ニュース・日記

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風通信205

2021/12/21(Tue)
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ほぅと思わず口から出てきそうなニュースを知った。

 高等学校の教科書の話だ。文部科学省が12月8日に、来年4月から全国の学校で使われる教科書の採択結果を公表した。実社会で必要な国語の知識や技能を身に付けるために、新たに必修科目となる「現代の国語」という教科書。文科省はこの科目で扱う題材を評論や新聞記事などの「論理的・実用的な文章」とし、小説など文学的な文章は除くと説明していた。それを受けて各出版社は小説教材を入れないものをつくったらしい。検定合格は17冊。その中で、唯一、小説を掲載した第一学習社のものが、占有率16.9%でトップとなったというのである。

 第一学習社は、「現代の国語」に、芥川龍之介の「羅生門」、夏目漱石の「夢十夜」など小説5作品を載せ、その掲載の理由について、「教育現場から、現代の国語の授業で小説を扱いたいとの強い要望が多く聞かれた」と説明しているそうだ。現場の教員が小説を扱いたいというのはわかる気がする。青春時代には多くの文学作品を読んできた人たちだろうし、いわゆる「国語」という教科をなんとなくかもしれないが好きだったろうから。もっとも、理系科目がまったく手に余って国語教員となったという教師を僕は知っている。僕の中学校の先生だった。ま、それはいい。小説を扱いたいとアンケートに答えた教師たちが「羅生門」や「城の崎にて」を読んで深い感動を味わったかどうかはわからない。僕なんかは専門外だから、今さら「羅生門」でもないだろうとは思うが、現場の先生方はそうでもないのだろう。その他には、村上春樹の「鏡」、志賀直哉の「城も崎にて」がラインナップされている。個人的には村上春樹は、まあ、彼は世界的な文学者だからおくにしても「羅生門」と同様に「城之崎にて」はないだろうと思う。優れた作品であることは認めようか。でもつまらない。あれって、いわゆる私小説なのかなぁ。その小説を通して何を教えるというのだろう。たぶん、教員が読むであろうマニュアルにはいろいろ書いてあるんだろうけど。

 一方、文科省が上記のような通達をしたのは実は大学改革と軌を一にしているのじゃないだろうか。つまり大学教育から一般教養を除外し、実学志向を進めているということと同じ発想だと思う。高校生対象の場合は、社会人になって契約書を読んだり、報告書が書けなかったら仕事にならないねという発想かな。産業界からの要請もあるに違いない。プロ野球でよく聞かれる言葉なんだけど、勝ち抜くためには即戦力になる人間が必要だ、とかね。組織が必要とする以外の余計な知識や、人間の実存的な意味を考察するような知性はいらないということなんだろう。それをあえて言えば企業の専門性ということになろうか。ここでね、ひとつの問題が生じるような気がします。専門性が現実社会の中で巧く働くためには、自己の専門性だけを学べば事足りるわけではない。他分野の専門性と編み込まなければならないということだ。それがないと自分の専門性は全うされないのです、たぶん。同時にまた、専門性の持つ陥穽に陥らないために、自己の専門性を相対化しなければならないことも必要だろう。そこで決定的な作用を及ぼすのが想像力というものだ。そして、想像力の多くを育むのが文学、芸術などの営為だと思う。芥川龍之介だったか、「見えるものは見えないものに繋がっている」という言葉があって、見えないもの、つまり不在なものへの心のたなびきみたいなものを僕らは持たねばならないような気がする。だとすれば、高校の現場で文学作品を読む機会を除外するというのは、けっこう問題だと思うのです。

 公演の日程が3月にずれ込みそうです。今日、制作メンバーと軽く会食。そういう話になった。コロナが完全終息しているといいけれど。
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