ニュース・日記

ニュース・日記

風通信197

2020/08/09(Sun)
風通信 |
「ウイズ・コロナ」・・・思うんだけど、違うんじゃないか。いや、確かにそういうスタンスじゃないと今の現状は乗り切れないことは分かるよ。でもさ、なんだか、この言葉には違和感が残る。君はどうですか?
 僕らは報道にしたがって「感染症」と言ってるけど、要は昔から言われている疫病や伝染病なんだよね。歴史学的に見て、それが人類の社会に与えた影響は大きい。ある文明はマラリア原虫のために衰退したし、ある軍隊は極微のコレラ菌や赤痢菌のために壊滅した。中世末期ヨーロッパをおそったペストは近代を開く陣痛となったろ? だって文明世界全体で7千万人もの死者が出れば、古い観念や宗教の権威を失わせるというパラダイムシフトが起こって当然だからね。

 と、ここまでは前説でさ。前便の続きです。

 「ライブ感」こそ演劇の醍醐味だと思う。その意味で安易なリモート演劇(あ、もちろんリモート演劇そのものが安易と言っているわけじゃない)なんて僕らは拒否すべきだろうと思う。もし、リモートで演劇を配信したいなら、照明や音響や装置や、そもそも「本」のコンテンツまで考えたものでなくちゃいけないんじゃないかねぇ。それに十分な時間と入念な設計図もなくこんな時代だからリモートで芝居を、などと発想するのが安易ということで、それでは演劇の根本を見失うことになるはずなんだ。安易さに流れてはいけない。
 
 では、どうすればいいのか? 答えはいたって簡単だ。

 考え得るかぎりの知恵を絞ってコロナと戦い、舞台を創ることだ。感染のリスクがあるなら、できる限り感染を回避できるような舞台を創る。だから、確かにコロナは存在するし、僕らはその恐怖を感じながら日々を生きているから「ウイズ」なんだろうけど、なんかさ、「ウイズ」と言われると、共に生きていこうとか、存ることを前提としてうまく付き合おうとか、そんな発想のような気がするから、違和感があるんだよな。少し分かってくれる? 僕は戦うことが大切だと思う。そこでもし倒れても、生き残った人間がきっと新しい何かを作ってくれると信じているからね。
 歴史上、どのような劣悪な環境でも悲惨な情況でも、人間はまずもって演劇から始めた。なぜなら、そこにひとりの人間がいて、彼(もしくは彼女)が言葉を発すれば、そこに芝居が現出するわけだから。ピーター・ブルックが言ってたよね、「何もない空間」です。そこで芝居がはじまる。前便でも言ったけど。
 ひとりひとりの生命は確かにかけがえのない大切なものです。でも、思うんだよな。たとえ誰かが(もちろん僕が)倒れても、誰かが新しい時代を創ってくれると。その誰かが倒れてもまた違う誰かがいる。人類はそうやって生き延びてきたんだし。新しい価値の創造、パラダイムシフトとはつまり「世代交代」の言い換えなんだから、新しい時代の演劇を創ってくれると信じられる。そう思うとね、今、僕らはコロナと戦い、ライブ感を持つ「演劇」を創ることがとても大事なことのように思えてくる。そのためにも、舞台を作り続けていくべきなんだろう。

 まっ、たまたまね、今回の舞台は「ひとり芝居」の3本立てだから? コロナ対策のいくつかは回避できそうです。偶然とは言いながら。コロナ対策を逆手にとって、バンドの在り方もよりよい見立てが出来そうだ。今週はバンド関係の打ち合わせ。バンドチームと話して、音響担当のM譲と会います。
このページのTOPへ
Copyright (C) anton-crew All Right Reserved.
このページの先頭へ戻る