ニュース・日記

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本チラシ完成!!

2011/09/28(Wed)
いよいよ、アントンクルー次回公演、
第13回公演『桜の園』の本チラシが完成しました!

近々、サイト内に公演情報特設ページも追加予定です。

チケットお申し込み用メールフォームの方も用意する予定なので、
もう少々お待ち下さい。

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稽古日記1

2011/09/28(Wed)
『桜の園』の稽古が本格的に始まりました。

今回は客演の方に沢山参加していただいております。

都合により欠席された場合、代役を立てて対応しています。


仕事の都合により今回も出演できなくなってしまった陶野としては、代役でも演じることが出来きて稽古はとても楽しいです。


他の劇団さんの稽古場を見たことがない私は安永さんの演出の付け方しか知らないのですが、よく場面の説明や役者さんにこうして欲しいという要望を動きで表しています。


先日の稽古で安永さんが一生懸命、場面の説明をしていました。

「・・・・・・で○○はショックを受けるわけですよ。ガーンって。こうガーンって」

そう言いながら安永さんは『顎がはずれています!』という形を口元から両手を降ろして表していました。

正面で見ていた私は、その動きがどうしてもガチャピンとムックの『ムック』が驚いている時に口をガコーンと開けて両手を口に入れている姿にしか見えませんでした。

一生懸命ムックを演じる安永さん・・・。

悪いと思いながら笑ってしまいました。

たぶん他の人が同じ仕草をしてもそんなにツボにはまらないと思うのですが、「安永さんが一生懸命ムックをしている」というイメージが頭に刻まれてしまい、かなりツボにはまってしまいました。

今でも辛いことがあった時にその姿を思い出しただけで元気になれます。



桜の園を普通に読んでもそんなに楽しいと思わなかったのですが、稽古していて心くすぐる台詞や爆笑できるシーンが結構あることに驚いてしまいました。

陶野


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風通信5

2011/09/12(Mon)
風通信 |
さて、今週が始まりました。
早いもので、すでに9月も第3週となります。

先週も忙しかったけれど、今週もまた。

先週末、「縁劇繍団つむじ」の旋風三十郎さんと、
雨上がりの天神で会いました。
お聞きした年齢には見えない、爽やかな青年でした。
縁あって、『桜の園』に出演が決定しました。
楽しみです。

それが遅いのか、そうでないのか、判断は出来ないけれど、
これで、ほぼキャスティングが決定したことになる。
僕らはルビコン河を渡ったということですね。

さて、
僕は、本業を持っているわけだが、そこの同僚から、
「良いですねぇ・・・、趣味があって」とよく言われる。
あは、冗談ではない。
少なくとも、僕は演劇を趣味としてやっているわけでないのだ。
では、プロかというと、それには留保が付く。

プロとは何か?
それは、次の三つで定義できるのではないだろうか。
1、それで収入が賄えること。つまり職業として成立しうること。
2、そのことに対する高度な専門的知識を獲得しうること。
3、専門職と呼ぶにふさわしい自己決定権や交渉能力を有すること。
1、については、演劇で完璧な収入が賄える人間は、全国的レベルでも少ない。
したがって、
2、3、があれば、一応、プロと定義できる。
そうした意味では、僕は確かにプロであると自覚している。
しかし、そんなことはどうでも良いのかも知れないと思うのだ。

おそらく、僕だけでなく、アントンの劇団員の総意は、
自分たちの創る作品は世界に対して開かれているし、
考え得る最高の作品を創ることにある、というものである以上、
僕らは、趣味として演劇を創る団体とは言い難い。

こう考えると、
他人のことはあまり気にしないで、
自分が「これだ」と思ったものを、自分のやり方で探求する以外にない。
そうしていると、
けっこう忙しくて、他のことはあまり目に付かなくなる。
やなものは見ない。
たぶん、これは人生の極意である・・・ような気がする。
そうじゃないかしらん?
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風通信4

2011/09/12(Mon)
風通信 |
前回の続き。
でも、ビリヤードのことではありません。

名曲(クラシック)喫茶のこと。

高校時代の放課後に通ったのは、ビリヤード場だけではなかった。
綱場町にある名曲喫茶「シャコンヌ」。
おそらく、ここで僕の音楽観は作られたように思うのですね。
もちろん、すでにビートルズとは出会っていたし、
毎週、ラヂオでオン・エアされていた
(今でいう)洋楽トップテンなんかも欠かさず聞いていた。
けれど、
音楽というものに出会ったのは「シャコンヌ」じゃなかったかと思うのだ。
ここで、音楽を定義することは難しい。
ただ、ビートルズは音楽も含めて生き方と出会ったのだと思う。
だから。

今はどうか知らないけれど、
当時は喫茶室と鑑賞室に二分されていて、
その境目の壁には客が書くための「リクエスト黒板」があった。
鑑賞室に入ると、リクエストがかかるまで何時間でもいてよかった。
もちろん、田舎の16歳の少年にリクエストできる曲はない。
だから、もっぱら常連客のそれを受け取るだけ。
そこで、モーツァルトもベートーヴェン、バッハもブラームスも、
ロベルト・シューマンも、フレデリック・ショパンも知った。

お金のない高校生にとって、何時間でもいてよいということは、
そこで宿題や勉強が出来たということであり、
一杯のコーヒーで粘らねばならなかったということでもある。
勉強はあまりしなかったけれど、本は実によく読んだ。
言うまでもないことだが、何を読んでいたのか、すっかり忘れています。
コーヒーに付いてくる生クリームを使う裏技。つまりですね、
お冷やとして出てくる水のグラスに入れて、砂糖を溶かして飲み物とする。
あるいは、レモンティーを頼み、レモンだけ除けて、
それを水のグラスに入れて、ライムジュースを飲んだ気分を味わう。

その頃の僕に必要なのは時間と、おそらく、経験だった。
時間は永遠といえるくらいにたっぷり用意されていた。
そして、経験はテラ・インコグニタ(未踏の大地)だった。
でもたぶん、それでよかったのだと思う。
確かに、現実生活から学べることはいっぱいあるものだ。
けれど、音楽や本から学べることは、そういうものとはちょっと違う。
心の置き場所がちがうのとでも言おうか。

アントンの舞台音楽は、オリジナル音源以外はすべて、僕が選曲する。
作品のイメージに合わせて一つの作品に対して、
曲数で言えば、芝居の尺にも依るけれど、300〜400曲は視聴する。
その中から選ぶのです。
ジャンルは日本民謡以外のすべて領域にわたる。
クラシック、ジャズはもちろんこと、
シャンソン、ファド、ブルーズ、フラメンコ、アコースティックのソロギター、
タンゴ、ロマの音楽、アイリッシュ(ケルト)音楽、
時にはアニメーションのBGMまでにまたがる。

たいていは、シーンが出来てから、狙いを付けて音源を探すのだが、
時には、ある楽曲を聴いたとき、シーンが見えるときがある。
そういうときには、経験上、悪くない舞台が出来る。

でぇ、今回、エンディング用に、ひとつ、見つけたのさ。ルン。
使えたら、嬉しいなぁぁぁぁ
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風通信3

2011/09/08(Thu)
風通信 |
昨日は『桜の園』の稽古。
なかなか進まない、と、まあ、それは毎度のことですが。。。

ビリヤードのことを書こう。
言わずと知れた、ラネーフスカヤの兄、ガーエフの好きな、
おそらく、ガーエフの無為の象徴としての、あのビリヤードのことである。

僕が、人生の中で、というといかにも大げさですが、
ビリヤードをもっともしたのは、高校生時代だった。
自民党政権は博物館の大理石みたいに盤石で、
誰もが、無垢で幸福な未来を信じられた時代だ。
それほど熱中していたわけではないけれど、
女の子と映画を見に行くよりは、
ビリヤード場に通った回数が、はるかに多かった。
あ、いや、・・・まるで比較になりませんな。

放課後の補習という野暮なものはなく、
いや、あったかのもしれないけれど、
少なくとも僕たちには、
六時間目が終わると自分たちの時間だという意識しかなかった。
授業の終了のチャイムがなると、
休み時間に約束してた三、四人、ときには七人くらいで、
校門を出て、ゆっくり石堂川を渡り、
古門戸町の細い路地をぶらぶら歩いて、ビリヤード場へ通ったものだ。

確か、
綱場町あたりにあったと思うけれど、よく覚えていない。
ただ、昭和初期に建てられたような建物の
2階にあったことは確かで、
ギシギシなる木製の階段を上がっていったのを覚えている。
土埃が白墨のように隅に固まり、踏み込まれるところは靴の形に摺り減り、
ところどころに、こげ茶色の節が見える、
要するに、長い年月を生きてきたと感じさせる木製の階段ですね。

ビリヤード場は、学校の教室を三つ繋げたくらいの広さで、
ちょうど図書館の机のように、台が規則正しく並んでいた。
僕らは、おもむろに学生服を脱いで、腕まくりをし、
その日の場所代を賭けてキュー・スティックを持って、
シャフトの先の手玉を狙ったものだ。
17歳の高校生は、今にして思えば、実につまらない、
たったそれだけのことで命を賭けるように必死になれる存在なのだろう。
木枠の窓硝子に斜めの西陽が差し込むのにも気がつかなかった。

ある日のことだ。
いつものように、階段を上がってカウンターで受付を済ませ、
振り返った一人が、
「・・・おい」と微かな声で僕らを呼んだ。
「あれ・・・」という彼の視線の先に、一人の年老いた男がいた。
「あれ、・・・先生やろ?」
その、草臥れたスーツを着たまま、手玉を見つめる男は、
昼休みが終わった五時間目の数学を担当するM先生だった。
言うまでもないことだが、
出来の悪い高校生にとって、五時間目の数学ほど素敵な時間はない。
M先生は、いつでも僕らの優しい先生だった。

僕らは、カウンターの前で、
修学旅行の記念写真を撮るみたいに、ひとかたまりになり、
ただ、じっと先生の方に視線を向けていた。
それ以外に何を見ることができたろう。
そのうち、そんな僕らに気づいたM先生が
右側の前歯が抜けたままの口でニコッと笑ったんです。あはは。

僕が数学を嫌いでなくなったのは、その時からだろうと思う。
ビリヤードは数字に通じる、とまぁ、先生はおっしゃるわけだ。
それが正しいか正しくないかは分からない。
でも、その頃の僕らは、深く深く納得したものだ。

今回の『桜の園』には、伏見さんが客演して下さる。
伏見さんは、歯こそ抜けていないけれど、M先生に似ている。
昨日の稽古では、圧倒的な存在感。
でも、彼はガーエフは演じない。うふふ。
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おじいちゃん先生。

2011/09/01(Thu)
先日、実家に帰ったときに高校生の妹とおじいちゃん先生は面白いという話をした。
私も経験がある。

高校一年生、最初の英語の授業は70歳を過ぎたおじいちゃん先生であった。
その先生はいきなり自分のサインをでかでかと教室の黒板に書いた。
頭文字が「A(a)」だったのだが、その部分が三重丸になっていた。


なにごとかと思っていると、



「この一番小さい○が昨日、
次に大きい○が今日、
一番大きい○が明日ということで

明日に希望を持って(以下略)」


という説明を延々とし始め

(そのサインが大分の唯一のデパート、トキハのマークそっくりだったことは内緒)、

私たちは初っ端から授業の洗礼を受けた。
他にもふつーに授業してるのに先生用の台から落ちるわ、なんかいきなりキレだすわ、まあ予測不可能な先生だった。


ところで、妹の学校のおじいちゃん先生はメガネをかけているそうだ。
授業中にメガネを落とし


「ああ、メガネが落ちてしまいました。メガネが…メガネ…」


と、言いつつもメガネを拾い上げ無事にかけた。
そのまま授業は着々と(?)進んだ。


しかし、前の席に座っている子はずっと笑っている。
不思議に思った妹は友達に理由を聞いてみる。




「だって先生、メガネのレンズ外れちょんもん」






気付かんまま授業しよったんかい。


妹の高校はおじいちゃん先生のおかげで今日も笑いに包まれている。

(亀岡)
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悲しいことに。記録が・・・。

2011/09/01(Thu)
9月になりました。本公演までもう少しです。

わたしは、ワークショップ発表公演の記録DVDの編集作業をしています。
というか、していました。

が、昨夜、突然、パソコンから「カタカタ、カタカタ」と異常音。
ハードディスク・エラーのメッセージが出て復旧しない。

いろいろ調べてみたら、ハードディスクが壊れたようで。
復旧作業依頼したとしてもかなりの費用がかかるようです。

あきらめて、買い換えることにしました。

DVDを待っている皆さんもう少々お待ちください。

・・・今までの公演記録もとんでしまいました。
ふう。


かわっち
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