ニュース・日記

ニュース・日記

風通信89

2017/03/30(Thu)
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過日、劇団の東、栃原と共に
我が畏友、劇団創立メンバーの岩井眞實と一献。
時間を忘れての歓談だった。

岩井は息女と一緒に帰宅するため西鉄電車に、
東はバス。栃原は地下鉄。僕は都市高速経由のバス。
天神の一角で時間の粒が四人の頭上から落ちてきて、
一次会でサクッと、四方にバラバラに別れました。

もっとも、芝居の話はほとんどなく、
過去の話もほとんどなく、
石を投げれば当たるようなミドル・エイジの話。
親の介護、親しき者の近況、自らの身体状況などなどなど。
栃原は解散後大病し、東も手術。
僕は投薬が欠かせず、健康なのは岩井くらいか。
ヤレヤレである。
その岩井は、遠距離通勤で本が読めると喜んでいた。
年齢を重ねての遠距離通勤は深いところで身体を蝕むので、
気をつけなければならない。
栃原も、大病後にもかかわらず(まあ完璧に回復とはいえ)、
勤務先では重要なポストにいるので心配だ。
一応、年嵩が一番なので、心配するフリをする。
ヤレヤレである。

雨の夜の品定めではないが、
昔はそれでも女性談義に花が咲いたものだったが。
劇団で一番モテたのは岩井で、
こっそりとモテたのが栃原。
東そこそこ。僕はと言えば女性からおぼえめだたきことはなし。
芝居が良ければ、役者が褒められ、
芝居が悪ければ、演出が貶される。
演出家というのは宿命的にそういうものですから、
まあ、モテないのは致し方なく・・・
・・・んなことはどうでもいいけど。

村上春樹って、
レイモンド・チャンドラーの影響を受けてますよね?
岩井が訊く。あら、ま、碩学岩井としたことがである。
そりゃ、あーた、
犬の存在しないところに、犬小屋は存在しないみたいなもんでさ。
それから、チャンドラーと言えば、清水俊二となり、
彼が『天助桟敷の人々』を担当していた時に残した
ジャン・ルイ・バロー登場のシーンの傑作字幕の話。
また、チャンドラーがハリウッドでシナリオを書いていて・・・
で、『カサブランカ』の珠玉の台詞に話題が移り、ここで、
あれほど覚えていた台詞のいくつかが出てこないんですね。
ああ、ヤレヤレ。
ともあれ、愉しいひととき。ね、時間を忘れるでしょ?
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風通信88

2017/03/27(Mon)
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この一ヶ月、わりと頻繁に日記を更新し続けた。
飽きっぽい僕としては、珍しいことだった。
今さら日記を書きはじめたのにはそれ相当の理由がありそうだが、
実はそれほどのさしたる理由があるわけではない。
劇団の解散時に、スヌーピーのグッズをくれた女の子に
今年になって早々に会うことがあって、彼女が
「風通信」を楽しみにしてたので、再開をと言ってくれたこと。
それと、ベガとアルタイルみたいに遠く離れたガールフレンドへ、
手紙やメールを送る代わりの心算だった。
それと、やっぱり文章修行ですね。しかし、
考えてみたら、この年でいまさら、文章修行もないけれど、
文章というのは、人の生き方と同じで、
経験を積み、知識を蓄積し、試行錯誤を経て、
はじめて身につくわけだし、だからこそ
これで完成という終わりはないわけだしさ。
劇団は解散して一年、HP自体も閉鎖すべきなんだろけど、
矢野がもう少し残しときましょう、ということだったしさ。

解散前はパンフや、日記で必要に応じて文章を書くこともあった。
その時々に、劇団員からの感想があったのだけれど、
その機会もなくなって、
ちょっとそれはどうかな、という感じだったのです。
言葉を綴るということは、
言うまでもなく世界を分節化することだから、
文章を書かないということ、つまり言葉を残さないということは、
僕自身としては退化しているような気もしていたんです。

ところが、ここで思いがけない心境に立ち至った。

ローマン・ヤコブソンが『一般言語学』の中で、
興味深いエピソードを採録しているという。
曰く「新婚夫婦の会話」。分かりますよね?
夫「やっと着いたね」
妻「着いたわね」
夫「いい風景だ」
妻「ほんと、いい風景」
夫「気持ちがいいな」
妻「ええ、すごく気持ちがいい」
このコミュニケーションは情報交換ではない。
ここにあなたからのメッセージを一言も聞き漏らさず、
ちゃんと受け止めている人がいるということです。
この交換的なメッセージはかなり重要だろうと思う。

僕が日記を書いているのは、
ただただ、日記の文章をバケツに細々と垂れ流しているような、
そんなものではないだろうかと感じがしてきたのだ。
つまり、スヌーピーの彼女みたいに、
いくたりかの人は読んでいるだろうけれど、
受け止めている人は皆無ではないかと思い至ったのです。
まあね、コツコツと文章修行しているわけだから、
書くこと、そこで満足すべきなんだろうけれど。
その文章力は一向に進歩しないし、そもそも文章が下手。
あ、「しもて」じゃなく、「へた」です(笑)

舞台なら、目の前に熱を持った人がいる。
どっかで演出家を募集してないかなぁ。
ヤレヤレ。
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風通信87

2017/03/24(Fri)
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ミュージカルよりは、オペラの方が好きなのだが、
ミュージカル映画は、いくつか見ている。
『アマデウス』は別格として、
中でも『サウンド・オブ・ミュージック』は、何度か見ましたね。
空からカメラが降りてきて、
高原のジュリー・アンドリュースに定まるオープニング。
アルプスを越えて空にカメラが帰るエンディングまで、
間断なくドラマは進行する。
ロジャースとハマースタインのコンビによる最後の作品だが、
その中に、『My Favorite Things』という曲がある。

想い出深い曲だ。

大学生のある時期、ほんとにお金がなくて、
舗装されていない脇道で空き瓶(ビール瓶)を拾って、
それを丁寧に流しで洗い、
酒屋に売りに行くことが何度かあった。
たしか10円っでしたね。
冬の寒い日なんかは下宿の周りを2、30分も歩けば、
4〜5本は落ちていたものだ。
下宿屋の共同流しの水が冷たかったのを覚えている。
私鉄の二駅くらいは当時100円以内で乗車できたから、
何枚かの10円玉を握って、よく友達の下宿に転がり込んだものだ。

中野坂上に住んでいたのが、永留俊一という男で、
大学を卒業した後、地元のラジオ局に就職した。
彼にはお世話になりました。ありがとう。

当時は、まだ大学紛争の余波がそこかしこに残っていた時期で、
彼の通っていた大学もロックアウトが続いていた。
しかし、永留君はアルバイトもせずに、
多くの時間を自分の下宿で過ごしていたように思う。
そして、音楽ばかり聴いていた。
別段、彼が裕福な家庭に育ったというわけではない。
そうでない学生もいただろうが、僕の周りは、あの頃は、
みんな一様に貧しかったのです。
だから、転がり込むにはいい条件だった。
ダントンだかロベスピエールだかみたいに、
弁舌を奮うラディカルな革命思想で、
世の中にある欺瞞や不正を糺す議論をしていたわけではなく、
ひたすら麻雀ばかりしていたわけだが、ある時、永留君が
「こういうの、聴いたことある?」と言いながら、
DISC・UNIONの赤と黒のビニールパッケージから、
一枚のレコードを取り出した。それが、
ジョン・コルトレーンの『My Favorite Things』だった。
もっとも、そのレコードは北欧のどこか(スウェーデンだったか)の、
ライブ(おそらくブートレク)盤で、
片面の25分のすべてが、この曲だった。
マッコイ・タイナーのピアノが導入する。
すぐに、コルトレーンの奇跡的に美しいソロが始まる。
ソプラノ・サックスという楽器を知ったのも初めてだったなぁ。
繰り返し、繰り返し、何度聞いたかわからない。
ともあれ、圧倒的な出会いだった。

このときから、僕のジャズは始まる。

たぶん、いろんな事柄が身につくのは、
お金がなくて、時間がたっぷりある頃なのだと思う。
あるいは・・・
・・・木星の岸辺にでも漂着したような、
たとえようもない寂しさの中でとかね。
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風通信86

2017/03/20(Mon)
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映画の話をもう一回だけしよう。
といっても、前回の反省で、
映画そのものに言及するわけじゃない。
タイトルについてです。

“Catch Me If You Can”
邦題は『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』
まんまですね。
作品自体は、僕としては可もなく不可もなし。
レオナルド・ディカプリオが
年齢的にちょっと無理があったかなとは思ったけれど、
それなりに楽しめた作品だった。

アメリカ映画にときどき登場するエンターテイメント系詐欺映画。
もっとも、これは実話らしい。
次から次へと網を逃れる犯人をFBIが威信をかけて追うという話だから、
原題はなるほどそうだろうと思う。
それをそのまんまカタカナにしたところがねぇ。
これという代替案の知恵も浮かばないから、
実はなんとも言いようがなく、言う資格もないんだけど、
どうも、
日本語の力が失われつつあることの例証のような気がして。

なんとかならんかったのかなぁ(笑)

もともと映画のタイトルは、邦題にするに当たって、
そのまま翻訳することが多かったのは確かだ。
“City Lights”を『街の灯』としたように。
でも、『都市の光』じゃなく、あくまで詩的。
だから、上記の作品の場合、致し方なかったかもしれないけれど、
フレッド・ジンネマンの名作、“A Man for All Seasons”を
『マン・フォー・オール・シーズンズ』とはしないはずだ。
ちなみにこの作品は『わが命つきるとも』が邦題。格調高いですね。
行き過ぎなのは“Love in the Afternoon”かなぁ。
どのように邦題を付けます?
当時の配給会社が付けたのが『昼下がりの情事』(笑)
おいおい、これじゃ、今は懐かしい日活ロマンポルノじゃないか。
オードリーが泣きますよね。
監督のビリー・ワイルダーが泣きますよね。
ビリー・ワイルダーと言えば、“The Apartment”は、
『アパートの鍵貸します』。なるほど、当時のアメリカには、
常に進化途上にある日本のラブ・ホテルのようなものはなかったか、
などという歴史社会学的な考察を誘う。
彼の作品で言えば“Some Like It Hot”はいいですね。
『お熱いのがお好き』だから、ケネディ兄弟を魅了した
コケティッシュなマリリン・モンローの姿態が目に浮かびそうだ。
今にして思えば、原題そのまんまが良かったと思えるのが『旅情』。
『旅情』としちゃうと、なんか川端康成の名作みたい。
「旅情が身についた・・・」みたいな。
アメリカの地方都市で秘書をしている40前の独身女性の
長期休暇の旅先ヴェニスでの
アヴァンチュール(と言うにはちょっと語弊があるけれど)。
イタリア男とアメリカ中西部のオールドミスです。あは。
恋というには、あまりに非日常。だからこそ、原題は“Summertime”。

映画はそこに物語があるから、それでいいのかもしれない。

その点、ジャズは違う。
ストレートに心に突き刺さって、物語は聴いている僕らで創るんです。
僕は古いジャズをいつも部屋で鳴らしているんだけど、
昔の曲はなんともいいタイトルがある。
たとえば“Body&Soul”・・・これは『身も心も』という。
身も心も・・・だから? と問うと身も蓋もないけれど。
“I Can't Get Started ”は「私ははじめることが出来ません」ではなく、
『言い出しかねて』。これなんか、僕は大好きなタイトルです。
言いたい言葉とは何だったのか・・・。懐かしい感情、身に滲みるなぁ。
そういう状況に立ち至った諸氏は多いのではなかろうか。
もちろん、歌詞の内容とは無関係だけど、
それでも、タイトルを見ただけでひとつの物語が生まれてきそうだ。
まあ、もっともね、「〜をしようとして、できない」という意味の
「〜かねる」という補助的な動詞そのものが、
いまでは死語かもしれないから、仕方ないだろうけど、
こうした(僕にとっては)美しい日本語が
失われつつあるんじゃないかと思う今日この頃。
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風通信85

2017/03/19(Sun)
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映画の話をしよう。

遅ればせながら、『レヴェナント〜蘇えりし者』を見た。
ストーリー展開に破綻はなく無理もないし、
デティールもこだわって丁寧に作られ、
たぶん考証だって確かだったのだろう。
レオナルド・ディカプリオの熱演も素晴らしいと感じられた。

ロートレアモン伯爵(だったか)の言を俟つまでもなく、
すべての物語は語られているのだから、
この作品の骨格である、たとえば裏切り、復讐は
どこかで見たような気がする。だから、
ときどき、ストーリー以外に見るべきものが何か、
つまり、僕らは作品に何を見るべきかと、思うことがある。
それがはっきりと言葉に出来る時もあるし
そうでない時もある。
もちろん、ストーリーに引き込まれて、
それでおしまいということもありますけど。

作品を見てしばらくは
どういう映画だったんだろうと思っていた。
先日、友人の角倉浩二と話していて、彼が、
「いや〜、僕は良かったなぁ〜。自然が美しく撮られていたし〜」
美術の専門家である彼が言うのだから、確かにそうなんです。
美しい(同時に厳しい)自然が次から次へと表現される。
そして、・・・ああ、そうなのね、
彼の言葉で僕なりの解釈が完成しました。

この映画は、美しく、そして僕に言わせれれば、
同時に悲しい願いごとのような映画だったのではないか、
というのが、僕の解釈です。

ロケハンは、たぶん全米中が対象であったろうし、
お金をかけて、世界中を探し回ったのではないだろうか。
あの自然大系が残っているのはそれほど多くはないと思うけれど。
かつてのアメリカにあったはずの自然と空間を、蘇らせたい。
そういう美しい願いごとが全編を貫いているようだった。
そうでなければ、
あれほどまで美しい空間を画面に定着させようとするはずがない。

誰でも知っているように、ヨーロッパには森はない。
僕の好きなアイルランドの牧草地帯は限りなく美しいけれども、
そこにはかつて森があったはずなんですね。
紺碧の地中海を望むギリシアの都市や、
イタリアの古代遺跡が散在する痩せた土地には
オリーブの灌木があるだけだ。
鉄製の武器を造るためには、木々は必要だったはずだから、
そのために森が失われていったのがヨーロッパの歴史ではないだろうか。
近世にそのヨーロッパからアメリカに渡った人々の前に在ったのは、
いわば手つかずの自然だったのだろう。
そして、アレクシ・ド・トクヴィルの言葉を借りれば、
そのヨーロッパ人の西部(自然)への侵攻は「狂気じみていた」わけだ。
アメリカの空一面を覆っていたといわれるリョコウバトは絶滅させられたし、
(そういえば、この鳥は表現されていなかったですね)
そうはならなかったけれど、バイソンはきわどいところまでいった。
すさまじい自然の破壊と人々への蹂躙。
それがアメリカの姿だったのはないだろうか。

そのことへの深い哀惜の念、ゆえに必要以上にそれは美しく、
そして時に、
ありのままに厳しく表現されなければならなかったような気がする。
なんと、雪崩さえも表現されているのです。
しかし、もちろん一度失われたものは二度と帰っては来ない。
失われた恋と同じです。
ゆえに、それは悲しい願いごとなんだろうと思う。

ただ、一点だけ、蛇足ながら。
やはり、「共生」という思想はありませんね。
先ほどもちょっと言及したんだけど、
そこにあるのは、美しい風景としての自然の空間であり、
生き物がいない。それらは結局は、
人間を襲うものか、人間が生きていくために捕食される動物でしかない。
ここらが限界ということなんかなぁ。

とまあ、ここまで書いて、
こんなことはきっと誰かが書いているんだろうと思う。
だから、映画そのものについて書くのは嫌なんだ。
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風通信84

2017/03/15(Wed)
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録画していたライブを観る。
エリック・クラプトンの“ライブ・イン・サンディエゴ”と
ザ・ローリング・ストーンズの
“ライブ・イン・キューバ2016”である。
いやぁ〜、堪能しました。
特にストーンズは、これは掛け値なしに素晴らしい。
残念ながら、僕の文章力ではうまく表現できない、
と書いてしまうと、話がそこですとんと落ちるけれど。
だから、もう少し書こう。
まず驚くのは、
あの年齢であれだけのライブパフォーマンスが可能であること。
もう、体型からして違うんです。
あの体型と、体力を維持するためには、
それ相当の努力が払われているんだろうけど、
血のしたたるような肉を食べ続けた人間と、
湯豆腐に人生の滋味を感じる人間では、
やっぱり違うのかなぁ、などとラチもないことを考えてしまう。
人生は継続ですよね、やっぱり。

ところで、
アントン・ブルックナーは、生涯に九つの恋をしたという。
シンフォニーの数と同じですね。
池内紀によれば、俗受けするブラームスに比べると
ブルックナーはその構想の雄大さ、音の清浄さの点で並外れていて、
天上の音楽などと呼ばれたりするそうな。
ブラームス好きの僕としては、そうなんだぁ〜と思うしかない。
なぜ、ブルックナーを思い出したかというと、
彼の最後の恋が68歳のとき、16歳の娘に求婚したという話。
すごいね。
その時の恋文が残っているそうだ。
その内容たるや、書き悩み、書き淀み、
全身全霊を以て書き上げているらしい。
娘は何度読んでも意味がのみこめず、両親に相談。
親子の間で少なからず失笑が漏れたことは想像に難くない。
いや、僕としては娘は困惑しただけだと思いたい。
同じく少女に恋したプーシキンやシェリーのように、
吾が恋に盲いて、詩を書いたわけでもあるまいにね。
まあ、言うまでもなく、というか当然のことながら、少女は
求婚者の中にひっそりと秘められている偉大さに気付くはずもなく、
真の値打ちを知るには若すぎたこともあろう。

僕は、この話を知って、
ブルックナーに少なからずシンパシーを持ってしまう。
いや、10代の少女に恋するというのではない。
ましてや、求婚云々というのでもない。
うまく説明できないのだけれど、
それはたぶん「生きる歓び」なのかなと思うのだ。
宮崎駿が少女を描き続けるのと近い感覚とでも言おうか。
こんな話をすると、
それなりに美しく豊かに年を重ねた妙齢の婦人は
フンと鼻先で笑うだろう、・・・結局若い子が好きなのね。
いやいや、
10代の少女は若いというカテゴリーには入らないでしょ?
それに、若い子がいいなどと言う一般化は止めて欲しいし。

そういえば、
ミック・ジャガーには最近、子供が生まれたらしい。
何はともあれ、すごい。
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風通信83

2017/03/13(Mon)
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文化放送というラジオ局がある。
今はどうか知らないけれど、そこに出版を担当する部署があった。
僕が編集者見習いをしていた時、
そこで、いくつかの仕事をしたことがある。

しかし、その仕事の話ではない。

先日、村上春樹の新作を読んでいたら、
「沈黙にも音がある」という一節があって、
これって、あれだよね、と思った次第。
武満 徹の著作集のタイトルです。
『音、沈黙と測りあえるほどに』
この本が出版されたのは1971年だった。
ほぼ半世紀前の本だ。

文化放送の出版局にいた担当者は、
当時はたぶん、退職なさっていて、
今でいう再任用の形で勤務されていたのだろう。
ちょうど今の僕がそうであるように、
人生の黄昏れた領域に足を踏み入れていた時期の。
20代前半の僕にとっては、
父親よりも年上で、
ちょっと知的な近所の小父さんという感じだった。

ある日の打合せが終わったときだったか、
“ルノアール”で一緒にお茶を飲んでときだったか、
彼が、「武満の今度の本。タイトルがいいよねぇ」
と、ボソッと言葉を漏らしたのです。
遠くにあるものを見つめるように目を細くしてね。
意味が全然わからなかった。つまり、どこがいいのか。
武満も知らなかったし。
高校時代から学校をサボって、
学校から歩いて行ける綱場町の“シャコンヌ”に入り浸っていたのに、
現代音楽、まして日本の作曲家なんて知らなかったんですね。
「たけみつ? ですか」
「うん、ブマンテツだよ」
「はあ」
「ほら、武士の武に、潮か満ちる、徹底するの徹。で、タケミツトオル」
今、ちくま文庫の武満のエッセイ集を読むと、
彼がいかに日本の音と格闘していたかがわかる。
そして、それが世界に通用したことも。
日本の音の多くは、
音と音のハザマにある沈黙の音、云々。

僕は、今までも武満徹をブマンテツとつい言ってしまう。
若いころの刷り込みは恐ろしいですね。
でもね、それはやっぱり良かったのではないかと思う。
僕は、そんな風にして春先のモルダウ河みたいに
ゆっくりと大人になっていったのだから。

人生は経験と継続、
そして好奇心と必要性が彩りを添える。
年月というものは、
人をいろんな風に変えていくけれど、
たぶん、白黒付けることなく
ゆっくりと時間に寄り添っていけばいいのかもしれないです。

村上春樹の言葉は、さりげなく行間に潜んでいる。
昼下がりのレストランの
一番奥の席に誰かが忘れた贈り物みたいに。
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風通信82

2017/03/12(Sun)
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今日は3月12日。
昨日は3月11日。
3.11のことは忘れない。
実際にあの震災を体験したわけではないし、
現場に行ったわけでもない。
それのみならず、何の行動も起こしていない。
だから、内なる声としては、
ひどく説得力に欠けることにはなる。
しかし、あの時のリアルタイムの映像は
たぶん、死ぬまで忘れることはないだろう。
以前も書いたことがあるが、
自分の生涯であれほどの惨状を見るとは
思ってもみなかった。

亡くなった方々のご冥福を心から祈りたい。

往々にして自己分析とは的外れになるものだ。
自分に一番遠いのが自分だからね。
そういう意味で、当たってはいないと思うけれど、
僕はかなりポリティカルな人間だと思う。
それは、現実の政治にコミットするということではない。
いや、むしろそうであるからこそ、
現実政治には距離をおくという判断をする。
だから、政治的発言もほとんどしない。

でも、3.11。

進んだとはいえ、6年過ぎて復興にはほど遠い状況だ。
生まれた土地に帰ることのできない人も多い。
それでも、日本という国がここまで内乱も、暴動もなく、
時を重ねているというのは奇跡のような気がする。
このシステム(というか人間性)は世界に誇ってもいいですね。
安倍晋三ていどの愚かな政治家でも宰相を務められるのは、
日本という国のシステムの勝利と言っていいんじゃないかなぁ。

安倍晋三のエクリチュールとは、何か。
世界に嘘をついて、天として恥じることがない。
(この言い方、間違ってますか?)
僕がそれにはじめて気付いたのは、
2020年の東京オリンピックの誘致ためのプレゼンの時だ。
彼は、世界中に向かって、
「福島はアンダー・コンロールされている」と言った。
ものは言いよう、心は在りよう。
どうしても東京にオリンピックを誘致したければ、すればいい。
しかし、言っていいことと悪いことがある。
どのように言うべきか、その知恵もない男が宰相であり、
組織法整備までしてそれをさらに延長しようとする
愚かな集団が支持を集める。
それでも、僕らはここで生きていくしかない。

1940年の幻の東京オリンピックは、
関東大震災からの復興を謳った。
1964年の東京オリンピックは、
焦土と化した国土からの復興を謳った。
そして、2020年の東京オリンピックは、
福島からの復興を謳う。少なくとも、
現実に上映されたプロモーション・ビデオはそうだった。
つまり、福島を利用することで成り立っている。

オリンピックの開催は、国の威信に関わるのだろう。
また、そこで活躍するであろうアスリートの存在は、
人々に同胞としての悦びをもたらすだろう。
そして、必ず政治家は経済効果は何百億と言うだろう。
同調圧力や、権力からの締め付けで
マスコミは自ら検証することもなく、
政治家の言葉をそのまま報道するだろう。

国の在り方は、何にも変わっていない。
それでも、この極東の小さな美しい島国で。
僕らは生きていくんだろう。
今できることは何だろうと思いながら。
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風通信81

2017/03/09(Thu)
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三月というのに、昨日の朝、雪が舞った。
いつものように7時半には勤務先に到着する。
小高い山の中腹です。
坂道を走っていると、パラパラという感じで、
フロントガラスに水滴が付き、
すぐに白い雪に変わった。

伊勢正三の『なごり雪』があまりにも有名なので、
この時期に降る雪のことを「なごり雪」と多くの人が言う。
でも、たしか、三月に降る雪を「忘れ雪」とも言うのじゃなかったか。
もしかしたら、「忘れ雪」は三月の下旬の雪のことだったかもしれない。

僕の詩が、はじめて全国誌に掲載されたのは、
春まだき、三月のことだった。
渋谷にある大盛堂という書店の雑誌コーナーで、
その詩誌を手に取り、ページをめくっていくと、
『12月の風』というタイトルがあり、
それは、一月に編集部に送った僕の作品で・・・
あのときは嬉しかったですね。
街行く人々が、まるで自分のことを知っているような、
愚にも付かない思いを抱えて、道玄坂を登っていった。

そのころ、好きな女の子がいて、
僕は、必要以上に若くて、必要以上に不器用で、
そのくせ、向こうっ気ばかり強くて、
人に届ける言葉を知らなかった。
どうしようもない若者だった。
彼女がたしか群馬県の吾妻の出身で、帰省する日に駅まで
送っていこうかいくまいか、などという淡い感傷的な作品でしたね。
『ティファニーで朝食を』の冒頭に出てくるような、
都市の広い道路の明け方の幹線道路。
連なった信号が同時に点滅し、
夜を明かした車が一台走っている、そんな朝の迷い。
それでも、まあ、その時は精一杯。
センチメンタルな感情には出口がありません。
言わずもがなだけど、脚がキレイで、花のような女の子でした。
彼女というわけではないけれど、
恋したという記憶は、いつまでも心を温めてくれる。
しかし、結局のところ、時は流れ、
すべての美しい心持ちは、消えてゆく。
灰が風に吹かれるように。
僕らは、たぶんそのことに慣れなければならないのだろう。

暫定的なため息をつく。
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風通信80

2017/03/07(Tue)
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東京での学生時代の後半は、仕送りがない生活だった。
それで、学費やら生活費やらアルバイトの収入で充填した。
それが可能だったのだから、
思えば幸せな時代だったのかもしれない。
しかし、僕は今と変わらず当時も(いや当時はもっと激しく)、
どこでも擦れば火が付く「摩擦マッチ」みたいな男だった。
アルバイト先では朝の内に喧嘩して午後には放り出されることが、
何度かあったし、自分から勝手に帰ったこともある。
悲しいことに、あの頃の友だちに言わせると、
どうひいき目に見てもまともな職業人にはなれないというのが、
衆目の一致した意見だった。
詐欺まがいのバイトで、契約金の半額をもらって、
その金を使って東日本を旅して廻ったこともある。
その頃は一週間先の自分が想像できなかったですね。
まあ、自分でも恐ろしいくらい無鉄砲な生き方だったと思う。
だから、当然、お金はなかった。
握り拳くらいの馬鈴薯2個を鍋で湯がいて、
キューピーマヨネーズをこってり載っけて三食済ますことなんて、
それはもう、日常の事柄であった。
それで楽しかったかというと、たぶんそうだった。
辛かったかと問われると、そうかもしれないと思う。
よくわからない。

話は、ここでスライドする。
「格差社会」の話だ。
社会では格差がますます広がっていると巷間かまびすしい。
この格差とは、端的に言えば「経済格差」のことといっていいだろう。
格差が社会問題化されるのは、
経済の全能性が過大評価されている社会で、
お金が人間の序列化の基準として使われているせいだ。
たしかに、お金があれば、たいていこのことは出来る。
敬意も、権力も、そしてある場合には愛も、もう何でも買える。
だから、お金を増やすことは、多くの場合、合理的ですらある。
そして、言うまでもなく金を持たない奴は、
社会的に下位に釘付けにされる。
今の時代に生きていれば、僕だってそうだったかもしれないですね。
だからといって、「金を欲しい」と言えば、
それは、格差に悩んでいることと同根になってしまうだろう。
しかし、です。
当時の僕が「格差」で悩んでいたかというと、
そんなことはまったく思い当たらないのだ。
いやいや、時代が違うよという人があれば、そうかもしれない。
若かったからという人がいれば、それを否定はしない。
でもね、なんだか、ちょっと違うんだ。
その日暮らしで、映画を終映まで見て歩いて帰る。
古本屋で本を買って、読み終わったら古本屋に売りに行く。
お金の慢性的な不足生活であっても、日々はえらく楽しかったのだ。
たぶん、お金を持つことに
それほどの価値を見出さなかったんじゃないかと思う。
お金を稼ぐことが目的ではなく、何かをすることが目的の日々。
その結果、お金が入ることは厭わない(笑)という生活。
在るものを買うのではなく、
自分たちで工夫してものを在らしめる生活。
そんな日々だったような気がする。
繰り返すが、それは若さのせいだと多くの人はいうかもしれない。
それを否定はしない。しかし、
少なくとも当時、僕は、「貧困」のせいで不幸ではなかった。
今だって、その思いは変わらない。
いつの間に、こういう社会になったんだろう。
格差社会の病理の克服は、経済再生にこそあるとしか言わない社会。
それくらいでしか人の幸せの尺度を測るフレームを持たない社会。
「豊かになれば、みんな幸せでしょ?」と政治家が言えば、
そうかもしれないと思ってしまうだろうけど、
でも、実は、
ここでは豊かさの基準が「お金の有る無し」でしかないんですね。
福島の原発こそが、見直しのいい機会だったのに、
財界はいち早く再稼働に踏み切ったことも、
これも僕に言わせれば、
「格差社会」を顕現させることとまったく同じ構造なのだ。

やれやれ、話が、堅くなったなぁ・・・。

さて、
最後の一年間は、編集プロダクションで編集の見習いをした。
ここもけっこういい加減な仕事ぶりであったが、
寛容を絵に描いたような社長のおかげでなんとか勤めることができた。
会社は絵本を出版したいというところだった。
よくわからないけれど、とりあえず経営の安定のために、
いろいろな雑誌のページの下請けをしていたのではないかと思う。
言われるままに、雑誌の読者ページの投稿文を書き、
それに答えるような編集コメントを書き、つまり、自作自演です。
やっぱり日々を楽しく過ごしていた。

この頃のお話しは、またの機会に整理しよう。
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風通信79

2017/03/05(Sun)
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唐人町を走っていたら、
リクルート・スーツに身を固めた集団と遭遇した。
おそらく、
就活のイベントがヤフオク!ドームで、
実施されているんだろうと思った。
大変ですね。

僕自身は、いわゆる就活なんてしたことはない。
今から40年前に、「就活」という熟語はあったのだろうか。
あったのかもしれないが、僕の辞書にはありませんでした。
大学時代から続けていた編集プロダクションのアルバイト先に、
そのままズルズルと居座っただけだった。
なにしろ遠い記憶で、
ヨーロッパの古いモノクロの映画のように、
曖昧な風景しか浮かばない。
スーツを着て通勤電車に揺られて会社に行く自分が
想像できなかったことは、これはもうはっきりと記憶している。
カール・マルクスは、人間の個別性を形づくるのは、
その人が「何ものであるか」ではなく
「何ごとをなすか」によって決定されるといっているけれど、
「(会社に)存在する自分」より
「(社会で)行動する自分」でありたいと思っていた節もある。
しかし、まあ、時代も良かったんだろう。
このままでもなんとかなると思っていたし、実際、なんとかなった。
たぶん運が良かったんだろうが、今にしてて思えば、
すべては成り行きだったですね、きっと。
いまでも、そのスタンスはあまり変わっていないのかもしれない。
我ながら、情けない。

生きるということは、長距離レースみたいなものだ。
バン! とスタートのピストル音がして走り出す。
先頭を走っていても、最後尾を走っていても、
それほどの差があるとは思えない。
途中で誰かに追い抜かれたり、誰かを追い抜いたり。
でも、それも大勢にはたいした影響を及ぼさないはずだ。
肝要なのは、自分のペースを守って、
ゴールを目指すことが大事なんじゃないかなぁ。
もちろん、優勝は出来ないかもしれないが、
最後にちゃんとゴールテープを切るこことが出来れば、
それで、「なんの過不足あらんや」である。

ともあれ、あと1ヶ月もすれば、
真新しいリクルートスーツを纏ったまぶしい若者が、
ビル風に吹かれながら、
スクランブル交差点で信号待ちをしているだろう。
チャーミングな微笑みの下に、
少しばかりの不安を、それと気付かずに抱えながら。
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風通信78

2017/03/01(Wed)
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今日は、福岡県の多くの公立高校で、
卒業式があったようだ。
高校時代かぁ、それはもう化石時代みたいに遠い日。
たどりきれない時間の向こうに、
輝いていた仲間がたくさんいた。

一日中、岩波文庫の哲学本ばかり読んでいたヤツ。
ギターのテクニックにとんでもなく才能があると思ったヤツ。
彼は絶対バンドで売れると思った。
授業中はほとんど寝ていて、放課後になると、
グランドでボールをひたすら追いかけて走り回っていたヤツ。
女の子への手紙を一通百円で請け負いまくってヤツ。
半年でそのシステムはバレたけど。
それほど勉強しているとは思えなかったのに、
あっさりと超有名国立大学に合格したヤツ。
教師を殴ろうとしてみんなに腕ずくで止められたヤツ。
女子校の友達の数のリストを自慢していたヤツ。
でも、たぶん付き合っている女の子はいなかったはずだ。
誰でも好きななるということは、
誰からも好きにはなってもらえないことだから。

その時は気付かなかったんだけれど、
今にして思うと、
みんな原石のまま輝いていた。
そして、同時に、
ロバート・フロストの詩句を思い出す。
Nothing gold can stay(ずっと輝けるものは何もない)
それでもね、
みんな、それぞれのフィールドで
それぞれが大切に思う日々に誠実に向き合い、
頑張っているんだろうな。
その中身は違っても、それはやっぱり、
stay goldなんだと思うわけです。
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