ニュース・日記

ニュース・日記

風通信95

2017/04/29(Sat)
風通信 |
昔、伯母の入院先に見舞いに行ったことがある。
どうしてそういう話になったのか、
覚えていないのだけれど、
なぜか僕を産んだ母の話になった。
・・・はじめて挨拶に来た時はねぇ、まあ、驚いた人でねぇ、
普通の人が着そうもない、びっくりするような着物で、
髪もそりゃ綺麗に結い上げてねぇ。
芸事が好きで、三味線、特に踊りは大好きだったねぇ。
あんたの芝居好きは、親譲りで、血は争えんということよ。
そういう伯母も、目鼻立ちもすっきりした派手め、
若い頃は福岡でもかなりの美人にカテゴライズされたようで、
玄洋社の進藤一馬なんかにも可愛がられた人であったらしい。
そういう伯母を驚かせたんだから、相当なものだろうと思う。
ついには芸者として身を立て熱海まで流れていった。
我ながら信じられないのだが、僕も学齢前は
股旅物の歌謡曲に合わせて踊らされていた記憶がある。

一方、縁があって父と結婚した育ててくれた母親は、
およそ芸事なんか愉しむことすらなかった法曹関係の家の出だった。
叔父は、若い頃、同窓だった丸山豊なんかと一緒に
詩誌に詩を残していたらしい。
当時の青年が読んでいた教養が本棚にたくさんあり、
中学生の頃に借りてきてはよく読んだ記憶がある。
統計的にどうなのかは分からないが、
昔は夫婦が離婚した場合、
親権は父親が持つことが多かったように思う。
今よりもずっと親戚の互助システムが完備していたというか、
子沢山の親戚が一人くらい増えても
ということで預かってくれることが多かったのだろうと思う。
たぶん見合いによる縁組みが整っていたせいか、
恋愛の果ての結婚というより、結婚がまずあって、
それから夫婦ならではの慎ましい愛情が育ったのではないかなぁ。
僕の場合は、わりとその典型的な例で、
海事従事者だった父の姉のところに短い期間、預けられ、
その後、二人目の母親の元で成長することになった。
こうして僕は対馬で生まれて、そして福岡で育っていった。

こんなふうに書くと、なんだかドラマが生まれそうだが、
心の井戸を掘り進めば、
多かれ少なかれ誰だってそれぞれのドラマがある。
ドラマのシナリオは人の数だけあるはずだからね。
なにも特別なことはない。

今日は、
木々の陰が揺れる爽やかな風の吹く日だった。
溢れる光の中を草をなびかせて風が渡る日。
一年でいちばん好きな季節のそんな風を感じながら。

二人目の母親のカサカサと音を立てる白い骨を
大きな竹の箸でつまんで壺に入れながら、
亡くなった父親との遠い日の約束を
どうやら果たせたようだと思っていた。
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風通信94

2017/04/26(Wed)
風通信 |
村上春樹の最新作『騎士団長殺し』の中で、
印象深く繰り返されているパッセージがある。
それは、「時間」にまつわるものです。
たとえば、
「あなたはものごとを納得するのに、
 普通の人より時間のかかるタイプのようだ。でも、
 長い目で見れば、たぶん時間はあなたの側についてくれる」とか、
「時間が与えてくれるものもある。
 時間を味方につけることが大事な仕事になる」とか、
「〜やがては薄らいで消えてしまう。しかし記憶は残る。
 記憶は時間を温めることが出来る」など、です。

『職業としての小説家』という昨年発売されたエッセイ集の中でも、
「時間を自分の味方につけるには、
 ある程度自分の意思で時間をコントロールできるように
 ならなくてはならない、というのが僕の持論です」とある。

村上春樹は哲学者じゃないので、
現象学的な「時間論」を披瀝したわけではないだろう。
おそらくここから読み取れることは、
時間に耐える力を身につけなくちゃならない
ということなのではないだろうかと思います。
韓国には「黒白論」という思想があるそうで、
とにもかくにも黒か、白かに
振り子が大きく揺れる傾向があるそうな。
時間に耐えるという思想は、それとは正反対の思想で、
振り子の揺れをじっと見つめ続けるということだろう。

それにしても、不思議ですね。
今、僕の前には生まれたばかりの赤ん坊がいるとする。
同時に死に逝く老人がいるとする。
そして、それをじっと見つめる僕がいるとする。
ジャネーの法則からすれば、その長さはまったく違う。
同じ時間を生きているんだけれどね。共通するのは、
その連続する時間の延長にある明日は未定だということ。

一時期はやった言葉に
「想定内」という、いかにも賢しらな言葉がある。
あれは嫌な言葉だったなぁ。
先に結論があるんじゃなくて、揺れ動く時間の中で、
ボクシングの軽量級世界チャンピオンのような
軽やかなフットワークを以て、
次の時間を生きるというのが大事なんじゃないかと思うのです。
だって、わかんないもん、明日のことは。
こんなことをいうと、
「君ィ、それは無節操で無計画で、およそ建設的じゃない」
と、必ず言う、恐ろしくきまじめな
頭の悪い教師みたいな人がいるけれどね。
たしかにそれはそうかもしれないですねと僕はきっと言うだろうし、
むげに否定はしないけれど、
じゃあ、節操があり、計画的で、建設的であることが、
そんなに素晴らしいことなの? と心の中でつい思ってしまう。

今日とは違う明日をしっかり生きる力があれば、
とりあえずいいんじゃないかと思う。
その中で緩やかに一貫した想いが流れていればいいんだし。
時間の重さに耐える力があれば、それは可能だろうし。
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風通信93

2017/04/16(Sun)
風通信 |
福岡の桜もどうやら終わりのようだ。
今日の室見川河畔公園の桜は、七分葉桜になって、
その花の下を人々がゆっくりと歩いていた。

例年、この季節に届く桜便りがある。
長いつきあいのガールフレンドからです。
今年は、夜桜の画像が添付してあった。
染井吉野じゃなく、
ぼってりと重い八重桜。

「年年歳歳花相似たり」ですね。
もちろん、この句の眼目は、その後の
「歳歳年年人同じからず」だけど。

たしかに、人の世は変化する。
世も変われば、人も変わる。
息をのむような素晴らしい恋も、
深い闇の中で行き惑う恋も、
いつか時間の中に消えていきます。

ものごとには潮時というものがあるような気がする。
その時は一度失われてしまえば、たいていの場合、
二度とやってくることはないというのが、
ささやかな僕の人生の教訓です。
谷川俊太郎が唄ったように、人は言葉を持っているから、
あの時、こうすればよかったとか、つい思ってしまう。
でも、失われた時は二度と帰っては来ない。
3月の悲しい犬なら、
海に向かって、ただ遠く吠えるだけ、
そうすることで、哀しみに耐えるんですね。
言葉で自らを騙したり、慰めたりはしない。

今年も春が逝く。
また来む春と、人は云う。
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風通信92

2017/04/09(Sun)
風通信 |
新聞を取らなくなってずいぶん経つ。
生まれた時から近年までずっと「朝日」を取っていたのだが、
ある時、もう読まなくてもいいかなと忽然と思った次第。
今の日本にジャーナリズムは存在しないような気がしている。
統制こそないけれど、
だんだん1945年より前の時代にさかのぼっているような気もするし。
僕はまた、ほとんどテレビを見ない。
たまさかのドキュメンタリーと、ローカルニュースくらいは見ます。
全国版のニュースは、
ちょっとばかり偏向しているような印象があるなぁ。
それに比べてローカルニュースは、
どっかの小学校の給食の話とか、地域のイベントの話題とか。
だから、人々のささやかな営みが映し出されるリアル感が心地よい。
その一方で、日本のドラマはここ20年近くほとんど見たことがない。
まず内容が透けて見えるし、台詞も予想の域を出ないことが多いのだ。
その点、欧米のドラマは違います。特に、ヨーロッパのドラマ。

最近終了した、NHKの『刑事フォイル』は珍しくすべて観た。
制作にも関わっていたアンソニー・ホロビッツが
ほとんどの脚本を書いていて、
いかにもイギリスの作家らしい彼の(脚)本は好きだったから、
飽きることなく見続けた。シニカルで、
つまり(と言っていいかどうか分からないのだけれど)現実主義、
声を荒げる場面もなければ、説教臭くもなく、
むやみに涙腺を緩めるようなエモーショナルなシーンもない。
冷静で紳士的、もちろん、さりげないユーモアはそこかしこに。

ピーター・シェーファー、アラン・エイクボーン、
少し硬派になるが、トム・ストッパードなど、
イギリスには優れた劇作家がたくさんいて、学ぶところは多い。
あ、アントンクルーで初演したパトリック・マーバーもいましたね。
もちろん、優れた小説家がそうであるように、
優れた劇作家は世界中に散在しているんだけど、
僕の趣味に合うのは、ほとんどイギリスの劇作家の作品になる。
有名どころは、上演権が高くて、
小屋で掛けることは難しいのが難点だけれど。

『刑事フォイル』は、イギリス南東部の港町ヘイスティングスでの物語で、
ジャンルとしてはミステリー・ドラマなのだが、
面白さを感じたのは、むしろ戦争中のイギリス地方都市の生活だった。
前回放送のシリーズから始まって、
今回のシリーズの最終回『警報解除』で第2次世界大戦が終わる。
作品は丁寧に造られている印象があり、制作費がかなりかかったと思われる。
戦争という状況がもたらすものは、
イギリスでも日本でも、要するにどこの国でも変わらない。
僕らが想像力を挟み込む余地がないほど現実的だ。
戦時下の圧倒的な狂気に翻弄される人々が
死の恐怖に襲われつつ、それでも日々淡々と過ごし、
ときには愚かしく、ときには賢明に生きていく姿が描かれます。

ところで、イギリスには、
劇作家兼、演出家兼、作曲家兼、俳優というマルチな才能を持つ、
ノエル・カワードという人物がいた。1899年生まれだから、
大戦中は脂の乗りきった40代だった。
ウエルメイドなその作品は好みではないのだが、
(三谷幸喜をソフィスケートした感じと思ってもらえればいいです)
アメリカにおけるジャズ・エイジな人々に近い。
たとえば、タートルネックのセーターも
彼が舞台で着たのが流行のはしりだったというのだから、
おしゃれ感覚は一流です。
当然のことながら、第2次世界大戦中も、我関せずで生きていた。
というより、戦争に背を向けたらしい。
そのため、「非国民」というレッテルを張られ、批判された。
そのとき、当時の首相ウインストン・チャーチルは、
まあ友人だったとはいえ、
「あんなやつ、戦場に行っても役に立たない。
 一人ぐらい恋だ愛だと歌っているやつがいてもいい」
と弁護したそうだ。

このあたりの感覚が、彼の国と本邦との違いかと。
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風通信91

2017/04/02(Sun)
風通信 |
今日の夕暮れは美しかった。
陽が山際に隠れた後、空には青みが残っていて、
いくつかの雲の塊が西から東へ流れていた。
室見川河畔のベンチの上。
暮れなずむ空が広い。

こんなとき、僕は『古今和歌集』の歌を思い出す。

夕暮れは雲のはたてにものぞ思ふあまつ空なる人を恋ふとて

歌意は、
夕暮れになると、流れる雲を眺めてしまう。
そして、何気なく心に浮かぶのはあの人のこと。
この空遠く、届かないところにいる、恋しいあの人・・・。

ぐらいでしょうか。

そのまま、ぼんやりしていた。
夜の闇が降りてくる。
空港から飛び立った航空機の夜間灯が
東の空を移動してゆく。
なんか、遠くに行きたいなぁ、と思う。

むかし、萩原朔太郎は、
「フランスに行きたしと思えども、
       フランスはあまりに遠し」
と歌いましたね。

僕は、あの航空機に乗れば、
東京に行けるんだよね、きっと、と思う。

サイモンカーターの
小さなボストンバッグひとつだけ持って、
いろんなことを全部忘れて。

さて、
明日から、新年度が始まる。
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風通信90

2017/04/02(Sun)
風通信 |
最近は、語られることが少なくなったけれど、
昨日4月1日はエイプリル・フールだった。
その起源って、なんなのかなぁ。
たぶん、西洋発だから、
やっぱりキリスト教に関係しているのだろうか。

小さな、罪のない嘘をつきましたか?

嘘をつくことは、あまり正しい行為とは認定されない。
僕はモラリストではないから、
とりあえずだけど、自分のなした事柄のせいで、
悲しむ人がいなければ、あるいは、
そのことで他者に迷惑がかからなければ、
たいていのことはほどほどに結果オーライの人間だ。
だからだろうか、次のようなことを考えてしまいます。
たぶん、人は、
正しいことばかりをして生きているわけじゃない。
時には、正しくないことをしないことには、
世界がうまく見えてこないこともある、と。
僕だって、いくつも正しくないことをしてきた、間違いなくね。
でも、そうしないわけにはいかなかったと思う。
そのいくつかは、
すでに時間の暗闇の向こう側に消えている。
そのことで、ときどき、
ひとり胸を痛めることもあります。でも、
そして、それが、(たぶんだけど)人間なんだとも思うのです。
これは言い訳でも、開き直りでも、自己卑下でも、韜晦でもない。

とはいうものの、人生というものは、
負けるに決まっているゲームを戦っているようなものだから、
とりあえず、生きていくことが大事なんじゃないかなぁ。
いい空気を吸って、美味しいものを食べて、身体を動かして、
服を買って、ときどきは遠いところに行って、
明るく前向きに考えることだ。
だいたい、人生というものはシリアスに生成されるものだから、
考え過ぎちゃうとロクなことはないんだよね。
アーネスト・ヘミングウェイは、
「優れた投手は、スコア・ボードを見て配給を考えない」
と言ったと聞いたことがある。
たぶん、そういうことだろうと思う。

『武玉川』だったと思うけれど、
「うそがきらひで顔がさびしい」
という句がある。
これも近くないですか?

「嘘」で、思うんだけど、そして唐突だけど、
戦後民主主義は、幻想に過ぎない。(唐突ですねぇ)
だけど、たぶん誰だってそう思ってきたんじゃないかと思う。
素朴にそれを信じて来たのは、真面目で、
少しばかり愚かな、ひとにぎりの教師たち。だから、
彼らは生徒に民主主義の素晴らしさを教室で伝えました。
でも、そのシステムそのものは虚構なんです、きっと。
民主主義ってそんなに素晴らしいものじゃない。
今の政治状況を見ただけでもそれが分かる。
ただ、戦後民主主義を支えた来た人々は、
虚構、あるいは幻想と知りながら、
それに命を懸けてきたのではないかと思うのです。
1945年から1970年代の終わりくらいまで、
社会の中核にいたのは戦争を知っている人たちなわけでしょ?
極限状態の中で、人がどれほどエゴイストになるものか、
指揮官が責任を取らなければどれほどの災禍を人にもたらすか、
戦場や、空襲で家族や恋人や友達をどれほど失ったか。
自分自身でさえも、
心ならずも戦場で人を殺した経験があったかもしれない。
そういう人々が、とりあえず、
それが虚構だと認識していていながも、
後に続く世代には同じ思いをさせたくないという
強い意志が作り出した幻想なのではないかなぁ。
言わば、強烈なリアリズムが造型した幻想ですね。
このところ、その幻想が潰えようとしている。
ゆっくりと時間をかけて、明るい瞳で新しい言葉が語られる。

先日、ある学者がインタビューに答えて言っていた。
「戦前と同じだって言ってますが、なにより時代が違うんですから」
彼はたぶん、間違っている。
時代は違っても人の心は変わらないということを知らない。
表紙は違っても心してページをめくると中身は同じだって。
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