ニュース・日記

ニュース・日記

風通信78

2017/03/01(Wed)
風通信 |
今日は、福岡県の多くの公立高校で、
卒業式があったようだ。
高校時代かぁ、それはもう化石時代みたいに遠い日。
たどりきれない時間の向こうに、
輝いていた仲間がたくさんいた。

一日中、岩波文庫の哲学本ばかり読んでいたヤツ。
ギターのテクニックにとんでもなく才能があると思ったヤツ。
彼は絶対バンドで売れると思った。
授業中はほとんど寝ていて、放課後になると、
グランドでボールをひたすら追いかけて走り回っていたヤツ。
女の子への手紙を一通百円で請け負いまくってヤツ。
半年でそのシステムはバレたけど。
それほど勉強しているとは思えなかったのに、
あっさりと超有名国立大学に合格したヤツ。
教師を殴ろうとしてみんなに腕ずくで止められたヤツ。
女子校の友達の数のリストを自慢していたヤツ。
でも、たぶん付き合っている女の子はいなかったはずだ。
誰でも好きななるということは、
誰からも好きにはなってもらえないことだから。

その時は気付かなかったんだけれど、
今にして思うと、
みんな原石のまま輝いていた。
そして、同時に、
ロバート・フロストの詩句を思い出す。
Nothing gold can stay(ずっと輝けるものは何もない)
それでもね、
みんな、それぞれのフィールドで
それぞれが大切に思う日々に誠実に向き合い、
頑張っているんだろうな。
その中身は違っても、それはやっぱり、
stay goldなんだと思うわけです。
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風通信77

2017/02/26(Sun)
風通信 |
一年前の今日、2月26日は
僕らの最後の公演『リア王』の初日だった。
一年しか経っていないのに、遠い昔のような気がする。
その後の打ち上げや後片付け、解散会などいろいろあって、
たぶん、3月には整理がついたのではないかと思う。
足かけ20年にわたるアントンの時間は、
壁のスイッチボタンを押すみたいに、
あの公演でキレイにスイッチ・オフ。
パチン。

なにごとでもそうだと思うけれど、
長い時の流れの中で、
僕らは、いろいろな物や事を手にするし、同時に失う。
それが何であるかを言葉にすることはもちろん可能だろうが、
言葉にならないものやことがある。
そして、言うまでもないことだが、
言葉に出来ない方が重要だったりする。
別に重要な案件があったわけではないけれど、
僕は、この20年をうまく言葉にすることはできない。
そうやって過ごしてきたとも言える。

この一年、
芝居に関しては何もしないと決めていた。
なにかに整理を付けたいとも考えていた。
とりあえず、顎髭を蓄えた(苦笑)
この一年、
日常から遊離するように絵画を見に旅をした。
ソロピアノのリサイタルでホールにも行った。

一年もあれば、
変わったこともあるし、そうでないこともある。
こう書くと、なんだかひどく単純な二項対立みたいですね。
熊本で大きな地震はあったし、
株価は世界経済の動きにつれて高下した。
飲酒運転は相変わらず減らないし、
安倍晋三は首相の座に座り続けている。

夜はほとんど自室にこもって映画か読書の生活。
パソコンを開くのも2、3日に一回。
メールもほとんど来ることはない。
ポストにはマンション買いますとか、
出張ビザのチラシばかりが入っている毎日だ。
ひと月に、10本は映画を観ることができた。
時々は映画館に足を向けることもあったが、たいていは、
自宅の壁にプロジェクターで投影して観ることが多い。
あまり知られてはいないけれど、優れた作品もあった一方、
創造に携わる者として苦労は知っているので、
言ってはいけないとは思いながらも、
言っちゃえば、ゴミみたいな作品もありました。
本も、・・・本は月に5冊程度しか読めなかったなぁ。
基本的には新刊書は買わず、読みたい本をリストアップしておいて、
リスト上に適当な量が溜まれば、オンラインでまとめて購入する。
どう見ても、カラフルとは言いがたい状況だ。

ジャネーの法則というのがある。
人生のある時期における時間の長さは、
年齢の逆数に比例するという法則だ。
そうすると、次の一年は今年より、
いくぶんか短くなるはずだ。

さて、これからの一年は、少し動くかな・・・。
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風通信76

2016/03/16(Wed)
風通信 |
劇伴(厳密に言えば劇伴ではなく劇中挿入曲)について話そう。

以下に書くことは、劇伴に市販のCD音源をもし使うとしたら、
という、あくまで仮定の話です。

たとえば『リア王』。
この物語は、おそらく古代のブリテン国と想定されているようなので、
まず、その劇伴は「ケルト音楽」にしたら良かろうと思うんですね。
アイリッシュ・ウイスキーはスコッチと違って、
どことなく軽みがあって、まさに天使のため息といわれる所以だけど、
音楽のアイルランド音楽も、ディープなものは言いしれぬ味がある。
エンヤなんかを聴いていたら、ちょっと違うかもデス。さて、
そう決まったら、集められる曲を可能な限り集めるわけだ。
ちなみに僕の手持ちのCDは10枚くらいあるので、
それ以外に30枚くらいかな。
福岡市近郊の図書館は広域利用可ということで
福岡市民にもCDを貸してくれる。
で、春日市、大野城市、太宰府市、糸島市などの図書館で、
時間はかかるけれど、せっせと集められるだけ集める。
もちろん、TSUTAYAなどのCDショップにも行く。
CDを買う予算はないので、ひたすら借りる。
そして、ひたすら聴きまくる。
ひとつの芝居で少なくとも300曲くらいは聴かないと。
1000曲まで行けばだいたいOK。つまり、見つかります。

台本の字面を眺めながら、ここは音が欲しいとか、考えるわけですね。
実際に台詞を自分で言いながら、曲を流してイメージを掴む。
これはなかなか怪しい作業になる。
いいオジサンが、
夜中にぶつぶつ言いながら何回もリピートを繰り返す。
ただし、このとき注意しなければならないのは
歌モノを使うのはNGということですね。
台詞と相殺される。歌モノは、エンディングに使うことが多いなぁ。
また、実際に稽古中にも、ここに音があればいいのに
とか思いながら「返し稽古」を繰り返す。
最終的には、厳密にこの台詞の「この言葉」からゲージを上げていってぇ・・・
などの判断をしていき、音響オペレーターに伝える。
(いつもの音響サン、いつもワガママ言ってごめんね)

劇伴はとても重要で、
これの選択ひとつで、オーディエンスの心を揺り動かすことができる。
それはたぶん音楽の力だ。
音楽は僕らの心に矢のように直線的に、あるいは総括的に突き刺さる。

ところで、演出を付けるときに、
ここできっとオーディエンスの鼻の奥がグスッとするよなぁと、
深く確信できるときがある。
これもたとえばだけど、
後藤 香さんの昔の作品「Dear Dear」なんかで、
最後におばあちゃんが孫娘の身代わりになって死ぬ場面。
椅子に座ったままで、天国に行く・・・という演出意図。
それは「祈り」に通じるし、この上ない幸せだという演出意図。
照明にもちょっとした工夫をいれて、
そこに、イーグルスの『デスペラード』をそっと流す。
観ている300人の人の内、まあ、270人がハンカチを出しはじめる。
しかし、これを決めるまで、実にクラッシックからロックまで、
膨大な曲数を心に落とし込む・・・という作業が必要なんです。
おばあちゃんの台詞が終わると同時にボーカルが入らねばならない。
そのためには、秒単位で尺を測る。
このタイミングは1秒も狂ってはいけない。
その前にたとえば西村由紀江の曲をクロスで繋いだり。

また、たとえばだけど、
『桜の園』で、ラネーフスカヤがパリから戻ってくる。
その時彼女が聴いていた音楽は何か。
チェーホフが死んだのが1905年だから、だいたいその時代。
(『桜の園』は最晩年の作だし・・・)
そうするとシャンソンではなく、まだミュゼットの時代だろうと考える。
実際は、もう少し後かな・・・。
まあ、そこで、ミュゼットの音源を探す。
ところがこれはなかなかないんです。
やむなく、ネットで購入しなければならない・・・こともある。
零細劇団の出費としては痛いですね。
だけど、必要なんだから。

う〜んと、あ、『ワーニャ伯父さん』。
これは、方法が二つあります。
まず、オーソドックスな方法は、
全体のトーンが渋い上に、静かなドラマがあるので、
クラシックで行こうと。
そして、もちろん、それは室内楽を中心とした黄昏のイメージとする。
ならば、オーボエがよかろう、とまでは考える。
というわけで、コンチェルトまで幅を広げて、
モーツアルトあたりから聴き始める。
しかし、心にしみるようなオーボエの曲はロマン派につきます。
そこで、サン・サーンスから
ロベルト・シューマン(素晴らしい曲が一杯!)あたりを探る。
まあ、さらにブラームスまでくらいはさかのぼってもいいかもね。
もうひとつの方法は、モダンジャズで行くというのはどうでしょう。
これは一発で決まる、というか、これしかないだろうと。
マイルズです。彼のミュートトランペットは、
屈折したワーニャの心情を柔らかく照らしてくれる。
深夜、セレブリャーコフがエレナと話す場面。
カードをめくり続けるエレナに絡むセレブリャーコフの
ぐちぐちした言葉に、
微妙なミュート・トランペットの音でモードは決定し、
客観性を担保してくれる。

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風通信75

2016/03/11(Fri)
風通信 |
どうやら、粗方の残務整理も着地点が見えてきたようだ。
『リア王』だけのことに限れば、の話だけど。

それより、15年だ。
もちろん、15年の歳月は半端な年月、時間ではない。
ひとまとめにして、
大きな引き出しの奥に突っ込んでしまいたいくらいだ。
でも、たとえば
僕と10歳も離れてもいない栃原との時間の進み方にしたところで
少しずつずれているのかもしれない。
同じ風景でも見る人によって違うように、
時間だって人によって進み方は違うのだと思う。
その感覚は年齢ではないのだ。
52歳でも25歳のような時間の進み方を持つ人がいるはずだし、
26歳でも62歳のような時間の進み方をしている人がいるはずだ。
だから、おそらく年齢ではないのだ。
そんな数字としての年齢より、
人としての生き方の問題なのではないだろうか。

それでもね、おそらく間違いないのは、
年を取ると時間というのが重さを持つということだ。
若ければ、羽根のように軽い。
年を重ねることの良さはあるんだけど、
ときどき、柔らかで静かな春の雨さえもが重く感じることが
・・・そう、ないでもないのです。

世の中には、天国のような弦楽四重奏曲を創る人もいれば、
肉厚の鮮やかな赤いパプリカや
噛むとカリッと音のする太い胡瓜を創る人もいる。
僕は芝居を創る人で、
創る人間というのは、先のことにしか興味がない。

でもさ、この先に何があるんだろうか。
太陽はいつだって生まれたてだと知ってはいるけれど。
繰り返す波が教えるのは、
ただの一度もほんとうの繰り返しはないということなのに。
木の枝に張り付いた虫の抜け殻のように、
強い風が吹いたらどこかに永遠に飛ばされそうです。

昨夜、
中州の中華創作居酒屋を借り切って『リア王』の打ち上げがあった。
下は19歳から、上は65歳までの関係者のほぼ全員が集まった。
この幅の広い年齢の人間が
ひとつの空間と時間を共有することの不思議さ。
・・・そこで、何人かの人に言われた。
「安永組」は次は何をしますか?

「安永組」か。。。。
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風通信74

2016/02/12(Fri)
風通信 |
半年前の暑い日盛りに、
『リア王』の台本を書いていた。
おいしい台詞がいくつもありました。
その中に「リアの影だ」という道化の言葉がある。
おいしい。

娘たちの思いもよらない裏切りに、
混乱したリアがこんなはずではなかった・・・
まあそういうサブテキストのもとに、

 リアはこんなふうに歩くか?
 こんなふうにしゃべるか?
 頭が悪くなったのか? 分別が鈍ったのか?
 いや、違う。

と嘆く。そして最後に、

 ・・・誰か教えてくれ。わしは誰だ?

と言うと、道化がすかさず、「リアの影だ」という。
おいしいと思うのです。

ここから話は、少しずれていきます。
僕らの生には必ず影あるのではないかということ。
僕らの実物の姿と相似形の影ね。
それは影だから、僕らの存在そのものでもあるわけですね。
そのことを意識しておきたいと思う。
たとえば、
いつも明るく笑って、元気な人がいる。
その人の影はいつも哀しみが流れている。
逆のモードが同時に存在することです。
笑っている人も泣くことがある、ということではない。
笑っていると同時に泣いているのだ。
あるいは泣いていると同時に笑っているのだ。

生きていれば、
泣きたくなる局面に遭遇しないはずはない。
彼、もしくは彼女に影があると思うのは、
まさにそう考えたときだ。
泣きたいときに泣けばいい、と人は言うかもしれない。
しかし、泣きたくとも泣けないときはやっぱりあるし、
泣けるだけの幸せを持てないことだってある。

泣いているんだけどどこかで笑っている。
笑っているんだけどどこかで泣いている。
突き詰めていけば、僕らの生の在り方には
そういうところがあるんじゃないだろうか。
役者は、そのことを想像しなければならない。
想像する力が必要なのだと思うのです。
いや、役者のみならずかもしれません。
感情の天秤棒みたいなもの。
そういうバランスの上で、
僕らの生は奇跡的に成り立っているのではないだろうか。
あるときは影が強くなったり、あるいは逆だったり、
いずれにせよ、どちらか一方だけになることはない。
だけど、ときどき、そのバランスが壊れてしまうこともある。
そして、そんなとき、
人は、ふと死んでしまうような気がする。
ほんとうにそういうことはある、ような気がします。

ところで、はじめに書いたように、
おいしい台詞がまだまだあります。
願わくば、そのひとつでも、
僕らの芝居で心にとどめてもらえると、とても嬉しい。
たとえば、こんなのはどうでしょう。

狂気の中でリアは、

 人はみなこの世に泣きながらやってきた。
 生まれて初めて空気を吸って、わしらは泣いた。
 いいこと教えよう、よく聴け。
 生まれ落ちると泣くのはな、
 この茶番の劇場に引き出されたのが悲しいからだ。

リアのこの台詞を聞きながら、
忠臣グロスターは号泣します。
その「号泣」の意味を、言葉で説明してもつまらない。
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風通信73

2016/01/26(Tue)
風通信 |
一昨日昨日と、雪が降り続けました。
これほどの降雪は久しぶりだった。
稽古後の深夜の道路凍結が嫌だったので、
月曜日の稽古は中止。
本番に向けて、
まず関係者が気をつけなければならないことは、
病気と怪我です。
そのための心構えは常に必要だから、
稽古も中止という判断です。
今回の客演の役者さんは遠くは
飯塚、朝倉から参加してもらっているしね。

ところで、
カール・グスタフ・ユングのいう
「シンクロシティ」というのは、確かな気がする。

先日、突然、ほんとにふと・・・、若い友人のことが頭に浮かんだ。
元気にしてるかなぁ・・・って。
すると、数日して彼からメールが来たのです。
合理的に言えば単なる偶然だし、
それを否定するのにやぶさかではない。
まあ、これが「シンクロシティ」なんです。
ポール・オイスターだったか、
こんな話を集めて一冊の本にしているくらいだから、
風が西から東に吹くような珍しくもない話なのだと思う。
おそらくこれを体系づけると宗教に近づくんだろうけれど、
僕は宗教的啓示にはあまり興味がないので、言及はしない。
河合隼雄さんに言わせると、
これは僕らの心の深いところにある、自分では決して意識できない
魂のようなものの共鳴ということになるらしい。
そうかもしれないですね。
近代の合理性では説明できないけれど。

ときどき、役者にとって大切なのは、
この魂の共鳴ではないかと思うことがある。
役者はそこまで降りていかねばならない。
役者は、俗に「役を演じる」というけれど、
僕は「役を生きる」ことが
役者を構成する重要なエレメントだと思うからだ。
自分の演技を支えるために、
自分の内部をどれだけ掘り下げていけるかが大切なのだ。

舞台は見えているものだけで
すべてが構成されているはずがない。
見えないもの。たとえば、
役者ひとりひとりの、自分では意識されることのない
魂の在処もそのひとつであるはずだ。
これは恐ろしいことでもある。
でもね、そもそも、生きるということは、
そうした魂の在処を抱えていることでもあるはずです。
役者がその存在を確信したとき、
オーディエンスの魂のふるえる舞台ができるように思うのです。

くだんの友人は、遠く離れた地に住んでいる。
どうやらニュースで福岡の降雪のことを知ったらしい。
Stay warmの文字と「鍋」の絵文字の
シンプルなメールを送ってきた。
あはは。
でも、残念ながら、その日は「鍋」は食べなかった。
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風通信72

2015/12/16(Wed)
風通信 |
およそ、2ヶ月。
よんどころない事情で家を空けていた。
パソコンもしっかりと使えず、本もほとんど手元になく、
どうにか生業をこなすだけで、創造的な生活もどこへやら。
それでもなんとか稽古にだけは顔を出していた。
やっと自宅に戻ったと思ったら、これがまた大きな問題ありで、
病人は出るし、体調も悪くなるし・・・。
方々に不義理をしているものの、ままならず、
気がつけば、12月も半ばです。
来週には、配布が始まるチラシの原稿を書くのが精一杯。
いざ書くとなれば、
いつものようにサクサクッと10分くらいで書きましたが、
思いは15年分。

『リア王』に静々と向かいます。

【チラシご挨拶】
・・・・・チャールズ・チャップリンは、
あなたの最高傑作は何ですかと尋ねられたとき、
常々「NEXT ONE!」と応じたと聞いたことがあります。
比ぶべくもありませんが、僕らもそうありたいと思っていました。
でも今、僕らは思うのです。「THIS ONE!」でありたいと。
明日は誰にも保証されてはいないのです。
どんな共和国だって終わりが来るときがある。だから。
15年間のご愛顧に感謝しつつ、多くの客演の皆様に感謝しつつ、
そして何より仲間に感謝しつつ、
シェイクスピアの最高傑作である『リア王』に挑みたいと思っています。
               
   アントンクルー代表 安永史明
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風通信71

2015/09/13(Sun)
風通信 |
マンスリーシアター『授業』公演が終わりました。
ご来場くださった皆様、ありがとうございました。
代表としては、公演がつつがなく終わることが出来たことが、
まずなによりの祝着でした。
客演の堤 穂瑞(劇団テアトルハカタ)さんにも感謝です。

東も竹山も忙しい中、よく頑張ってくれました。
東が40年近くあたためていた作品を上演できて、
団員一同、喜びもひとしおでした。
しかし、たぶん、これからがはじまりかなとも思います。
中村伸郎さんのように、
ライフワークに出来たら素敵だなと思います。
「いじ☆かる」はほどよい小屋だしね。

さて、アントンは
これから来年2月の本公演に向けての長丁場に入ります。
この日記を通じていろいろご報告は出来ると思いますが、
多くの客演さんがいらっしゃるので、
皆さんのフェイスブックなどで稽古場の様子は分かると思います。

関東・東北では豪雨被害が甚大です。
が、ここ福岡はさいわいなことに、今日はいいよい天気。
まるで5月のような一日でした。
陽が当たればちょっと暑く、陰れば涼しく、
コバルト色の高い空に握り拳のような雲が浮かび、
いじ☆かるの裏手の上池の葦は風にさわさわと揺れ、
僕は穏やかに、すこし悲しく、すこし幸せでした。
まるで、猫かし屋のおじいさんのように。
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風通信70

2015/09/01(Tue)
風通信 |
夏の盛りの美しい夕焼けの中で恋をしたことがあった、
。。。ような気がします。
でも、それは、ある種の願望だったかもしれないですね。
でも秋のはじめに、コットンのセーターを着た
白くて透明な美しい女の人に恋をしたことはあった。

遠い昔のお話です。
・・・時間は過ぎていく。
そうですね、確かに、時は過ぎていくけれど、
恋に年齢はなく、今さらながらシェイクスピアに恋をして、
我がアントンは来春、『リア王』(第15回本公演)を上演いたします。

僕は、この2ヶ月、気持ちの通じる客演役者を探して、
この1ヶ月、ひたすら複数の翻訳本を精査して、
熱き心で、夢を追いかける体力を付けて。

でもその前に・・・、
アントンの9月のマンスリー『授業』です。
20代の東が夢見た作品を追いかけて、
やっと60代で演じるという。もしかしたらですが、
彼は80代まで演じるつもりなのかもしれません。

これは、もう、乞う、ご期待です!
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風通信69

2015/07/30(Thu)
風通信 |
暑い日が続きます。

どうもなんだか、そのせいではないだろうけど、
最近、電気製品が立て続けに壊れて、
不便だし、だいいち、お金がかかってしようがない。
困ったものです。ヤレヤレだな。

そもそも始まりは、温水器。
僕は夏はほとんど風呂に入ることはなく、
少し知恵の足りない烏みたいにシャワーで済ませるんだけど、
昼間はともかく夜はやっぱり、
適度な温度のお湯でないと、汗が落ちないような気がするわけです。
予想はついたけれど、これがかなりの高額でね。
まあ、家庭生活における重要なインフラだし、
交換しましたよ。

その二日後。今度は長年愛用してきたVAIOがね、
起ち上げても動かない・・・。
ちょうど、来年の本公演の台本をリライトしていところで、
その作業がストップしたわけです。
もう、なんというか、星一徹のようにデーブルをひっくり返したい気になった。
これもないと困るので、購入。
必要なソフトのインストール作業に丸一日かかった。

そして、今、
ビル・エバンスのトリオ演奏を聴きながら、
気持ちを落ち着けて、これを書いています。

頑張ろ。
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風通信68

2015/07/12(Sun)
風通信 |
昨日のことになるが、
服飾系では九州最大の専門学校である
「香蘭ファッションデザイン専門学校」の
「サマー・ファッション・コンテスト」に行ってきた。
次回の本公演の舞台衣装で、
協力していただけることになっていて、
その関係もあって、劇団員数人と来賓席で拝見。

はじめての経験だった。
何事にせよ、初体験とは期待半分失望半分だと思うが、
これが、なかなか見応えのあるショウだったのだ。
オーディエンスも多く、なんだか異様な熱気が会場を満たす。
下手な芝居よりは見応え十分。
僕は舞台衣装としての視点で終始したが、
それを離れても飽きさせない構成と演出で、
こういう世界があるんだと改めて得心した。

作品はそれぞれの個性が出ていて、
シンプルなモノから手の混んだモノまであって、
見ていて飽きない。
もちろん、学生の作品だから、
専門的に見れば、そのレベルなのかもしれないが、
なにより、作品に対する彼らの情熱が感じられた。
これ大事ですよね。
たしか、桜木紫乃の『ホテルローヤル』の短編のひとつに、
「人間、一生懸命やってる人には、誰も悪口はいわないよ」
みたいな一節があったと思うけれど、あれね。
彼らひとりひとりのこだわりが伝わってくる。

なんだか、楽しみになってきた。

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風通信67

2015/06/23(Tue)
風通信 |
大学の後半の二年間は仕送りがなかった。
授業を受けながらアルバイトをして、
生活費と翌年の授業料を貯める日々だった。
中野坂上の三畳間を借りていたころだ。
淀んだ神田川が近くにあったような気がする。
まるで、フォークソングの世界ですね。はは。
石鹸箱がカタカタ鳴るなんて・・・。
いや、銭湯にさえときどきしか行けなかったんだ。
共同の洗い場でタオルを絞って身体を拭く・・・
・・・そんな生活。

でも、コンパクトなステレオだけは持っていた。
質流れの安物だったけれど。
それでも、今のに比べるとすごく大きかったなぁ。
本は友人の下宿に預けていた。
本当に何も持っていなかったけれど、
それでも、LPレコードは少しあったと思う。
ジャズだけだったな。
唄モノは言葉が邪魔をする。

そんなアパートだったから、大きな音は出せない。
アルバイトが休みで授業も休講の平日の昼間だけは、
スピーカーの音を心持ち大きくすることが出来た。

たとえば、
五月の風が吹く水曜日の午後。
窓を開けて、風を通す。
まあ、窓を開けても1メートル先には、
隣のアパートの灰色のモルタル壁があるんだけど。
窓から上を見上げると長方形の空が見える。
そんな日に、
なんども、なんども、なんども聴いた曲がある。
そのフレーズを、インプロビゼーションの部分まで
たぶん今でも忠実に口ずさむことが出来る。
普通すぎて、照れくさいんだけど、
渡辺貞夫の『カリフォルニア・シャワー』です。
文字通りレコードが擦り切れるくらい聴いた。
どうして、あんなに聴けたんだろう。

幸福の定義はできない。
でも、もしかしたら、あの日々は、
僕にとって幸福な日々ではなかったかとときどき思う。
友だちはいたけれど、
ひとりでジャズを聴いていることが多かった。
女の子には興味はあったけれど、
映画の方が好きだった。
アルバイトはしたけれど、
よく喧嘩して、辞めさせられた。
時には一日で辞めたこともある。あ、これは自分で。
でも、たぶん、幸せな日々。

今日、たまたま、
FMで『カリフォルニア・シャワー』を聞いたんです。

ニュースでは、沖縄慰霊日の話も流れていた。
傷みも分からない空疎な首相の言葉。
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風通信66

2015/05/24(Sun)
風通信 |
訃報です。

扇田昭彦さんが亡くなった。
大野城市のステージで、栗山民也さんと対談したときに、
ナビゲーターをしていただいた。
その後もなんどか、福岡でお目にかかった。
忘れてならないのは、
大阪市立大学での日本演劇学会で、発表を観ていただいたことだ。
穏やかで、優しい風情の方だった。
演出家としては、作品を観ていただけなかったのが
大きな心残りである。

先日のことだが、NHK・FMで、
浅川マキのデビューアルバム全曲紹介というプログラムがあった。
言うまでもなく、それはLPレコードです。
今の人にはわかりにくいかもしれないが、
LPレコードにはA面、B面があって、
A面はスタジオ録音。
B面は天井桟敷が関係する喫茶店みたいなところのライブ。
プロデュースが寺山修司さん。
カー・ステレオのボリューム・スイッチを上げて、
聴きながら、浅川マキも寺山さんももういないンだなぁと、
ため息を漏らしたばかりなのに。

演劇評論家としての扇田さんの業績は、
たくさんあるけれども、つねづね、僕は、
彼が唐十郎の「状況劇場」と同じ釜の飯を食いながら
旅公演を行ったことは素晴らしいと思っていた。
現代演劇が時代を切り拓いていた頃だったからだろうか、
そんなことが出来たのは。
おそらく、あのような演劇評論家はもう出ないだろう。

死は、「長き不在」である。
メールを送っても、
電話をしても、
手紙を書いても、
その応えは闇の中に探すことも出来ないけれど。
それでも、やはり「長き不在」である。
人はかりそめに面をあわせ、深切に別れを惜しむという。
だから、僕も灯火をかかげて、扇田さんを送ろう。

ご冥福を祈りたい。
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風通信65

2015/05/23(Sat)
風通信 |
おそらく、どんな業種でもそうだと思うが、
年度初めというものは、なにかと忙しいものだ。
我がアントンは実業では教育関係者が多く、
なにしろ忙しい毎日、でも、それもやっと落ち着きました。
4月5月と、複数のミーティングを行い、
今年度の公演計画がほぼ固まった。

大きな物語を創りたい。
いや、所詮、物語は普遍的な人間世界だから
大きいも小さいないんだけれど、
ここでいう大きいとは言ってみれば「柄」ということだ。

観客の笑いを誘うような、
観客が簡単に理解できるような、
観客が心地よくなるような、
観客が容易に感情移入できるような、
観客がわぁ感動するゥ〜と言ってしまうような
つまり、
観客の表層を撫でるような、
そんな舞台ではなく、大きな舞台を創りたい。
これが僕らの創る舞台の
最良の舞台と言えるような舞台。
チャールズ・チャップリンは、
あなたの最高傑作は何ですか? と聞かれたときは、
いつも、Next oneと言っていたそうだ。
比ぶべくもないけれど、心意気だけは。

覚悟を決めて、じっくり取り組もうと思います。
だって、次に公演を打てるという保証は
どこにもないのだから、
この作品に賭けるという覚悟がなければ。
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風通信64

2015/05/12(Tue)
風通信 |
あれは、モーニング娘から使われてからだろうか。
退団を「卒業」という言葉でいうこと。
どうも、違和感がある。
あたし、卒業しちゃった! とかいうと、
なんか胸がキュンとするとでもいうのだろうか。
ということを書くと、爺さんの繰り言になるかもしれないけれど。

先日のミーティングで、
岡本直華の退団が正式に発表された。
まあ、発展的退団とでも言おうか。
今後の活躍を期待したい。
他劇団からの誘いもあったろうに、
今までよく頑張ってくれたものです。
どこかで見かけたら、応援してあげてください。

会うは別れのはじめとか。
電車に乗ったら降りなければならないし、
幕が上がれば、エンディングの音と共に幕は下がる。
燃え上がるような恋もいつか疲れた風景の中に色を失っていく。
出逢いは神様の采配だけど、別れは人が用意する。
でも、普通はそのことを考えることはないですよね。
それはそうだ。
そんなことを考えたら、すべてが虚無の世界に落ちるもの。
でも、いつか別れは来る。
出会いの中に別れの種は撒かれているというわけです。

ところで、
一葉落ちて天下の秋を知るというけれど、
どんな国家だって、いつかはその勢いを失う。
僕は、今の日本にほとんど絶望しているけれど、
それでも、やはり希望は残しておきたい、
と思う今日この頃。
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風通信63

2015/04/07(Tue)
風通信 |
というわけで、続きです。

僕の好きな楽曲のひとつに、
今は聴く人もいないだろけど、
「April Come She Will」というのがある。
そう、4月。

関東に住んでいる18番目のガールフレンドからメールが届いた。
彼女は2ヶ月前には、美しいヨーロッパの街にいたから、
日本の桜がことのほか美しかったのだろう、
美しい満開の桜の画像も添付されてありました。
季節柄だしね。
「見渡せば花も紅葉も・・・」というコメントもあって、
そうだよね、確かに・・・。見渡せば・・・、ん?
そうか、天才、藤原定家の歌は花も紅葉もなく・・・、
イメージを提出して、
それを捨像することで際立たせるという高度な技法だった。

現実に満開の花があろうとなかろうといいわけですね。

最近は、満開の桜花を愛でることが多いし、
移ろいながら燃え上がる紅葉した木々を愛でることが多いけれど、
僕は、その盛りより散る急ぐときこそがすばらしいと思う。
言うまでもないことだが、
それは無常の概念に通じるのかもしれないですね。
形あるものは壊れるというあれね。
それは「諦め」だという人がいるかもしれない。
でも、無常という概念は「諦め」ではありせん。
それは精神の再構築なんだな。
つまり、失われたものはもう一度生まれるための準備なんだから。
ほんの一時の輝きを残して自然はその美しさを失う。
そしてその儚さ故に、僕はそういった自然との共生の現象が素敵だと思う。
・・・・ただ過ぎ去っていくのがいいんです。

これは、演劇にも通じるんじゃなかなぁ。
演劇は風の芸術だから、一瞬の風のように、
誰かの心をほんの少しだけ動かして、過ぎていく。
そのような作品を作りたいなぁ。
夜の底で、淡雪のように白く輝く花びらのような。
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風通信62

2015/04/07(Tue)
風通信 |
白馬の鬣が連なったような白い雲が
背振山系の上に低く垂れ込めている夜です。
春にしては少し冷える。
福岡の都心部の灯りが見えます。
ベランダの下の桜並木もすでに花は散り乱れ、
道路が淡雪を乗せたように白く見えます。

僕は、先日、誕生日を迎えました。
オジサンというにはその条件を十分満たしているどころか、
もはや、老人と言ってもいい。
でも、僕は思うのです、年を取るのも悪くはないと。
いや、やせ我慢ではないし、
まして強がりや、自己韜晦をしているんじゃありません。
ビートルズの武道館コンサートを
リアルにテレビジョンで観たことは僕の生涯の自慢だし、
(しかしこういうことを自慢げに話すのはフェアじゃありません)
女の子とすぐに仲良くなりたがる衝動や
押さえきれない怒りのパッションに身をさいなまれること。
そういう余計なエネルギーを使わなくてすむわけです。
もっとも、それが老人の特権ではあるはずですよね。あはは。
まあ、ある意味(これ嫌いな言い方です)自由になったというかね。
そして、こうも思います。
数字的な年齢より、
年齢を超えて分かり合える縦糸みたいものがあるはずだと。
同じ22才といってもいろんな22才がある。
52才のような22才もいるし、12才のような22才もいる。
だから、年齢で人を捉えたくはないし、
それを越えた関係性というものを構築したいと。
恋愛と同じで、みんなそれぞれに違う。
これが正しい在り方だというのもありません。
結局は自分から始まって自分に返る。
そこで、僕はこれから自分のことを小父さんとかお爺さんとか
言わないことにしようと思います。
つまらないでしょう? これが誕生日を迎えた感想。がはは。

This story is to be continued.
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風通信61

2015/03/30(Mon)
風通信 |
昨日、川中が書いていたように、
マンスリー・シアターVol.6が終了した。
一日公演であったわりには、観客数があった。
合計17名です。
「いじ☆かる」で、この数字を多いとみるか少ないとみるか、
評価(というほどのものではないけれど)の分かれるところです。
確かなことは、
DMは出さないし、チラシもほとんど配布しないし、
知り合いにも、何かのついでに一回程度声をかけるくらい。
ホームページにはアップするけれど、それだけで、
メールの案内もしないという事実。
話半分としても、面白かった、また見に来ます、
という多くのアンケート結果が手元には残っているし、
悪くない芝居を創っている自信はある。

告知をしないというか、出来ないのは、
僕らが世俗的に忙しく、圧倒的に時間がないからだし、
実は告知にそれほどの効果はみられないと
思っているからじゃないかなとときどき思う。

僕の場合、たまたま、芝居を作る状況に投げ出されて、
作っていく内に、作ったものを面白いと言う人がいて、
それなら、もっと面白いものをと考えて、
あれもやってみようとか、これも試していようとか、
それやこれやを考えながら今まで芝居に関わってきた。
試行錯誤の稽古と熟慮したプランの基の仕込みと
全員が訓練の行き届いた砲兵隊員と化するバラシが楽しいから、
どうしても上演や観客数は二の次になる。
これはあくまで僕の個人的な場合なのだが、
つまらないと言う人が増えたら、
おそらく、あつかましい僕だって芝居は続けられないだろう。
だから、観客数は問題ではない。

さて、それでいつまで続けられるかなぁ。
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風通信60

2015/03/16(Mon)
風通信 |
春はあけぼの・・・
言うまでもなく、『枕草子』の冒頭章段です。
そして、「冬はつとめて」となる。
日本の季節感を規定したのは『古今和歌集』だと思うけれど、
『枕』の影響も強いんじゃないでしょうか。

さて、季節は春・・・が近いようです。
もう、春一番も吹いたらしいし、
昨日、室見川の川面は光の粒をまき散らしたようで、
風は空を渡り雲を西から東へ運んでいた。
でも、夜は、それでも少し冷える。
それに、春の嵐はまだだ。
季節が変わる時、新しいものが生まれる時、
自然は激しく抵抗する、そんな春の嵐は、まだ来ていない。

僕は常々冬の夜がとても好ましいと言っているんだけど、
あまり賛成してくれる人はいない。
「だって、寒いじゃない・・・、風は冷たくってさ、雪まで降ったら、も、最悪!」なんて、よく言われます。
たとえば冬の夜は暖かいと言ったらどうだろう。いや、結果としてだけど。
あの冬の夜、扉を開けた時の包み込まれるような暖かさは、
身体中の関節が緩みそうになりませんか。
子猫をそっと抱き上げたような幸福感が漂う。
また相反するけど、密度が一定した冴え冴えとした夜の空気。
あれは、水蒸気が凝固して微細な氷となり、つまり見えなくなって、
曖昧に広がった薄い薄い靄のヴェールでなくなるのだという。
それから・・・、いや、だから、
「冬はつとめて」じゃなく、「冬は夜」と思うのですね。
だいいち、夏の夜は、深くなってもどこか残照が残っていて、
なんだか、妖しい気分になるでしょ? ふふ。
それはそれで、得難いものではあるのですが。

僕は、たいていの事柄において、
大方の判断とは反対の立場を取ることが多い。
ある事象に対して、みんながそりゃ「Aだろ!」と言うとする。
すると僕は、よくて「反A」、だいたいにおいて「B」か「C」か、
時には「H」だったりする。
まあ、とりあえず、反対方向へと思考のハンドルを切る。
単なるへそ曲がりかもしれないですね。
そうやって、今までやって来たし、
これからもたぶん変わらないんじゃないかなと思う。
みんなが右へ行くと言えば、じゃあ、俺は左みたいな感じです。

すごく分かりやすいと思われる譬えで言えば、
試験で悪い点を取った学生に対して、
まあ、次に頑張れるチャンスをもらったわけだから、
よかったんじゃない? と言い、
逆に、よい点を取った学生には、
あのね、世の中、そんなに上手くいくとは限らないので、
気を付けないとね、とか、言ってしまうことが多いのだ。
若い人に必要なのは時間と経験しかないわけでね。
目先のことであれこれ判断してもろくなことにはならない(気がする)。
しっかりと生きて、誰かを好きになって、
たくさんの本を読んでいれば、そんなに悪い人生はないはずだから、
目くじらを立てることはないと思うのです。
でも、年の離れたガールフレンドからは、
「だから、あなたは素直じゃないのよ。いい点を取った人の努力を認めてあげて、悪い点を取った人には、ダメじゃない、頑張らなきゃと言わなきゃ。進歩しないわよ、甘えてしまって」とよく叱られる。「だから」って・・・何?
おまけに、
「素直に嬉しいという反応がないのよね、あなたは、いつも」
と、とんでもない方向に話をもっていかれる。
進歩することが良い事かどうかは置くとしてね、
たしかに、常識的な判断処理を踏み外すと失望されることは多いのです。
・・・でもなぁ。
長い目で物事を見ることも必要な気がする。
「今」は、ひとつの通過点にすぎないのだから。

冬の終わりは、『たばこの害について』です。
三者三様。
際立つ個性。
たくさんの人に見てもらいたいなぁ。
これだけは、劇団員の総意と同じ。
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風通信59

2015/03/03(Tue)
風通信 |
今月の岩波書店のPR誌「図書」の表紙は「ミルク・クラウン」だ。
器に入れた牛乳の上から、牛乳を一滴落とすと、
表面に美しい王冠状の形が形成される、あの現象のことですね。

「ミルク・クラウン」についてはいささか思い出がある。
それは遠い昔のこと。
もちろん思い出なんて遠いに決まっているけれどね。

大学を卒業したかしなかったか、それくらいの頃だった。
学生アルバイトから社員になったので、その辺りの記憶が曖昧なんだが、
ともかく僕は、神楽坂にあった、ある編集プロダクションで働いていた。
新潮社近くのマンションの一室の1階だった。
なぜそれを覚えているかというと、
徹夜明けの5時ごろの植え込みの、
肺の底まで届くような瑞々しい匂いが記憶にあるからだ。
徹夜は普通のことだった。
しかしながら、そういう働き方をしていたわりに、
僕は、いい加減で、だらしなく、どうしようもない社員で、
上司の女性社員からは期待を裏切る男だと言われ続けていた。

そのプロダクションは、
主に、絵本を作ろうと思っている会社だったのだが、
もちろん、それだけで食っていけるわけもなく、
社長は毎夜、酒席を廻っていろいろな仕事をもらってきていた。
少女雑誌の読者投稿欄のレイアウトとか、
モーターサイクルのちょっとしたコラムのページとか、
ほとんどなんの節操もなく、
雑誌のいくつかのパーツを片っ端から編集する。
しかし、もちろん、将来のために絵本のページ物も積極的にやっていた。
僕にしたって、行けと命じられて、
環七沿いのちぎり絵作家のいもとようこ先生のマンションで
指示されるままに、彩色された和紙に線香で穴を空けたりしながら、
いろいろな話を問わず語りで聞くようなこともあった。

そんなある日、社長がひとつの仕事をもらってきた。
サウンド・エフェクトに関する単行本の編集である。
雑誌のページ物くらいしかしたことがなかった僕に、
君が担当しなさいと社長が言ったのは、
他の社員が手持ちの仕事で忙しかったからだろうと、今になって思う。
ともあれ、その時、ブックデザイナーとして紹介されたのが、
東 盛太郎さんだった。
当時は、東京芸術大学の大学院出身の新進のデザイナーで、
朝日新聞の「AERA」の初代のレイアウトを担当なさっていた。

ここで、やっと、「ミルク・クラウン」が登場します。

ブックデザイナーは、まず本全体の構想を練る。
その一環として、カバーをどうするか考えるわけだ。
言うまでもなく、どういう思考回路で出来上がるのか、
ほとんど国文系学生上がりの、出来の悪い僕に知るよしもない。
しかしですね、アイデアとそれを実現するためのフィールドワークは、
なるほど、物を創るということはこういうことか、
と思わせるたぐいのものだったように思う。
考えに考えて、細部に拘って、妥協しない。
笑顔の優しい朗らかな人だったが、飄々と仕事が進んでいく。
そしてある時、
「安永君、ミルク・クラウンの画像を探してきてよ」と言われた。
まあ、そこでミルク・クラウンって何ですか? とは
知らなくても尋ねはしないですよね、僕としても。
それからいくつもの画像をプールしているエージェント探しが始まった。
言うまでもなく、インターネットなんかない時代だったし、
(なにしろ、デバイダーと写植スケールの時代ですからね)
電話をしてアポを取り、電車やバスを乗り継いで事務所に行き、
ポジフィルムのファイルの中から探し、借用書を書いて、持ち帰る。
その繰り返しです。そうして、東さんがこれで行こう! で、落着。

今、思うと、あれが僕の仕事に対する原点だったと思う。
過ぎてしまわなければ分からないことがある。
それは、僕が、プロというのがどういうものか理解した時だった。

それから、少しだけ、僕は変わった。
そして、ほどなく会社を辞めた。
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