ニュース・日記
まだ、もちろん梅雨は明けていないんだけれど、
今日の午後、夏の扉が開いたようだった。
僕はかねがね、
夏という季節は遠い山から始まるように思っている。
輝くような白い積乱雲が青みを帯びた遠い山の背景にあり、
その雲の透き間から、青空が見える。
近くの山は緑が深く、
夏の初めの風は美しい人の髪を柔らかくゆらすようで、
始まりの予感がする。
谷川俊太郎は、『ネロ』という作品で、
いくつもの記憶の夏を描いている。
その最後の連は、
「もうじき又夏がやってくる
そして
僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ 春をむかえ 更に新しい夏を期待して
すべての新しいことを知るために
そして
すべての僕の質問に自ら答えるために」
となっている。
もう、間違いなく18歳の生まれたての詩人の作品という気がする。
さて、
僕はあと何回の夏を迎えることが出来るだろう。
ふと、思ってみる。
水無月が過ぎていく。
明日からは文月。
『ワーニャ・レッスン』が本公演に入る。
今日の午後、夏の扉が開いたようだった。
僕はかねがね、
夏という季節は遠い山から始まるように思っている。
輝くような白い積乱雲が青みを帯びた遠い山の背景にあり、
その雲の透き間から、青空が見える。
近くの山は緑が深く、
夏の初めの風は美しい人の髪を柔らかくゆらすようで、
始まりの予感がする。
谷川俊太郎は、『ネロ』という作品で、
いくつもの記憶の夏を描いている。
その最後の連は、
「もうじき又夏がやってくる
そして
僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ 春をむかえ 更に新しい夏を期待して
すべての新しいことを知るために
そして
すべての僕の質問に自ら答えるために」
となっている。
もう、間違いなく18歳の生まれたての詩人の作品という気がする。
さて、
僕はあと何回の夏を迎えることが出来るだろう。
ふと、思ってみる。
水無月が過ぎていく。
明日からは文月。
『ワーニャ・レッスン』が本公演に入る。