ニュース・日記

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風通信42

2013/12/31(Tue)
風通信 |
風通信には、ひとつの原則があって、
それは政治的文言は書かないということだった。
でも、今日はちょっとだけ破りたい気分。
一年の終わりだしなぁ。

予想はしていたものの、
これほど急速に変化するとは思わなかったからね。
変化? ・・・そう、急激な日本の右傾化です。
ファシストは、澄んだ瞳でやってくるのだ。

最近は改憲論はなりを潜めてはいるが、そぞろ出てくるはずだ。
すでに、自衛隊は国防軍に変わりそうな気配。
そうすると、事実上、戦争が出来る国家になる。
もちろん、平和ボケになった今の時代だとしても、
国防軍(自衛隊)への入隊は激変するでしょうね。
では、どうするか。
結果的に、社会的弱者(失業者や貧困層)がスカウトの対象になる。
かつての日本の貧しい青年層が、
軍隊に入れば三度の飯が食べられるからと
入隊を志願するという発想と同じ構図だ。
戦場で命を落とすのは彼らです。
「守るべき国家」。確かに軍隊は成功するかどうかは別として、
国を守るためのひとつの可能態ではあるはずだ。
でも、その「国」というのは、
国家という枠組みや政府という体制であって、
国民の命ではない。だって、
第二次世界大戦、唯一の国内戦である沖縄戦で、
そのことは十分に証明されているからね。
つまり、国が国民を守ってくれるわけがないのだ。

集団的自衛権の名の下で、
アメリカの戦争に巻き込まれる可能性の方が、
尖閣諸島でもめている中国との戦争の可能性よりは遙かに高いだろう。
こんな一例をみても、(まあ、その他にいろいろのあるのですが)
現政権の改憲案は、危険というより、愚かというほかない。
愚昧な政治家に翻弄される民衆ほど、不幸な存在はないという。
いちおう民主主義体制の中で、僕らが選択した政権だから、
天に向かって唾を吐くようなものですけれど。

尖閣問題にしても、
両国の緻密な外交交渉で長年に亘って積み重ねてきた経緯を知ることなく、
国有地とした愚かさもさることながら、その対処として、
自衛隊の武器の増強を尖閣問題を考慮して行うという防衛大綱も、
すでに核抑止論という戦略が崩壊していることを完璧に失念している、
いわゆる歴史認識の誤認だし、時代遅れのアナクロニズムでしょう。
今更ながらだけど、
そうした軍備の増強に、僕らの税金が使用されるわけです。

社会が何処へ向かうのか不明なとき、
その不安感の裏返しとして、歴史を学び直すというスタンスがある。
そうしたとき、たとえば現政権の
「積極的平和論」という言葉の欺瞞性に行き着く。
第一次世界大戦を戦った人々は、
究極の平和を希って戦った、最後の戦争だと信じて。
しかし、第二次の世界大戦は起こった。
それにしたって、日本の場合、
この戦争は「東洋の平和の達成の為の戦いだ」と喧伝された。
だから、「積極的平和論」を唱えるから、
戦争はしないということには絶対にならないわけだ。
いや、むしろ、そう言いだした時こそ、
危険なトリック、あるいは詭弁が弄され始めたと考えた方が良い。

3・11で、日本は変わることが出来るはずだった。
それさえ出来ず、まして、オリンピック誘致合戦では
「原発は完全にコントロールされている」とまで世界に向かって明言した、
現政権の欺瞞性ひとつ取っても、呆然と言葉を失ってしまう。

演劇で何が出来るか。
最後に、今年書いた原稿のひとつ、
日本演出者協会の協会誌に載せた一文で終わりたい。

それは想像力の問題かもしれないが、
被災地から遠く離れたこの九州の地では、
実感として震災のことを感じることは難しい。
言葉失うほどのあの日の惨状は、TVを通してまるで別世界のようにも思われた。
しかし、それは現実であり、
多くの失われた命と失われることのない記憶が残った。
確かに、古来、僕らは自然の災害と共に生きてきた。
「無常」という概念でそれらと言ってみれば「共生」してきたのが
僕ら日本人だろう。
しかし今回の災害は、それにもうひとつの災禍が加わる。
言うまでもなく福島の原発による人工の災禍である。
たまたま、上演していた『巷説〜井尻殺人事件』の伏線に
東京電力OL殺人事件を入れた。
それは原発と深く関わった事件だとして。
そのパンフレットに、自然災害と人工災禍を同じ地平で解釈するなと書いた。
経済的効率性が優先し、それに飲み込まれるような現代に
演劇というフィールドを通して何ができるのか。
新しい倫理と規範こそ望まれるのではないかと考えている。

さて、新作『1471のシェイクスピア』は、
シエイクスピアの史劇がベースになるが、
日々感じることを想起しつつ、
アントンは、世界に向かって、
徹底して、軽やかに遊びたいと考えている。

※大瀧詠一さんが亡くなった・・・。嗚呼。上記と違った意味だけど、やはり言葉を失う・・・。
 だんだん、無口になっていくね。
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1年を振り返る。

2013/12/28(Sat)
亀岡紋加です。
明日から大分(別府)に帰るので、大慌てで日記を書きます。今、洗濯中。部屋干し。
さて、この1年の出演作品を振り返ります(単なる自己満)

2月   劇団天地「オレステス」
2〜3月 劇団アントンクルー「井尻殺人事件」
7〜8月 劇団アントンクルー「ワーニャ・レッスン」
10月  演劇創作館椿楼「レーツェルレーゼン」
12月  モンブラン部「花」(前説のみ)

初、客演の年でありながら最初と最後が客演という、まさに客演の年。
(↑何が言いたいかわからん文章)
オファー下さった方々、本当に感謝しています。
それもアントンクルーという、ホームがあったから出来たこと。
充実した一年でした。
あ、洗濯終わったんで日記も終わります。みなさん、よいお年を。
3月ぜひお越しください。

☆ツイッターやってます(@Ayakame0131)

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仕事納め

2013/12/28(Sat)
今年もあと4日。
大部分のかたが、昨日仕事納めだったのではないでしょうか。

わたしは、仕事納め後にチョット近くの筥崎宮に行ってみたんですが
遅かったせいで中にも入れずの状態でした。

IMG_20131227_200612.jpg

年明けたら、初詣にて公演の無事を祈念しないといけませんね。
出店の準備も着々と進んでいました。

で、今回の休みは9日間。
久しぶりに「ワーニャレッスン」と「井尻殺人事件〜ブリリアントバージョン〜」の編集をしないといけないなあと思っています。

さあ、
アントンクルー 第14回公演
『1471のシェイクスピア』

トップページには、出演者情報がでました。
本チラシには、おそらく全員の写真が掲載されるものと思います。
わたしは、撮影中は相撲取りの身体ともいわれてましたが。ハハ。

ご期待ください!


karichirashi2-1.jpg

川中
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クリスマスの夜に

2013/12/26(Thu)
お久しぶりです。栃原です。
昨日は、いじ☆かるstudioで3月公演のチラシ用写真の撮影会でした。
和気あいあいとした雰囲気の中、全員の撮影が完了しました。
クリスマスなのに…
天神はカップルだらけなのに…
井尻で…
団員全員って…

2年前の『櫻の園』から早2年。
いじ☆かるstudioでの修行?を経て、
さらにパワーアップした舞台をご期待ください!
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初舞台、井尻殺人事件。 集大成、井尻殺人事件。

2013/12/25(Wed)
はじめて日記を書きます。
劇団最年少の岡本直華です。

随分時間が経ちましたが、
井尻殺人事件~ブリリアントバージョン~
ご来場いただきました皆様、応援してくださった皆様、ありがとうございました。支えてくれた全ての方に感謝しています。

約1年前、1月9日(水)。私の初舞台でした。井尻殺人事件~オリジナルバージョン~をやりました。緊張で体が震えたのを覚えています。その頃の私は、舞台上で話すということだけで精一杯でした。それすらもできていなかったかもしれません。
そのうち、毎週舞台に立つようになっていました。
そして、年内最後の11月公演。井尻殺人事件~ブリリアントバージョン~。
成長した私の姿を観ていただきたいという一心でした。
今年の集大成にふさわしい舞台にしたい!そんな思いで全力でやりました! だから、「成長してる。」「上手くなってる。」「変わったね。」と言ってもらえた時は心底嬉しかった。私にとって最高の褒め言葉でした。

次回は、3月本公演。
私にとって、はじめての本公演。
ドキドキ…ワクワク…
3月公演で、もっと成長した姿を観ていただけるように頑張ります!
まだまだ未熟な私ですが、これからもよろしくお願いします。



今日は、クリスマスでしたね。
すっかり忘れていました…^_^;

みなさん、素敵なクリスマスを過ごしてくださいね♡
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いじ☆かるスタジオ最高

2013/12/22(Sun)
劇団最年長の東是信です。
井尻商店街のいじ☆かるスタジオで水曜劇場をスタートして1年半が経ちました。
僕の若い頃、渋谷にあったジャンジャンでは毎週金曜日(木曜日だったかな?)に
中村伸夫さんが「授業」というお芝居をロングランで何年もやっていました。
100人も入らないような教会の地下のスペースでしたが、毎週続けていることをがクチコミで広がったのでしょう、当時は演劇会で話題になって、僕が見に行ったときは、開演2時間ほど前にもかかわらずすでに入口には行列ができていました。
井尻でもそんなことができるはずです。
僕はあのいじ☆かるスタジオが大好きです。
お客様との距離感、40人入れば満席の狭さ(おっと、20人でも満員に思える)
来年もいじ☆かるスタジオで毎週公演を続けていきたいなあ。
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風通信41

2013/12/08(Sun)
風通信 |
今日は、ジョン・レノンの命日です。

1980年の今日は、東京の武蔵境にいた。
どこかに書いたかもしれないが、
彼の死がテレビの臨時ニュースで伝えられたとき、
富士食堂という定食屋で、パスタ・ランチを食べていた。
パスタをからませたフォークが一瞬止まった。

武蔵境にはたくさんの欅の木があって、
いちように枯葉を落としていたけれど、
今日のように、空が隅々まで晴れ渡った日だった。

あれから約30年、ずいぶん遠くまで来た。
おまえは何をなした? ・・・NON!
でも、どうやらここまでは生きてこられた。
さて、残された時間はどれくらいなのだろう。

いろいろな人と出会い、いろいろな人と別れ、
もう二度と会うことのできない人も数多い。
懐かしく思い出すことも増えてきた。
すべてが時の流れの中に消え去ったわけはないのだ。
過ぎていった人たちが残した言葉は、
僕の中で生きていて、僕の言葉になった。だから、
僕が捨てた言葉も、きっと誰かが活かしてくれるのだろう。
僕が忘れた歌も、きっと誰かが思い出して歌うのだろう。
そう言い聞かせながら、
今日は一日、ビートルズの曲を聴いていた。
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