ニュース・日記

ニュース・日記

風通信74

2016/02/12(Fri)
風通信 |
半年前の暑い日盛りに、
『リア王』の台本を書いていた。
おいしい台詞がいくつもありました。
その中に「リアの影だ」という道化の言葉がある。
おいしい。

娘たちの思いもよらない裏切りに、
混乱したリアがこんなはずではなかった・・・
まあそういうサブテキストのもとに、

 リアはこんなふうに歩くか?
 こんなふうにしゃべるか?
 頭が悪くなったのか? 分別が鈍ったのか?
 いや、違う。

と嘆く。そして最後に、

 ・・・誰か教えてくれ。わしは誰だ?

と言うと、道化がすかさず、「リアの影だ」という。
おいしいと思うのです。

ここから話は、少しずれていきます。
僕らの生には必ず影あるのではないかということ。
僕らの実物の姿と相似形の影ね。
それは影だから、僕らの存在そのものでもあるわけですね。
そのことを意識しておきたいと思う。
たとえば、
いつも明るく笑って、元気な人がいる。
その人の影はいつも哀しみが流れている。
逆のモードが同時に存在することです。
笑っている人も泣くことがある、ということではない。
笑っていると同時に泣いているのだ。
あるいは泣いていると同時に笑っているのだ。

生きていれば、
泣きたくなる局面に遭遇しないはずはない。
彼、もしくは彼女に影があると思うのは、
まさにそう考えたときだ。
泣きたいときに泣けばいい、と人は言うかもしれない。
しかし、泣きたくとも泣けないときはやっぱりあるし、
泣けるだけの幸せを持てないことだってある。

泣いているんだけどどこかで笑っている。
笑っているんだけどどこかで泣いている。
突き詰めていけば、僕らの生の在り方には
そういうところがあるんじゃないだろうか。
役者は、そのことを想像しなければならない。
想像する力が必要なのだと思うのです。
いや、役者のみならずかもしれません。
感情の天秤棒みたいなもの。
そういうバランスの上で、
僕らの生は奇跡的に成り立っているのではないだろうか。
あるときは影が強くなったり、あるいは逆だったり、
いずれにせよ、どちらか一方だけになることはない。
だけど、ときどき、そのバランスが壊れてしまうこともある。
そして、そんなとき、
人は、ふと死んでしまうような気がする。
ほんとうにそういうことはある、ような気がします。

ところで、はじめに書いたように、
おいしい台詞がまだまだあります。
願わくば、そのひとつでも、
僕らの芝居で心にとどめてもらえると、とても嬉しい。
たとえば、こんなのはどうでしょう。

狂気の中でリアは、

 人はみなこの世に泣きながらやってきた。
 生まれて初めて空気を吸って、わしらは泣いた。
 いいこと教えよう、よく聴け。
 生まれ落ちると泣くのはな、
 この茶番の劇場に引き出されたのが悲しいからだ。

リアのこの台詞を聞きながら、
忠臣グロスターは号泣します。
その「号泣」の意味を、言葉で説明してもつまらない。
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風通信73

2016/01/26(Tue)
風通信 |
一昨日昨日と、雪が降り続けました。
これほどの降雪は久しぶりだった。
稽古後の深夜の道路凍結が嫌だったので、
月曜日の稽古は中止。
本番に向けて、
まず関係者が気をつけなければならないことは、
病気と怪我です。
そのための心構えは常に必要だから、
稽古も中止という判断です。
今回の客演の役者さんは遠くは
飯塚、朝倉から参加してもらっているしね。

ところで、
カール・グスタフ・ユングのいう
「シンクロシティ」というのは、確かな気がする。

先日、突然、ほんとにふと・・・、若い友人のことが頭に浮かんだ。
元気にしてるかなぁ・・・って。
すると、数日して彼からメールが来たのです。
合理的に言えば単なる偶然だし、
それを否定するのにやぶさかではない。
まあ、これが「シンクロシティ」なんです。
ポール・オイスターだったか、
こんな話を集めて一冊の本にしているくらいだから、
風が西から東に吹くような珍しくもない話なのだと思う。
おそらくこれを体系づけると宗教に近づくんだろうけれど、
僕は宗教的啓示にはあまり興味がないので、言及はしない。
河合隼雄さんに言わせると、
これは僕らの心の深いところにある、自分では決して意識できない
魂のようなものの共鳴ということになるらしい。
そうかもしれないですね。
近代の合理性では説明できないけれど。

ときどき、役者にとって大切なのは、
この魂の共鳴ではないかと思うことがある。
役者はそこまで降りていかねばならない。
役者は、俗に「役を演じる」というけれど、
僕は「役を生きる」ことが
役者を構成する重要なエレメントだと思うからだ。
自分の演技を支えるために、
自分の内部をどれだけ掘り下げていけるかが大切なのだ。

舞台は見えているものだけで
すべてが構成されているはずがない。
見えないもの。たとえば、
役者ひとりひとりの、自分では意識されることのない
魂の在処もそのひとつであるはずだ。
これは恐ろしいことでもある。
でもね、そもそも、生きるということは、
そうした魂の在処を抱えていることでもあるはずです。
役者がその存在を確信したとき、
オーディエンスの魂のふるえる舞台ができるように思うのです。

くだんの友人は、遠く離れた地に住んでいる。
どうやらニュースで福岡の降雪のことを知ったらしい。
Stay warmの文字と「鍋」の絵文字の
シンプルなメールを送ってきた。
あはは。
でも、残念ながら、その日は「鍋」は食べなかった。
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風通信72

2015/12/16(Wed)
風通信 |
およそ、2ヶ月。
よんどころない事情で家を空けていた。
パソコンもしっかりと使えず、本もほとんど手元になく、
どうにか生業をこなすだけで、創造的な生活もどこへやら。
それでもなんとか稽古にだけは顔を出していた。
やっと自宅に戻ったと思ったら、これがまた大きな問題ありで、
病人は出るし、体調も悪くなるし・・・。
方々に不義理をしているものの、ままならず、
気がつけば、12月も半ばです。
来週には、配布が始まるチラシの原稿を書くのが精一杯。
いざ書くとなれば、
いつものようにサクサクッと10分くらいで書きましたが、
思いは15年分。

『リア王』に静々と向かいます。

【チラシご挨拶】
・・・・・チャールズ・チャップリンは、
あなたの最高傑作は何ですかと尋ねられたとき、
常々「NEXT ONE!」と応じたと聞いたことがあります。
比ぶべくもありませんが、僕らもそうありたいと思っていました。
でも今、僕らは思うのです。「THIS ONE!」でありたいと。
明日は誰にも保証されてはいないのです。
どんな共和国だって終わりが来るときがある。だから。
15年間のご愛顧に感謝しつつ、多くの客演の皆様に感謝しつつ、
そして何より仲間に感謝しつつ、
シェイクスピアの最高傑作である『リア王』に挑みたいと思っています。
               
   アントンクルー代表 安永史明
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風通信71

2015/09/13(Sun)
風通信 |
マンスリーシアター『授業』公演が終わりました。
ご来場くださった皆様、ありがとうございました。
代表としては、公演がつつがなく終わることが出来たことが、
まずなによりの祝着でした。
客演の堤 穂瑞(劇団テアトルハカタ)さんにも感謝です。

東も竹山も忙しい中、よく頑張ってくれました。
東が40年近くあたためていた作品を上演できて、
団員一同、喜びもひとしおでした。
しかし、たぶん、これからがはじまりかなとも思います。
中村伸郎さんのように、
ライフワークに出来たら素敵だなと思います。
「いじ☆かる」はほどよい小屋だしね。

さて、アントンは
これから来年2月の本公演に向けての長丁場に入ります。
この日記を通じていろいろご報告は出来ると思いますが、
多くの客演さんがいらっしゃるので、
皆さんのフェイスブックなどで稽古場の様子は分かると思います。

関東・東北では豪雨被害が甚大です。
が、ここ福岡はさいわいなことに、今日はいいよい天気。
まるで5月のような一日でした。
陽が当たればちょっと暑く、陰れば涼しく、
コバルト色の高い空に握り拳のような雲が浮かび、
いじ☆かるの裏手の上池の葦は風にさわさわと揺れ、
僕は穏やかに、すこし悲しく、すこし幸せでした。
まるで、猫かし屋のおじいさんのように。
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風通信70

2015/09/01(Tue)
風通信 |
夏の盛りの美しい夕焼けの中で恋をしたことがあった、
。。。ような気がします。
でも、それは、ある種の願望だったかもしれないですね。
でも秋のはじめに、コットンのセーターを着た
白くて透明な美しい女の人に恋をしたことはあった。

遠い昔のお話です。
・・・時間は過ぎていく。
そうですね、確かに、時は過ぎていくけれど、
恋に年齢はなく、今さらながらシェイクスピアに恋をして、
我がアントンは来春、『リア王』(第15回本公演)を上演いたします。

僕は、この2ヶ月、気持ちの通じる客演役者を探して、
この1ヶ月、ひたすら複数の翻訳本を精査して、
熱き心で、夢を追いかける体力を付けて。

でもその前に・・・、
アントンの9月のマンスリー『授業』です。
20代の東が夢見た作品を追いかけて、
やっと60代で演じるという。もしかしたらですが、
彼は80代まで演じるつもりなのかもしれません。

これは、もう、乞う、ご期待です!
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風通信69

2015/07/30(Thu)
風通信 |
暑い日が続きます。

どうもなんだか、そのせいではないだろうけど、
最近、電気製品が立て続けに壊れて、
不便だし、だいいち、お金がかかってしようがない。
困ったものです。ヤレヤレだな。

そもそも始まりは、温水器。
僕は夏はほとんど風呂に入ることはなく、
少し知恵の足りない烏みたいにシャワーで済ませるんだけど、
昼間はともかく夜はやっぱり、
適度な温度のお湯でないと、汗が落ちないような気がするわけです。
予想はついたけれど、これがかなりの高額でね。
まあ、家庭生活における重要なインフラだし、
交換しましたよ。

その二日後。今度は長年愛用してきたVAIOがね、
起ち上げても動かない・・・。
ちょうど、来年の本公演の台本をリライトしていところで、
その作業がストップしたわけです。
もう、なんというか、星一徹のようにデーブルをひっくり返したい気になった。
これもないと困るので、購入。
必要なソフトのインストール作業に丸一日かかった。

そして、今、
ビル・エバンスのトリオ演奏を聴きながら、
気持ちを落ち着けて、これを書いています。

頑張ろ。
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風通信68

2015/07/12(Sun)
風通信 |
昨日のことになるが、
服飾系では九州最大の専門学校である
「香蘭ファッションデザイン専門学校」の
「サマー・ファッション・コンテスト」に行ってきた。
次回の本公演の舞台衣装で、
協力していただけることになっていて、
その関係もあって、劇団員数人と来賓席で拝見。

はじめての経験だった。
何事にせよ、初体験とは期待半分失望半分だと思うが、
これが、なかなか見応えのあるショウだったのだ。
オーディエンスも多く、なんだか異様な熱気が会場を満たす。
下手な芝居よりは見応え十分。
僕は舞台衣装としての視点で終始したが、
それを離れても飽きさせない構成と演出で、
こういう世界があるんだと改めて得心した。

作品はそれぞれの個性が出ていて、
シンプルなモノから手の混んだモノまであって、
見ていて飽きない。
もちろん、学生の作品だから、
専門的に見れば、そのレベルなのかもしれないが、
なにより、作品に対する彼らの情熱が感じられた。
これ大事ですよね。
たしか、桜木紫乃の『ホテルローヤル』の短編のひとつに、
「人間、一生懸命やってる人には、誰も悪口はいわないよ」
みたいな一節があったと思うけれど、あれね。
彼らひとりひとりのこだわりが伝わってくる。

なんだか、楽しみになってきた。

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風通信67

2015/06/23(Tue)
風通信 |
大学の後半の二年間は仕送りがなかった。
授業を受けながらアルバイトをして、
生活費と翌年の授業料を貯める日々だった。
中野坂上の三畳間を借りていたころだ。
淀んだ神田川が近くにあったような気がする。
まるで、フォークソングの世界ですね。はは。
石鹸箱がカタカタ鳴るなんて・・・。
いや、銭湯にさえときどきしか行けなかったんだ。
共同の洗い場でタオルを絞って身体を拭く・・・
・・・そんな生活。

でも、コンパクトなステレオだけは持っていた。
質流れの安物だったけれど。
それでも、今のに比べるとすごく大きかったなぁ。
本は友人の下宿に預けていた。
本当に何も持っていなかったけれど、
それでも、LPレコードは少しあったと思う。
ジャズだけだったな。
唄モノは言葉が邪魔をする。

そんなアパートだったから、大きな音は出せない。
アルバイトが休みで授業も休講の平日の昼間だけは、
スピーカーの音を心持ち大きくすることが出来た。

たとえば、
五月の風が吹く水曜日の午後。
窓を開けて、風を通す。
まあ、窓を開けても1メートル先には、
隣のアパートの灰色のモルタル壁があるんだけど。
窓から上を見上げると長方形の空が見える。
そんな日に、
なんども、なんども、なんども聴いた曲がある。
そのフレーズを、インプロビゼーションの部分まで
たぶん今でも忠実に口ずさむことが出来る。
普通すぎて、照れくさいんだけど、
渡辺貞夫の『カリフォルニア・シャワー』です。
文字通りレコードが擦り切れるくらい聴いた。
どうして、あんなに聴けたんだろう。

幸福の定義はできない。
でも、もしかしたら、あの日々は、
僕にとって幸福な日々ではなかったかとときどき思う。
友だちはいたけれど、
ひとりでジャズを聴いていることが多かった。
女の子には興味はあったけれど、
映画の方が好きだった。
アルバイトはしたけれど、
よく喧嘩して、辞めさせられた。
時には一日で辞めたこともある。あ、これは自分で。
でも、たぶん、幸せな日々。

今日、たまたま、
FMで『カリフォルニア・シャワー』を聞いたんです。

ニュースでは、沖縄慰霊日の話も流れていた。
傷みも分からない空疎な首相の言葉。
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風通信66

2015/05/24(Sun)
風通信 |
訃報です。

扇田昭彦さんが亡くなった。
大野城市のステージで、栗山民也さんと対談したときに、
ナビゲーターをしていただいた。
その後もなんどか、福岡でお目にかかった。
忘れてならないのは、
大阪市立大学での日本演劇学会で、発表を観ていただいたことだ。
穏やかで、優しい風情の方だった。
演出家としては、作品を観ていただけなかったのが
大きな心残りである。

先日のことだが、NHK・FMで、
浅川マキのデビューアルバム全曲紹介というプログラムがあった。
言うまでもなく、それはLPレコードです。
今の人にはわかりにくいかもしれないが、
LPレコードにはA面、B面があって、
A面はスタジオ録音。
B面は天井桟敷が関係する喫茶店みたいなところのライブ。
プロデュースが寺山修司さん。
カー・ステレオのボリューム・スイッチを上げて、
聴きながら、浅川マキも寺山さんももういないンだなぁと、
ため息を漏らしたばかりなのに。

演劇評論家としての扇田さんの業績は、
たくさんあるけれども、つねづね、僕は、
彼が唐十郎の「状況劇場」と同じ釜の飯を食いながら
旅公演を行ったことは素晴らしいと思っていた。
現代演劇が時代を切り拓いていた頃だったからだろうか、
そんなことが出来たのは。
おそらく、あのような演劇評論家はもう出ないだろう。

死は、「長き不在」である。
メールを送っても、
電話をしても、
手紙を書いても、
その応えは闇の中に探すことも出来ないけれど。
それでも、やはり「長き不在」である。
人はかりそめに面をあわせ、深切に別れを惜しむという。
だから、僕も灯火をかかげて、扇田さんを送ろう。

ご冥福を祈りたい。
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風通信65

2015/05/23(Sat)
風通信 |
おそらく、どんな業種でもそうだと思うが、
年度初めというものは、なにかと忙しいものだ。
我がアントンは実業では教育関係者が多く、
なにしろ忙しい毎日、でも、それもやっと落ち着きました。
4月5月と、複数のミーティングを行い、
今年度の公演計画がほぼ固まった。

大きな物語を創りたい。
いや、所詮、物語は普遍的な人間世界だから
大きいも小さいないんだけれど、
ここでいう大きいとは言ってみれば「柄」ということだ。

観客の笑いを誘うような、
観客が簡単に理解できるような、
観客が心地よくなるような、
観客が容易に感情移入できるような、
観客がわぁ感動するゥ〜と言ってしまうような
つまり、
観客の表層を撫でるような、
そんな舞台ではなく、大きな舞台を創りたい。
これが僕らの創る舞台の
最良の舞台と言えるような舞台。
チャールズ・チャップリンは、
あなたの最高傑作は何ですか? と聞かれたときは、
いつも、Next oneと言っていたそうだ。
比ぶべくもないけれど、心意気だけは。

覚悟を決めて、じっくり取り組もうと思います。
だって、次に公演を打てるという保証は
どこにもないのだから、
この作品に賭けるという覚悟がなければ。
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風通信64

2015/05/12(Tue)
風通信 |
あれは、モーニング娘から使われてからだろうか。
退団を「卒業」という言葉でいうこと。
どうも、違和感がある。
あたし、卒業しちゃった! とかいうと、
なんか胸がキュンとするとでもいうのだろうか。
ということを書くと、爺さんの繰り言になるかもしれないけれど。

先日のミーティングで、
岡本直華の退団が正式に発表された。
まあ、発展的退団とでも言おうか。
今後の活躍を期待したい。
他劇団からの誘いもあったろうに、
今までよく頑張ってくれたものです。
どこかで見かけたら、応援してあげてください。

会うは別れのはじめとか。
電車に乗ったら降りなければならないし、
幕が上がれば、エンディングの音と共に幕は下がる。
燃え上がるような恋もいつか疲れた風景の中に色を失っていく。
出逢いは神様の采配だけど、別れは人が用意する。
でも、普通はそのことを考えることはないですよね。
それはそうだ。
そんなことを考えたら、すべてが虚無の世界に落ちるもの。
でも、いつか別れは来る。
出会いの中に別れの種は撒かれているというわけです。

ところで、
一葉落ちて天下の秋を知るというけれど、
どんな国家だって、いつかはその勢いを失う。
僕は、今の日本にほとんど絶望しているけれど、
それでも、やはり希望は残しておきたい、
と思う今日この頃。
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風通信63

2015/04/07(Tue)
風通信 |
というわけで、続きです。

僕の好きな楽曲のひとつに、
今は聴く人もいないだろけど、
「April Come She Will」というのがある。
そう、4月。

関東に住んでいる18番目のガールフレンドからメールが届いた。
彼女は2ヶ月前には、美しいヨーロッパの街にいたから、
日本の桜がことのほか美しかったのだろう、
美しい満開の桜の画像も添付されてありました。
季節柄だしね。
「見渡せば花も紅葉も・・・」というコメントもあって、
そうだよね、確かに・・・。見渡せば・・・、ん?
そうか、天才、藤原定家の歌は花も紅葉もなく・・・、
イメージを提出して、
それを捨像することで際立たせるという高度な技法だった。

現実に満開の花があろうとなかろうといいわけですね。

最近は、満開の桜花を愛でることが多いし、
移ろいながら燃え上がる紅葉した木々を愛でることが多いけれど、
僕は、その盛りより散る急ぐときこそがすばらしいと思う。
言うまでもないことだが、
それは無常の概念に通じるのかもしれないですね。
形あるものは壊れるというあれね。
それは「諦め」だという人がいるかもしれない。
でも、無常という概念は「諦め」ではありせん。
それは精神の再構築なんだな。
つまり、失われたものはもう一度生まれるための準備なんだから。
ほんの一時の輝きを残して自然はその美しさを失う。
そしてその儚さ故に、僕はそういった自然との共生の現象が素敵だと思う。
・・・・ただ過ぎ去っていくのがいいんです。

これは、演劇にも通じるんじゃなかなぁ。
演劇は風の芸術だから、一瞬の風のように、
誰かの心をほんの少しだけ動かして、過ぎていく。
そのような作品を作りたいなぁ。
夜の底で、淡雪のように白く輝く花びらのような。
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風通信62

2015/04/07(Tue)
風通信 |
白馬の鬣が連なったような白い雲が
背振山系の上に低く垂れ込めている夜です。
春にしては少し冷える。
福岡の都心部の灯りが見えます。
ベランダの下の桜並木もすでに花は散り乱れ、
道路が淡雪を乗せたように白く見えます。

僕は、先日、誕生日を迎えました。
オジサンというにはその条件を十分満たしているどころか、
もはや、老人と言ってもいい。
でも、僕は思うのです、年を取るのも悪くはないと。
いや、やせ我慢ではないし、
まして強がりや、自己韜晦をしているんじゃありません。
ビートルズの武道館コンサートを
リアルにテレビジョンで観たことは僕の生涯の自慢だし、
(しかしこういうことを自慢げに話すのはフェアじゃありません)
女の子とすぐに仲良くなりたがる衝動や
押さえきれない怒りのパッションに身をさいなまれること。
そういう余計なエネルギーを使わなくてすむわけです。
もっとも、それが老人の特権ではあるはずですよね。あはは。
まあ、ある意味(これ嫌いな言い方です)自由になったというかね。
そして、こうも思います。
数字的な年齢より、
年齢を超えて分かり合える縦糸みたいものがあるはずだと。
同じ22才といってもいろんな22才がある。
52才のような22才もいるし、12才のような22才もいる。
だから、年齢で人を捉えたくはないし、
それを越えた関係性というものを構築したいと。
恋愛と同じで、みんなそれぞれに違う。
これが正しい在り方だというのもありません。
結局は自分から始まって自分に返る。
そこで、僕はこれから自分のことを小父さんとかお爺さんとか
言わないことにしようと思います。
つまらないでしょう? これが誕生日を迎えた感想。がはは。

This story is to be continued.
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風通信61

2015/03/30(Mon)
風通信 |
昨日、川中が書いていたように、
マンスリー・シアターVol.6が終了した。
一日公演であったわりには、観客数があった。
合計17名です。
「いじ☆かる」で、この数字を多いとみるか少ないとみるか、
評価(というほどのものではないけれど)の分かれるところです。
確かなことは、
DMは出さないし、チラシもほとんど配布しないし、
知り合いにも、何かのついでに一回程度声をかけるくらい。
ホームページにはアップするけれど、それだけで、
メールの案内もしないという事実。
話半分としても、面白かった、また見に来ます、
という多くのアンケート結果が手元には残っているし、
悪くない芝居を創っている自信はある。

告知をしないというか、出来ないのは、
僕らが世俗的に忙しく、圧倒的に時間がないからだし、
実は告知にそれほどの効果はみられないと
思っているからじゃないかなとときどき思う。

僕の場合、たまたま、芝居を作る状況に投げ出されて、
作っていく内に、作ったものを面白いと言う人がいて、
それなら、もっと面白いものをと考えて、
あれもやってみようとか、これも試していようとか、
それやこれやを考えながら今まで芝居に関わってきた。
試行錯誤の稽古と熟慮したプランの基の仕込みと
全員が訓練の行き届いた砲兵隊員と化するバラシが楽しいから、
どうしても上演や観客数は二の次になる。
これはあくまで僕の個人的な場合なのだが、
つまらないと言う人が増えたら、
おそらく、あつかましい僕だって芝居は続けられないだろう。
だから、観客数は問題ではない。

さて、それでいつまで続けられるかなぁ。
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風通信60

2015/03/16(Mon)
風通信 |
春はあけぼの・・・
言うまでもなく、『枕草子』の冒頭章段です。
そして、「冬はつとめて」となる。
日本の季節感を規定したのは『古今和歌集』だと思うけれど、
『枕』の影響も強いんじゃないでしょうか。

さて、季節は春・・・が近いようです。
もう、春一番も吹いたらしいし、
昨日、室見川の川面は光の粒をまき散らしたようで、
風は空を渡り雲を西から東へ運んでいた。
でも、夜は、それでも少し冷える。
それに、春の嵐はまだだ。
季節が変わる時、新しいものが生まれる時、
自然は激しく抵抗する、そんな春の嵐は、まだ来ていない。

僕は常々冬の夜がとても好ましいと言っているんだけど、
あまり賛成してくれる人はいない。
「だって、寒いじゃない・・・、風は冷たくってさ、雪まで降ったら、も、最悪!」なんて、よく言われます。
たとえば冬の夜は暖かいと言ったらどうだろう。いや、結果としてだけど。
あの冬の夜、扉を開けた時の包み込まれるような暖かさは、
身体中の関節が緩みそうになりませんか。
子猫をそっと抱き上げたような幸福感が漂う。
また相反するけど、密度が一定した冴え冴えとした夜の空気。
あれは、水蒸気が凝固して微細な氷となり、つまり見えなくなって、
曖昧に広がった薄い薄い靄のヴェールでなくなるのだという。
それから・・・、いや、だから、
「冬はつとめて」じゃなく、「冬は夜」と思うのですね。
だいいち、夏の夜は、深くなってもどこか残照が残っていて、
なんだか、妖しい気分になるでしょ? ふふ。
それはそれで、得難いものではあるのですが。

僕は、たいていの事柄において、
大方の判断とは反対の立場を取ることが多い。
ある事象に対して、みんながそりゃ「Aだろ!」と言うとする。
すると僕は、よくて「反A」、だいたいにおいて「B」か「C」か、
時には「H」だったりする。
まあ、とりあえず、反対方向へと思考のハンドルを切る。
単なるへそ曲がりかもしれないですね。
そうやって、今までやって来たし、
これからもたぶん変わらないんじゃないかなと思う。
みんなが右へ行くと言えば、じゃあ、俺は左みたいな感じです。

すごく分かりやすいと思われる譬えで言えば、
試験で悪い点を取った学生に対して、
まあ、次に頑張れるチャンスをもらったわけだから、
よかったんじゃない? と言い、
逆に、よい点を取った学生には、
あのね、世の中、そんなに上手くいくとは限らないので、
気を付けないとね、とか、言ってしまうことが多いのだ。
若い人に必要なのは時間と経験しかないわけでね。
目先のことであれこれ判断してもろくなことにはならない(気がする)。
しっかりと生きて、誰かを好きになって、
たくさんの本を読んでいれば、そんなに悪い人生はないはずだから、
目くじらを立てることはないと思うのです。
でも、年の離れたガールフレンドからは、
「だから、あなたは素直じゃないのよ。いい点を取った人の努力を認めてあげて、悪い点を取った人には、ダメじゃない、頑張らなきゃと言わなきゃ。進歩しないわよ、甘えてしまって」とよく叱られる。「だから」って・・・何?
おまけに、
「素直に嬉しいという反応がないのよね、あなたは、いつも」
と、とんでもない方向に話をもっていかれる。
進歩することが良い事かどうかは置くとしてね、
たしかに、常識的な判断処理を踏み外すと失望されることは多いのです。
・・・でもなぁ。
長い目で物事を見ることも必要な気がする。
「今」は、ひとつの通過点にすぎないのだから。

冬の終わりは、『たばこの害について』です。
三者三様。
際立つ個性。
たくさんの人に見てもらいたいなぁ。
これだけは、劇団員の総意と同じ。
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風通信59

2015/03/03(Tue)
風通信 |
今月の岩波書店のPR誌「図書」の表紙は「ミルク・クラウン」だ。
器に入れた牛乳の上から、牛乳を一滴落とすと、
表面に美しい王冠状の形が形成される、あの現象のことですね。

「ミルク・クラウン」についてはいささか思い出がある。
それは遠い昔のこと。
もちろん思い出なんて遠いに決まっているけれどね。

大学を卒業したかしなかったか、それくらいの頃だった。
学生アルバイトから社員になったので、その辺りの記憶が曖昧なんだが、
ともかく僕は、神楽坂にあった、ある編集プロダクションで働いていた。
新潮社近くのマンションの一室の1階だった。
なぜそれを覚えているかというと、
徹夜明けの5時ごろの植え込みの、
肺の底まで届くような瑞々しい匂いが記憶にあるからだ。
徹夜は普通のことだった。
しかしながら、そういう働き方をしていたわりに、
僕は、いい加減で、だらしなく、どうしようもない社員で、
上司の女性社員からは期待を裏切る男だと言われ続けていた。

そのプロダクションは、
主に、絵本を作ろうと思っている会社だったのだが、
もちろん、それだけで食っていけるわけもなく、
社長は毎夜、酒席を廻っていろいろな仕事をもらってきていた。
少女雑誌の読者投稿欄のレイアウトとか、
モーターサイクルのちょっとしたコラムのページとか、
ほとんどなんの節操もなく、
雑誌のいくつかのパーツを片っ端から編集する。
しかし、もちろん、将来のために絵本のページ物も積極的にやっていた。
僕にしたって、行けと命じられて、
環七沿いのちぎり絵作家のいもとようこ先生のマンションで
指示されるままに、彩色された和紙に線香で穴を空けたりしながら、
いろいろな話を問わず語りで聞くようなこともあった。

そんなある日、社長がひとつの仕事をもらってきた。
サウンド・エフェクトに関する単行本の編集である。
雑誌のページ物くらいしかしたことがなかった僕に、
君が担当しなさいと社長が言ったのは、
他の社員が手持ちの仕事で忙しかったからだろうと、今になって思う。
ともあれ、その時、ブックデザイナーとして紹介されたのが、
東 盛太郎さんだった。
当時は、東京芸術大学の大学院出身の新進のデザイナーで、
朝日新聞の「AERA」の初代のレイアウトを担当なさっていた。

ここで、やっと、「ミルク・クラウン」が登場します。

ブックデザイナーは、まず本全体の構想を練る。
その一環として、カバーをどうするか考えるわけだ。
言うまでもなく、どういう思考回路で出来上がるのか、
ほとんど国文系学生上がりの、出来の悪い僕に知るよしもない。
しかしですね、アイデアとそれを実現するためのフィールドワークは、
なるほど、物を創るということはこういうことか、
と思わせるたぐいのものだったように思う。
考えに考えて、細部に拘って、妥協しない。
笑顔の優しい朗らかな人だったが、飄々と仕事が進んでいく。
そしてある時、
「安永君、ミルク・クラウンの画像を探してきてよ」と言われた。
まあ、そこでミルク・クラウンって何ですか? とは
知らなくても尋ねはしないですよね、僕としても。
それからいくつもの画像をプールしているエージェント探しが始まった。
言うまでもなく、インターネットなんかない時代だったし、
(なにしろ、デバイダーと写植スケールの時代ですからね)
電話をしてアポを取り、電車やバスを乗り継いで事務所に行き、
ポジフィルムのファイルの中から探し、借用書を書いて、持ち帰る。
その繰り返しです。そうして、東さんがこれで行こう! で、落着。

今、思うと、あれが僕の仕事に対する原点だったと思う。
過ぎてしまわなければ分からないことがある。
それは、僕が、プロというのがどういうものか理解した時だった。

それから、少しだけ、僕は変わった。
そして、ほどなく会社を辞めた。
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風通信58

2015/03/02(Mon)
風通信 |
2月の終わりに、
NHK交響楽団の九州公演を聴きに
佐賀まで車を走らせた。
結論から言うと、N響はやはり優れたオーケストラだと思う、
少なくとも日本だけに限定すれば。

前半のメインは、
メンデルスゾーンのバイオリン・コンチェルト。
これは、あまり心に響かなかった、残念だけど。
もっとも、後ろの座席の野球帽が背中を蹴っていたせいかもしれない。
休憩の後、空いていた左側の座席に移ったので、
後半のプログラムは、堪能した。
ドボルザークの8番シンフォニーです。
冒頭のチェロがとても厚くて、まあ、指揮も良かったせいか、
ストレートに三楽章のテーマに感情移入できた。
このワルツは、青春の憂いに満ちた輝きだといつも思う。

指揮の下野竜也は
TVで一度だけ観たことがあるが、
棒の振り方には身体全体のエナジーを感じさせる。
そのTVのインタビューで、
ドボルザークの6番が大好きと言っていたから、
違う曲だとは言え、8番も想い入れが強いのかもしれませんね。

ブラームスはドボルザークの師匠だったけれど、
ある時、こう漏らしたという。
「彼は間違いなく私より素晴らしいメロディーをもっている」
まあ、そんな感じの言葉です。
ボヘミアの草原を歌うような8番とか
アメリカの平原から送られた望郷の手紙のような9番を聴くと、
素人ながら、なるほどほんとに言えてるなぁ、そうだよね、
と深くうなずいてしまう。
でも、ベートーベンの、
奇数番号シンフォニーの奇跡的な革新を研究し尽くして
1番シンフォニーを完成させたブラームスなんだから、
そもそも音楽のスタイルが違うのだと、認識すべきだったんじゃないだろうか。
いやいや、認識した上で師匠として、
あの言葉を言っていたのかもしれないですね。
とすれば、これはドラマになる。

3月は卒業のシーズン。

ドラマを生み出す師弟関係が
きっといくつもあったんだろうなぁ。
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風通信57

2015/02/26(Thu)
風通信 |
えーっと、今でこそチェーホフ作品は近代演劇の金字塔とか、近代劇はチェーホフから始まるとか言われているんだけど、彼が戯曲を書いたのは晩年でね、それまでは小説家として活躍していたわけです。彼の本業は医者で、モスクワ大学の医学部卒業ね。医学部生時代から彼は小説を書いていました。それも大活躍で、人気作家。女性にもモテたそうです。そんなことはどうでもいいけど、彼が時間を惜しむように小説を書いたのはもっぱら経済的理由でね。あ、もちろん生まれ故郷のタガンロークの古典科中学生のころから創作意欲はあったみたいですが、なにより彼の家族は、夜逃げをしたくらいの家族だったし、生活費を稼がなくちゃいならない。それで、新聞なんかに、書き殴っていた。だから、短編小説です。ロシアの文学っていえばトルストイやドストエフスキーだから、ふつう長編小説ね。でも、チェーホフは短編なんです。話は飛ぶけれど世界的な短編小説の名手はフランスのモーパッサン。どうも彼とチェーホフはアプローチが違うみたいなんだ。チェーホフには伏線とかプロットとか技巧はなし。ひたすら、人間、人間、人間。事件なんてほとんど起きないのです。まあね、面白いのはやっぱり人間かもしれないし。じゃあ、チェーホフはどんな人間を描いたかなんだけど、これが作品の形となると、そのほとんどが笑話なんですね。よく読めば悲哀もあるんだけど、よく読めばの話でさ。彼は24才の時に喀血していて、ほら自分が医者だから、判断できるわけですよ、結核って。そうすると難しく言えば、人間を客観視するみたいな、人間の立ち振る舞いを外側から眺めるっていうかさ、そういう目で人間の姿を見ることになる。それはたぶん、彼の短編小説の底に流れていると思います。彼の描き方は、現存する世界の短編作家にも大きな影響を与え続けている。で、『たばこの害について』です。これは、そうした短編小説から本格的な戯曲に向かう、言わば途中にある作品。ひとり芝居です。頭の上がらない奥さんから「たばこの害について」の講演をするように言われた主人公。モリエールに『いやいやながら医者にされ』というタイトルの戯曲があるけれど、いやいやながら講演しなくちゃならない彼は、脱線に次ぐ脱線。そうでしょう、したくなかったわけだから。でも、実は話したかったのかもしれない。とこれ以上書くとネタバレになってしまうので書けません。今回のわがアントンクルー公演は、この『たばこの害について』を3人の男優が演じます。はじめに東是信が、チェーホフの原作を演じる。今ではいろんな人が訳していますが、彼が使用するのは神西清版。もっともオーソドックスなものです。次に栃原純司が演る栃原バージョン。これは、奥さんに命令されて講演するというスタイルだけを踏襲して、その中身はまったく現代。唄まで歌っちゃう創作です。言わばフレームだけ借りた創作劇。3人目は落語家としての名前は粗忽屋鴈次郎、岩井眞實の落語風の、これもまたフレームを借りた創作芝居。抱腹絶倒のトリプル、情熱あふるるトロピカルな舞台です。三つのバージョンが一度に観られるお得な公演。是非お運び下さい。
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風通信56

2015/01/12(Mon)
風通信 |
大野城から依頼された「リーディング公演」の仕事が終わりました。
竹山も書いているけれど、短い稽古期間だったのですが、
それなりに充実していたようで、若い劇団員の保護者のような僕としては、
嬉しいかぎりです。縁側で昆布茶でも飲んでいたい。
とはいうものの、依頼はしんどい(けれど楽しい)仕事でした。

依頼されたのが、11月の終わり。
戯曲の抜粋箇所(つまり切り取るところですね)の決定が
たしか・・・12月15日だったか。
劇団のマンスリー公演も抱えており、時間的にタイトだったし、
二つの作品を上演するというのは難しかろうと判断し、
大野城にその旨を伝えた。
まどかぴあスタッフの某嬢は、そりぁ粘り腰で、
はいはい、そうですねぇという返事はするけれども、決してウンと言わない。
これはきっと優秀な制作者なんだろうなと思いつつ、
ほら、僕は、いまひとつ押しの弱い人間ですから、結局、
いつの間にか引き受けざるを得ない状況となっていた。
そのころの状況はといえば、
我がアントンはマンスリー・シアターの新作
『帰れない二人』の稽古の真っ最中で、
久々の演出作品となる僕は連日、栃原と岡本に怒鳴り散らしていて、
とても戯曲を読む時間はなかったんですね。
それでもだれか全編を読んでくれるだろうと淡い期待を抱いていて、
その誰かに物語の解説をしてもらおうと思っていた。
言うまでもないことだが、期待に応えてくれる団員はひとりとして、
まあ、いないわけですよ。そこで、
21日が千秋楽、それから休む暇もなく戯曲の分析に入ったんです。
作品の云々は別として、まったく質の違う作品で、
どのようにアプローチするかが難しい。

僕は現代人は基本的に病んでいると思っているから、
作家である幸田君の意図はたぶん違うだろうなと思いながら、
登場人物に過剰な演技を要求することなく、
普通の人が普通に思いながら生活するような上演を考えました。
だって、人それぞれの個々の行動や言葉って、
よくよく考えると、変なこと、不思議なことばかりです。
その辺りの案配が巧く描かれている作品だったしね。
変というのは、言い方を変えて、よく言えば人間の面白さだけど。
『となりの田中さん』は、だから、普通の人々を描けばいいと判断。
すいません、幸田君。
普通の人を見て、客観的に見たらなんか変・・・、
って感じることってあるような気しませんか?
ただ、四つの部屋の田中夫婦の同時進行劇は、
リーディングではその味は出せないだろうと思いました。

『喜劇 ドラキュラ』は、困りましたね。
作品の背景を押さえようと調べてみると、実に丁寧に史実を踏まえている。
作家は言葉に責任を持ち、演出家は観客に責任を持たなくちゃいけない。
つまり、
作家は書かなければならないし、演出家は見せなければならないのです。
捕虜を串刺しにしたヴラド二世(ドラキュラ)が眼目で、
人間の串刺しを舞台の載せるわけにはいかないしなぁ・・・。
劇団員の栃原が、
「これってゲームの世界じゃないですか?」と本質をズバリ解説。
彼は、機械類には絶望的なくらい暗い男ですが、
時々、ボソッと物事の本質を鋭く突くことがあります。
・・・それにト書きがト書きになっていなくて映像を解説しているみたいで。
でも、勝手に省略するわけにはいかない。
そこで、すべてのト書きをパワーポイントで示そうと、スライド作り。
そのタイミングと、役者の台詞とSEの擦り合わせをQシートに書き込む。
さて、歴史劇を
いかにアクチュアルに表現するかという問いかけに応えるのは難しい。
僕は、この大仰な歴史劇を現代に上演する意味を見つけるために、
まず「音」にこだわることにしました。
いつもそうなんだけど、最初からアタリをつけて開始。
今回の選択はロックです。
CDラックの中にあるロックの棚からCDを抜き出しました。
12月30日から年越しての1月の5日まで、
寝ても覚めても聞きまくりましたね。
古いところではキンクスやアニマルズから、
コールドプレイまで、200枚近く。
いや、もう少しあったかな。その中から絞り込んでいく作業。
ハードロック、メタル、パンクロック、サイケデリックロック、
ブルースロック、クリスチャンロック、ブリットポップ、
オルタナティブロック、クラシックロック、フォークロック等々
(書いている内に分からなくなりそうでしょ?)、
地域で言うとUKからもちろんアメリカヨーロッパ、北欧まで。
最終的には、オープニングにジミ・ヘンドリックスという、
まあ、ありきたりな選曲となりました。あは。なんと『Purple Haze』。
ジミヘンのCDは8枚ほどあって、
この曲のパフォーマンスは4種類くらい持ってるんですね。
その中の1トラックを選択しました。ところが、これがブートレック版で、
実際に小屋で鳴らしみたら、部分的に音が抜けていることが判明。
それでも、良い演奏であることには疑いないんだけど、
まあ、芝居では使えない。
そこで選択し直して、観客にあの冒頭のリフをそのまま聴かせるのは、
ちょっと刺激が強かろうと考えて、
オーケストラのチューニングのSEを入れたらどうかと考える。
これを入れると、クラシック感とワクワク感が出てきます。
ほら、1950年代のハリウッド映画で、
始まる前に、スチールかなんかで「オーバーチェアー」(序曲)って、
入っていたのがあるでしょ?
あれって、やっぱりオペラを意識しているんだろけど、
あんな感じです。
巧くハマって、クロスで入れて完成。パチパチ。
そして、5日から稽古。
時間がないので、ここはこんなふうに表現すると決め打ち演出デス。
団員は慣れているから、けっこう愉しんでやります。(と、僕は勝手に解釈)
感謝、感謝。

まあ、こんな感じで、今年が明けました。
遅くなりましたが、皆さま、明けましておめでとうございます。
今年も、アントンをよろしくお願いします。
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風通信55

2014/11/29(Sat)
風通信 |
雨の夜です。

こういう夜は、
ビリー・ホリデーの「I'll Be Seeing You」が聴きたくなる。
いつか使ってみたい曲なんです。

前にも書いたことがあったと思うけれど、
年老いたらそれなりの良さがあるものだ。
必ずしも、若いということが良いことではありません。
でもね、
ふと、人にはこういう感慨を持つ瞬間があるのではないだろうか。
「あの頃・・・、そうだ・・・、みんな若かった・・・ただ、若かった・・・」
などという台詞を漏らす瞬間。
その後は、・・・静かな沈黙しか残されていない。
言葉を失うような感じで。
涙が流れるかもしれないが、それを拭うこともせず。
静かに、あの曲が流れる・・・。
あ、演出しちゃった(爆笑)

「伊勢物語」にある
〜いにしえのしずのおだまき繰り返し昔を今になすよしもがな〜
という歌を思い出しますね。
適当な訳をすると、
「麻糸を紡いだ糸巻きから糸を繰り出すように、
もう一度親しかった昔を巻き戻し、
あの楽しかった日々を今にする方法がないものか。
それは出来ないと分かっているのに・・・」
こんな感じになるのでしょうか。

最近、訃報を聞くことが多い。
栗山民也さんの奥さんの中川安奈さん。
ジョニー大倉。越部信義、松本典子、中島啓江・・・。

昔は良かったとか、
今がいちばん良いとか、
人はいろいろに言うけれど、
過ぎていった時間が二度と戻らないことは事実ですよね。
過ぎたものは、すべて愛おしいのかもしれないですね。
二度と戻らないからこそ。

ここ数ヶ月、ひどく忙しかった。
その疲れか、この一週間、仕事以外は寝込んでしまって、
ちょっと弱気になったのかな? あはは。

勘タンが逝った11月の静かな幕引きです。
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