ニュース・日記

ニュース・日記

風通信61

2015/03/30(Mon)
風通信 |
昨日、川中が書いていたように、
マンスリー・シアターVol.6が終了した。
一日公演であったわりには、観客数があった。
合計17名です。
「いじ☆かる」で、この数字を多いとみるか少ないとみるか、
評価(というほどのものではないけれど)の分かれるところです。
確かなことは、
DMは出さないし、チラシもほとんど配布しないし、
知り合いにも、何かのついでに一回程度声をかけるくらい。
ホームページにはアップするけれど、それだけで、
メールの案内もしないという事実。
話半分としても、面白かった、また見に来ます、
という多くのアンケート結果が手元には残っているし、
悪くない芝居を創っている自信はある。

告知をしないというか、出来ないのは、
僕らが世俗的に忙しく、圧倒的に時間がないからだし、
実は告知にそれほどの効果はみられないと
思っているからじゃないかなとときどき思う。

僕の場合、たまたま、芝居を作る状況に投げ出されて、
作っていく内に、作ったものを面白いと言う人がいて、
それなら、もっと面白いものをと考えて、
あれもやってみようとか、これも試していようとか、
それやこれやを考えながら今まで芝居に関わってきた。
試行錯誤の稽古と熟慮したプランの基の仕込みと
全員が訓練の行き届いた砲兵隊員と化するバラシが楽しいから、
どうしても上演や観客数は二の次になる。
これはあくまで僕の個人的な場合なのだが、
つまらないと言う人が増えたら、
おそらく、あつかましい僕だって芝居は続けられないだろう。
だから、観客数は問題ではない。

さて、それでいつまで続けられるかなぁ。
このページのTOPへ

マンスリーシアター Vol.6

2015/03/29(Sun)
マンスリー・シアター:トリプル・トロピカル公演
『たばこの害について』 無事終了いたしました。
ご来場いただいた皆様、誠にありがとうございました!

IMG_20150328.jpg


「めんたいぴりり〜博多座版〜」と同じくして千穐楽。
もうすぐ3月も終わり、花見も見頃。

でも、明日から現実ですよ〜。

千穐楽2公演、放心状態の川中でした。
このページのTOPへ

風通信60

2015/03/16(Mon)
風通信 |
春はあけぼの・・・
言うまでもなく、『枕草子』の冒頭章段です。
そして、「冬はつとめて」となる。
日本の季節感を規定したのは『古今和歌集』だと思うけれど、
『枕』の影響も強いんじゃないでしょうか。

さて、季節は春・・・が近いようです。
もう、春一番も吹いたらしいし、
昨日、室見川の川面は光の粒をまき散らしたようで、
風は空を渡り雲を西から東へ運んでいた。
でも、夜は、それでも少し冷える。
それに、春の嵐はまだだ。
季節が変わる時、新しいものが生まれる時、
自然は激しく抵抗する、そんな春の嵐は、まだ来ていない。

僕は常々冬の夜がとても好ましいと言っているんだけど、
あまり賛成してくれる人はいない。
「だって、寒いじゃない・・・、風は冷たくってさ、雪まで降ったら、も、最悪!」なんて、よく言われます。
たとえば冬の夜は暖かいと言ったらどうだろう。いや、結果としてだけど。
あの冬の夜、扉を開けた時の包み込まれるような暖かさは、
身体中の関節が緩みそうになりませんか。
子猫をそっと抱き上げたような幸福感が漂う。
また相反するけど、密度が一定した冴え冴えとした夜の空気。
あれは、水蒸気が凝固して微細な氷となり、つまり見えなくなって、
曖昧に広がった薄い薄い靄のヴェールでなくなるのだという。
それから・・・、いや、だから、
「冬はつとめて」じゃなく、「冬は夜」と思うのですね。
だいいち、夏の夜は、深くなってもどこか残照が残っていて、
なんだか、妖しい気分になるでしょ? ふふ。
それはそれで、得難いものではあるのですが。

僕は、たいていの事柄において、
大方の判断とは反対の立場を取ることが多い。
ある事象に対して、みんながそりゃ「Aだろ!」と言うとする。
すると僕は、よくて「反A」、だいたいにおいて「B」か「C」か、
時には「H」だったりする。
まあ、とりあえず、反対方向へと思考のハンドルを切る。
単なるへそ曲がりかもしれないですね。
そうやって、今までやって来たし、
これからもたぶん変わらないんじゃないかなと思う。
みんなが右へ行くと言えば、じゃあ、俺は左みたいな感じです。

すごく分かりやすいと思われる譬えで言えば、
試験で悪い点を取った学生に対して、
まあ、次に頑張れるチャンスをもらったわけだから、
よかったんじゃない? と言い、
逆に、よい点を取った学生には、
あのね、世の中、そんなに上手くいくとは限らないので、
気を付けないとね、とか、言ってしまうことが多いのだ。
若い人に必要なのは時間と経験しかないわけでね。
目先のことであれこれ判断してもろくなことにはならない(気がする)。
しっかりと生きて、誰かを好きになって、
たくさんの本を読んでいれば、そんなに悪い人生はないはずだから、
目くじらを立てることはないと思うのです。
でも、年の離れたガールフレンドからは、
「だから、あなたは素直じゃないのよ。いい点を取った人の努力を認めてあげて、悪い点を取った人には、ダメじゃない、頑張らなきゃと言わなきゃ。進歩しないわよ、甘えてしまって」とよく叱られる。「だから」って・・・何?
おまけに、
「素直に嬉しいという反応がないのよね、あなたは、いつも」
と、とんでもない方向に話をもっていかれる。
進歩することが良い事かどうかは置くとしてね、
たしかに、常識的な判断処理を踏み外すと失望されることは多いのです。
・・・でもなぁ。
長い目で物事を見ることも必要な気がする。
「今」は、ひとつの通過点にすぎないのだから。

冬の終わりは、『たばこの害について』です。
三者三様。
際立つ個性。
たくさんの人に見てもらいたいなぁ。
これだけは、劇団員の総意と同じ。
このページのTOPへ

春めいてきました

2015/03/15(Sun)
いつまでも寒いな、と思っていたら
ようやく暖かくなってきました。

先日、55歳になってしまった。
四捨五入すると60か。

アントンの代表と男優陣にも
高齢社会の波が押し寄せてきています。
そのうち、ミーティングがシルバー会の会合みたいに
なるのでしょうか。

気づいたら、マンスリーシアターまで2週間。
初の一人芝居だし、エンジンかけないと。
脱線しまくりの喜劇ですから
自分が、まず楽しもうっと。

今月末の日曜日
春の陽気に誘われて
お時間あれば是非どうぞ。

合わせて170歳トリオが
大決算セールで暴れます。

とち、でした。
このページのTOPへ

三人姉妹からの。

2015/03/08(Sun)
もう、3月の上旬が過ぎようとしています。
この時期はあっという間に過ぎていきますねえ。

わたくし、川中は2月末にKERAさん演出の『三人姉妹』を観てきました。
『三人姉妹』といえば、2008年のわたしの舞台デビュー作品ですから上演があると聞くと、何とか観に行くようになっています。
で、今回は「KERA meets CHEKHOV vol.2/4」とチェーホフ四大戯曲上演企画で昨年の『かもめ』に続く『三人姉妹』です。
KERAさんといえばナイロン100℃の映像を多用する印象がありますが、本作では戯曲に忠実にオーソドックスな演出です。

sannninnshimai.jpg
とはいえ、クルイギン、チェブトゥイキン、フェラポントのキャラを生かしての笑いを入れ、ナターシャのイラつくほどの嫌悪感、アンドレイのどうしょうもなさ、ヴェルシーニンは二枚目にしない、モスクワには行けないオーリガ、マーシャ、イリーナなど明確に演じわけられていました。それと、第3幕から第4幕への転換はすきです。(個人的な意見です<(_ _)>)

今後、『ワーニャ伯父さん』『櫻の園』と観に行くんだろうなあ。


からの、今は『めんたいぴりり〜博多座版〜』です。
めったに上がることのない檜舞台を体感したくて、エキストラですが、終盤に山笠のかきての一人で入っています。
これまでに土曜の昼夜と上がりましたが、カーテンコールで観客のみなさんと対面するのは気持ちいいです。舞台上での手一本も。
なお、出番以外は、バックステージツアー的に待機してます。

15日(日)、21日(土)、22日(日)、28日(土)、29日(日)の9回上がる予定です。観に行かれる予定の方、カーテンコールでお会いしましょう。遠いですけどね。



IMG_20150307_192230.jpg
このページのTOPへ

はーるがきーたぁ♪

2015/03/04(Wed)
庭の梅もつぼみが開いて、春もすぐそこですね!
3月3日 ひなまつりでした。
今年はばたばたしていたので、ちらし寿司も菱餅も食べることは出来なかったです、、、。
母は成人になったいまでも、ひな人形を飾ってくれてます。私はいつまでも母親にとっては子供なんだなぁ…なんて思ったり(笑)

今日テレビで片足だけの女の子の特集があっていました。なにげに見ていたら、女の子の母親は22歳で産んでいて、すごく親近感が湧きました。いまの私と同じ歳なんですもの!

いまの私が母親になれるかって考えたら、、、とてもじゃないけど想像もつかなくって、、、。
『母は偉大なり』その通りだなと思いました。

生まれたこと、健康で元気に育ててくれたこと、すごくありがたいことなんですね。
恥ずかしいけれどいつかきちんと面と向かって伝えられたらいいなっ♪

期待と不安でいっぱいの春をわくわくで待っている竹山でした!

このページのTOPへ

風通信59

2015/03/03(Tue)
風通信 |
今月の岩波書店のPR誌「図書」の表紙は「ミルク・クラウン」だ。
器に入れた牛乳の上から、牛乳を一滴落とすと、
表面に美しい王冠状の形が形成される、あの現象のことですね。

「ミルク・クラウン」についてはいささか思い出がある。
それは遠い昔のこと。
もちろん思い出なんて遠いに決まっているけれどね。

大学を卒業したかしなかったか、それくらいの頃だった。
学生アルバイトから社員になったので、その辺りの記憶が曖昧なんだが、
ともかく僕は、神楽坂にあった、ある編集プロダクションで働いていた。
新潮社近くのマンションの一室の1階だった。
なぜそれを覚えているかというと、
徹夜明けの5時ごろの植え込みの、
肺の底まで届くような瑞々しい匂いが記憶にあるからだ。
徹夜は普通のことだった。
しかしながら、そういう働き方をしていたわりに、
僕は、いい加減で、だらしなく、どうしようもない社員で、
上司の女性社員からは期待を裏切る男だと言われ続けていた。

そのプロダクションは、
主に、絵本を作ろうと思っている会社だったのだが、
もちろん、それだけで食っていけるわけもなく、
社長は毎夜、酒席を廻っていろいろな仕事をもらってきていた。
少女雑誌の読者投稿欄のレイアウトとか、
モーターサイクルのちょっとしたコラムのページとか、
ほとんどなんの節操もなく、
雑誌のいくつかのパーツを片っ端から編集する。
しかし、もちろん、将来のために絵本のページ物も積極的にやっていた。
僕にしたって、行けと命じられて、
環七沿いのちぎり絵作家のいもとようこ先生のマンションで
指示されるままに、彩色された和紙に線香で穴を空けたりしながら、
いろいろな話を問わず語りで聞くようなこともあった。

そんなある日、社長がひとつの仕事をもらってきた。
サウンド・エフェクトに関する単行本の編集である。
雑誌のページ物くらいしかしたことがなかった僕に、
君が担当しなさいと社長が言ったのは、
他の社員が手持ちの仕事で忙しかったからだろうと、今になって思う。
ともあれ、その時、ブックデザイナーとして紹介されたのが、
東 盛太郎さんだった。
当時は、東京芸術大学の大学院出身の新進のデザイナーで、
朝日新聞の「AERA」の初代のレイアウトを担当なさっていた。

ここで、やっと、「ミルク・クラウン」が登場します。

ブックデザイナーは、まず本全体の構想を練る。
その一環として、カバーをどうするか考えるわけだ。
言うまでもなく、どういう思考回路で出来上がるのか、
ほとんど国文系学生上がりの、出来の悪い僕に知るよしもない。
しかしですね、アイデアとそれを実現するためのフィールドワークは、
なるほど、物を創るということはこういうことか、
と思わせるたぐいのものだったように思う。
考えに考えて、細部に拘って、妥協しない。
笑顔の優しい朗らかな人だったが、飄々と仕事が進んでいく。
そしてある時、
「安永君、ミルク・クラウンの画像を探してきてよ」と言われた。
まあ、そこでミルク・クラウンって何ですか? とは
知らなくても尋ねはしないですよね、僕としても。
それからいくつもの画像をプールしているエージェント探しが始まった。
言うまでもなく、インターネットなんかない時代だったし、
(なにしろ、デバイダーと写植スケールの時代ですからね)
電話をしてアポを取り、電車やバスを乗り継いで事務所に行き、
ポジフィルムのファイルの中から探し、借用書を書いて、持ち帰る。
その繰り返しです。そうして、東さんがこれで行こう! で、落着。

今、思うと、あれが僕の仕事に対する原点だったと思う。
過ぎてしまわなければ分からないことがある。
それは、僕が、プロというのがどういうものか理解した時だった。

それから、少しだけ、僕は変わった。
そして、ほどなく会社を辞めた。
このページのTOPへ

風通信58

2015/03/02(Mon)
風通信 |
2月の終わりに、
NHK交響楽団の九州公演を聴きに
佐賀まで車を走らせた。
結論から言うと、N響はやはり優れたオーケストラだと思う、
少なくとも日本だけに限定すれば。

前半のメインは、
メンデルスゾーンのバイオリン・コンチェルト。
これは、あまり心に響かなかった、残念だけど。
もっとも、後ろの座席の野球帽が背中を蹴っていたせいかもしれない。
休憩の後、空いていた左側の座席に移ったので、
後半のプログラムは、堪能した。
ドボルザークの8番シンフォニーです。
冒頭のチェロがとても厚くて、まあ、指揮も良かったせいか、
ストレートに三楽章のテーマに感情移入できた。
このワルツは、青春の憂いに満ちた輝きだといつも思う。

指揮の下野竜也は
TVで一度だけ観たことがあるが、
棒の振り方には身体全体のエナジーを感じさせる。
そのTVのインタビューで、
ドボルザークの6番が大好きと言っていたから、
違う曲だとは言え、8番も想い入れが強いのかもしれませんね。

ブラームスはドボルザークの師匠だったけれど、
ある時、こう漏らしたという。
「彼は間違いなく私より素晴らしいメロディーをもっている」
まあ、そんな感じの言葉です。
ボヘミアの草原を歌うような8番とか
アメリカの平原から送られた望郷の手紙のような9番を聴くと、
素人ながら、なるほどほんとに言えてるなぁ、そうだよね、
と深くうなずいてしまう。
でも、ベートーベンの、
奇数番号シンフォニーの奇跡的な革新を研究し尽くして
1番シンフォニーを完成させたブラームスなんだから、
そもそも音楽のスタイルが違うのだと、認識すべきだったんじゃないだろうか。
いやいや、認識した上で師匠として、
あの言葉を言っていたのかもしれないですね。
とすれば、これはドラマになる。

3月は卒業のシーズン。

ドラマを生み出す師弟関係が
きっといくつもあったんだろうなぁ。
このページのTOPへ
Copyright (C) anton-crew All Right Reserved.
このページの先頭へ戻る