ニュース・日記
僕は、新聞を購読していないので
どんな記事が紙面を埋めているのか知らない。
今年亡くなった(僕の誕生日でした!)大岡信さんが、
朝日に『折々の歌』を連載していたのは有名ですね。
今は『折々のことば』というコラムで、
哲学者の鷲田清一が担当しているようだ。
若い友人からメールが来て、
今日の言葉は
After all,tomorrow is another day.だったそうだ
もちろん、
『風と共に去りぬ』のヒロイン、スカーレット・オハラの言葉。
この言葉から、柴田元幸が「オハラる」と動詞を創った。
以来、僕の愛用の言葉です。
はっきり覚えてはいないけれど、
映画では、「明日は明日の風が吹く」だったかしら。
そうですよね。
結局、明日は今日とは違う日なんだから、
のぼる明日の太陽は、生まれたて。
とりあえず、今日一日を頑張ってみるかな、って。
同じ映画で、レッド・バトラーが
Frankly dear, I don’t give a damn.’という。
男と女の区別というのは
ジェンダー的にはどうかと思うけれど、
ま、そこは一応置いといて、
やっぱり男って、
こうあるべきなんじゃないかなと愚考するわけです。
心で泣いてもサ(笑)
どんな記事が紙面を埋めているのか知らない。
今年亡くなった(僕の誕生日でした!)大岡信さんが、
朝日に『折々の歌』を連載していたのは有名ですね。
今は『折々のことば』というコラムで、
哲学者の鷲田清一が担当しているようだ。
若い友人からメールが来て、
今日の言葉は
After all,tomorrow is another day.だったそうだ
もちろん、
『風と共に去りぬ』のヒロイン、スカーレット・オハラの言葉。
この言葉から、柴田元幸が「オハラる」と動詞を創った。
以来、僕の愛用の言葉です。
はっきり覚えてはいないけれど、
映画では、「明日は明日の風が吹く」だったかしら。
そうですよね。
結局、明日は今日とは違う日なんだから、
のぼる明日の太陽は、生まれたて。
とりあえず、今日一日を頑張ってみるかな、って。
同じ映画で、レッド・バトラーが
Frankly dear, I don’t give a damn.’という。
男と女の区別というのは
ジェンダー的にはどうかと思うけれど、
ま、そこは一応置いといて、
やっぱり男って、
こうあるべきなんじゃないかなと愚考するわけです。
心で泣いてもサ(笑)
今日は、ジョン・レノンの命日です。
この年になると、
有名、無名にかかわらず、
知っている人で、鬼籍に入られた数が多くなる。
声を交わした人だったりすると、なおさらに。
ただただ、切ない。淋しい。
ところで、
今日は、NTL「ヘッダ・カーブラ」を観てきた。
客席には僕も含めて3人だけでした。
脚色は、僕が日本初演を含む、
すべての作品演出した、あのパトリック・マーバーです。
それよりも、演出。
刺激的でした。
なにより、シャープだった。
鈍くさい舞台は観たくない
と、つくづく思う。
この年になると、
有名、無名にかかわらず、
知っている人で、鬼籍に入られた数が多くなる。
声を交わした人だったりすると、なおさらに。
ただただ、切ない。淋しい。
ところで、
今日は、NTL「ヘッダ・カーブラ」を観てきた。
客席には僕も含めて3人だけでした。
脚色は、僕が日本初演を含む、
すべての作品演出した、あのパトリック・マーバーです。
それよりも、演出。
刺激的でした。
なにより、シャープだった。
鈍くさい舞台は観たくない
と、つくづく思う。
続きます。
僕はもともと二次元の芸術の中では、
絵画よりも写真の方が好きだったのだが、
アンセル・アダムスは寡聞にして知らなかった。
なんでも、二十世紀の巨匠とか・・・。
「美と崇高の風景写真家」というキャッチだったので、
躊躇したんだけれど、ま、近くだしね、
時間的にも余裕もあったりして。
ちょっと古いけれど、ロバート・キャパや、
日本で言えば、沢田教一、石川文洋など、
戦場写真というか、報道写真にはほとんど興味がない。
以前、ピューリッツァー賞の作品展があった時、
見るに堪えられず、会場を途中で抜け出したくらい。
だから、僕のお気に入りは、
ヘルムート・ニュートンやエリオット・アダムスです。
日本にもすぐれた作家はもちろんいるけれど、
なんか、気持ちウエットな感じで今ひとつ乗り切れない。
で、そのアンセル・アダムス写真展。
ウームでした。
人物写真は意図するにせよ、しないにせよ、
写真の中にドラマがあるように思う。
自然のそれの場合は観る側に物語を要求する。
そうでなければ、対象物を演出するというかサ。
しかも、その演出は、表層的なことが多いように思うのです。
というわけで、新美術館に戻り、
地下のミュージアムショップへ。
美術館のミュージアム・ショップはどこも楽しい。
そして、ここは特に、だったが、今回は収穫なしでした。
乃木坂から表参道、そして渋谷へ戻る。
昨日に引き続き、Bunkamura。
ただし、この日は、
オーチャードホールのNHK交響楽団の定期演奏会。
プログラムは、
ベートーヴェンの『ピアノ・コンチェルト5番』と、
ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』(管弦楽版)
というオーソドックスなレパートリーだった。
ピアノはゲルハルト・オピッツ。
オピッツとベートーヴェンだから、
その取り合わせは言うこともないのだが、
なぜか、アンコールがないのですね。ちょっと残念。
いっぽう、N響の方は、
ラベルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』(管弦楽版)で、
これはお気に入りの曲だから、ちょっと満足。
東京でのコンサートはサントリーホールが多い。
ここは、建物の構造条件の制限もあるのだろうが、
やっぱり、サントリーホールは、
そのエントランスからの動線も含めて、
オーチャードホールとは違うという認識を改めて思ったのでした。
そして、
ほとんど最終便で、帰福。
誰にも会わず、誰とも話しもせず、
駆け足の二日間でした。
僕はもともと二次元の芸術の中では、
絵画よりも写真の方が好きだったのだが、
アンセル・アダムスは寡聞にして知らなかった。
なんでも、二十世紀の巨匠とか・・・。
「美と崇高の風景写真家」というキャッチだったので、
躊躇したんだけれど、ま、近くだしね、
時間的にも余裕もあったりして。
ちょっと古いけれど、ロバート・キャパや、
日本で言えば、沢田教一、石川文洋など、
戦場写真というか、報道写真にはほとんど興味がない。
以前、ピューリッツァー賞の作品展があった時、
見るに堪えられず、会場を途中で抜け出したくらい。
だから、僕のお気に入りは、
ヘルムート・ニュートンやエリオット・アダムスです。
日本にもすぐれた作家はもちろんいるけれど、
なんか、気持ちウエットな感じで今ひとつ乗り切れない。
で、そのアンセル・アダムス写真展。
ウームでした。
人物写真は意図するにせよ、しないにせよ、
写真の中にドラマがあるように思う。
自然のそれの場合は観る側に物語を要求する。
そうでなければ、対象物を演出するというかサ。
しかも、その演出は、表層的なことが多いように思うのです。
というわけで、新美術館に戻り、
地下のミュージアムショップへ。
美術館のミュージアム・ショップはどこも楽しい。
そして、ここは特に、だったが、今回は収穫なしでした。
乃木坂から表参道、そして渋谷へ戻る。
昨日に引き続き、Bunkamura。
ただし、この日は、
オーチャードホールのNHK交響楽団の定期演奏会。
プログラムは、
ベートーヴェンの『ピアノ・コンチェルト5番』と、
ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』(管弦楽版)
というオーソドックスなレパートリーだった。
ピアノはゲルハルト・オピッツ。
オピッツとベートーヴェンだから、
その取り合わせは言うこともないのだが、
なぜか、アンコールがないのですね。ちょっと残念。
いっぽう、N響の方は、
ラベルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』(管弦楽版)で、
これはお気に入りの曲だから、ちょっと満足。
東京でのコンサートはサントリーホールが多い。
ここは、建物の構造条件の制限もあるのだろうが、
やっぱり、サントリーホールは、
そのエントランスからの動線も含めて、
オーチャードホールとは違うという認識を改めて思ったのでした。
そして、
ほとんど最終便で、帰福。
誰にも会わず、誰とも話しもせず、
駆け足の二日間でした。