ニュース・日記

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風通信29

2013/03/07(Thu)
風通信 |
『巷説〜井尻殺人事件』に、次のような台詞がある。

女はね、どうでもいいのよ、嘘であろうと誠であろうと。
「ここに小屋を作るんです」と言ったときの瞳の輝きにグッと来たら、
それでいいのよ、女は。

この作品は、どちらかというと、
掛け合い台詞のタイミングとプロットの展開で笑いを取る芝居なんだけど、
そして、この台詞では、お客さんはだれ一人として笑わないけれど、
僕は、照明卓のゲージを触りながら、ここでいつも笑ってしまうんです。
なぜなのかは、分からない。
大人になっても、分からないことは分からないものです。

言語哲学的には、
言語によって世界は分節化され、認識がはじまるわけだし、
亀岡も岡本も年齢的にも若い(岡本にいたっては、公演中にハタチになった!)し、
確かに難しい台詞だとは思う。
十分に表現しているかというと、いささかこころもとない。

風通信の27にも書いたけど、
底冷えのする京都で3ヵ月ほど暮らしたことがある。
京都に行っていた友人の下宿に転がり込んだり、
同志社で留年した先輩のアパートで過ごしたりした。
修学院近くだったと思う。
夜はほとんど酔っぱらっていたけれど、
時々、珈琲が飲みたくなって近くの喫茶店に行った。
その店で、年上の女の人と知り合いになった。
たいていは、赤いパンプスを履いた人だった。
どういうきっかけで話しはじめたのかは忘れているけれど、
なんどか通ううちに、顔見知りとなったんだと思う。
ベン・シャーンの絵のつまらなさとか、
琳派の屏風絵の現代性とか、
雨上がりに聴くモーツァルトの響きとか、
丹下健三の大時代的設計思想とか、
成瀬巳喜男の作品の視点とか・・・
要するに、そんな終わりのない話をいつまでも続けていた。
彼女は大人に見えたけれど、
たぶん、年齢は20代後半だったんじゃないかと思う。
今にして思えば、ある種の輝きを持った時間を共有できたのだから。
そして、今にして思えば、その輝きは、
圧倒的な時の流れの中に消えていくものだとわかる。

雨の降る夜だった。
夜の雨は好きだったが、京都の初冬の夜の雨は冷たい。
「飲みに行かない?」と誘われた。
連れて行かれたのはジャズを流している一軒のバーだった。
店の壁には、
マイルスやコルトレーンや、エラのモノクロ写真が掛けられていた。
カウンターの横に小さな黒板があり、そこに、
読めそうもない乱雑に書かれた文字が踊り、
金釘流のカタカナでタイトルが書かれてある。
それは、どうやら客のリクエストを書くための黒板のようだった。
彼女がリクエストをしたかどうかは、残念ながら覚えていない。
飲み物を注文した後、ほとんど話さなかったことは覚えているのに。
彼女の視線がレコード棚に向いたので、僕もつられて顔を向けた。
壁一杯にレコードが並んでいた。
今の人はよく分からないかもしれないが、その存在感は圧倒的である。
CDなんて、ない時代の話だ。
痩せたマスターが、
ベルサイユ宮殿の給仕長が食器棚から
宴席用の大切な磁器を取り出すみたいな雰囲気で一枚のレコードを取り出した。
レコードをジャケットから取り出し、ターンテーブルに置く。
宝物を美しい皿に載せるようにトーンアームを動かして、針を載せる。
まるでホンキートンク・ピアノのようなレンジ幅の狭いピアノの音が流れた。
そして、しわがれた声で女性が唄いはじめた。
それがビリー・ホリデーだった。
何曲目だったか、
“I'LL BE SEEING YOU”が大きなJBLのスピーカーから流れた。
はじめて題名を教えられて知った聴いたジャズの曲。
僕は、その時、何を感じていたのか覚えていない。
ジャズの匂いや手触りや、響きを感じたような気もするし、
それはずっと後のことだったかもしれない。そんな気もする。
「この曲はね、第二次大戦中に、戦場で兵士たちがいつも聴いて涙を流してた曲」
それが、彼女の言葉だった。彼女は酔いはじめていた。
そして、唐突に
「悪い噂も聞いていたのよね、でも、あたしには優しかったから」
それっきり、ひとことも言葉を発しなかった。
まるで、言葉を失った小さな女の子のように見えた。
泣いているようだったが、暗くてよく見えなかった。
何度も言うようだが、今にして思えば、と思うことがある。
今なら、それなりに適切な受け答えも出来るだろうか。
たぶん、そんなことは出来ないだろうと思う。
少なくとも、その時の僕も、言葉を失っていた。
空中に漂う言葉のかけらさえ見いだせなかった。

外では雨が降ってた。

第二次世界大戦は、知らなかったけれども、
ベトナム戦争は終結に向かっていた。
京都ではベ平連がベトナムの脱走アメリカ兵をかくまっているという噂が
まことしやかに流れていた時代の話だ。

その日以来、彼女に会うことはなかった。
もちろん、携帯電話なんてなかったし、連絡方法も知らなかったのだ。
いま、僕は、あれが通過儀礼じゃなかったかと思う。
扉が開かれ、そして閉じられる。
そのたびに、人は少しずつ、老いてゆく。
寺山修司は、
一本の樹は歴史ではなく、思い出であると言った。
一人の誕生は経験ではなく、物語だとも。

言語の相対性ということを考えている。
舞台の台詞と役者の認識。
ここに書かれたことはほとんどがフィクションである。
彼女の言葉を、表現するためには、役者は何を思うだろう。
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風通信28

2013/03/05(Tue)
風通信 |
街路樹が色づきはじめて、舗道に枯葉が舞い、
雪の舞う日が何度かあって、気がつけば光が妙にまぶしく感じられ、
昨日は霧のような煙のような霞んだ空があり、
そんなささやかな日々を重ねて、
今月は『巷説〜井尻殺人事件』の千秋楽です。
この作品は、今後も改稿して上演していく予定なのだが。
でも、とりあえず、第一次の公演は無事に終えることになるだろう。

小屋までお運び下さったみなさま、ありがとうございました。

だからというわけではないが、少々ネタバラシ。

題名からも分かるように、
この作品はつかさんの『熱海殺人事件』へのオマージュである。
複線として、「東電女性管理職殺人事件」(東電OL殺人事件)が絡む。
切り口は、「原発」です。しかし脱原発とか反原発とかの主張ではない。
僕らは主義主張する劇団ではないしね。
だいいち、どうも、誰かに叱られるかも知れないけれど、
どうも、あからさまな主義の主張はちょっとオシャレじゃない。

さて、芝居の最後に、マッサージの先生(実は医者)が登場する。
暗がりからじっとジョセフ・コットンを見ている
オーソン・ウエルズの視線を持つ男。
ほとんど、準劇団員の米沢が演じている(時々栃原や川中が演じる)んだが、
役柄上、白衣を着ている。
この白衣は「アスクル」の特売で買った。
確かめてはないが、この3ヵ月、一度たりとも洗濯した覚えがない。
まあ、汚れは少ないし、あまり洗う物じゃないけれど、
役者としては自分の舞台衣装だから、それなりに気を使うべきだと思うのですね。
このあたりが、米沢が正団員に昇格できない理由である(笑)
(でも、劇団内に階級があるわけではないのですよ)
なにも、アイロンまでかけなさいとうわけではないのだが。

僕は、シャツは、オックスフォード織りの
センタープリーツの付いたボタンダウンのシャツしか着ない。
一口にボタンダウンシャツといっても、
襟のボタンの位置でシャツの出来不出来が違うというのをご存じだろうか。
さすがに、ブルックス・ブラザースのフルロールはほとんど瑕瑾がない。
美しく見えるわけですね。
オックスフォードのシャツは基本的にはアイロンをかけないのがルールだ。
ところが、僕は好みとして、せっかくの生地なのに、
ぱりっとした感覚と、袖にスッキリと折り目が付いているのがよくて、
たいていはクリーニングに出すことにしている。
だから、本来コットン生地は長持ちするはずなのに、3〜5年で駄目になる。

服のことで思い出したことがある。
アル・パチーノが主演した『シー・オブ・ラブ』という映画がある。
ずいぶん昔の作品だ。
アル・パチーノは好きな俳優だったから、見たんじゃないかと思う。
彼の『リチャードを探して』は素晴らしいです。いや、この映画の話。
犯罪者と恋愛関係に陥るニューヨーク市警のしがない刑事を描いた
どちらかというとB級のラブ・サスペンスなんだが、
同僚に妻を寝取られたこの主人公が、女性とベッドインするシーンがある。
(まあ、その他の場面はまったく忘れたわけですよ、これが。)
その時、アル・パチーノの後ろ姿をカメラは押さえているんだけど、
ズボンをおろした時、下着(はっきりいうとパンツです)が、
ちょっと草臥れた、お尻の部分がだぶついた白のブリーフだった。
あれは、参ったなぁ・・・でも、まあ、そうだよな、と思った。
コスチューム・デザイナーはよく考えたなと。

実は、というほどのこともないんだけど、
『巷説〜井尻殺人事件』には、台詞の中に、アル・パチーノも出てきます。

まだ、見ていない人は、「いじ☆かる」へ。
チャンスは、あと、3回しかありません。
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