間がいて、彼(もしくは彼女)が言葉を発すれば、そこに芝居が現出するわけだから。ピーター・ブルックが言ってたよね、「何もない空間」です。そこで芝居がはじまる。前便でも言ったけど。
 ひとりひとりの生命は確かにかけがえのない大切なものです。でも、思うんだよな。たとえ誰かが(もちろん僕が)倒れても、誰かが新しい時代を創ってくれると。その誰かが倒れてもまた違う誰かがいる。人類はそうやって生き延びてきたんだし。新しい価値の創造、パラダイムシフトとはつまり「世代交代」の言い換えなんだから、新しい時代の演劇を創ってくれると信じられる。そう思うとね、今、僕らはコロナと戦い、ライブ感を持つ「演劇」を創ることがとても大事なことのように思えてくる。そのためにも、舞台を作り続けていくべきなんだろう。

 まっ、たまたまね、今回の舞台は「ひとり芝居」の3本立てだから? コロナ対策のいくつかは回避できそうです。偶然とは言いながら。コロナ対策を逆手にとって、バンドの在り方もよりよい見立てが出来そうだ。今週はバンド関係の打ち合わせ。バンドチームと話して、音響担当のM譲と会います。
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風通信196

2020/08/08(Sat)
風通信 |
今週は、照明を頼んでいるA君と打ち合わせをしたよ。パピヨンガーデンにあるコメダ珈琲は、具体的な客席の措置はなされていなかったけれど適度な人数だったな。客席毎のビニールシールドはあってもいいかなと思った次第。まあ、それはいいさ。
 開口一番、彼の口から出て来たのは「演劇はこんなに必要とされていないんですね」という言葉だった。この言葉だけだと意味が分からない、よね? でも、彼が言いたいのはおそらくこういうことじゃないかと思うんだ。ちょっと僕なりの注釈をしてみようか。間違ってたら、ごめんね。
 彼のいう演劇とは「ライブ感」じゃないかと思うんだな。映画やTVの芸術性は認めた上で、それでも演劇にしかないのは生身の人間が全身で舞台に立って演劇をするというライブ感だと思うんだ。図らずも、昨日の稽古でね、有定(女優です)に向かって僕は、正確には覚えていないんだけど、こんな言葉を言ったんです。「いいか、言葉は不自由なものだ。言葉では想いの何十分の一くらいしか伝えられない。だから、そのことを分かった上で演技をすること。人は全身で話していると思った方がいい。だから、君の一挙手一投足がすべて言葉。舞台でお客さんは君の全身をみている。台本は書かれた言葉だ。だけどそれを君が生きた言葉にする。言葉を身体が裏切ってはいけない」こう書くと、なんだか自分のその時の想いがうまく伝わらない気がするなぁ。稽古のときは、想いも、意味内容も成立しているはずだけれどね。まあ、こんなふうに、よくしゃべっています、稽古では。有定さん、五月蠅くてごめんね。
 役者が舞台で生身を曝して演技するというギリギリの情況は演劇でしか味わえないライブ感じゃないかと思うんだ。A君が言った言葉を僕なりの解釈すると、昨日有定に話した言葉と同期すると思うわけ。つまり、そこにひとりの人間が立っていて、「あ」と言う。次に「い」という。手の動き、足の動き、表情筋のひと筋、ひと筋が、精妙に動いて・・・、つまり身体が言葉を支えて・・・ほらぁ、もうそれだけで、芝居ははじまる。そして、その空間に共に身を置くことで生きる充実感を得る。演劇とは本来そういうものなのに、それを人は欲しがっていない。コロナのせい? そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。彼の言葉はそのジレンマの表象だったように思うのです。
 明日(あ、もう、今日か)は、稽古2本立て。「タンドリーチキンの朝」の有定千裕さんと「アイランドキッチンの昼下がり」の中山ヨシロヲさんと3人です。稽古でも蜜は避けなければならない。稽古のときいつも思うんだけど、役者は休めるけど、演出担当は休みがない。だけど、ときどき休む。ごめんね。
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風通信195

2020/08/03(Mon)
風通信 |
 ここのところのコロナ陽性者の数をみると、第2波がすでにはじまっていると思うんだけど、どうなんだろう? 重症者の割合は低いということだが、僕のように高齢者だと一概に「ああ、そうですか」と言えないことは確かですな。僕の周りは今のところ大丈夫だけど、ソフトバンクの長谷川が罹患して、昨日の試合は中止。中世の修行僧のような彼が夜の街で遊んだとはにわかには信じがたいので、何処で誰が罹患するか闇の中、かいもく分からない情況だね。

 問題は、10月の公演。なんか、本気で心配になってきたなぁ。前にも言ったように福岡県の施設なので、県のガイドラインで使用不可となったらアウトです。でも、すでに列車は動き出しているから、よほどのことがないかぎりそれを止めることは出来ない。観客席が半分になろうとも(そしてそれはほぼ確実なんだけど)、舞台は必然的にそこにあるべくしてあると考えたいんです。というかね、公演、それ自体がヴィークルとして僕らを運んでいるような感じだな、今は。横を見れば、作家の別府がいるし、心強い我が制作スタッフもいる。地味に待っててください。

 先週は、装置のN君と打合せ。コロナ対策の具体案は出していない。今週、頼りのA君と打合せの予定。何かと工夫を凝らすベテラン、稀代のアイデアマンだから妙案が出てくるんじゃないかなぁと期待しているけど・・・。なにより、コロナ対策を考えなくちゃいけないよね。また、先週はバンドチームの椎葉さんとも打合せをした。思いがけず、アレンジの方向性が定まっていて、正直ビックリした。練習場所の目安もたって、ガールズコーラスに関する人の手配なんかも話せました。今回のひとり芝居3本立ては、幕間に1950年代から60年代の楽曲をセレクトした。だから、おそらくコード進行もシンプルなはずだ。

 拠点の稽古場は、大橋の「夢あ〜る」。昼間は仕事があるので、主に夜の稽古です。僕はだいたいにおいて稽古のときは動き回りながらなんだけど、最近は1時間もすると体力が持たなくなって、つい椅子に座る。致し方ないとはいえ、情けない。でも、とりあえず頑張ってます。稽古場の経費はバカにならないんだけど、「夢あ〜る」は市の施設なのでかなりリーズナブルに設定してあって、それはそれでありがたい。一方でさらなる経費削減のために、無料で貸してくれるところを探して、ついに教育関係施設の視聴覚室をお借りすることができたんだよ。関係者の皆さまありがとうございます。

 稽古場問題は舞台関係者にとって積年の課題だな。制度として芸術文化の振興を促すシステムは少なからずあるし、多くの劇団はそれを頼りにしている面も否めない。でもなんか変な感じ。巧く言えないんだけど、ベクトルが違うような気がするんだね、僕は。たとえば、芸術振興のためにこんなことを企画したので、参加したらどうかというベクトルは、創作側にとって受身であることは免れないでしょ? 行政は所詮ゼネラリストでなくちゃ務まらない職種で、そんな行政側に頼ってどうするの? といつも思う。むしろ、スペシャリストである僕らの方から行政を動かすくらいの気概が欲しいのですね。ところが、ひとりひとりの、あるいはひとつひとつの劇団の声ではたぶん届かない。だから纏めてパワーにする。僕がかつて非営利団体を創ったとき、おぼろげながら考えたいたことは、そういうこともあったんだ。ま、主役にならない団体ね。だって、主役はあくまで芸術創造団体でしょう。その支援するなら主役になってはいけないのだから。んなことより、とりあえず、僕は稽古場が欲しいのだった。
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風通信194

2020/07/20(Mon)
風通信 |
 人の手によってこの世に存在させられたものは、すべてデザインされたものです。こと舞台に限ってみても、役者の衣装、メイク、そもそもの演技から、劇判のセレクト、ライティングのアプローチ、そして大道具や小道具などの装置まで。僕らのような零細アマチュア劇団の場合、そうはいっても、すべてが叶えられるわけじゃない。それらは「舞台の経済」と密接に関わっているんだよ。落としどころをどのあたりにするかが問われる。まあ、そういう意味では「ご都合」が大事。

 初期の僕らの舞台を支えてくれたのは、彼が高校生の時から知っている、あのA君です。思えば、随分と無理難題をふっかけてきたんだ。A君、すみません。そして、ありがとう。演出家の要望をほとんど叶えてくれた。例えば、ある芝居では舞台にどうしても本砂が欲しくて要求したところ、彼は仕込み前の夜中に、津屋崎の海岸に行って、ズタ袋十個分の砂を小屋に運び入れたことがありました。照明屋さんなのに、装置屋までやったことになります。本水もやりました。窓の外は夜の雨。窓ガラスに雨の雫がオープニングからエンディングまで流れ続けるというアイデアだった。ポンプなんかは経済的に造れないから、パネルの後ろの人形のところで鎮を重ねて、当時は若手、というか大学生だったかなぁ・・・Kさんや最近この通信に登場してくるSさんが芝居のあいだ中、如露で滴を作っていました。腕がパンパンになったと言われたような気がする。感謝です。まあ、若者だし・・・ふふ。400人くらいの人が観たと思うんだけど、しかし、そこに気づいた人はヒトケタ代でした。残念。芝居はすべてが虚構だけど、だからこそ細部に本物を仕込むことで観る人の身体の感覚にリアリティを感じさせ得ると思うんだ。嘘と分かっていながら物語に同期できるというかね。A君はそこに50番代と80番代の色を組み合わせた、それはそれは美しい明かりを作ってくれたことも覚えています。そんな明かりは現実にはない。だからもちろん嘘なんだけど、観ている人は(舞台上では)現実として認識するなのだ。・・・あ、うまく説明できていませんね。
 本業の明かりでは、別の時に、もしかしたら失礼にあたるかもという要求をしたこともある。その舞台では、全編を通して柔らかな明かりだけが欲しかった。ボーダーだけだと強すぎたし、それで、トップサスもなくし、光源が推定されないような舞台照明を作ってくれと言いました。ヤレヤレ。結論から言うと、その舞台は、客席から見えないような状態で、ステージ上の全面に厚手の半透明のビニールシートを掛けることになった。灯体の効果を見せるなということでもありますから、灯り屋としては、忸怩たる思いだったろうな、と思うばかりです。そして、今回もそのA君が照明を担当します。無理は言わないようにしよう。

 僕は舞台に建て込みをしないタイプの舞台をずっと創ってきました。用いた方法は見立てね。言ってみれば日本の旧い伝統的な舞台技術です。それにしてはアブストラクトな舞台ばかりだったけど。松羽目ほどじゃないな。ただし、自分の考えるここだけはというところは、さっきの雨のようにリアリティを心がけています。あくまで独りよがりにならないようにはしているんだけど、人にはそれぞれの物差しがあって、その尺度がなかなか難しいんだなぁ。こっぴどく扱き下ろす人もいる。あげつらうのが趣味の人もいるし、ま、それは仕方ないよね、残念だけど。僕はこれからも、死ぬまできっと建て込んだ舞台装置は作らないだろう。もう、先は長くないけどさ。今回は、三場ともマンションの一室が舞台。しかも一場と三場は同じ部屋。二十代後半の女性の部屋だけど、それらしい物は何一つ置かないつもりだ。でも、ホリゾントの幕はそのまま使ったのでは意味がない。(あ、つまり、舞台上の総てのものは必ず意味が在るモノなんです)部屋であることは、部屋だということは、お客さんに最低限伝えなくちゃならないんだ。君がたった一人のお客さんだったら、「そう思ってくれ」と言えるんだけど、そうはいかない。じゃあ、それをどの程度工夫すればいいか。もう、必死で考えるのさ。役者としての付き合いからはじまったN君や、A君との相談が始まります。絶対作りたくないのはドンクサイ舞台。うまくいくかどうか分からないけれど、そう心がけている。生き方と同じです。

 今日は、ちょっと専門的なタームがあって芝居とは無縁の君には読み辛かったかなぁ・・・。
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