ニュース・日記
『あの頃ペニー・レインと』という映画がある。
原題は「Almost Famous」だから、
そのままでは邦題にはなり得なかっただろうし、
営業方針として、女優のケイト・ハドソンを
売り出す映画だったのかもしれないが、素敵なタイトルです。
彼女の魅力と相まって、
ロック好きには、大いにそそられる作品だ。
オールマン・ブラザーズ・バンドのポスターが、
主人公の部屋に、さりげなく張ってあったり(これはかなり意図的)、
映画の冒頭からサイモンとガーファンクルのレコードが
レコードプレイヤーのターンテーブルに載せられたりする。
劇中で唄われるエルトン・ジョンの“Tiny Dancer”には胸が熱くなる。
その中に、そんなのありかなと思える箇所がある。
ペニー・レイン役のケイト・ハドソン(個人的に好みです)が
飛行機で地元へ帰るところ。
見送る彼女を見送るウイリアム(主人公です)が
ロビーから滑走路を眺めている。
そこへイースター航空の飛行機がゆっくりと現れる。
飛行機の座席に傷心のペニー・レインが座っている。
予感を持った(という演出です)ペニーが
窓の方へ身を寄せる。カメラが彼女の背中越しに、
ロビーで手を振っているウイリアムを見せる。
飛行機はゆっくりと滑走路へ向かう。
飛行機の動きに合わせて、ロビーの中をウイリアムが走る。
サスペンス・アクションドラマじゃないから、
ロビーで人にぶつかるだの、
彼が障害物(たとえば大きな観葉植物鉢)にぶつかるだの、
そういう演出はなし。
彼はただひたすら走るだけ。飛行機の窓を通してそれが見える。
もちろんペニーは気づくんだけど、
彼女は手を振らないし、彼女のアップも無し。
飛行機はなおもゆっくりと滑っていく。
ついて行けなくなったウイリアムがロビーの端で、
立ちすくむというか、取り残される構図。
今度はウイリアムの背中越しに飛行機が離れて行くカット。
そして、微笑みをたたえながら、
飛行機に向かって肩の横で手を振るウイリアム。
長くなったけれど、
あるんですね、こういうシーンが。
いや、昔の映画でよくあった、駅のホームでの別れなら分かる。
センチメンタルなシーンになったはずだ。
でも、飛行機です。
それはないだろう・・・、と思いつつ、
もちろん、監督・脚本のキャメロン・クロウの狙いは
ちゃんとあるはずで、僕もだってその意図は分かるんだけどね。
それでも、飛行機です。
悲しい別れではない。それは出発のための別れ。
たぶん、人はそうやっていくつもの別れを経て大人になっていく。
上手な別れ方と下手な別れ方があるけれど、
見かけや振る舞いは別としてね、
人間としての清潔感がそれを決めるんじゃなかな、と。
ウイリアムは15才だったしね。
彼が生まれてはじめてキスしたのは
ペニー・レインだったしね。
それにしても、飛行機ですよ。ありかなぁ〜。
原題は「Almost Famous」だから、
そのままでは邦題にはなり得なかっただろうし、
営業方針として、女優のケイト・ハドソンを
売り出す映画だったのかもしれないが、素敵なタイトルです。
彼女の魅力と相まって、
ロック好きには、大いにそそられる作品だ。
オールマン・ブラザーズ・バンドのポスターが、
主人公の部屋に、さりげなく張ってあったり(これはかなり意図的)、
映画の冒頭からサイモンとガーファンクルのレコードが
レコードプレイヤーのターンテーブルに載せられたりする。
劇中で唄われるエルトン・ジョンの“Tiny Dancer”には胸が熱くなる。
その中に、そんなのありかなと思える箇所がある。
ペニー・レイン役のケイト・ハドソン(個人的に好みです)が
飛行機で地元へ帰るところ。
見送る彼女を見送るウイリアム(主人公です)が
ロビーから滑走路を眺めている。
そこへイースター航空の飛行機がゆっくりと現れる。
飛行機の座席に傷心のペニー・レインが座っている。
予感を持った(という演出です)ペニーが
窓の方へ身を寄せる。カメラが彼女の背中越しに、
ロビーで手を振っているウイリアムを見せる。
飛行機はゆっくりと滑走路へ向かう。
飛行機の動きに合わせて、ロビーの中をウイリアムが走る。
サスペンス・アクションドラマじゃないから、
ロビーで人にぶつかるだの、
彼が障害物(たとえば大きな観葉植物鉢)にぶつかるだの、
そういう演出はなし。
彼はただひたすら走るだけ。飛行機の窓を通してそれが見える。
もちろんペニーは気づくんだけど、
彼女は手を振らないし、彼女のアップも無し。
飛行機はなおもゆっくりと滑っていく。
ついて行けなくなったウイリアムがロビーの端で、
立ちすくむというか、取り残される構図。
今度はウイリアムの背中越しに飛行機が離れて行くカット。
そして、微笑みをたたえながら、
飛行機に向かって肩の横で手を振るウイリアム。
長くなったけれど、
あるんですね、こういうシーンが。
いや、昔の映画でよくあった、駅のホームでの別れなら分かる。
センチメンタルなシーンになったはずだ。
でも、飛行機です。
それはないだろう・・・、と思いつつ、
もちろん、監督・脚本のキャメロン・クロウの狙いは
ちゃんとあるはずで、僕もだってその意図は分かるんだけどね。
それでも、飛行機です。
悲しい別れではない。それは出発のための別れ。
たぶん、人はそうやっていくつもの別れを経て大人になっていく。
上手な別れ方と下手な別れ方があるけれど、
見かけや振る舞いは別としてね、
人間としての清潔感がそれを決めるんじゃなかな、と。
ウイリアムは15才だったしね。
彼が生まれてはじめてキスしたのは
ペニー・レインだったしね。
それにしても、飛行機ですよ。ありかなぁ〜。
ウインブルドン選手権が終わって、
はや一ヶ月近く経過しました。
錦織は残念だった。誰かが言っていたけれど、
誰もが認める才能と誰もが感じている体力の不足というのは
彼の試合を見るかぎり、そうかもしれないと思う。
選手権の期間中は、お酒こそないけれど、
自宅はまるでどこかのスポーツバーのように
一日中、試合の映像が流れている。
ときどき、風景のように見ることがあるけれど、
名のある選手の試合は、ほとんど例外なく面白いですね。
それ以外にも面白みのある試合などがあり、
ストロークの柔らかいコ〜ンという音と
それに伴う、パラパラという感じの拍手音が聞こえると、
つい腰を下ろして画面に見入ることがある。
スポーツの観戦は技術の凄さもさることながら、
そこに立ち向かう選手たちの姿に引き寄せられるのだ。
ことはテニスに限らないけれど、
日本で放映される多くの世界レベルのスポーツ・イベントは、
どうしても日本人選手が中心にプログラムされる。
視聴率とか、視聴者のニーズとか、いろいろ理由はあるのだろう。
世界最高のスポーツ・イベントはオリンピックだけれど、
たとえばクロアチアと南アフリカのホッケーの試合とか、
もう、これは絶対に放映されないと思います。だからだろうか、
これまで、オリンピックの放映には、
実はあまりその面白みを感じたことはない。
日本人選手の試合が中心で、しかも、知名度の高い競技が多く、
極端なことを言えば「スポーツ」そのものを
放映しているわけじゃないからだと思う。
外国ではどうなんだろう?
やっぱり、自国選手中心のプログラムなんだろうか?
全国的に夏休みに入って、高校野球が始まっている。
「甲子園」です。「甲子園」という固有名詞は、
すでに普通名詞となって久しい。曰く、マンガ甲子園とかね。
それもどうかと思うけれど、高校野球と言えば、「甲子園」、
高校ラグビーと言えば「花園」という、一種の概念化傾向は
いまさら変えようがないんだろうなぁ。
そこで思うんだけど、
オリンピックも「アテネ」を目指すというのはいかがだろうか。
むやみに広告代理店にもうけさせることもないし、
開催地獲得レースに何億というお金も動くことはない。
組織委員会の収賄の疑惑もなくなるだろうし、
それを利用しようとする政治屋の暗躍もなくなるだろう。
もっとも、暗躍しているかどうかは分からないけれど。
運営資金だって出場選手の数で頭割りし、参加国が支払えばいいだけの話。
そんなに簡単にはいかないのかなぁ。。。
だって、「アテネ」はオリンピックの聖地だしさ。
また、そぞろオリンピックへ向けて、
国全体が一色に染まるんだろうなぁ。うんざりです。
ところで、
8月末にはテニスは全米選手権が始まる。
また、我が家はスポーツバーみたいになると思う。
それにしても、選手も大変だ。
錦織の名前を挙げるまでもなく、身体のケアをする暇もないよね。
はや一ヶ月近く経過しました。
錦織は残念だった。誰かが言っていたけれど、
誰もが認める才能と誰もが感じている体力の不足というのは
彼の試合を見るかぎり、そうかもしれないと思う。
選手権の期間中は、お酒こそないけれど、
自宅はまるでどこかのスポーツバーのように
一日中、試合の映像が流れている。
ときどき、風景のように見ることがあるけれど、
名のある選手の試合は、ほとんど例外なく面白いですね。
それ以外にも面白みのある試合などがあり、
ストロークの柔らかいコ〜ンという音と
それに伴う、パラパラという感じの拍手音が聞こえると、
つい腰を下ろして画面に見入ることがある。
スポーツの観戦は技術の凄さもさることながら、
そこに立ち向かう選手たちの姿に引き寄せられるのだ。
ことはテニスに限らないけれど、
日本で放映される多くの世界レベルのスポーツ・イベントは、
どうしても日本人選手が中心にプログラムされる。
視聴率とか、視聴者のニーズとか、いろいろ理由はあるのだろう。
世界最高のスポーツ・イベントはオリンピックだけれど、
たとえばクロアチアと南アフリカのホッケーの試合とか、
もう、これは絶対に放映されないと思います。だからだろうか、
これまで、オリンピックの放映には、
実はあまりその面白みを感じたことはない。
日本人選手の試合が中心で、しかも、知名度の高い競技が多く、
極端なことを言えば「スポーツ」そのものを
放映しているわけじゃないからだと思う。
外国ではどうなんだろう?
やっぱり、自国選手中心のプログラムなんだろうか?
全国的に夏休みに入って、高校野球が始まっている。
「甲子園」です。「甲子園」という固有名詞は、
すでに普通名詞となって久しい。曰く、マンガ甲子園とかね。
それもどうかと思うけれど、高校野球と言えば、「甲子園」、
高校ラグビーと言えば「花園」という、一種の概念化傾向は
いまさら変えようがないんだろうなぁ。
そこで思うんだけど、
オリンピックも「アテネ」を目指すというのはいかがだろうか。
むやみに広告代理店にもうけさせることもないし、
開催地獲得レースに何億というお金も動くことはない。
組織委員会の収賄の疑惑もなくなるだろうし、
それを利用しようとする政治屋の暗躍もなくなるだろう。
もっとも、暗躍しているかどうかは分からないけれど。
運営資金だって出場選手の数で頭割りし、参加国が支払えばいいだけの話。
そんなに簡単にはいかないのかなぁ。。。
だって、「アテネ」はオリンピックの聖地だしさ。
また、そぞろオリンピックへ向けて、
国全体が一色に染まるんだろうなぁ。うんざりです。
ところで、
8月末にはテニスは全米選手権が始まる。
また、我が家はスポーツバーみたいになると思う。
それにしても、選手も大変だ。
錦織の名前を挙げるまでもなく、身体のケアをする暇もないよね。
勤務先が今日からサマータイムとなった。
夏の朝の手つかずの太陽。
空気はひそやかに予感する。
暑い一日の始まりの準備である。
世界が少しずつ動き始めるのが分かる。
6時40分には自宅を出て、16時40分には
自宅に帰り着くという生活です。
誰かと運命的に出逢うこともない。
事情が許し、僕自身の気が向けば、
コットンのサマーセーターを着た恋人と
図書館で待ち合わせてもいいけれど、
きっと図書館は、
夏休みを迎えて、学生で溢れているだろう。
読みたかった本や、観たかった映画を
この夏に制覇するための
リストアップをしようと思いながら、
ソフトバンク・ホークスの試合をつい見てしまう。
相変わらず、情けない。
ともあれ、サマータイム。
夏の朝の手つかずの太陽。
空気はひそやかに予感する。
暑い一日の始まりの準備である。
世界が少しずつ動き始めるのが分かる。
6時40分には自宅を出て、16時40分には
自宅に帰り着くという生活です。
誰かと運命的に出逢うこともない。
事情が許し、僕自身の気が向けば、
コットンのサマーセーターを着た恋人と
図書館で待ち合わせてもいいけれど、
きっと図書館は、
夏休みを迎えて、学生で溢れているだろう。
読みたかった本や、観たかった映画を
この夏に制覇するための
リストアップをしようと思いながら、
ソフトバンク・ホークスの試合をつい見てしまう。
相変わらず、情けない。
ともあれ、サマータイム。
どこかで書いたことがあるけれど、
僕は、新婚まもない叔父の家で、
新しく叔母となった人(書き方が難しいですね)
が持っていた“A Hard Day's Night”を聴いてから、
完全無欠な(というのも変だけど)ビートルズ・マニアになった。
中学生の頃の僕を知っている人は、
たぶん、僕とビートルズは切り離して語ることはできない。
(実際のそう言われたことがあります)
だから、(という接続詞も変だけれど)ローリング・ストーンズは
ほとんど聴かなかった。
なんだか、ストーンズとビートルズって、
正反対な感じだったんです。
優等生と劣等生?
それなりに洗練されたなコーラスと、
ワイルドなギターサウンド?
今聴くと、まあ、なんというか、
甲乙つけがたいというか、どちらも本当にいいんだよね。
それぞれの良さがあって。
その当時、ビートルズだって、
やんちゃな音楽好きの少年たちという意味では(というか)
一皮剥けばストーンズと変わらなかったと思う。
ロン・ハワードが監督した
“ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK The Touring Years”
昨年、劇場に懸かった作品が、もうWOWOWで放映された。
観ましたよ、もちろん。
あの時、いちばんに観に行った後輩の大森が、
「なんだか、オジサンばかりでしたよ」と言ったので、
そういうお前だってオジサンだろ、という言葉を飲み込みながら、
結局は劇場に行けなかった作品です。
ロン・ハワードさんなので、
「ドキュメンタリー映画」としての勘所は押さえていて、
インタビューの人選も抜かりなく、僕は愉しみました。
一方、今年のWOWOWでは、ストーンズが取り上げられていて、
たぶん、レジェンドとなると思われる
「キューバ公演」をはじめとする貴重な4番組が順次放映された。
1995年、東芝EMIスタジオのアコースティックのレコーディングは、
ライブ盤『ストリップト』へと結実するものだけど、
観ていて本当に楽しかった。なにより、
この人たちが音楽をする歓びの中に生きていることを
感じられたからなんですね。
たしか、ミック・ジャガーは、
20代の頃に、40代になってプール付きの家で過ごすなんて
ロックをする人間じゃない、というようなことを言っていたと
記憶している。たぶん、その言葉には、
ロック音楽の社会的な意味が背後にあったと思う。
でもね、彼が、たとえば現在、プール付きどころか、
プライベートビーチを有する豪邸に住んでいたとしても、
それは結果としてそうだけなのであって、
その本質は、ただの音楽好きの少年が中年になり、
そして老年を迎えただけ(といっては失礼だけど)のような気がする。
愛や平和や、世界への呼びかけは見事になし。
(いや、根底にはあったかもしれないけれど)
ビートルズの音楽性は、半世紀が経っても、
その音楽の女神に愛されたような多彩な豊穣さは、減衰することはない。
でも、結局のところ、すごく下世話な言い方になるけれど、
ビートルズは、仲良くなかったのだろうな。
ストーンズのライブ映像を見ていて、彼らは仲がいいなぁと思った次第。
いや、案外大事なことなんだよね。
僕は、新婚まもない叔父の家で、
新しく叔母となった人(書き方が難しいですね)
が持っていた“A Hard Day's Night”を聴いてから、
完全無欠な(というのも変だけど)ビートルズ・マニアになった。
中学生の頃の僕を知っている人は、
たぶん、僕とビートルズは切り離して語ることはできない。
(実際のそう言われたことがあります)
だから、(という接続詞も変だけれど)ローリング・ストーンズは
ほとんど聴かなかった。
なんだか、ストーンズとビートルズって、
正反対な感じだったんです。
優等生と劣等生?
それなりに洗練されたなコーラスと、
ワイルドなギターサウンド?
今聴くと、まあ、なんというか、
甲乙つけがたいというか、どちらも本当にいいんだよね。
それぞれの良さがあって。
その当時、ビートルズだって、
やんちゃな音楽好きの少年たちという意味では(というか)
一皮剥けばストーンズと変わらなかったと思う。
ロン・ハワードが監督した
“ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK The Touring Years”
昨年、劇場に懸かった作品が、もうWOWOWで放映された。
観ましたよ、もちろん。
あの時、いちばんに観に行った後輩の大森が、
「なんだか、オジサンばかりでしたよ」と言ったので、
そういうお前だってオジサンだろ、という言葉を飲み込みながら、
結局は劇場に行けなかった作品です。
ロン・ハワードさんなので、
「ドキュメンタリー映画」としての勘所は押さえていて、
インタビューの人選も抜かりなく、僕は愉しみました。
一方、今年のWOWOWでは、ストーンズが取り上げられていて、
たぶん、レジェンドとなると思われる
「キューバ公演」をはじめとする貴重な4番組が順次放映された。
1995年、東芝EMIスタジオのアコースティックのレコーディングは、
ライブ盤『ストリップト』へと結実するものだけど、
観ていて本当に楽しかった。なにより、
この人たちが音楽をする歓びの中に生きていることを
感じられたからなんですね。
たしか、ミック・ジャガーは、
20代の頃に、40代になってプール付きの家で過ごすなんて
ロックをする人間じゃない、というようなことを言っていたと
記憶している。たぶん、その言葉には、
ロック音楽の社会的な意味が背後にあったと思う。
でもね、彼が、たとえば現在、プール付きどころか、
プライベートビーチを有する豪邸に住んでいたとしても、
それは結果としてそうだけなのであって、
その本質は、ただの音楽好きの少年が中年になり、
そして老年を迎えただけ(といっては失礼だけど)のような気がする。
愛や平和や、世界への呼びかけは見事になし。
(いや、根底にはあったかもしれないけれど)
ビートルズの音楽性は、半世紀が経っても、
その音楽の女神に愛されたような多彩な豊穣さは、減衰することはない。
でも、結局のところ、すごく下世話な言い方になるけれど、
ビートルズは、仲良くなかったのだろうな。
ストーンズのライブ映像を見ていて、彼らは仲がいいなぁと思った次第。
いや、案外大事なことなんだよね。
先月の『三文オペラ』は、よく知っている作品でもあるし、
だいいち長い作品なので、パスしたんだけど、
今月は観に行った。
NTLの『The Deep Blue Sea』(深く青い海)です。
今回の観客は五人。ゆったり観ましたね。
演劇評論家じゃないので論評は避けるけど、
愉しめる作品だった。いつも思うんだけど、
なんかね、演劇の文化が違うなって。
(以下の引用は、暗闇の中でメモったので、正確じゃない)
「人っていつも善い人よりも、素敵な人を好むのね」
で、オーディエンスは爆笑。僕も笑ってしまった。
作品はイプセンを想起させるような内容で、
かなり渋いのですが、こういうクスグリがある。
そうね、ときとして、
真実よりも優しさが人を慰めるものだし。
「理屈では説明しきれない、哀しみがあるわ」
うん、言葉はいつも不十分。だけど、
言葉に出来ないものを無理に言葉にする必要はない。
もしろ言葉に出来ないものを
抱えて生きることの方が重要だったりする。
ヒロインに向かって、
「希望がないということは
希望に裏切られることもないということです」
と言った医者はそれは言葉の綾だとなじられ、
「希望を通り越した向こう側で生きるんです」
と畳みかけると、
「希望の向こう側には何があるんです?」と尋ねられる。
その答えが「Go on living!」
(・・・ちょっとこの引用は言葉足らずですが)
主演のヘレン・マックローリーは素晴らしい演技。
残念ながら、
下世話な言い方だけど、あの顔、苦手なんだなぁ。
原作にはないと思うけれど、
演出のキャリー・クラックネルの創った
最後のシーンは秀逸です。
精神的にも肉体的(むしろこちらの方が重要)
にも愛する男に去られたヒロインが、
嗚咽しながら、ガス台に火を付け、卵を焼く。
嗚咽しながら、トーストにバターを塗る。
トーストの上に卵焼きを載せる。
そして、一口囓って、カットアウト。
巧い。
こういう芝居を観ると、
演出家のはしくれとして、舞台を創りたくなります。
だいいち長い作品なので、パスしたんだけど、
今月は観に行った。
NTLの『The Deep Blue Sea』(深く青い海)です。
今回の観客は五人。ゆったり観ましたね。
演劇評論家じゃないので論評は避けるけど、
愉しめる作品だった。いつも思うんだけど、
なんかね、演劇の文化が違うなって。
(以下の引用は、暗闇の中でメモったので、正確じゃない)
「人っていつも善い人よりも、素敵な人を好むのね」
で、オーディエンスは爆笑。僕も笑ってしまった。
作品はイプセンを想起させるような内容で、
かなり渋いのですが、こういうクスグリがある。
そうね、ときとして、
真実よりも優しさが人を慰めるものだし。
「理屈では説明しきれない、哀しみがあるわ」
うん、言葉はいつも不十分。だけど、
言葉に出来ないものを無理に言葉にする必要はない。
もしろ言葉に出来ないものを
抱えて生きることの方が重要だったりする。
ヒロインに向かって、
「希望がないということは
希望に裏切られることもないということです」
と言った医者はそれは言葉の綾だとなじられ、
「希望を通り越した向こう側で生きるんです」
と畳みかけると、
「希望の向こう側には何があるんです?」と尋ねられる。
その答えが「Go on living!」
(・・・ちょっとこの引用は言葉足らずですが)
主演のヘレン・マックローリーは素晴らしい演技。
残念ながら、
下世話な言い方だけど、あの顔、苦手なんだなぁ。
原作にはないと思うけれど、
演出のキャリー・クラックネルの創った
最後のシーンは秀逸です。
精神的にも肉体的(むしろこちらの方が重要)
にも愛する男に去られたヒロインが、
嗚咽しながら、ガス台に火を付け、卵を焼く。
嗚咽しながら、トーストにバターを塗る。
トーストの上に卵焼きを載せる。
そして、一口囓って、カットアウト。
巧い。
こういう芝居を観ると、
演出家のはしくれとして、舞台を創りたくなります。
『バーディ』という映画の中で、
主人公の二人が出会うシーンがある。
おそらく60年代後半のアメリカの地方都市だ。
妙に懐かしい風景だった。
廃車寸前の錆びたポンコツの横には、
背の高い雑草が茂り、
空き地では少年たちが三角ベースの野球をする。
ときどき、大きなフライが上がって、
近所の家の庭に落ちる。
そこにはちょっと小太りの小母さんがいて、
必ず洗濯物を干していたり、取り込んでいたりする。
そして、「あんたたち他で遊びなさい」とか、小言を言う。
日本でも同じような風景がいたる処にあった。
僕もそんな中で生きていたはずだ。
今の博多駅が出来る前は、祇園町に駅舎が建っていた。
絵に描いたようなという比喩があるが、
現在の門司港駅のようなルネサンス式の重厚な建築物だった。
駅の南側には多くの農地や空き地が広がっていて
そこで日の暮れるまで遊んでいた。
上空では灰色の軍用機が頻繁に飛んでいた。
現在の福岡空港が当時は米軍の板付基地だったからだろう。
民間機の離着陸も併用されていたように思うが、
なにしろ子供の記憶だ。はっきりしない。
祖母がベースの近くに住んでいて、よく遊びに行ったものだ。
歩いて行く時は、それが近道だったから、
御笠川に懸かっていたベースへの引き込み線の鉄橋の上を歩く。
ちょうど、『スタンド・バイ・ミー』の少年たちのように。
当時すでに錆びていたから、使用されていなかったのだろう。
自転車で走れば15分。でも、ときどきはバスに乗る。
降車するのは「板付ベース前」というバス停だ。
そのバス停は国道3号線に沿って
永遠まで続いているような金網の前に立っていた。
そして、その向こうには蒲鉾型の米軍の住宅があり、
住宅の前の芝生では軍人の家族の出入りが見える。
すごく、スマートに見えた。
バス停から少し歩くと、金網の下に沢山の弾薬が落ちていた。
それをよく拾って、サンドペーパーで磨いて、
戦利品のような感じで学校に持っていったものだ。
中には、薬莢付きの物もあって、
磨いている途中に暴発して、指をなくした友達もいた。
僕の家は典型的なブルーカラーで、
ご近所はたぶん、いちように貧しかったけれど、
どこまでも広がるような青空の下の生活だったように思う。
身を震わせるような幸せもなかったし、
魂を揺さぶるような不幸もなかった。
まるで初夏の昼下がりのような日々。
それは、あらかじめ失われた時間にちがいない。
心をほっこり温めてはくれる。
わけあって別れた女の子に
再び会ってはいけないのと同じようなものかもしれない。
主人公の二人が出会うシーンがある。
おそらく60年代後半のアメリカの地方都市だ。
妙に懐かしい風景だった。
廃車寸前の錆びたポンコツの横には、
背の高い雑草が茂り、
空き地では少年たちが三角ベースの野球をする。
ときどき、大きなフライが上がって、
近所の家の庭に落ちる。
そこにはちょっと小太りの小母さんがいて、
必ず洗濯物を干していたり、取り込んでいたりする。
そして、「あんたたち他で遊びなさい」とか、小言を言う。
日本でも同じような風景がいたる処にあった。
僕もそんな中で生きていたはずだ。
今の博多駅が出来る前は、祇園町に駅舎が建っていた。
絵に描いたようなという比喩があるが、
現在の門司港駅のようなルネサンス式の重厚な建築物だった。
駅の南側には多くの農地や空き地が広がっていて
そこで日の暮れるまで遊んでいた。
上空では灰色の軍用機が頻繁に飛んでいた。
現在の福岡空港が当時は米軍の板付基地だったからだろう。
民間機の離着陸も併用されていたように思うが、
なにしろ子供の記憶だ。はっきりしない。
祖母がベースの近くに住んでいて、よく遊びに行ったものだ。
歩いて行く時は、それが近道だったから、
御笠川に懸かっていたベースへの引き込み線の鉄橋の上を歩く。
ちょうど、『スタンド・バイ・ミー』の少年たちのように。
当時すでに錆びていたから、使用されていなかったのだろう。
自転車で走れば15分。でも、ときどきはバスに乗る。
降車するのは「板付ベース前」というバス停だ。
そのバス停は国道3号線に沿って
永遠まで続いているような金網の前に立っていた。
そして、その向こうには蒲鉾型の米軍の住宅があり、
住宅の前の芝生では軍人の家族の出入りが見える。
すごく、スマートに見えた。
バス停から少し歩くと、金網の下に沢山の弾薬が落ちていた。
それをよく拾って、サンドペーパーで磨いて、
戦利品のような感じで学校に持っていったものだ。
中には、薬莢付きの物もあって、
磨いている途中に暴発して、指をなくした友達もいた。
僕の家は典型的なブルーカラーで、
ご近所はたぶん、いちように貧しかったけれど、
どこまでも広がるような青空の下の生活だったように思う。
身を震わせるような幸せもなかったし、
魂を揺さぶるような不幸もなかった。
まるで初夏の昼下がりのような日々。
それは、あらかじめ失われた時間にちがいない。
心をほっこり温めてはくれる。
わけあって別れた女の子に
再び会ってはいけないのと同じようなものかもしれない。
ときどき、俺も年を取ったんだなぁと思うことがある。
いや、これは否定的な意味じゃなくての話です。
福岡のFMラジオの実験放送は1962年の開始だが、
僕が本格的に聞き始めたのは中学生の頃だったと思う。
夕方帰ってくると、たぶん夜の放送の始まりで、
(一日中、放送されているわけではなかった)
「ただいまから実験放送をはじめます。
まず右のスピーカーから信号音が出ます。
次に左のスピーカーから信号音がでます。
最後の左右のスピーカーから同時に出ます」
というようなアナウンスがあって、
左右のスピーカーのバランスを取って聞き始めた。
なんというか、FM放送にはずいぶんお世話になった。
当時はたしか深夜放送の走りみたいな時期で、
友達の多くはAM局のプログラムを聞いていたように思う。
僕もある程度は聞いたとは思うが、
それよりFENからFM放送に移行した印象が強い。
板付空港には米軍基地があり、当然FENも受信できていた。
FM専用の雑誌もあったね。
「FMファン」とか、「週刊FM」「FMレコパル」とか
巻末に一週間分か二週間分のプログラム表が巻末に付いていて、
聴きたい番組をチェックする。いわゆるエアーチェック。
ここでずいぶんとクラシックを聴いたし、
いうまでもなく当時のヒットポップス(洋楽)を聴いた。
もちろん、カセットテープに録音するわけだ。
そのことが分かっている放送局も
音楽とアナウンスを完全に切り離していたし、
あくまで音質重視のFMというのが売りだったから、
余計なおしゃべりはほとんどなかった。
ここで、冒頭のコメントに戻る。
最近のFM局は聴くに聴くに堪えないのです。
なによりおしゃべりが多すぎるように思うのだ。
情報なんかも豊富にあるし、若い人はそれでいいのだろう。
ところが、僕のような年寄りは、
DJ(?)、ナビゲーターともいいますか? の個人的な感想や、
個人的な日々の想いなんか、まあ、言っては何ですが、
どうでもいいことのように思えてしまうのです。
ほんと、ドーデモイイようなことをしゃべっている。
英語混じりにペラペラしゃべっている番組を聴いていると、
だから、「音楽」を流してくれと言いたくなる。
フム、老人は嫌だなぁ〜、我ながら。
だから、最近は、
ほとんどFM局にチャンネルを合わせることはしない。
ヤレヤレである。
いや、これは否定的な意味じゃなくての話です。
福岡のFMラジオの実験放送は1962年の開始だが、
僕が本格的に聞き始めたのは中学生の頃だったと思う。
夕方帰ってくると、たぶん夜の放送の始まりで、
(一日中、放送されているわけではなかった)
「ただいまから実験放送をはじめます。
まず右のスピーカーから信号音が出ます。
次に左のスピーカーから信号音がでます。
最後の左右のスピーカーから同時に出ます」
というようなアナウンスがあって、
左右のスピーカーのバランスを取って聞き始めた。
なんというか、FM放送にはずいぶんお世話になった。
当時はたしか深夜放送の走りみたいな時期で、
友達の多くはAM局のプログラムを聞いていたように思う。
僕もある程度は聞いたとは思うが、
それよりFENからFM放送に移行した印象が強い。
板付空港には米軍基地があり、当然FENも受信できていた。
FM専用の雑誌もあったね。
「FMファン」とか、「週刊FM」「FMレコパル」とか
巻末に一週間分か二週間分のプログラム表が巻末に付いていて、
聴きたい番組をチェックする。いわゆるエアーチェック。
ここでずいぶんとクラシックを聴いたし、
いうまでもなく当時のヒットポップス(洋楽)を聴いた。
もちろん、カセットテープに録音するわけだ。
そのことが分かっている放送局も
音楽とアナウンスを完全に切り離していたし、
あくまで音質重視のFMというのが売りだったから、
余計なおしゃべりはほとんどなかった。
ここで、冒頭のコメントに戻る。
最近のFM局は聴くに聴くに堪えないのです。
なによりおしゃべりが多すぎるように思うのだ。
情報なんかも豊富にあるし、若い人はそれでいいのだろう。
ところが、僕のような年寄りは、
DJ(?)、ナビゲーターともいいますか? の個人的な感想や、
個人的な日々の想いなんか、まあ、言っては何ですが、
どうでもいいことのように思えてしまうのです。
ほんと、ドーデモイイようなことをしゃべっている。
英語混じりにペラペラしゃべっている番組を聴いていると、
だから、「音楽」を流してくれと言いたくなる。
フム、老人は嫌だなぁ〜、我ながら。
だから、最近は、
ほとんどFM局にチャンネルを合わせることはしない。
ヤレヤレである。
僕は政治的には、
ラディカルではないにしても、
リベラルな方だと思っている。
少なくとも、コンサバではないですね。
でも、いわゆる「政治」にはほとんど興味がない。
ただ、ずいぶん前に、
これからの日本の政治には何も期待するものがない、
という感想は持った記憶がある。
顕著だったのは、
小泉のワンフレーズ・ポリティクス。
あれはいけなかった。
その小泉が安部を幹事長に迎えた張本人。
そして、イタリア国民が
ムッソリーニに万雷の拍手を送ったように、
僕らの隣人は小泉や安部を迎えた。
一国の宰相であるのに知性のかけらもない彼らを。
それにしてもだ、
好むと好まざるとに関わらず、
僕らはこの国で生きていくしかない。
その現実を受け入れるしかないわけです。
よくよく考えてみれば、
コーンパイプを咥え、
レイバーンのサングラスを掛けたアメリカの軍人が
ちょいと顎をしゃくっただけで、
すべてが変わったことを想起しますね。
これはもう、超ポストモダンな感じ。
きっと、構造的には何も変わっていないのだろう。
ワンフレーズ・ポリティクスだって、
「満州は日本の生命線!」とか、
「進め!一億火の玉だ!」とか、
いくらでも歴史の中に見出すことが出来るしさ。
東京都議選で、「都民ファースト」の圧勝という報道。
小池はしたたかな戦略家だなぁ。
たとえば、豊洲問題にしたって、
発表する時期を熟慮を重ねて決定したでしょ?
計算したとしか思えない。
同じ穴のなんとかとは言わないまでも、
似たり寄ったりですよね。
思うに、プラトンの哲人政治の主張は、
まあ、アクチュアルではないにしても
それなりに真理を含んでいるように思う。
哲学を忘却するどころか、
そのなんたるかをさえ理解していない群盲政治家によって、
操られている国家の混迷と悲哀を
まさに僕らは体験しつつあることからも明らかですね。
僕らは民主国家に生きているわけだが、
安部の都議選投票前日の街頭演説、野次る聴衆に向かって
「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と激高した、という
(なんとまあ、小さいこと!)報道の通りだとすると、
ちょっと北朝鮮を笑えないかなぁ。
もっとも、ヨシフ・スターリンの例を持ち出すまでもなく、
そこには粛清なるものが厳然としてある。
だから、その意味では、民主国家(笑)
この場所で、生き続けなければならないというのは、
ずいぶん、少なくとも僕にとっては、
シンドイことではあるけれど。
ラディカルではないにしても、
リベラルな方だと思っている。
少なくとも、コンサバではないですね。
でも、いわゆる「政治」にはほとんど興味がない。
ただ、ずいぶん前に、
これからの日本の政治には何も期待するものがない、
という感想は持った記憶がある。
顕著だったのは、
小泉のワンフレーズ・ポリティクス。
あれはいけなかった。
その小泉が安部を幹事長に迎えた張本人。
そして、イタリア国民が
ムッソリーニに万雷の拍手を送ったように、
僕らの隣人は小泉や安部を迎えた。
一国の宰相であるのに知性のかけらもない彼らを。
それにしてもだ、
好むと好まざるとに関わらず、
僕らはこの国で生きていくしかない。
その現実を受け入れるしかないわけです。
よくよく考えてみれば、
コーンパイプを咥え、
レイバーンのサングラスを掛けたアメリカの軍人が
ちょいと顎をしゃくっただけで、
すべてが変わったことを想起しますね。
これはもう、超ポストモダンな感じ。
きっと、構造的には何も変わっていないのだろう。
ワンフレーズ・ポリティクスだって、
「満州は日本の生命線!」とか、
「進め!一億火の玉だ!」とか、
いくらでも歴史の中に見出すことが出来るしさ。
東京都議選で、「都民ファースト」の圧勝という報道。
小池はしたたかな戦略家だなぁ。
たとえば、豊洲問題にしたって、
発表する時期を熟慮を重ねて決定したでしょ?
計算したとしか思えない。
同じ穴のなんとかとは言わないまでも、
似たり寄ったりですよね。
思うに、プラトンの哲人政治の主張は、
まあ、アクチュアルではないにしても
それなりに真理を含んでいるように思う。
哲学を忘却するどころか、
そのなんたるかをさえ理解していない群盲政治家によって、
操られている国家の混迷と悲哀を
まさに僕らは体験しつつあることからも明らかですね。
僕らは民主国家に生きているわけだが、
安部の都議選投票前日の街頭演説、野次る聴衆に向かって
「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と激高した、という
(なんとまあ、小さいこと!)報道の通りだとすると、
ちょっと北朝鮮を笑えないかなぁ。
もっとも、ヨシフ・スターリンの例を持ち出すまでもなく、
そこには粛清なるものが厳然としてある。
だから、その意味では、民主国家(笑)
この場所で、生き続けなければならないというのは、
ずいぶん、少なくとも僕にとっては、
シンドイことではあるけれど。
いつも、
夏は扉が開くように始まると思っている。
今日見上げた空は、夏の空だった。
梅雨はまだまだ続くけれど、
そこにはたしかに夏の空。
山の向こうに幸せがあるような夏の空です。
ペリカンのロイヤルブルーを流したみたいな
空に浮かぶくっきりと白く輝く雲。
あと何度、この季節を
くぐり抜けることが出来るだろう。
ネロは2回の夏だったけど、
僕は、60回を疾うに過ぎた。
ある年齢を過ぎると、人生というものは
いろいろなものを失っていく
連続的な課程に過ぎなくなる。
まるで櫛の歯が欠けるようにだ。
あるいは、掌に持っていたはずのものが、
滑り落ちていくように
愛する人々が一人、また一人と、消えていく。
しかし、彼らは多くの場合、
生きている僕らの在り方を変更させていく。
その変更を真っ当に受け入れることが、
僕らに残された
亡き人を弔う正しい在り方だろうと思う。
懐かしいあこがれのような夏が始まる。
夏は扉が開くように始まると思っている。
今日見上げた空は、夏の空だった。
梅雨はまだまだ続くけれど、
そこにはたしかに夏の空。
山の向こうに幸せがあるような夏の空です。
ペリカンのロイヤルブルーを流したみたいな
空に浮かぶくっきりと白く輝く雲。
あと何度、この季節を
くぐり抜けることが出来るだろう。
ネロは2回の夏だったけど、
僕は、60回を疾うに過ぎた。
ある年齢を過ぎると、人生というものは
いろいろなものを失っていく
連続的な課程に過ぎなくなる。
まるで櫛の歯が欠けるようにだ。
あるいは、掌に持っていたはずのものが、
滑り落ちていくように
愛する人々が一人、また一人と、消えていく。
しかし、彼らは多くの場合、
生きている僕らの在り方を変更させていく。
その変更を真っ当に受け入れることが、
僕らに残された
亡き人を弔う正しい在り方だろうと思う。
懐かしいあこがれのような夏が始まる。