ニュース・日記

ニュース・日記

風通信122

2017/09/18(Mon)
 |
今日は台風一過。
小さい頃、「台風一家」と思っていて、
秋にいくつもまとめて台風が来るので、
そう言うと思っていた。
よくある話ですね。(そうでもないか)

こういう勘違いはありますよね。
「A級ライセンス」を「永久ライセンス」とか。
解散総選挙が近いとかで、またそぞろ情宣カー、
そこで言われる「ご声援ありがとうございます」なんか、
「5千円ありがとうございます」。
オイオイ、やばいんじゃないの。
ついでに「汚職事件」は「お食事券」。
「扶養家族」が「不要家族」になってはいけません。
台風には警報、注意報がつきものだけど、
「波浪注意報」が「ハロー注意報」になったら、
なんか、ほのぼのです。
童謡で「兔追いし」というのも「兔美味し」となったら、
それはやっぱり、どうかと思うし、
ボーリングの「ガター」は
ついつい「ガーター」と言ってしまう。
う〜む、潜在的欲望の前景化などと思われても困るので、
ここらあたりで止めよう。

今は夏の名残のような美しい夕暮れです。
暮れなずむ空に、小さな入道雲が連なっている。
上の方は光を受けて、白く輝いている。
風は緩やかに木々を揺らし、秋のはじまりを感じる。
季節は過ぎていきますね。

みなさん、お元気ですか?
このページのTOPへ

風通信121

2017/09/17(Sun)
風通信 |
そんなふうには見えないのだけれど、
僕の友人の山本は車が好きなようだ。
それも、日本車には手を出さない。
いや、僕の知っているかぎり、一度だけ、
NISSANのブルーバードに乗っていた事がある。
でも、確か半年で手放したと記憶している。
面白くないのだそうだ。
面白い車という発想は、つまり、運転していて、
楽しいか楽しくないかということなんだろうか。
ともあれ、半年で売り飛ばした、それからの半年間、
彼の奥さんは何かにつけて経済のことをいい、
いい加減うんざりしたそうだ。
でも、それはそうですよね、
僕だって奥さんの気持ちは分かる。

アメリカ車やイギリス車、
それからドイツ車と渡り歩いた彼が、
最近手に入れたのがHONDAの“NBOX/”。
軽自動車である。
この車の特徴は運転席の下方に大きなウーハーがあり、
その他に四つのミッドレンジのスピーカー。
さらに四つのトゥィーターが標準装備してあるところだ。
車内がまるでコンサートホールか、スタジオみたいな感じです。
そこで、モーツァルトの『魔笛』、夜の女王のアリアなんかを聴くと、
人の声がまさに楽器に聞こえてくるそうだ。よく分からない。
もっとも、チェット・アトキンスの
ウフフなギター演奏を聴くよりはいいかもしれない。
(念のため、別なシチュエーションならいいんです、あのギターも)
もちろん、不十分ながらも防音装置は付いている。
そりゃそうだよね、じゃなければ、
交差点でアイドリングストップした時に、
他者の存在に考慮しないどこかのお兄さんと間違われる。

軽自動とはいってもターボチャージャー付きなので、
走りそのものには普通車に遜色がないそうだ。
日本の技術者の実力は世界に誇っていいと言うのが持論。
ただ、軽自動車の致命的な欠点は、
タイヤのグリップ力が弱い上に、軽量なので、
隣の車線をダンプカーが走っている時に、
大きな波に揺れる艀のような感覚に囚われるらしい。
その他に、いろいろカスタマイズして、
購入時にはコンパクトカーよりも高額になったらしい。
バカである。
そのくせ、それほど車にこだわりはないというのだ。
トム・ハーディの主演した『レジェンド』という映画の中で、
アメリカン・マフィアのドンが
「信頼してくれという人間は、まず信用しちゃいけない」
という台詞を言うシーンがあるが、あれと同じです。

山本から聞いた話で今でも忘れないのは、
イギリスのミニクーパーに載っていた時のこと。
それはよく晴れた美しい秋の土曜日の午後のことです。
郊外の公園の脇道を走っていた時、エンジン部分から、
カチャカチャと妙な音が聞こえたそうだ。
ん? と思った瞬間、車からストンと力が抜けたらしい。
力が抜けた? うまく実感は出来ないんだけれど、
まあ、彼がそう言うのだから、そうなんだろう。
何気なく道路の左側にハンドルを切っていたので
そのまま惰性で路側帯に寄せて止まったそうだ。
「そしたらな、あたりは、急にしーんとするんだよ。
風のうなりみたいなもんがかすかに感じられて、
よく晴れた日でさ、雲ひとつなく、
公園から子供たちの黄色い声が聞こえてくる。
すべてが妙に非現実的で、
本当はあれこれしなくちゃいけないんだけど、
なんか、時間が止まったような、いい気持ちになったんだ」
と話してくれたことがある。
彼の話の中では唯一、好きな話である。
このページのTOPへ

風通信120

2017/09/10(Sun)
風通信 |
普段はインドアの仕事ばかりなのだが、
九月に入ってからのこの一週間、
ずっと風を感じる戸外の仕事が続いていた。
さすがにちょっと疲れました。
そんな中で観た映画は二本だけ。
どちらもReal story movies 、とは言っても、
結局のところ、ある種の脚色はある娯楽作品です。
一本は相変わらずのベタベタな韓国映画の『海にかかる霧』。
これ、ほんとにベタなんです。
どうしてそこでセックスシーンが必要なのか、
ドラマには不必要なエンディングを設定するのか、
よく分からなかった作品だった。懲りずに失敗。
もう一本は『ダンケルク』。これはIMAXで観た。
クリストファー・ノーランの作品は初めてだった。
なんでも、今どきの監督としては珍しくCGを使用していない。
そういう意味でも興味深く観ました。
映像作品としては、
名機スピット・ファイアーの滑るような雄姿とか、
絶え間なく続く音の洪水とか、
歴史的には、独英仏のパワー・ポリティクスの構造とか、
極限状態に置かれた人間の剥き出しの欲望とか、
女性の登場がたぶん3カット、
合計しても10秒を超えなかったとか、
ドイツ軍の姿を見せないとか、
作家の意図は見え見えで・・・
・・・あれこれ思うことがありましたね。
それをすべて書くと長くなる。先日会った若い友人の北崎が
「ちょっと長いっちゃんねぇ〜」と言うので、
今日は、コメントはひとつにしておこう。
「ダンケルクの奇跡」と言われるこの撤退作戦を成功させた
当時の(たぶん就任したばかりの)首相、
ウィンストン・チャーチルの演説の一節が
作品の最後で、生還した兵士の読む新聞の中で引用される。
政治家の演説としては、見本になるような演説。
彼の言葉に
「 金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。
しかし、勇気を失うことはすべてを失う」という名言があるが、
ダンケルク撤退は勇気であったという認識です。
(もっとも、この映画ではそこまで言ってはいないけれど)

僕は僕なりに生まれた国を愛しているので、
この国の、先の大戦の在り方と、現在の政治の姿に、
ふと、考えが及ぶ。
このページのTOPへ

風通信119

2017/09/03(Sun)
風通信 |
この二週間、若い友人と夕餉を囲む機会が続いた。
彼らが10代の頃から知っている友人である。
今ではそれぞれ、40代と50代のオジサンたち。
それに混じっての60代のジイさんである。
まあ、くだらない与太話ばかりです。愉しい。

僕が今でもこうして付き合う若い友人は、
受験勉強の詰め込みや、くだらない部活動、
無意味な競争、集団の抑圧、偽善的な規則などに
どう頑張ってもなじめなかった連中ばかりだ。
そういう人間と気が合うのは、
きっと僕自身がそうなのだろうと思うのです。

閑話休題

40代のオジサンたちは、全員が独身ゆえに、
ある種の身軽さを備えているんだけど、
背後に忍び寄る時間の重さを感じ始めている印象。

50代のオジサンたちは、それぞれが妻子持ちで、
与えられた場所で与えられた事を
村の鍛冶屋のように、日々こなしているという印象。

そして、60代のジイさんは、
藤原定家の
「見しはみな夢のただちにまがひつつ昔は遠く人はかへらず」
をまるで月見草のように静かに口ずさむのです。

40年以上も生きていると、
どんなに穏やかで整合的に見える人生にも、
必ず大きな破綻する時期があるものだ。
だから、そのことで嘆き、停滞するよりは
それをどのように通過するかを考えるべきだろう。
そもそも(というと大げさだけれど)
僕らが生きるということは、
負けるに決まっているゲームを戦っているようなものだ。
身を焦がすような恋や、ささやかな志など
多くのものを失ってきはずだ。
でも、失ったもののことは忘れた方がいい。
それより、いま自分が手にしているものの事だけ考えて、
日々を大切に生きた方がいいような気がする。

ところで、
こうして若い友人と夕餉を囲むことは多いのだが、
妙齢に達する若いご婦人方からお誘いがないのは、
これは、男性として、
喜ぶべきことか、悲しむべきことか、
我ながらちょっと迷いますね、ふふ。

今宵の月は十三夜。
風が緩やかに秋を運んでくる。
このページのTOPへ
Copyright (C) anton-crew All Right Reserved.
このページの先頭へ戻る