ニュース・日記

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仮チラ完成!

2011/08/27(Sat)
アントンクルー公演のお知らせです。

いよいよ次回公演の仮チラシが完成しましたのでアップします。

詳細はまた後ほど。


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風通信2

2011/08/15(Mon)
風通信 |
必要があって、古典の文献を探す。
このあたりにあったんだけど、と思って、
左手の書棚の奥(僕の書棚は収納しきれなくて二重に本が並んでいます)
を探すけれど、見つからない。
ところが、探す作業をしている内に、
思いがけず、懐かしい本に出会ったりするんですね。
音楽もそうだけど、本にも失われた時間を取り戻す力がある。
それはもちろん、
服装や恋愛や夕焼けのように個人的なものだ。
「ルネサンス期におけるフィレンツェ市民の公衆浴場についての研究」とか
「ポアンカレの復帰定理の印度宗教への応用」などという本だって、
ある種の人々には失われた青春を思い出すよすがになる、
ことだってあり得る、・・・ないか(笑)
(ちなみに、上記の書名の本は実在しません)

ところで、いくら本を読んだからといって、
傍らにたたずむ人の髪の匂いほどには人間のことはわからないし、
つないだ手のぬくもりほどには感じないはずだ。
でもね、それでも、本を読んだ後、
過去のいくつかの場面について、
あの時はこういうことだったのかとふと気付くことがある。
これは大人の特権ではない。
幼稚園児だって人生の深淵さを覗き見ることだってあるのです。
彼らは、佐野洋子の「100万回生きた猫」を読んでいるんだものね。
人生・・・・、しかし人生という言葉はなんだか恥ずかしいなあ。
ちょうど太宰治が恥ずかしいように。(太宰ファンの方怒らないで下さい)
リチャード=ブローディガンは人生は時に一杯のコーヒーと言っているし、
いれたてのコーヒーの香りがどんな聖賢の言葉より私たちを励ましてくれる朝がある
と谷川俊太郎が言っているから、
人生という言葉もやっぱりそんなにすてたものではないだろう。
ところがこういうささいな事実を知るためには、
本を読まなければならない。
どうにも困ったものだ。

これを読書の二律背反性というのかしら。

憧れと懐かしさの入り交じった
夜明けの夢のような気分を味わいたければ、
ヘルマン=ヘッセを読むといい。
自分の夢に励まされ、その同じ夢によって蹉跌し、
悲哀や憤怒とともに成長する生き方を学びたければ、魯迅を読むにかぎる。
といったところで、よしなしごとかもかもしれないなぁ。。。
ただ、ロクサーヌに純情を捧げるシラノの心を
わがことのように感じる男の子がいるかもしれないし、
ジュリアン=ソレルに一度でいいから愛されてみたい
と思う女の子がいるかもしれない(これは少し危険ですが)とは思う。

どうやって、オチを付けようか・・・と思うくらい
収まりがつかなくなったので、今日はこの辺で終わりにしよう。
・・・つづきは明日(かな)。

今日は休日。
頭も心もリフレッシュ(笑)
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風通信1

2011/08/13(Sat)
風通信 |
盂蘭盆会です。
でも、今日は仕事。
日本演出者協会が主催している「演劇大学in福岡」のプログラムの一環として開催された「シンポジウム〜演劇の音」の司会(進行)をしてきました。
パネラーは福岡プロジェクトの参加講師である瓜生正美、青井陽治、小林七緒、柴幸男、流山児祥、和田喜夫さん。錚々たるメンバーなんですね、これが。
「演劇の音」というテーマは、「演劇と音」にあらず。福岡ブロックの面々共々、けっこう考えて新しい切り口を提示したつもりだったが、今さら何を?という感じで、評判が芳しくなかった。けれど、シンポジウム自体は、テーマに沿ってなかなか有意義なものであったように思います。
「青年団」を母体とする柴さんが「自分を楽器にする」と言った後、「大きな声を失うのはもったいないですよね・・・」と語ったのは、個人的にウけました。僕も調子に乗って、「演劇は汗をボタボタ落としてナンボ」などと言ってしまったり。あは。いや、日ごろはプロミネンスや言葉の届け方など言っているわりには、俺の原点はやっぱり、つか芝居じゃないかと思った今日でした。

演劇大学、明日まで。明日は発表会です。

今日から、僕(史明)の日記は「風通信」とタイトル化します。
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残暑お見舞い申し上げます。

2011/08/12(Fri)
毎日、とんでもない暑さが続いてますね。

先週は仕事で福島に行ってきました。

静かで落ち着きのある街でした。

一日も早い復興をお祈りします。

博多演劇ワークショップは、8回を終えて、来週の5回を残すだけとなりました。

参加者のやる気に圧倒されつつ、楽しい時間を過ごしています。

若い子の吸収の速さには驚くばかりです。

21日の発表公演が今から楽しみです。

それでは、今日から実家で短い夏休みを過ごしてきます。

とち
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生きるってこと。

2011/08/03(Wed)
今日はお休みだったので家でゴロゴロしようと決め込み、テレビをつけた。
そこで、サッカー選手の松田直樹が心肺停止状態で病院に搬送されたというニュースが報じられた。

彼がマリノスにいたころ、何度か生で見たことがある。
プレーも彼の性格と同じで、力強かった。
そして私の好きなサッカー選手、中田英寿と吉田孝行の親友。
松田をそんなに詳しく知っているわけではない。
しかし、物怖じしないからヒデと言い合い出来る唯一の選手であり、吉田さんとも仲がいい印象があって、彼を必要としてる人は多いんだろうと思ってた。

なのに。

なんでかなあ。なんで、倒れたんだろう。
神様の存在、私も信じてないわけじゃないんです。どっちかというと信じてる…かも。
だけど信じすぎるのもちょっと分からない。
「そういうことすると罰があたる」とかいうし、体のどこかが悪くなるのは行いが悪いからだ、なんていう説もあるけど、じゃあ病気になった人みんな悪いことしたんだろうか。事故や災難にあった人はみんな罰があたったんだろうか。
それはなんか違う気がする。大体罪とか罰ってなんだろう。
虫が生き残るために、共食いしたらそれが罪になるんだろうか。結局神様も倫理も人間が作ったものじゃん。
罰があたろうがあたるまいが、結局人はいなくなるときがくる。

だから、人間ってただの自然の一部でやっぱり生かされてるんだとつくづく思う。
その時がくるのは選べない。

じゃあなんで生まれてきたのかな。生きることそのものに意味があるのかな。
22年間も生きてきて、まだ生きる意味がわからない。
22歳は若くない。もう、だいぶ長いこと生きてきた気がするのに。

自分が果てるのは明日なのか、来年なのか、10年後なのか、それともずっと先の話なのか。
ただ、いつその時が来てもいいように、1日1日に悔いを残さないでいたい。

松田選手の続報を待ってる。

亀岡
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