ニュース・日記

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風通信142

2017/12/26(Tue)
風通信 |
僕は、新聞を購読していないので
どんな記事が紙面を埋めているのか知らない。
今年亡くなった(僕の誕生日でした!)大岡信さんが、
朝日に『折々の歌』を連載していたのは有名ですね。
今は『折々のことば』というコラムで、
哲学者の鷲田清一が担当しているようだ。

若い友人からメールが来て、
今日の言葉は
After all,tomorrow is another day.だったそうだ
もちろん、
『風と共に去りぬ』のヒロイン、スカーレット・オハラの言葉。
この言葉から、柴田元幸が「オハラる」と動詞を創った。
以来、僕の愛用の言葉です。
はっきり覚えてはいないけれど、
映画では、「明日は明日の風が吹く」だったかしら。
そうですよね。
結局、明日は今日とは違う日なんだから、
のぼる明日の太陽は、生まれたて。
とりあえず、今日一日を頑張ってみるかな、って。

同じ映画で、レッド・バトラーが
Frankly dear, I don’t give a damn.’という。
男と女の区別というのは
ジェンダー的にはどうかと思うけれど、
ま、そこは一応置いといて、
やっぱり男って、
こうあるべきなんじゃないかなと愚考するわけです。
心で泣いてもサ(笑)
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風通信141

2017/12/08(Fri)
風通信 |
今日は、ジョン・レノンの命日です。

この年になると、
有名、無名にかかわらず、
知っている人で、鬼籍に入られた数が多くなる。
声を交わした人だったりすると、なおさらに。
ただただ、切ない。淋しい。

ところで、
今日は、NTL「ヘッダ・カーブラ」を観てきた。
客席には僕も含めて3人だけでした。

脚色は、僕が日本初演を含む、
すべての作品演出した、あのパトリック・マーバーです。
それよりも、演出。
刺激的でした。
なにより、シャープだった。
鈍くさい舞台は観たくない
と、つくづく思う。
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風通信140

2017/12/01(Fri)
風通信 |
続きます。

僕はもともと二次元の芸術の中では、
絵画よりも写真の方が好きだったのだが、
アンセル・アダムスは寡聞にして知らなかった。
なんでも、二十世紀の巨匠とか・・・。
「美と崇高の風景写真家」というキャッチだったので、
躊躇したんだけれど、ま、近くだしね、
時間的にも余裕もあったりして。

ちょっと古いけれど、ロバート・キャパや、
日本で言えば、沢田教一、石川文洋など、
戦場写真というか、報道写真にはほとんど興味がない。
以前、ピューリッツァー賞の作品展があった時、
見るに堪えられず、会場を途中で抜け出したくらい。
だから、僕のお気に入りは、
ヘルムート・ニュートンやエリオット・アダムスです。
日本にもすぐれた作家はもちろんいるけれど、
なんか、気持ちウエットな感じで今ひとつ乗り切れない。

で、そのアンセル・アダムス写真展。
ウームでした。
人物写真は意図するにせよ、しないにせよ、
写真の中にドラマがあるように思う。
自然のそれの場合は観る側に物語を要求する。
そうでなければ、対象物を演出するというかサ。
しかも、その演出は、表層的なことが多いように思うのです。

というわけで、新美術館に戻り、
地下のミュージアムショップへ。
美術館のミュージアム・ショップはどこも楽しい。
そして、ここは特に、だったが、今回は収穫なしでした。

乃木坂から表参道、そして渋谷へ戻る。
昨日に引き続き、Bunkamura。
ただし、この日は、
オーチャードホールのNHK交響楽団の定期演奏会。
プログラムは、
ベートーヴェンの『ピアノ・コンチェルト5番』と、
ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』(管弦楽版)
というオーソドックスなレパートリーだった。
ピアノはゲルハルト・オピッツ。
オピッツとベートーヴェンだから、
その取り合わせは言うこともないのだが、
なぜか、アンコールがないのですね。ちょっと残念。
いっぽう、N響の方は、
ラベルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』(管弦楽版)で、
これはお気に入りの曲だから、ちょっと満足。

東京でのコンサートはサントリーホールが多い。
ここは、建物の構造条件の制限もあるのだろうが、
やっぱり、サントリーホールは、
そのエントランスからの動線も含めて、
オーチャードホールとは違うという認識を改めて思ったのでした。

そして、
ほとんど最終便で、帰福。
誰にも会わず、誰とも話しもせず、
駆け足の二日間でした。

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