ニュース・日記

ニュース・日記

風通信102

2017/06/22(Thu)
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昨日は夏至でした。
日々の仕事に追われてうっかり忘れていた。
教えてくれたのは、「歴女」ならぬ「暦女」のGF。
流されていく日常を軽やかに分節化してくれる。
二十四節季とまではいかないけれど、
季節の変わり目にはいろいろ教えてくれる。
日本にはいないはずなんだけど。

FBや、つぶやきなんたらはしないので、
外部からの連絡は、たまさかのメールくらい。
メールボックスには一週間、
まるごと空っぽということがほとんどです。あは。
携帯のコールなんて、絶望的に鳴らない。
なかなかさわやかではある。
ちなみに今月は事務処理で当方からは二度、
お役所に連絡を取ったくらい。

それだけに、暦女のメールは貴重だ。
ありがとう。

そう、昨日は夏至でした。
なかなか陽が落ちない。
はじめて東京に行った年の深まりゆく秋。
大学で5限目の授業を終えて、教室を出たら、
外は真っ暗。
ああ、「東」に来たんだと散文的な感想を持った。

閑話休題

先日、吉田健一のエッセイを読んでいたら、
胡桃をつぶしてオリーブオイルで練り合わせたらしい
食後に食するスペインのお菓子の話があった。
ちょっと美味そう。
何という名前なのかなぁ。
スペイン生活が長い暦女に聞いてみようかな。

そのエッセイには、酒を飲む時の心得があって、
「犬が寒風をさけてひなたぼっこをしているようなものだ」
という。
僕はほとんどアルコールを嗜まないけれど、
なんとなく、そういう飲み方なら悪くないと思う。
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風通信101

2017/06/07(Wed)
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昨年の6月に、若い友人が亡くなった。
ちょうど1年が経過した。

詳しいことは知らない。
今年、年賀状を出したところ、
ひと月ほどして、それを知らせる
母上からの手紙が届いたのだった。
亡くなったことさえ、知らなかったのだ。
40歳を前にしての別れ。

数年前にささやかな席で愉しく話をしたけれど、
僕の知っている18歳の時のままの、
そのときの面影がいつまでも残っている。
明るく、愛すべき天然。
やりたいことがいっぱいある、って・・・。
トルストイの小説に出てくる
永遠に真っ直ぐな農道を走り続けて、
そのまま帰って来なかったように。

いつでも、悔いは残るのだ。
もっと、会っていればよかっただの、
言葉を伝えていればよかっただの。

いつでも思うことだが、
自分が年齢を重ねていて、そしてある時、
若い人が亡くなったと聞くと、
ただただ言葉を失う。
悲しいという言葉は想いを表すには足りないのです。
でも、きっと無理に言葉にしてはいけないのだ。
言葉にならないままのものを
静かにじっと胸に抱いている方がいい。

美しい字を書く子だった。
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風通信100

2017/06/05(Mon)
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先日、キャナルシティのMUJIに行った。

NPO法人エフパップの理事長時代は、場所柄、
週2回は普通に行ってたのに、最近はとんとご無沙汰で。

キャナルのMUJIは2フロア仕様。
3Fにはまるで本屋みたいに沢山の厳選された本がある。
今ハヤリの「こだわりの書店」みたいな感じ。
最近は、ほとんどネットで本を購入するので、
本やそのものに行くことはまずないから、
本棚を眺めて、
気になった著者やタイトルを目で追っていくという、
あの空気は久しぶりだった。

アラン・ロブ=グリエや、ルイ=フェルディナン・セリーヌ、
そしてレイ・ブラッドベリの横にガルシア・マルケス、
ホルヘ・ルイス・ボルヘスが並んでいて、
なぜかチャールズ・ブコウスキーの最晩年のエッセイがある。
そういえば、サン・テグジュペリもあった。
そんな本棚。
僕に残された時間はそんなに多くはないので、
この中で何冊読めるだろうかとふと、考えてしまった。
最近は小説をほとんど読まない。
きっと体力が落ちたんだと思います。

はじめて読んだ外国の小説は何だったろう・・・。
と考えて、そして思い出しました。

僕の初恋は、中学1年生の夏。
ジュラ紀か白亜紀みたいに遠い昔の話だなぁ。
相手は、村上キヌ子さんという女の子で、
当時同じ中学校の2年生だった。

僕は徒歩通学だったのだが、彼女はバス通学。
水色の夏用のセーラー服を着て、バス停にいた。
一瞬で見ている風景が変わったのを覚えている。
それは、かなり理不尽。
アイルランド出身の女優モーリン・オハラみたいでした。
そのころ、僕は父親と一緒に毎週日曜洋画劇場を見ていて、
『我が谷は緑なりき』などの
ジョン・フォードの映画に出てくる彼女は
世界一美しい人だなと思ってたから、そっくりに見えたんだと思う。
色が白くて、髪が豊かで。
でも、ちっとも似ていなかったようにも思う。

人は記憶を捏造するし、書き換えをする動物だから、
自分なりに合理化を図ったのかもしれない。

ある日、たまたま図書館で手に取った本の貸し出しカードに、
彼女の名前を発見した時は、狂喜した(ように思う)
今の人は分からないだろうが、
昔は本の一冊一冊に貸し出しカードが付いていて、
誰が借りたか分かるシステムだったんです。

その本はアーネスト・ヘミングウェイの『武器よさらば』だった。
もちろん、僕はその本を借りて、すぐに読みましたよ。
残念ながら物語の粗筋くらいしか分からなかったなぁ。
先に読んだ彼女もきっと分からなかったのではないかと思う。
地方都市の中学生が
第一次大戦の惨めなイタリア戦線を知るはずもなく、
ある意味でのハードボイルドなドラマは
「理解」を超えた作品だったんじゃないだろうか。
でも、おそらく中学生の読書とはそういうものだろうし、
それがある意味ではあり得るべき姿なのかもしれない。
中身の分かる本がすべてではないのだから。
最後まで読めるのなら、分かろうと分かるまいと
その本(小説)の持つ魔力を知ったということなのだ。
まあ、最後まで読まないとあの物語の良さは分からんよねぇ。

村上さんは、私立の女子校に進学し、ブラスバンド部に入った。
一度、聴きに行った記憶がある。
そして、ついに最後まで言葉を交わすことはなかった。
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風通信99

2017/06/01(Thu)
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六月になりました。早いものだ。
ほとんど今年の半分が過ぎ去ろうとしています。

谷川俊太郎に「六月のうた」という作品がある。

あの日もあなたを好きだったのに
あんなに哀しかったあの日

あの日も私は私だったのに
あんなに苦しかったあの日

で始まり、

人気のない公園で
いつまでもぶらんこに座っていたあの日
アルバムにないあの日
日記につけられなかったあの日

と続きます。

冒頭の二連はそれぞれ二行構成。
シンタクス上、二つの意味内容が、
「のに」という逆説関係で連接している。
ところが、この逆説関係は、
順接関係でも表現することができると思うのです。

失礼を承知で、書き記すと、

あの日もあなたを好きだった から
あんなに哀しかったあの日

あの日も私は私だった から
あんなに苦しかったあの日

となります。

人を好きになるということは、
たぶん、哀しみを引き受けることになる。
そんな気がします。
私が私であり続けるかぎり、
それはやはり、かなり苦しいことではないでしょうか。
自分は大事だけれど、
自分が自分であるためには、
他者との繋がりがどうしても必要になる。
というかさ、
他者がいるからこそ自分がある。
そんな気がしている。
俺は俺で好きに生きるぜ、というのは格好いいけれど、
ずいぶんお気楽なスタンス。

僕なんか、
誰かにこの身を預けることが出来るなら、
それはそれで幸せのような気もするのです。
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風通信98

2017/05/28(Sun)
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先日、たまたまなんだけれど、
NHK:FMの「夜のプレイリスト」(再)を聴いた。
その日のプログラムはBEATLESの“A Hard Day's Night”だった。
久しぶりだった。

僕の車は、
ウーハーが5個、ツイターを含めると、
合計9個のスピーカーが装着してあるので、
フルボリュームにはできないけれど、
それなりに、音量を上げる。
そして、あの冒頭のFadd9のコードだけで、
僕はいちどに天空へ持っていかれました。

本当に、久しぶりだったし。

僕が持っていた“A Hard Day's Night”は
まだオデオン版で、赤い透明なレコード盤だった。
叔父のところで、はじめてこのアルバムを聴いた。
たぶん12歳だったと思う。子供だったし、
特別な感想や、言葉を持ったはずもない。
ただ、何度でも聴きたかった。
繰り返し繰り返し、聴きましたね。
あれほど聴いたレコードはないなぁ。

「集団的記憶」というのがある。
1960年代のポピュラーミュージックを語るとき、
多くの人が「ビートルズは誰でも聴いていたよねぇ」
としたり顔で言う、あれです。
でも、実は誰もがビートルズを聴いていたわけではない。
多くの人はただのうるさい音楽と認識していたし、
失神まがいの女の子は
まともにビートルズの音楽を聴いてはいなかっただろう。
この「集団的記憶」については、
いろいろ思うこともあるが、それは別の機会に。

ともあれ、
通っていた中学校でも、ビートルズの話が出来るのは、
数人しかいなかったように記憶している。
その中の一人がM君だった。
昨年公開されたドキュメンタリー映画のタイトルは
『EIGHT DAYS A WEEK 』だったけれど、
ある土曜日の昼下がり、音楽室に向かう階段で、
M君がアフタービートでハンドクラップしながら、
この曲を歌っていて、いや、実にかっこいい、
と、当時の僕は思った。

ご多分にもれずというか、遠からず
僕らもビートルズのコピーをすることになるのだが、
そんなある日のM君の家でのこと。
たしか、“I’ll Be Back”だったと思うが、
2〜3度、レコードに針を落とした後、
冒頭の何小節かを彼はほとんどそのままコピーできた。
僕は今まで数え切れないほどの挫折感を味わってきたが、
その初期のひとつとしてあの時のことは今でも忘れない。
言うまでもないことだけれど、
才能というものはあるんですよね、間違いなく。
ただ、人にはそれなりの役割というものはあって、
僕の役割は、歌詞の日本語訳。
基礎英語しか知らない中学生が辞書を片手に、
必死で意味を探っていた。
副産物はね、
英語の成績が素晴らしく上がったことです。

M君は、高校に進学して、
天神にある『照和』という音楽喫茶で、
どういう形でしらないけれども
出演していたみたいだ。
そして、その後「○○バンド」のドラマーとして
全国デビューを果たす。そして、
このバンドは、今でいう、大ブレークした。
「チューリップ」の次の世代になるのかなぁ、
福岡は日本のリバプールと言われたことも懐かしい。

「○○バンド」デビュー前のこと。
彼らは今は懐かしい渋谷の“ジャンジャン”で
ビートルズがその初期にキャバーン・クラブでしたように
ライブ演奏をしていた。
大学生として在京していた僕も何度か見に行った。
ある時、リーダーの○○さんがMCで、
「Mはドラムのスティックを寝る時以外は外さない」
と言ったんですね。
僕は楽屋に行って「なんでギター弾かんで、ドラム?」
と訊いたように思う。彼曰く、「俺よりギターうまい奴がおるけん」
ああ、これがプロなのね、僕は深く納得したのです。
そして、同時に、
プロとは寝る時以外は自分の専門を極め続けるもんだ、とも。
我ながら、初々しい。

僕は、現在もまあ、どちらかというと
専門職として仕事をしているわけだが、
プロとはどうあるべきかをこのとき知ったような気がする。

19か20歳頃に手に入れた感慨は、生涯を支配する。
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風通信97

2017/05/19(Fri)
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風通信は、今回が97回目になる。
前回の96回は、一度アップした後、
およそ半分以上削除した。
まあ、要するに気に入らなかったわけだが、
改めて、文章を書くという意味について考える
いい機会になった。

なぜ削除したかというと、
書いているうちに、自分の想いと
書いてある内容がだんだん離れて行く感じがしたからだ。
もちろん、言葉というものは、
未知の自分に巡り会うためという一面もあるのだから、
自分でも思いがけない展開になることはあるし、
われながら、そうだったの? と気付く事柄もある。
だから、予想外のフィールドを手に入れても問題はない。
ないどころか、それは望むところではある。

でも、自分の中で、これは違うよな、
というか、こういうことは書きたくないよな、
と思うこともあって、
それが、自分の想いから離れて行く感じなんです。

97回で言えば、
僕は、「寒いからこそ暖かい」ということを
落としどころかなと考えていた。
たとえば表層的な価値観を信じるべきじゃない、
くらいの哲理は考えていたかもしれない。
悲しいとだけ言えば事足りるのではなく、
悲しみを客体化する操作も必要なのさ、
くらいのことは考えていたのかもしれない。

97回で「そんな夢を見た」と書いたけれど、
夢であろうが、現実であろうが、
極端に言えば、嘘であろうと現実であろうと、
どっちでもいいんですね、僕としては。
かりに本当にあったことだとしても、
過ぎ去ったこの冬のことかもしれないし、
30年も前のある一夜の事実かもしれない。
あるいは、本当に夢だったかもしれないし、
僕のよこしまな妄想に近いのかもしれない。
まあ、どうでもいいわけだ。
どうでもよくないのは、僕が何らかの形で、
あの状況、あるいはシーンを
文章に書いて残したいという想いを持ったということ。
それだけ。
僕は書き残したかったんですね、
自分自身のために。
あんなことがあればいいなかぁと密かに思ったのか、
表層的な価値観に囚われる是非を
ひとつのシチュエーションを通じて表現したかったのか。
よくわからないけれど。

でも、ああ、あの時のことね、と
思う一人の人がいるかもしれないですね。ふふ。
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風通信96

2017/05/14(Sun)
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寒い夜だった。
更地に造られた臨時の駐車場まで歩く。
オレンジ色の街灯。
信号待ち。
駐車場の入口には、
防寒ジャンパーに身を包んだ
警備員の黒い影が見える。
僕はポケットに手を入れて、
いくぶんか前屈みに歩く。
後ろを歩いていた彼女が、
やさしい子猫のように
スッと僕の腕に腕を絡ませた。
オレンジ色の街灯。
二人で、
小さな砂利をザクザクッと音を立てて歩く。
寒いはずなのに、
彼女の温もりが脇腹あたりに
ゆっくりと伝わる。
暖かな感触。
寒い夜だから。

そんな夢を見た。

日常の隣に非日常があって、
なんだか、その双方を行ったり来たりの生活。
このところ、ずっとそうだったなぁ。
一冊の本も読めず、一本の映画も観なかった。
でも、どうにか先が見えた来たような気がする。
ヤレヤレです。



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風通信95

2017/04/29(Sat)
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昔、伯母の入院先に見舞いに行ったことがある。
どうしてそういう話になったのか、
覚えていないのだけれど、
なぜか僕を産んだ母の話になった。
・・・はじめて挨拶に来た時はねぇ、まあ、驚いた人でねぇ、
普通の人が着そうもない、びっくりするような着物で、
髪もそりゃ綺麗に結い上げてねぇ。
芸事が好きで、三味線、特に踊りは大好きだったねぇ。
あんたの芝居好きは、親譲りで、血は争えんということよ。
そういう伯母も、目鼻立ちもすっきりした派手め、
若い頃は福岡でもかなりの美人にカテゴライズされたようで、
玄洋社の進藤一馬なんかにも可愛がられた人であったらしい。
そういう伯母を驚かせたんだから、相当なものだろうと思う。
ついには芸者として身を立て熱海まで流れていった。
我ながら信じられないのだが、僕も学齢前は
股旅物の歌謡曲に合わせて踊らされていた記憶がある。

一方、縁があって父と結婚した育ててくれた母親は、
およそ芸事なんか愉しむことすらなかった法曹関係の家の出だった。
叔父は、若い頃、同窓だった丸山豊なんかと一緒に
詩誌に詩を残していたらしい。
当時の青年が読んでいた教養が本棚にたくさんあり、
中学生の頃に借りてきてはよく読んだ記憶がある。
統計的にどうなのかは分からないが、
昔は夫婦が離婚した場合、
親権は父親が持つことが多かったように思う。
今よりもずっと親戚の互助システムが完備していたというか、
子沢山の親戚が一人くらい増えても
ということで預かってくれることが多かったのだろうと思う。
たぶん見合いによる縁組みが整っていたせいか、
恋愛の果ての結婚というより、結婚がまずあって、
それから夫婦ならではの慎ましい愛情が育ったのではないかなぁ。
僕の場合は、わりとその典型的な例で、
海事従事者だった父の姉のところに短い期間、預けられ、
その後、二人目の母親の元で成長することになった。
こうして僕は対馬で生まれて、そして福岡で育っていった。

こんなふうに書くと、なんだかドラマが生まれそうだが、
心の井戸を掘り進めば、
多かれ少なかれ誰だってそれぞれのドラマがある。
ドラマのシナリオは人の数だけあるはずだからね。
なにも特別なことはない。

今日は、
木々の陰が揺れる爽やかな風の吹く日だった。
溢れる光の中を草をなびかせて風が渡る日。
一年でいちばん好きな季節のそんな風を感じながら。

二人目の母親のカサカサと音を立てる白い骨を
大きな竹の箸でつまんで壺に入れながら、
亡くなった父親との遠い日の約束を
どうやら果たせたようだと思っていた。
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風通信94

2017/04/26(Wed)
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村上春樹の最新作『騎士団長殺し』の中で、
印象深く繰り返されているパッセージがある。
それは、「時間」にまつわるものです。
たとえば、
「あなたはものごとを納得するのに、
 普通の人より時間のかかるタイプのようだ。でも、
 長い目で見れば、たぶん時間はあなたの側についてくれる」とか、
「時間が与えてくれるものもある。
 時間を味方につけることが大事な仕事になる」とか、
「〜やがては薄らいで消えてしまう。しかし記憶は残る。
 記憶は時間を温めることが出来る」など、です。

『職業としての小説家』という昨年発売されたエッセイ集の中でも、
「時間を自分の味方につけるには、
 ある程度自分の意思で時間をコントロールできるように
 ならなくてはならない、というのが僕の持論です」とある。

村上春樹は哲学者じゃないので、
現象学的な「時間論」を披瀝したわけではないだろう。
おそらくここから読み取れることは、
時間に耐える力を身につけなくちゃならない
ということなのではないだろうかと思います。
韓国には「黒白論」という思想があるそうで、
とにもかくにも黒か、白かに
振り子が大きく揺れる傾向があるそうな。
時間に耐えるという思想は、それとは正反対の思想で、
振り子の揺れをじっと見つめ続けるということだろう。

それにしても、不思議ですね。
今、僕の前には生まれたばかりの赤ん坊がいるとする。
同時に死に逝く老人がいるとする。
そして、それをじっと見つめる僕がいるとする。
ジャネーの法則からすれば、その長さはまったく違う。
同じ時間を生きているんだけれどね。共通するのは、
その連続する時間の延長にある明日は未定だということ。

一時期はやった言葉に
「想定内」という、いかにも賢しらな言葉がある。
あれは嫌な言葉だったなぁ。
先に結論があるんじゃなくて、揺れ動く時間の中で、
ボクシングの軽量級世界チャンピオンのような
軽やかなフットワークを以て、
次の時間を生きるというのが大事なんじゃないかと思うのです。
だって、わかんないもん、明日のことは。
こんなことをいうと、
「君ィ、それは無節操で無計画で、およそ建設的じゃない」
と、必ず言う、恐ろしくきまじめな
頭の悪い教師みたいな人がいるけれどね。
たしかにそれはそうかもしれないですねと僕はきっと言うだろうし、
むげに否定はしないけれど、
じゃあ、節操があり、計画的で、建設的であることが、
そんなに素晴らしいことなの? と心の中でつい思ってしまう。

今日とは違う明日をしっかり生きる力があれば、
とりあえずいいんじゃないかと思う。
その中で緩やかに一貫した想いが流れていればいいんだし。
時間の重さに耐える力があれば、それは可能だろうし。
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風通信93

2017/04/16(Sun)
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福岡の桜もどうやら終わりのようだ。
今日の室見川河畔公園の桜は、七分葉桜になって、
その花の下を人々がゆっくりと歩いていた。

例年、この季節に届く桜便りがある。
長いつきあいのガールフレンドからです。
今年は、夜桜の画像が添付してあった。
染井吉野じゃなく、
ぼってりと重い八重桜。

「年年歳歳花相似たり」ですね。
もちろん、この句の眼目は、その後の
「歳歳年年人同じからず」だけど。

たしかに、人の世は変化する。
世も変われば、人も変わる。
息をのむような素晴らしい恋も、
深い闇の中で行き惑う恋も、
いつか時間の中に消えていきます。

ものごとには潮時というものがあるような気がする。
その時は一度失われてしまえば、たいていの場合、
二度とやってくることはないというのが、
ささやかな僕の人生の教訓です。
谷川俊太郎が唄ったように、人は言葉を持っているから、
あの時、こうすればよかったとか、つい思ってしまう。
でも、失われた時は二度と帰っては来ない。
3月の悲しい犬なら、
海に向かって、ただ遠く吠えるだけ、
そうすることで、哀しみに耐えるんですね。
言葉で自らを騙したり、慰めたりはしない。

今年も春が逝く。
また来む春と、人は云う。
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風通信92

2017/04/09(Sun)
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新聞を取らなくなってずいぶん経つ。
生まれた時から近年までずっと「朝日」を取っていたのだが、
ある時、もう読まなくてもいいかなと忽然と思った次第。
今の日本にジャーナリズムは存在しないような気がしている。
統制こそないけれど、
だんだん1945年より前の時代にさかのぼっているような気もするし。
僕はまた、ほとんどテレビを見ない。
たまさかのドキュメンタリーと、ローカルニュースくらいは見ます。
全国版のニュースは、
ちょっとばかり偏向しているような印象があるなぁ。
それに比べてローカルニュースは、
どっかの小学校の給食の話とか、地域のイベントの話題とか。
だから、人々のささやかな営みが映し出されるリアル感が心地よい。
その一方で、日本のドラマはここ20年近くほとんど見たことがない。
まず内容が透けて見えるし、台詞も予想の域を出ないことが多いのだ。
その点、欧米のドラマは違います。特に、ヨーロッパのドラマ。

最近終了した、NHKの『刑事フォイル』は珍しくすべて観た。
制作にも関わっていたアンソニー・ホロビッツが
ほとんどの脚本を書いていて、
いかにもイギリスの作家らしい彼の(脚)本は好きだったから、
飽きることなく見続けた。シニカルで、
つまり(と言っていいかどうか分からないのだけれど)現実主義、
声を荒げる場面もなければ、説教臭くもなく、
むやみに涙腺を緩めるようなエモーショナルなシーンもない。
冷静で紳士的、もちろん、さりげないユーモアはそこかしこに。

ピーター・シェーファー、アラン・エイクボーン、
少し硬派になるが、トム・ストッパードなど、
イギリスには優れた劇作家がたくさんいて、学ぶところは多い。
あ、アントンクルーで初演したパトリック・マーバーもいましたね。
もちろん、優れた小説家がそうであるように、
優れた劇作家は世界中に散在しているんだけど、
僕の趣味に合うのは、ほとんどイギリスの劇作家の作品になる。
有名どころは、上演権が高くて、
小屋で掛けることは難しいのが難点だけれど。

『刑事フォイル』は、イギリス南東部の港町ヘイスティングスでの物語で、
ジャンルとしてはミステリー・ドラマなのだが、
面白さを感じたのは、むしろ戦争中のイギリス地方都市の生活だった。
前回放送のシリーズから始まって、
今回のシリーズの最終回『警報解除』で第2次世界大戦が終わる。
作品は丁寧に造られている印象があり、制作費がかなりかかったと思われる。
戦争という状況がもたらすものは、
イギリスでも日本でも、要するにどこの国でも変わらない。
僕らが想像力を挟み込む余地がないほど現実的だ。
戦時下の圧倒的な狂気に翻弄される人々が
死の恐怖に襲われつつ、それでも日々淡々と過ごし、
ときには愚かしく、ときには賢明に生きていく姿が描かれます。

ところで、イギリスには、
劇作家兼、演出家兼、作曲家兼、俳優というマルチな才能を持つ、
ノエル・カワードという人物がいた。1899年生まれだから、
大戦中は脂の乗りきった40代だった。
ウエルメイドなその作品は好みではないのだが、
(三谷幸喜をソフィスケートした感じと思ってもらえればいいです)
アメリカにおけるジャズ・エイジな人々に近い。
たとえば、タートルネックのセーターも
彼が舞台で着たのが流行のはしりだったというのだから、
おしゃれ感覚は一流です。
当然のことながら、第2次世界大戦中も、我関せずで生きていた。
というより、戦争に背を向けたらしい。
そのため、「非国民」というレッテルを張られ、批判された。
そのとき、当時の首相ウインストン・チャーチルは、
まあ友人だったとはいえ、
「あんなやつ、戦場に行っても役に立たない。
 一人ぐらい恋だ愛だと歌っているやつがいてもいい」
と弁護したそうだ。

このあたりの感覚が、彼の国と本邦との違いかと。
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風通信91

2017/04/02(Sun)
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今日の夕暮れは美しかった。
陽が山際に隠れた後、空には青みが残っていて、
いくつかの雲の塊が西から東へ流れていた。
室見川河畔のベンチの上。
暮れなずむ空が広い。

こんなとき、僕は『古今和歌集』の歌を思い出す。

夕暮れは雲のはたてにものぞ思ふあまつ空なる人を恋ふとて

歌意は、
夕暮れになると、流れる雲を眺めてしまう。
そして、何気なく心に浮かぶのはあの人のこと。
この空遠く、届かないところにいる、恋しいあの人・・・。

ぐらいでしょうか。

そのまま、ぼんやりしていた。
夜の闇が降りてくる。
空港から飛び立った航空機の夜間灯が
東の空を移動してゆく。
なんか、遠くに行きたいなぁ、と思う。

むかし、萩原朔太郎は、
「フランスに行きたしと思えども、
       フランスはあまりに遠し」
と歌いましたね。

僕は、あの航空機に乗れば、
東京に行けるんだよね、きっと、と思う。

サイモンカーターの
小さなボストンバッグひとつだけ持って、
いろんなことを全部忘れて。

さて、
明日から、新年度が始まる。
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風通信90

2017/04/02(Sun)
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最近は、語られることが少なくなったけれど、
昨日4月1日はエイプリル・フールだった。
その起源って、なんなのかなぁ。
たぶん、西洋発だから、
やっぱりキリスト教に関係しているのだろうか。

小さな、罪のない嘘をつきましたか?

嘘をつくことは、あまり正しい行為とは認定されない。
僕はモラリストではないから、
とりあえずだけど、自分のなした事柄のせいで、
悲しむ人がいなければ、あるいは、
そのことで他者に迷惑がかからなければ、
たいていのことはほどほどに結果オーライの人間だ。
だからだろうか、次のようなことを考えてしまいます。
たぶん、人は、
正しいことばかりをして生きているわけじゃない。
時には、正しくないことをしないことには、
世界がうまく見えてこないこともある、と。
僕だって、いくつも正しくないことをしてきた、間違いなくね。
でも、そうしないわけにはいかなかったと思う。
そのいくつかは、
すでに時間の暗闇の向こう側に消えている。
そのことで、ときどき、
ひとり胸を痛めることもあります。でも、
そして、それが、(たぶんだけど)人間なんだとも思うのです。
これは言い訳でも、開き直りでも、自己卑下でも、韜晦でもない。

とはいうものの、人生というものは、
負けるに決まっているゲームを戦っているようなものだから、
とりあえず、生きていくことが大事なんじゃないかなぁ。
いい空気を吸って、美味しいものを食べて、身体を動かして、
服を買って、ときどきは遠いところに行って、
明るく前向きに考えることだ。
だいたい、人生というものはシリアスに生成されるものだから、
考え過ぎちゃうとロクなことはないんだよね。
アーネスト・ヘミングウェイは、
「優れた投手は、スコア・ボードを見て配給を考えない」
と言ったと聞いたことがある。
たぶん、そういうことだろうと思う。

『武玉川』だったと思うけれど、
「うそがきらひで顔がさびしい」
という句がある。
これも近くないですか?

「嘘」で、思うんだけど、そして唐突だけど、
戦後民主主義は、幻想に過ぎない。(唐突ですねぇ)
だけど、たぶん誰だってそう思ってきたんじゃないかと思う。
素朴にそれを信じて来たのは、真面目で、
少しばかり愚かな、ひとにぎりの教師たち。だから、
彼らは生徒に民主主義の素晴らしさを教室で伝えました。
でも、そのシステムそのものは虚構なんです、きっと。
民主主義ってそんなに素晴らしいものじゃない。
今の政治状況を見ただけでもそれが分かる。
ただ、戦後民主主義を支えた来た人々は、
虚構、あるいは幻想と知りながら、
それに命を懸けてきたのではないかと思うのです。
1945年から1970年代の終わりくらいまで、
社会の中核にいたのは戦争を知っている人たちなわけでしょ?
極限状態の中で、人がどれほどエゴイストになるものか、
指揮官が責任を取らなければどれほどの災禍を人にもたらすか、
戦場や、空襲で家族や恋人や友達をどれほど失ったか。
自分自身でさえも、
心ならずも戦場で人を殺した経験があったかもしれない。
そういう人々が、とりあえず、
それが虚構だと認識していていながも、
後に続く世代には同じ思いをさせたくないという
強い意志が作り出した幻想なのではないかなぁ。
言わば、強烈なリアリズムが造型した幻想ですね。
このところ、その幻想が潰えようとしている。
ゆっくりと時間をかけて、明るい瞳で新しい言葉が語られる。

先日、ある学者がインタビューに答えて言っていた。
「戦前と同じだって言ってますが、なにより時代が違うんですから」
彼はたぶん、間違っている。
時代は違っても人の心は変わらないということを知らない。
表紙は違っても心してページをめくると中身は同じだって。
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風通信89

2017/03/30(Thu)
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過日、劇団の東、栃原と共に
我が畏友、劇団創立メンバーの岩井眞實と一献。
時間を忘れての歓談だった。

岩井は息女と一緒に帰宅するため西鉄電車に、
東はバス。栃原は地下鉄。僕は都市高速経由のバス。
天神の一角で時間の粒が四人の頭上から落ちてきて、
一次会でサクッと、四方にバラバラに別れました。

もっとも、芝居の話はほとんどなく、
過去の話もほとんどなく、
石を投げれば当たるようなミドル・エイジの話。
親の介護、親しき者の近況、自らの身体状況などなどなど。
栃原は解散後大病し、東も手術。
僕は投薬が欠かせず、健康なのは岩井くらいか。
ヤレヤレである。
その岩井は、遠距離通勤で本が読めると喜んでいた。
年齢を重ねての遠距離通勤は深いところで身体を蝕むので、
気をつけなければならない。
栃原も、大病後にもかかわらず(まあ完璧に回復とはいえ)、
勤務先では重要なポストにいるので心配だ。
一応、年嵩が一番なので、心配するフリをする。
ヤレヤレである。

雨の夜の品定めではないが、
昔はそれでも女性談義に花が咲いたものだったが。
劇団で一番モテたのは岩井で、
こっそりとモテたのが栃原。
東そこそこ。僕はと言えば女性からおぼえめだたきことはなし。
芝居が良ければ、役者が褒められ、
芝居が悪ければ、演出が貶される。
演出家というのは宿命的にそういうものですから、
まあ、モテないのは致し方なく・・・
・・・んなことはどうでもいいけど。

村上春樹って、
レイモンド・チャンドラーの影響を受けてますよね?
岩井が訊く。あら、ま、碩学岩井としたことがである。
そりゃ、あーた、
犬の存在しないところに、犬小屋は存在しないみたいなもんでさ。
それから、チャンドラーと言えば、清水俊二となり、
彼が『天助桟敷の人々』を担当していた時に残した
ジャン・ルイ・バロー登場のシーンの傑作字幕の話。
また、チャンドラーがハリウッドでシナリオを書いていて・・・
で、『カサブランカ』の珠玉の台詞に話題が移り、ここで、
あれほど覚えていた台詞のいくつかが出てこないんですね。
ああ、ヤレヤレ。
ともあれ、愉しいひととき。ね、時間を忘れるでしょ?
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風通信88

2017/03/27(Mon)
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この一ヶ月、わりと頻繁に日記を更新し続けた。
飽きっぽい僕としては、珍しいことだった。
今さら日記を書きはじめたのにはそれ相当の理由がありそうだが、
実はそれほどのさしたる理由があるわけではない。
劇団の解散時に、スヌーピーのグッズをくれた女の子に
今年になって早々に会うことがあって、彼女が
「風通信」を楽しみにしてたので、再開をと言ってくれたこと。
それと、ベガとアルタイルみたいに遠く離れたガールフレンドへ、
手紙やメールを送る代わりの心算だった。
それと、やっぱり文章修行ですね。しかし、
考えてみたら、この年でいまさら、文章修行もないけれど、
文章というのは、人の生き方と同じで、
経験を積み、知識を蓄積し、試行錯誤を経て、
はじめて身につくわけだし、だからこそ
これで完成という終わりはないわけだしさ。
劇団は解散して一年、HP自体も閉鎖すべきなんだろけど、
矢野がもう少し残しときましょう、ということだったしさ。

解散前はパンフや、日記で必要に応じて文章を書くこともあった。
その時々に、劇団員からの感想があったのだけれど、
その機会もなくなって、
ちょっとそれはどうかな、という感じだったのです。
言葉を綴るということは、
言うまでもなく世界を分節化することだから、
文章を書かないということ、つまり言葉を残さないということは、
僕自身としては退化しているような気もしていたんです。

ところが、ここで思いがけない心境に立ち至った。

ローマン・ヤコブソンが『一般言語学』の中で、
興味深いエピソードを採録しているという。
曰く「新婚夫婦の会話」。分かりますよね?
夫「やっと着いたね」
妻「着いたわね」
夫「いい風景だ」
妻「ほんと、いい風景」
夫「気持ちがいいな」
妻「ええ、すごく気持ちがいい」
このコミュニケーションは情報交換ではない。
ここにあなたからのメッセージを一言も聞き漏らさず、
ちゃんと受け止めている人がいるということです。
この交換的なメッセージはかなり重要だろうと思う。

僕が日記を書いているのは、
ただただ、日記の文章をバケツに細々と垂れ流しているような、
そんなものではないだろうかと感じがしてきたのだ。
つまり、スヌーピーの彼女みたいに、
いくたりかの人は読んでいるだろうけれど、
受け止めている人は皆無ではないかと思い至ったのです。
まあね、コツコツと文章修行しているわけだから、
書くこと、そこで満足すべきなんだろうけれど。
その文章力は一向に進歩しないし、そもそも文章が下手。
あ、「しもて」じゃなく、「へた」です(笑)

舞台なら、目の前に熱を持った人がいる。
どっかで演出家を募集してないかなぁ。
ヤレヤレ。
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風通信87

2017/03/24(Fri)
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ミュージカルよりは、オペラの方が好きなのだが、
ミュージカル映画は、いくつか見ている。
『アマデウス』は別格として、
中でも『サウンド・オブ・ミュージック』は、何度か見ましたね。
空からカメラが降りてきて、
高原のジュリー・アンドリュースに定まるオープニング。
アルプスを越えて空にカメラが帰るエンディングまで、
間断なくドラマは進行する。
ロジャースとハマースタインのコンビによる最後の作品だが、
その中に、『My Favorite Things』という曲がある。

想い出深い曲だ。

大学生のある時期、ほんとにお金がなくて、
舗装されていない脇道で空き瓶(ビール瓶)を拾って、
それを丁寧に流しで洗い、
酒屋に売りに行くことが何度かあった。
たしか10円っでしたね。
冬の寒い日なんかは下宿の周りを2、30分も歩けば、
4〜5本は落ちていたものだ。
下宿屋の共同流しの水が冷たかったのを覚えている。
私鉄の二駅くらいは当時100円以内で乗車できたから、
何枚かの10円玉を握って、よく友達の下宿に転がり込んだものだ。

中野坂上に住んでいたのが、永留俊一という男で、
大学を卒業した後、地元のラジオ局に就職した。
彼にはお世話になりました。ありがとう。

当時は、まだ大学紛争の余波がそこかしこに残っていた時期で、
彼の通っていた大学もロックアウトが続いていた。
しかし、永留君はアルバイトもせずに、
多くの時間を自分の下宿で過ごしていたように思う。
そして、音楽ばかり聴いていた。
別段、彼が裕福な家庭に育ったというわけではない。
そうでない学生もいただろうが、僕の周りは、あの頃は、
みんな一様に貧しかったのです。
だから、転がり込むにはいい条件だった。
ダントンだかロベスピエールだかみたいに、
弁舌を奮うラディカルな革命思想で、
世の中にある欺瞞や不正を糺す議論をしていたわけではなく、
ひたすら麻雀ばかりしていたわけだが、ある時、永留君が
「こういうの、聴いたことある?」と言いながら、
DISC・UNIONの赤と黒のビニールパッケージから、
一枚のレコードを取り出した。それが、
ジョン・コルトレーンの『My Favorite Things』だった。
もっとも、そのレコードは北欧のどこか(スウェーデンだったか)の、
ライブ(おそらくブートレク)盤で、
片面の25分のすべてが、この曲だった。
マッコイ・タイナーのピアノが導入する。
すぐに、コルトレーンの奇跡的に美しいソロが始まる。
ソプラノ・サックスという楽器を知ったのも初めてだったなぁ。
繰り返し、繰り返し、何度聞いたかわからない。
ともあれ、圧倒的な出会いだった。

このときから、僕のジャズは始まる。

たぶん、いろんな事柄が身につくのは、
お金がなくて、時間がたっぷりある頃なのだと思う。
あるいは・・・
・・・木星の岸辺にでも漂着したような、
たとえようもない寂しさの中でとかね。
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風通信86

2017/03/20(Mon)
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映画の話をもう一回だけしよう。
といっても、前回の反省で、
映画そのものに言及するわけじゃない。
タイトルについてです。

“Catch Me If You Can”
邦題は『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』
まんまですね。
作品自体は、僕としては可もなく不可もなし。
レオナルド・ディカプリオが
年齢的にちょっと無理があったかなとは思ったけれど、
それなりに楽しめた作品だった。

アメリカ映画にときどき登場するエンターテイメント系詐欺映画。
もっとも、これは実話らしい。
次から次へと網を逃れる犯人をFBIが威信をかけて追うという話だから、
原題はなるほどそうだろうと思う。
それをそのまんまカタカナにしたところがねぇ。
これという代替案の知恵も浮かばないから、
実はなんとも言いようがなく、言う資格もないんだけど、
どうも、
日本語の力が失われつつあることの例証のような気がして。

なんとかならんかったのかなぁ(笑)

もともと映画のタイトルは、邦題にするに当たって、
そのまま翻訳することが多かったのは確かだ。
“City Lights”を『街の灯』としたように。
でも、『都市の光』じゃなく、あくまで詩的。
だから、上記の作品の場合、致し方なかったかもしれないけれど、
フレッド・ジンネマンの名作、“A Man for All Seasons”を
『マン・フォー・オール・シーズンズ』とはしないはずだ。
ちなみにこの作品は『わが命つきるとも』が邦題。格調高いですね。
行き過ぎなのは“Love in the Afternoon”かなぁ。
どのように邦題を付けます?
当時の配給会社が付けたのが『昼下がりの情事』(笑)
おいおい、これじゃ、今は懐かしい日活ロマンポルノじゃないか。
オードリーが泣きますよね。
監督のビリー・ワイルダーが泣きますよね。
ビリー・ワイルダーと言えば、“The Apartment”は、
『アパートの鍵貸します』。なるほど、当時のアメリカには、
常に進化途上にある日本のラブ・ホテルのようなものはなかったか、
などという歴史社会学的な考察を誘う。
彼の作品で言えば“Some Like It Hot”はいいですね。
『お熱いのがお好き』だから、ケネディ兄弟を魅了した
コケティッシュなマリリン・モンローの姿態が目に浮かびそうだ。
今にして思えば、原題そのまんまが良かったと思えるのが『旅情』。
『旅情』としちゃうと、なんか川端康成の名作みたい。
「旅情が身についた・・・」みたいな。
アメリカの地方都市で秘書をしている40前の独身女性の
長期休暇の旅先ヴェニスでの
アヴァンチュール(と言うにはちょっと語弊があるけれど)。
イタリア男とアメリカ中西部のオールドミスです。あは。
恋というには、あまりに非日常。だからこそ、原題は“Summertime”。

映画はそこに物語があるから、それでいいのかもしれない。

その点、ジャズは違う。
ストレートに心に突き刺さって、物語は聴いている僕らで創るんです。
僕は古いジャズをいつも部屋で鳴らしているんだけど、
昔の曲はなんともいいタイトルがある。
たとえば“Body&Soul”・・・これは『身も心も』という。
身も心も・・・だから? と問うと身も蓋もないけれど。
“I Can't Get Started ”は「私ははじめることが出来ません」ではなく、
『言い出しかねて』。これなんか、僕は大好きなタイトルです。
言いたい言葉とは何だったのか・・・。懐かしい感情、身に滲みるなぁ。
そういう状況に立ち至った諸氏は多いのではなかろうか。
もちろん、歌詞の内容とは無関係だけど、
それでも、タイトルを見ただけでひとつの物語が生まれてきそうだ。
まあ、もっともね、「〜をしようとして、できない」という意味の
「〜かねる」という補助的な動詞そのものが、
いまでは死語かもしれないから、仕方ないだろうけど、
こうした(僕にとっては)美しい日本語が
失われつつあるんじゃないかと思う今日この頃。
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風通信85

2017/03/19(Sun)
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映画の話をしよう。

遅ればせながら、『レヴェナント〜蘇えりし者』を見た。
ストーリー展開に破綻はなく無理もないし、
デティールもこだわって丁寧に作られ、
たぶん考証だって確かだったのだろう。
レオナルド・ディカプリオの熱演も素晴らしいと感じられた。

ロートレアモン伯爵(だったか)の言を俟つまでもなく、
すべての物語は語られているのだから、
この作品の骨格である、たとえば裏切り、復讐は
どこかで見たような気がする。だから、
ときどき、ストーリー以外に見るべきものが何か、
つまり、僕らは作品に何を見るべきかと、思うことがある。
それがはっきりと言葉に出来る時もあるし
そうでない時もある。
もちろん、ストーリーに引き込まれて、
それでおしまいということもありますけど。

作品を見てしばらくは
どういう映画だったんだろうと思っていた。
先日、友人の角倉浩二と話していて、彼が、
「いや〜、僕は良かったなぁ〜。自然が美しく撮られていたし〜」
美術の専門家である彼が言うのだから、確かにそうなんです。
美しい(同時に厳しい)自然が次から次へと表現される。
そして、・・・ああ、そうなのね、
彼の言葉で僕なりの解釈が完成しました。

この映画は、美しく、そして僕に言わせれれば、
同時に悲しい願いごとのような映画だったのではないか、
というのが、僕の解釈です。

ロケハンは、たぶん全米中が対象であったろうし、
お金をかけて、世界中を探し回ったのではないだろうか。
あの自然大系が残っているのはそれほど多くはないと思うけれど。
かつてのアメリカにあったはずの自然と空間を、蘇らせたい。
そういう美しい願いごとが全編を貫いているようだった。
そうでなければ、
あれほどまで美しい空間を画面に定着させようとするはずがない。

誰でも知っているように、ヨーロッパには森はない。
僕の好きなアイルランドの牧草地帯は限りなく美しいけれども、
そこにはかつて森があったはずなんですね。
紺碧の地中海を望むギリシアの都市や、
イタリアの古代遺跡が散在する痩せた土地には
オリーブの灌木があるだけだ。
鉄製の武器を造るためには、木々は必要だったはずだから、
そのために森が失われていったのがヨーロッパの歴史ではないだろうか。
近世にそのヨーロッパからアメリカに渡った人々の前に在ったのは、
いわば手つかずの自然だったのだろう。
そして、アレクシ・ド・トクヴィルの言葉を借りれば、
そのヨーロッパ人の西部(自然)への侵攻は「狂気じみていた」わけだ。
アメリカの空一面を覆っていたといわれるリョコウバトは絶滅させられたし、
(そういえば、この鳥は表現されていなかったですね)
そうはならなかったけれど、バイソンはきわどいところまでいった。
すさまじい自然の破壊と人々への蹂躙。
それがアメリカの姿だったのはないだろうか。

そのことへの深い哀惜の念、ゆえに必要以上にそれは美しく、
そして時に、
ありのままに厳しく表現されなければならなかったような気がする。
なんと、雪崩さえも表現されているのです。
しかし、もちろん一度失われたものは二度と帰っては来ない。
失われた恋と同じです。
ゆえに、それは悲しい願いごとなんだろうと思う。

ただ、一点だけ、蛇足ながら。
やはり、「共生」という思想はありませんね。
先ほどもちょっと言及したんだけど、
そこにあるのは、美しい風景としての自然の空間であり、
生き物がいない。それらは結局は、
人間を襲うものか、人間が生きていくために捕食される動物でしかない。
ここらが限界ということなんかなぁ。

とまあ、ここまで書いて、
こんなことはきっと誰かが書いているんだろうと思う。
だから、映画そのものについて書くのは嫌なんだ。
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風通信84

2017/03/15(Wed)
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録画していたライブを観る。
エリック・クラプトンの“ライブ・イン・サンディエゴ”と
ザ・ローリング・ストーンズの
“ライブ・イン・キューバ2016”である。
いやぁ〜、堪能しました。
特にストーンズは、これは掛け値なしに素晴らしい。
残念ながら、僕の文章力ではうまく表現できない、
と書いてしまうと、話がそこですとんと落ちるけれど。
だから、もう少し書こう。
まず驚くのは、
あの年齢であれだけのライブパフォーマンスが可能であること。
もう、体型からして違うんです。
あの体型と、体力を維持するためには、
それ相当の努力が払われているんだろうけど、
血のしたたるような肉を食べ続けた人間と、
湯豆腐に人生の滋味を感じる人間では、
やっぱり違うのかなぁ、などとラチもないことを考えてしまう。
人生は継続ですよね、やっぱり。

ところで、
アントン・ブルックナーは、生涯に九つの恋をしたという。
シンフォニーの数と同じですね。
池内紀によれば、俗受けするブラームスに比べると
ブルックナーはその構想の雄大さ、音の清浄さの点で並外れていて、
天上の音楽などと呼ばれたりするそうな。
ブラームス好きの僕としては、そうなんだぁ〜と思うしかない。
なぜ、ブルックナーを思い出したかというと、
彼の最後の恋が68歳のとき、16歳の娘に求婚したという話。
すごいね。
その時の恋文が残っているそうだ。
その内容たるや、書き悩み、書き淀み、
全身全霊を以て書き上げているらしい。
娘は何度読んでも意味がのみこめず、両親に相談。
親子の間で少なからず失笑が漏れたことは想像に難くない。
いや、僕としては娘は困惑しただけだと思いたい。
同じく少女に恋したプーシキンやシェリーのように、
吾が恋に盲いて、詩を書いたわけでもあるまいにね。
まあ、言うまでもなく、というか当然のことながら、少女は
求婚者の中にひっそりと秘められている偉大さに気付くはずもなく、
真の値打ちを知るには若すぎたこともあろう。

僕は、この話を知って、
ブルックナーに少なからずシンパシーを持ってしまう。
いや、10代の少女に恋するというのではない。
ましてや、求婚云々というのでもない。
うまく説明できないのだけれど、
それはたぶん「生きる歓び」なのかなと思うのだ。
宮崎駿が少女を描き続けるのと近い感覚とでも言おうか。
こんな話をすると、
それなりに美しく豊かに年を重ねた妙齢の婦人は
フンと鼻先で笑うだろう、・・・結局若い子が好きなのね。
いやいや、
10代の少女は若いというカテゴリーには入らないでしょ?
それに、若い子がいいなどと言う一般化は止めて欲しいし。

そういえば、
ミック・ジャガーには最近、子供が生まれたらしい。
何はともあれ、すごい。
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風通信83

2017/03/13(Mon)
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文化放送というラジオ局がある。
今はどうか知らないけれど、そこに出版を担当する部署があった。
僕が編集者見習いをしていた時、
そこで、いくつかの仕事をしたことがある。

しかし、その仕事の話ではない。

先日、村上春樹の新作を読んでいたら、
「沈黙にも音がある」という一節があって、
これって、あれだよね、と思った次第。
武満 徹の著作集のタイトルです。
『音、沈黙と測りあえるほどに』
この本が出版されたのは1971年だった。
ほぼ半世紀前の本だ。

文化放送の出版局にいた担当者は、
当時はたぶん、退職なさっていて、
今でいう再任用の形で勤務されていたのだろう。
ちょうど今の僕がそうであるように、
人生の黄昏れた領域に足を踏み入れていた時期の。
20代前半の僕にとっては、
父親よりも年上で、
ちょっと知的な近所の小父さんという感じだった。

ある日の打合せが終わったときだったか、
“ルノアール”で一緒にお茶を飲んでときだったか、
彼が、「武満の今度の本。タイトルがいいよねぇ」
と、ボソッと言葉を漏らしたのです。
遠くにあるものを見つめるように目を細くしてね。
意味が全然わからなかった。つまり、どこがいいのか。
武満も知らなかったし。
高校時代から学校をサボって、
学校から歩いて行ける綱場町の“シャコンヌ”に入り浸っていたのに、
現代音楽、まして日本の作曲家なんて知らなかったんですね。
「たけみつ? ですか」
「うん、ブマンテツだよ」
「はあ」
「ほら、武士の武に、潮か満ちる、徹底するの徹。で、タケミツトオル」
今、ちくま文庫の武満のエッセイ集を読むと、
彼がいかに日本の音と格闘していたかがわかる。
そして、それが世界に通用したことも。
日本の音の多くは、
音と音のハザマにある沈黙の音、云々。

僕は、今までも武満徹をブマンテツとつい言ってしまう。
若いころの刷り込みは恐ろしいですね。
でもね、それはやっぱり良かったのではないかと思う。
僕は、そんな風にして春先のモルダウ河みたいに
ゆっくりと大人になっていったのだから。

人生は経験と継続、
そして好奇心と必要性が彩りを添える。
年月というものは、
人をいろんな風に変えていくけれど、
たぶん、白黒付けることなく
ゆっくりと時間に寄り添っていけばいいのかもしれないです。

村上春樹の言葉は、さりげなく行間に潜んでいる。
昼下がりのレストランの
一番奥の席に誰かが忘れた贈り物みたいに。
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