ニュース・日記

ニュース・日記

風通信139

2017/11/30(Thu)
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続きです。

とりあえず、ホテルで一息入れて、宵の口から、
シアターコクーンで『24番地の桜の園』を観る。
24番地というのは道玄坂2丁目にある、
シアターコクーンの番地ですね。
言うまでもなく、
ルイ・マルの遺作『42丁目のワーニャ』への
リスペクトなのかなぁと思います。
あの映画ドキュメンタリーは5回は観たな。
台本も良かった。デイヴィッド・マメットです。
だから、
あの方式を意識しての作品になるのかなと思っていたら、
フツーの『桜の園』、
というかそれをベースにした構成芝居だった。
特に、後半にそれが目立ちます。
舞台へのコメントはありません。
そんなものは芝居を創らない人間が、
勝手にやればよろしい。

26日(Sun)は、
見上げると恥ずかしくなるくらいの青空。
渋谷駅南口にあるホテルを出て、
六本木方面へ歩いて行く。
目的地は国立新美術館の『安藤忠雄展』。
今回の目的は『桜の園』を観ることにあったんだけれど、
ひとり旅だもの、時間の許すかぎり動き回るのです。

上京の折には、必ず立ち寄るのがこの新美術館だ。
当初は森の中の美術館をイメージしたいたらしいが、
それが成功しているかどうかは別として、いつの季節訪れてもいい。
ロビー(というのかしら)に設置してある
ゆったりとした籐の椅子に深く腰掛け、
背中越しに射し込む光陽射しを感じて読書する。
たくさんの人が歩いているけれど、
誰ひとり知った人がいない空間。
至福の時です。
ここを設計したというだけで、
黒川紀章は素晴らしいと思う。

それにしても『安藤忠雄展』は、
あんなに来場者が多いとは思わなかった。
回顧する時期に来たんだと思うんだけれど、
展示された模型の前に立てないほど人混みだった。
人の多さにヤレヤレである。
幸福な建築家なんだな、安藤は。。。と思う。

建築と光の共存について考える。
建築物は、光をどう取り込むかという課題と
格闘してきたんじゃないだろうか。
それは古い中世の教会から近代のモダン住宅まで。
コンクリート打放しで有名な安藤忠雄だが、
初期の設計施工された建物を観ると、
モダニズム建築そのものじゃないかと感じましたね。
ル・コルビジェの「ロンシャン教会」を観た安藤が、
ある種の啓示を受けたと、語ったことがあるそうだが、
彼の後期の作品「ラ・トゥーレット修道院」に
少しでも近づこうとしているように思われましたね。
そういえば、今、思い出したんだけど、
アントンクルーの解散葉書のカットに、
この「ラ・トゥーレット修道院」の
閉じられたドアの画像を使ったのでした。
再結成の折には、開いたドアのカットを使うかな。えへッ。

展示場を出たところで、気になるチラシを発見。
東京ミッドタウンにある「フジフイルムスクエア」、
そこの開設10周年記念として開催されている
『アンセル・アダムス写真展』です。
東京ミッドタウンは新美術館から歩いて5分だから、
足を延ばすことにした。

To be continued
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風通信138

2017/11/29(Wed)
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気温はそれほど低くはないのだが、
今日は冷たい雨が降る。
渋谷東急から渋谷駅に向かう裏道、
敷き詰められたような銀杏の落ち葉も
明日は静かな雨に濡れるだろう。
先週末、その上をカサカサと音を立てて
歩いたばかりだ。

仕事の関係で、一泊しか出来なかったけれど、
ひさびさの東京だった。今回は渋谷拠点。

昼過ぎに駐cに着いて、ランチ。
京急の改札口近くの「うちのの卵かけごはん」です。
なにも東京に行ってまで福岡の地場物を、とは思う。
郷土愛というのではなく、単に卵好きなだけね。

いったん、品川に出て有楽町へ向かう。
有楽町インフォスで「ビートルズ展」をやっている。
楽器や舞台衣装など。
池袋でもグッズの販売が大々的にやってるんだけど、
今回は芝居が目的なので、ここで満足、浪費は避ける。
会場にいるのは、文字通りの老若男女でした。

「ビートルズは時代と共に生きた」と、
どこかで読んだ記憶があるけれど、そのことを改めて感じる。
モノ・レコーディングからステレオへ、
そして4チャンネル、8チャンネル、nチャンネルと、
音楽テクノロジー-は1960年代に革命が起きたように思う。
その時代と併走するように、
ビートルズは生きたのではなかっただろうか。

ブースで当時のインタビューやファンの声を聞きながら、
ビートルズ自体がビジネス的にも巨大になりすぎて、
ジョンや、ポール、ジョージ、リンゴという一個人では
制御できなくなったんじゃないかと思った。
自分たちが何をやっているのか、やろうとしているのか、
見えなくなったんじゃないかと思うことがある。
その点、ストーンズはしたたかですよね。

とりあえず、渋谷のホテルにチェックインして、
本命のシアター・コクーンへ向かう。

沢田研二が所属していたザ・タイガースの後期の傑作に、
「都会」という曲がある。昔から好きでね。
街の夕暮れはたいていは同じだ。

♪都会は今日もさざめきうたって
 都会は何も こたえてはくれない
 今日も人波に流れてゆくよ
 人の押されて歩く夕暮れ♪

最後のフレーズは、南 沙織の「色づく街」でしたね。

To be continued
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風通信137

2017/11/17(Fri)
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久しぶりに、我が畏友、岩井と会う。
短い時間だったけれど、愉しい時間だった。
話は、カルロ・ゴルドーニの話から、
ローリング・ストーンズまで。
つまり、とりあえず、18世紀の劇作家の作品から、
20世紀を代表する音楽家までですね。
僕らのことだから、まあ、演劇が中心だけれど。
改めて、日本の近代劇作家の作品が「面白くない!」
という見解が一致した。良いとか悪いとかじゃないのですね。
ただ面白くない、ということ。
持ち味は違うにしても、昔から大概の見解は一致するから、
長い間一緒になって作品を創ってこられただろうね。

こと、文化現象において、
お互い、どういう話題を振っても、
たいていは応えるという関係はなかなか得がたい。
致し方ないとは言え、
彼が福岡を離れたのは返す返すも残念です。
そういえば、今日は映画の話はなかったなぁ。。。
あ、いや、マリオン・コティヤールの
『エディット・ピアフ』は出てきたなぁ。
ウディ・アレンの小洒落た作品
『ミッドナイト・イン・パリ』は僕の好きな作品。
ピカソの愛人という役柄も良かったのですよ。ふふ。
『サンドラの週末』と
『マリアンヌ』がライブラリーにはあるんだけど、
まだ見ていないので、明日は見ようか、と。

今のところ、
こんなふうに話せる相手がいないので、
こうしてときどき会うと、いろんな意味で、
俺も、前向きに、もうちょっとだけなら
頑張れるかなと思う。
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風通信136

2017/11/12(Sun)
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僕は天文少年ではなかったから、
星座のことなんて知らなかった。
あれがシリウスだと
教えられたのは、高校生の時。
その時以来、いつも冬になると、
空を見上げて冬の大三角形を認め、
シリウスを確認したものだ。

楽しいことや、哀しいこと。
辛いことや、嬉しかったこと。
いつでもシリウスは冬の夜空に輝いていた。


定家の歌を二首

見しはみな夢のただちにまがひつつ昔はとほく人はかへらず
風の上に星のひかりはさえながらわざともふらぬ霰をぞ聞く


今夜も、南西の空にオリオン座がかかる。
今夜も、シリウスは輝いている。
僕が生まれるずっと前から、
僕が死んだ後の永遠の時間まで。
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風通信135

2017/11/11(Sat)
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気温、摂氏16度。
昨夜の強い雨が、空中の塵埃を
すべて地上に落としたようだ。
コバルト色の空は、
どこかに
透明な哀しみを隠しているかのように澄んでいる。
色づきはじめた銀杏の葉が風に揺れ、
音もなく舞うように落ちる。
まるで僕らの人生のように。
ふと生きていることがつらくなる。
こんな日もある。

たまたま生まれて、ドタバタ生きて、
失われてゆくだけ。

そろそろ芝居を創るかなぁ・・・
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風通信134

2017/11/04(Sat)
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それほど興味があるわけでないだろうから、
おそらく気を遣って話題を振ってくれたのだろうが、
東京在住の若い友人から、
「決戦の舞台は福岡!」という件名のメールが届いた。
いや、確かに。
もっとも、リーグ優勝も、クライマックス勝利も、
ヤフオクドームでの胴上げはなかったし、
日本シリーズの優勝くらいは、本拠地だろうという
身びいきの憶測で、
日本シリーズの優勝は「ソフトバンク」に決まりです、
とメールしたものの、
勝負事はやってみないとわからないですね。
投手力並びに攻撃力、守備力の技術的な違い、
総合的な戦力の差はあるにしても、
なにしろ、今のDeNAには勢いがあるからね。
ほら、けっこう「勢い」って
こと勝負では大事なエレメントですもん。
でも、まあ、どこかに野球の神様がいるんなら、
順当にホークスに優勝をもたらすはずと思う。

いや、そういう話ではなかった。

届いたメールに、
むかし一度だけ、広島対ヤクルト戦で、
神宮球場に行ったことがあると書いてあったので、
その返信メールに、薄暮ナイターの記憶を書いた。
薄暮ナイターといっても、たぶん今の人は知らないだろう。
夕方の4時くらいから試合が始まって、
たいていの場合「ダブルヘッダー」といって2試合あることがあった。
たぶん、20世紀の終わりくらいまではあったんじゃないだろうか。
あれはなかなか良いものだった。
空が夕闇に包まれていって、2試合目くらいの一定の時間が来ると、
パアーッとカクテル光線(球場の照明のことです)が点灯される。
Tシャツのなかった時代、
多くの大人は揚柳シボの入った生地の下着のシャツだけになって、
ビールを片手に、ヤジを飛ばしながら観戦する。
夜間の外出という非日常の中に投げ込まれた
子供は大人の横で落ち着きなくお尻をムズムズさせながら、
それでも、一人前になったような気分で観戦し、
飽きたら野球そっちのけで通路を走り回る。
のどかな、そして豊かな時代。
そんなことを書いて送信した後、少しヤレヤレの気分になった。
どう考えても、これはフェアではないような気がしたのです。

先日も同じようなことがあったのだ。

ジェームズ・アイボリーの『日の名残り』。
いうまでもなくノーベル賞作家K・イシグロの名作です。
その演技を賞賛したメールがその友人から来て、
僕は返信に、監督の名前をリチャード・アッテンボローと間違え、
おまけに主役のアンソニー・ホプキンスを
アンソニー・パーキンスと間違えた。でへへ。
僕にはよくあることで、なんという失態! とは思わないんです。

問題はその先にある。

僕は、ついでに、
アンソニー・パーキンスが出ている映画の話をしたわけだ。
『さよならをもう一度』(Goodby Again)ね。
もちろん、ブラームスの3番がいかに効果的に使われたかを
得々とメールに書いてしまって、これがね、ヤレヤレなんです。
その友人は僕よりずいぶん若く、
もしかしたら、その映画を観たことがないかもしれない。
僕が観たのはずいぶん前だけど、
それでも、それは僕が彼よりも長く生きてきたからであって、
それをいかにも知ったかぶりに書いたような気がしたのだ。
ね、ヤレヤレでしょ?
これはファアじゃない。
そういう話はしてはいけないような気がするのです。
僕は教師ではないけれど、
こういうのを思い上がった教師面と言うんだな。
すぐに人生論をぶつ人気のない数学教師みたいな。

年齢の差というものはある。でも、
たとえば52才といってもいろいろな52才がある。
25才のような52才もいるし、62才のような52才もいるだろう。
25才といってもいろいろな25才があるようにだ。
だからそういう数字的な年齢よりも、
年齢を超えて分かり合える縦糸のようなものを
大事にしていくべきだろうと思う。
「同じ時代」を生きる者として。

アンソニー、といえば、
アンソニー・クイーンという俳優がいた。
まあ、『道』が有名ですが。
彼の『その男ゾルバ』は・・・、と轍を踏みそうになる。
だから、シメは、
今日の、ソフトバンクの勝利ということで(笑)
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