ニュース・日記

ニュース・日記

風通信161

2018/03/31(Sat)
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プロ野球が開幕しましたね。
わがソフトバンクも渋く勝利して、まずは1勝。
この積み重ねの果てに、もう1頂!が来る(笑)
(分かる人には分かるKWです)
昨日はMLBも開幕しました。
エンゼルスの大谷が初打席初ヒットだって。
その大谷の話から、
過日、友人の原クンと焼き肉を食しながら
盛り上がった。

原(以下H) だいたい、あの顔が好かんのだね。
僕(以下B) どこが?
H いや、あのドヤ顔。フィギュアスケートの羽生と同じ顔でさ。
B なるほど。でも、実績あるんだから、仕方ないんじゃない?
H いや、実れば垂れる稲穂かなってね、言うだろ?
  The boughs that bear most hang lowest. という諺が英語圏にもある。
B でも、年齢が年齢だから。致し方ない。
H 藤井聡太を、見ろよ。年齢とは関係ない。
B スポーツと将棋を比べたら・・・。
H うん、そ。・・・そのフィールドの広さというか、
  マスに見られているというか、分かってるんだよ。
  だから、あんな顔ができる。僕ってスゴイでしょ? って。
B でも、確かにスゴイじゃん。誰でも出来ることじゃない。
H たまたま、そう生まれついただけでね。もっと謙虚にならなくちゃ。
B あそこに行くまではそれ相応の努力はしてると思うよ。
H 努力? でも、誰でもが大谷になれるわけじゃない。
B それでもだよ、
  彼らの努力は認めなくちゃな。結果は結果として認めるやろ? 
  君だって。
H それと顔つきとは関係ない。
対他的存在じゃないんだよ。対自ばかりでね。
B それって、古くない?
H まあ、サルトルだしね、確かに。
  んで、顔つきと言えばさ、松本人志の顔も嫌でね。
B 誰?
H ダウンタウンの、芸人だよ。
B はぁ。(H、ここでスマートホンで画像を見せてくれた)
H この顔、嫌と思わんか?
B まあ、汚い顔ではあるな。
H いや、貧しいね、この顔。
B 顔に責任はないやろ。
H いや、ある。40過ぎたら自らの顔に責任が生じる。
B ああ、リンカーンだった?
H そ。今どき、彼は芸人界のご意見番だそうな。
B ご意見番?
H 彼の漏らした感想がネットで拡散して、賛否両論。話題になる。
B まあ、このご時世だな。
H 芸人というのはさ、そもそもホスピタリティの存在なんだ。
B なるほど。夢路いとし、こいしとか、ダブルけんじとか。
コロンビアトップ、ライトは面白かった。
H ・・・それって、古過ぎやろ。
B いや僕、好きだったもん。あれで笑い過ぎて泣くという経験をした。
僕にとって古いのは、アチャコ、エンタツ。
H おまえ、話にならん。ま、確かに、
  あの頃の芸人の話芸はホスピタリティがあったな。
  偉そうなことをいわなかった。
それが、たとえば松本なんか、偉そうに言うんだな。
しかも、それをありがたがるマスコミ、というか大衆。
B 大衆ってさ、そういうもんなんじゃない? 
  自らの判断はとりあえず横におくというか。
H いや、もともとそんなもん、ないんだよ。
B そんなもん?
H あ、自らの自律的な判断ね。
B そりゃ、言い過ぎだろ。
H いや、そうだね。ちゃんとオルテガは早くに定義している。
B オルテガ・・・。
H そ、オルテガ。・・・主客転倒してるんだな。
  つまり、本来、主人を笑わせるはずのお笑い芸人が、
まるで主人のようになっている。
B ホスピタリティというわけか。
H ああ、そういうことだな。よくTVで、コメントしてるだろ。
B ああいうの、ひな壇芸人って言うんだって。
H ひな壇? なるほど。芸とも呼べない芸の垂れ流しだよな。
B まあね、だから飽きられたら、すぐ捨てられる。
H あのひな壇だって、結局は自己完結の構図。
B ん?
H 自分たちの世界でじゃれ合っているだけだろ?
  そこには、TVを見ている我々の、
  他者の視線というものがない。

話し好きの友人と食事に行くのは考えものだ。
彼らは、一様に、よくしゃべり、よくたいらげる。
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風通信160

2018/03/27(Tue)
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春の選抜高校野球が始まった。
僕は、ソフトバンクの試合はときどき見るけれど、
野球観戦がそれほどすきなわけではない。
だから、高校野球だからといって、
それを見ることはほとんどない。
もちろん、プロの野球とは違った魅力があるのは、
認めるんだけれど。

こと野球に限らず、
スポーツは勝つためにやっているはずだ。
しかし、勝たないからといって意味がないとは言えない。
スポーツの最も大事な点は、負けるということだ。
トーナメントの試合では、勝者以外は、
参加者の全員が負ける。そして、いうまでもないことだが、
その勝者もいつかは負ける。
だから、スポーツにおいては、
負けることこそ当たり前の、普遍的なことになるだろう。
そこから、
負けて挫けている他者への思いやりも生まれよう。
オリンピックで、金メダルを取ることは
素晴らしい達成だとは思う。
でもね、僕は、勝つことよりも、
負けることの方が大事な経験なんだよね。
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風通信159

2018/03/17(Sat)
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3年ほど前のことだが、2ヶ月ほど、
よんどころない事情で藤崎に住んでいたことがある。
市営地下鉄の藤崎駅から3分ほどのマンションだった。
202号線と原大通りが交差する早良口に面していて、
両方とも広い道路だから、夜間でも車が走る。

舞台の稽古が終わって帰る時刻でも、人通りがある。
このことがなんだかとてもいい感じだった。
その2ヶ月を除けば、ずっと同じところに居住している。
この住まいは玄関のドアを開けると目の前に室見川が流れていて、
豊かな水の傍らという立地は、すごく気に入ってるんだけど、
午後9時も過ぎると、ほとんど人通りも絶えてしまうという住宅街。
静かな夜のとばりが降りるだけなんですね。
それはそれでなんの不足もないんだけれど、
あの藤崎での生活は、妙に心地よいものだった。

僕は、18歳から28歳まで東京に住んでいた。
何ごともなければ、あのまま東京にいたと思う。
嫌いではなかったんですね、あの街が。
なぜ好きだったかというと、
たぶんそれは当事者回避の位置にいられたからだと思う。
つまり、観察者。
それと、孤独感。このふたつ、
まあ、似たようなものでもあるし、同時に、
まったく別物と考えられないこともないですね。

本当の孤独は人混みの中にこそある。だから、
都会にこそ真の孤独があるというのは、
シャルル・ボードレールが
つとに指摘したところだったと思うけれど、
その片隅で、他者と無関係に、
静かに人知れず生きていくというのは素敵です。
都会ではそれが可能になる余地がある、
というか、それが都会という存在なのだろう。
それで、思い出したけれど、
高校生の時に、
岡林信康の『俺らいちぬけた』の冒頭のフレーズに
強く惹かれた記憶がある。
たぶん、原点の一部分を占めている感覚なんだろうな。

僕は、分析家ではないから、
この嗜好(あるいは志向)が、どういうものかよく分からないけれど、
人混みの中で無名に生きることがいいと思うのです。
もちろん、舞台を創るという意味では、
僕にだってそれなりのナルシズムや自己顕示欲がないわけではない。
でも、比較的乏しい方だと自己分析している。
(まあ、往々にして自己分析って間違いが多いものですが)
そもそも、こうした日記を書くこと自体、どうなの?
と突っ込みを入れたくもなりますが。
要するに自己への執着は少ない方だと思う。その意味では、
それがもう少しあれば、
もっといい作品が出来ただろうと思うこともある。

僕は、いまでも天神に行くと、
たとえば福ビルのシアトルズ・カフェのテラスで、
カップになみなみと注がれたカプチーノを飲みながら、
通り過ぎる人を見るのが好きだ。
ひとりひとりが人生を背負って歩いている。
そのあれやこれやを想像し、
それがどんなふうに身体に形象化されているか。
つらつらとそんな思いを広げるわけです。

と、ここまで書いて、
自分でもある程度は分かってはいるんだけれど、
すごくシンプルに言えば、
わがままで、身勝手な人間なんだな、俺は。
「そ、要するにィ、ほどほどのお金があって、
好きな本を読んで、好きな音楽を聴いて、
好きな映画を観て、それ以外のことは
どーでもいいのよ、あなたは」と、彼女は言う。
やれやれである。

なんか、東京に行きたくなったなぁ。
そこに行くと、
素敵なガールフレンドが待っている。
・・・ような気がするしね。
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風通信158

2018/03/11(Sun)
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今日は、3.11。
あれから、7年の歳月が流れた。
あの日、目の前にあったのは、
僕の想像力や、認識能力を遙かに凌駕するほどの、
すさまじい自然災害だったのを思い出す。

なくなった人々のご冥福を祈りたい。
と同時に、
愛しい家族や、友人を失った人の哀しみを思うと、
胸が痛む。

あれは、天災と人災の記憶だ。

天災は、「時」が救済してくれる部分がある。
復興という言葉があるように、
道路は修復され、家屋は建て直されるだろう。
この列島に生き続けた僕らの先祖は、
そのようにして生きてきたはずだ。

人災もまた、本来なら救済されるべきだろう。
しかし、
いまだに「原子力発電」を目論む電力会社があり、
そのことに異議を申し立てる国会議員はおらず、
国民不在の政争に明け暮れるばかり。

僕らは遙かな子孫に何を残せるのだろう。
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風通信157

2018/03/10(Sat)
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2年ほど前、職場のでの環境が変わったのを機に、
車を、それまでの「オペル」からホンダの軽自動車に換えた。
免許取り立ての半年間、スズキの2気筒に乗った以外は、
アメリカ車、イギリス車、ドイツ車と外国産の車ばかり乗っていた。
僕はどちらかと言えば、
ローリスク・ローリターンの収入の、しがない身なんだけどれど、
日本車の、至れり尽くせりのご親切は、
今ひとつ、車を走らせる面白みが感じられなくて、
家族のここよからぬ心情はともかくも、
経済に見合わない車ばかり乗ってきたのです。

維持費のことも考えて、軽自動車に買い換えたのだが、
母親の病院の送り迎えのこともあり、
4ドアのゆったりした車を前提に探して、
買ったのが「N・BOX/(スラッシュ)」だった。
この車は、なぜこんな軽自動車を作ったの?
と思われるような妙な車で、車内に
低音域用に17センチのバックロードホーン型の
ウーハー・スピーカーがひとつ、
それから、同じく中音域用の17センチのスピーカーが4個。
さらに、アルミドーム型のツィーターが4個。
計9個のスピーカーが標準装備してある。
もう、それはコンサート・ホールです。
セロニアス・モンクの息遣いやら、バド・パウエルの呻き声やら、
が、すさまじい臨場感で迫ってきた。
ジェシー・ノーマンのドラマティコなソプラノは、
ミラノ・スカラ座で聞くような感じでした。
(あ、念のため、僕はミラノ・スカラ座に行ったことはありません)

だから、それはそれで満足していたのだが、
先月、突然、車を買い換えようという気になってしまった。
もちろん、軽自動車です。
けばい女性に惹かれる男性は、死ぬまでけばい女性に惹かれ続ける。
問題のある男性に惹かれる女性は、同じように
死ぬまで問題のある男性に惹かれ続ける。人の趣向というか、好みは
一生涯変わることはないような気がする。
車の好みも、わりとそれと近いものありそうな気がしますね。
僕は、もう、文字通りの爺ちゃんなので、
ジイさんが乗るのに、ある意味、適した車を選んだつもりだ。
新しい車は納期にあと2ヶ月かかるらしい。
僕は、メガネを1年に一回は買い換える。
そのたびに、メンバーの栃原が、
「今度はどんな女の子と付き合ってるんですか?」
と十年一日のように尋ねる。
車を換えたことを知ったら、きっと訊くだろう。
「今度はどんな女の子を乗せるんですか?」
現実的ではないにしろ、しかし、
そう尋ねられることは、けっこう名誉なことですね。
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風通信156

2018/03/05(Mon)
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いやぁ〜、ほんとに今回は、僕としては、
長い・・・というか、
長かった。相当危うい状況に落ち込んでいました。
いま、少し回復途上。

その場所に、
ひとりで行ってひとりで帰ってきたような。
僕は、もう長く生きないかもしれないなぁ。

芝居の準備も、それなりの型(スタイル)があるわけで、
先日までは、すごく無責任な言い方にはなるけれど、
そんなこと、どうでもいい、とか思っちゃってね。
こんな僕でも、
待ってくれている仲間がいるし、
もちろん自分のためにもなんだけど、
そうはいかない。大丈夫。

で、なにをやっていたかというと、
もちろん、なにもやっていない。
一応、どうにか、仕事にはいけましたな。はは。
そういえば、なぜか夏目漱石の俳句を繙いていましたね。
とりあえず、気に入ったのは、次の二句

〜寝てくらす人もありけり夢の世に〜
〜菫程な小さき人に生まれたし〜

今宵の風は春の風。
そういえば、

〜吾妹子を夢見る春の夜となりぬ 〜

というのがあったなぁ。
初句は「アギモコ」と読む。恋人のこと。
・・・万葉ですね。・・・つまらない知識。
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