ニュース・日記
「みすず書房」という、いささか地味であるけれど、
良心的な書籍(まあ、哲学や社会学などの専門書が中心)を
多く発行している出版社のPR誌は、『みすず』と言います。
まあ、そうだよね。他のネーミングを思いつかない。
『図書』(岩波書店)とか、『本』(小学館)は、
それなりに総合出版社であるという微かな自負が読み取れる。
『青春と読書』なんて、やっぱり集英社という感じがするし、
『波』に至っては、なるほど「新潮社」なのね、だからね、と妙に納得してしまう。
いや、PR誌の話ではない。
「みすず」の1・2月号は合併号で、「読者アンケート」を特集する。
2013年の号を例に、分かりやすくいえば、
50人くらいの学者や評論家、ジャーナリストなどが
出版社のアンケートに答える形で、
2012年に読んだ本の中で印象に残った物を5冊挙げるという企画。
毎年のことだが、僕はこの号を購入する。
年が明けると、だいたいこの小冊子を読むことにしているわけです。
PR誌とはいえ、定価300円。しかし、
情報の量からすれば、とてもその金額で買えるものではない。
本に(ということは、著者はもちろんのこと編集者に対しても)誠実に向き合い、
その姿勢によって、僕を励ましてくれるような文章が並んでいる。
今年の「みすず」の中に、一人だけ『中平卓馬』の本に言及した書き手がいた。
中平卓馬・・・。
ここから話は、70年代の初め頃の京都に話は飛ぶ。
大学1年だったか2年だったか忘れてしまったけれど、
比叡おろしの風が吹く京都で、ひと冬過ごしたことがある。
賭け麻雀で生活費を稼ぎ、寝泊まりは友だちの下宿を渡り歩いた。
安酒を浴びては、2日おきくらいに喧嘩をして
名画座で映画を観て、荒神口のジャズ喫茶(何という名前だったか)でジャズを聴いて。
そんな冬の冷たい雨が降る夜。。。たぶん出町あたりだったと思うけれど、
雨に濡れた黒い敷石がある路地をクネクネと曲がって、
一軒の喫茶店(あるいは飲み屋だったかも知れない)に入って行ったんです。
万年胃下垂に悩まれているような小柄な、
でも、それでいて随分と精悍そうな目を持った、髪が肩まである人物を囲んで
立命や同志社や京都の連中とおぼしき僕と同年代の若者が話し込んでいた。
話の内容から、真ん中にいる、どちらかといえば貧相に見える中年の男が出版した
新刊の本について、話しているらしいと分かった。
僕は、夜のわりには頭がスッキリしていて
(なにしろ、当時は脳細胞が解けるくらい酒を飲んでいたから)
それとなく話に耳を傾けたんです。
もう分かると思うけれど、その輪の中心にいたのが中平卓馬だった。
当時の僕は、森山大道、荒木経惟はおろか、土門 拳の名前さえ知らなかったから、
彼らが、いくぶんか尊敬のまなざしで一言一句を拝聴している
この厚い黒縁メガネの男のことは知らなかったはずだ。
驚いたことに、というか、その時の僕の心境を思い出すと、そう言わざるを得ないのだが、
小耳に挟んだ、彼らの言葉が僕にはまったく理解できなかったんです。
こいつらは何を言っているんだろう・・・。
漢字で書くことが出来そうにない漢語やカタカナ語が飛び交っていて。
ああ、ここに、とんでもない熱に浮かされている人間たちがいる、
僕とは、まるで違う人種がいると思った。
地方から出てきた(当時は福岡は地方、まあ今でもそうだろうが、地方だったと思う)
頭の中が真っ白で、頭の悪い僕とは違う、
まったく異なった空気を吸っている同年代の人間がいる、と。
話はここで終わる。
霧の中に消えてしまうような40年近く前の話だ。
あの時、言葉に迷いなく、
大きな声で自らの思いを語っていた彼らは、今、どこにいるんだろう?
営々と家庭を築き、ささやかな幸せと共に生きているんだろうか?
良心的な書籍(まあ、哲学や社会学などの専門書が中心)を
多く発行している出版社のPR誌は、『みすず』と言います。
まあ、そうだよね。他のネーミングを思いつかない。
『図書』(岩波書店)とか、『本』(小学館)は、
それなりに総合出版社であるという微かな自負が読み取れる。
『青春と読書』なんて、やっぱり集英社という感じがするし、
『波』に至っては、なるほど「新潮社」なのね、だからね、と妙に納得してしまう。
いや、PR誌の話ではない。
「みすず」の1・2月号は合併号で、「読者アンケート」を特集する。
2013年の号を例に、分かりやすくいえば、
50人くらいの学者や評論家、ジャーナリストなどが
出版社のアンケートに答える形で、
2012年に読んだ本の中で印象に残った物を5冊挙げるという企画。
毎年のことだが、僕はこの号を購入する。
年が明けると、だいたいこの小冊子を読むことにしているわけです。
PR誌とはいえ、定価300円。しかし、
情報の量からすれば、とてもその金額で買えるものではない。
本に(ということは、著者はもちろんのこと編集者に対しても)誠実に向き合い、
その姿勢によって、僕を励ましてくれるような文章が並んでいる。
今年の「みすず」の中に、一人だけ『中平卓馬』の本に言及した書き手がいた。
中平卓馬・・・。
ここから話は、70年代の初め頃の京都に話は飛ぶ。
大学1年だったか2年だったか忘れてしまったけれど、
比叡おろしの風が吹く京都で、ひと冬過ごしたことがある。
賭け麻雀で生活費を稼ぎ、寝泊まりは友だちの下宿を渡り歩いた。
安酒を浴びては、2日おきくらいに喧嘩をして
名画座で映画を観て、荒神口のジャズ喫茶(何という名前だったか)でジャズを聴いて。
そんな冬の冷たい雨が降る夜。。。たぶん出町あたりだったと思うけれど、
雨に濡れた黒い敷石がある路地をクネクネと曲がって、
一軒の喫茶店(あるいは飲み屋だったかも知れない)に入って行ったんです。
万年胃下垂に悩まれているような小柄な、
でも、それでいて随分と精悍そうな目を持った、髪が肩まである人物を囲んで
立命や同志社や京都の連中とおぼしき僕と同年代の若者が話し込んでいた。
話の内容から、真ん中にいる、どちらかといえば貧相に見える中年の男が出版した
新刊の本について、話しているらしいと分かった。
僕は、夜のわりには頭がスッキリしていて
(なにしろ、当時は脳細胞が解けるくらい酒を飲んでいたから)
それとなく話に耳を傾けたんです。
もう分かると思うけれど、その輪の中心にいたのが中平卓馬だった。
当時の僕は、森山大道、荒木経惟はおろか、土門 拳の名前さえ知らなかったから、
彼らが、いくぶんか尊敬のまなざしで一言一句を拝聴している
この厚い黒縁メガネの男のことは知らなかったはずだ。
驚いたことに、というか、その時の僕の心境を思い出すと、そう言わざるを得ないのだが、
小耳に挟んだ、彼らの言葉が僕にはまったく理解できなかったんです。
こいつらは何を言っているんだろう・・・。
漢字で書くことが出来そうにない漢語やカタカナ語が飛び交っていて。
ああ、ここに、とんでもない熱に浮かされている人間たちがいる、
僕とは、まるで違う人種がいると思った。
地方から出てきた(当時は福岡は地方、まあ今でもそうだろうが、地方だったと思う)
頭の中が真っ白で、頭の悪い僕とは違う、
まったく異なった空気を吸っている同年代の人間がいる、と。
話はここで終わる。
霧の中に消えてしまうような40年近く前の話だ。
あの時、言葉に迷いなく、
大きな声で自らの思いを語っていた彼らは、今、どこにいるんだろう?
営々と家庭を築き、ささやかな幸せと共に生きているんだろうか?