ニュース・日記

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風通信85

2017/03/19(Sun)
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映画の話をしよう。

遅ればせながら、『レヴェナント〜蘇えりし者』を見た。
ストーリー展開に破綻はなく無理もないし、
デティールもこだわって丁寧に作られ、
たぶん考証だって確かだったのだろう。
レオナルド・ディカプリオの熱演も素晴らしいと感じられた。

ロートレアモン伯爵(だったか)の言を俟つまでもなく、
すべての物語は語られているのだから、
この作品の骨格である、たとえば裏切り、復讐は
どこかで見たような気がする。だから、
ときどき、ストーリー以外に見るべきものが何か、
つまり、僕らは作品に何を見るべきかと、思うことがある。
それがはっきりと言葉に出来る時もあるし
そうでない時もある。
もちろん、ストーリーに引き込まれて、
それでおしまいということもありますけど。

作品を見てしばらくは
どういう映画だったんだろうと思っていた。
先日、友人の角倉浩二と話していて、彼が、
「いや〜、僕は良かったなぁ〜。自然が美しく撮られていたし〜」
美術の専門家である彼が言うのだから、確かにそうなんです。
美しい(同時に厳しい)自然が次から次へと表現される。
そして、・・・ああ、そうなのね、
彼の言葉で僕なりの解釈が完成しました。

この映画は、美しく、そして僕に言わせれれば、
同時に悲しい願いごとのような映画だったのではないか、
というのが、僕の解釈です。

ロケハンは、たぶん全米中が対象であったろうし、
お金をかけて、世界中を探し回ったのではないだろうか。
あの自然大系が残っているのはそれほど多くはないと思うけれど。
かつてのアメリカにあったはずの自然と空間を、蘇らせたい。
そういう美しい願いごとが全編を貫いているようだった。
そうでなければ、
あれほどまで美しい空間を画面に定着させようとするはずがない。

誰でも知っているように、ヨーロッパには森はない。
僕の好きなアイルランドの牧草地帯は限りなく美しいけれども、
そこにはかつて森があったはずなんですね。
紺碧の地中海を望むギリシアの都市や、
イタリアの古代遺跡が散在する痩せた土地には
オリーブの灌木があるだけだ。
鉄製の武器を造るためには、木々は必要だったはずだから、
そのために森が失われていったのがヨーロッパの歴史ではないだろうか。
近世にそのヨーロッパからアメリカに渡った人々の前に在ったのは、
いわば手つかずの自然だったのだろう。
そして、アレクシ・ド・トクヴィルの言葉を借りれば、
そのヨーロッパ人の西部(自然)への侵攻は「狂気じみていた」わけだ。
アメリカの空一面を覆っていたといわれるリョコウバトは絶滅させられたし、
(そういえば、この鳥は表現されていなかったですね)
そうはならなかったけれど、バイソンはきわどいところまでいった。
すさまじい自然の破壊と人々への蹂躙。
それがアメリカの姿だったのはないだろうか。

そのことへの深い哀惜の念、ゆえに必要以上にそれは美しく、
そして時に、
ありのままに厳しく表現されなければならなかったような気がする。
なんと、雪崩さえも表現されているのです。
しかし、もちろん一度失われたものは二度と帰っては来ない。
失われた恋と同じです。
ゆえに、それは悲しい願いごとなんだろうと思う。

ただ、一点だけ、蛇足ながら。
やはり、「共生」という思想はありませんね。
先ほどもちょっと言及したんだけど、
そこにあるのは、美しい風景としての自然の空間であり、
生き物がいない。それらは結局は、
人間を襲うものか、人間が生きていくために捕食される動物でしかない。
ここらが限界ということなんかなぁ。

とまあ、ここまで書いて、
こんなことはきっと誰かが書いているんだろうと思う。
だから、映画そのものについて書くのは嫌なんだ。
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