ニュース・日記

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風通信210

2022/02/18(Fri)
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 前回の公演もコロナ禍の中だったけれど、今ほど切実感はなかったように思う。もう、2年になるなぁ。・・・という情況で何か方法がないかという模索した。そのあげくが今回の上演スタイル。時間をかけてじっくり稽古を重ねて演じるわけではない。ただ、こういう形態もありかなとはひそかに思う。今、僕らを取り巻いている社会の状況を考えて、あえて情宣は最小限に留めた。それでも、簡単なフラーヤーくらいは作ろうかと。今日あたりから、一部で出回っているだろう。でも、たぶん誰も眼にしないような気もするので、そこに書かれている文言をここに書いておきたい。

 コロナ禍の中、生の舞台芸術としての演劇を模索しています。そのひとつとして、今回の舞台を創ります。福岡で長年芝居に取り組んで来た旧知の友人たちの協力の下に。役者さんはまず、文字通り「初見」で本読み。その中でサブテキストや表現を探ります。約30分程度のインターバルの後、同作品を改めて読みます。ここでリーディング公演になります。役者さんのプレッシャーは大きいのですが、彼らの表現の力をじ信じたいと思います。舞台の内容は、だから当日まで封印。ただ、中高年の男性五人の会話劇で、面白い舞台に仕上がると思います。平日になりますが、是非、劇場まで足をお運び下さい。

 と書いたものの、実は役者だけではない。演出することになる演出家もかなりのプレッシャーなのだ。だって、稽古場を見せるようなもんだし。それって、どうよ? という感じです。
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風通信209

2022/02/12(Sat)
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 たしか40代の頃だったと思うけれど、福岡市の文化芸術財団から依頼されて「10代の演劇ワークショップ」を担当したことがある。参加者の母親が、それまで人前でほとんど話すことのなかった子どもがそのワークショップをきっかけとして、笑い、声を出すようになったので、どんなレッスンをしているのか知りたいと見学に来たことが記憶にある。「演劇の力」を感じた日々だった。ワークショップを企画するに当たって、半年をかけて文献やネットを検索し、さまざまなレッスンを考案した。おそらく20数種類のレッスンを考案したんじゃなかったかなぁ。そののち使う機会もなく、その時の資料はどこかにあるはずなんだけれど、所在は不明だ。

 先日、若い友人からメールをもらった。大学を卒業するにあたって、就職のことでモヤモヤ悩んでいる内容だった。なにか言葉を掛けてあげたいと思った。そして、突然ワークショップのレッスンのひとつを思い出したのだ。そのレッスンが「Calling・You」です。僕はオリジナリティがないから、たぶん何かをヒントにして考案したんだろうけど、こういうレッスンです。

 参加者の中から一人選ぶ。いちおうAとしておきますが、残りの参加者を仮にB〜Zとして、B〜ZをAから20メートルほどの距離を空けさせ、その離れた場に、Aに対して背中を向けた状態で、いわゆる体操座りでランダムに座らせる。定まったところで、AにB〜Zの誰かを選んで、声をかけなさいと指示する。ルールは名前を呼んではいけない、親密な(つまり、二人だけしかわからない)話をしてはいけない、くらいだったか。声だけで、呼びかけるだけで。それがルール。それを繰り返す。一方、B〜Zは自分に声が届いたと思ったら、そっと手を上げなさいと言っておく。一回目。誰ひとり手を上げない。続けさせる。Aはあれこれ工夫し始める。でも、これとわかる言葉は禁じられているので、とにかく「あなた! 君! ねぇ、こっち向いて!」・・・エトセトラ。誰も振り向かない。ここでストップ。B〜Zの向きをAに向かわせる。さて、Aが誰に声をかけたのかが発表される。Fだったとしよう。そこで、Fに聞くわけです。「呼んでたんだよ、聞こえなかった?」すると、Fは、「いや、なんだか、自分を飛び越えて、もっと、後ろの人を呼んでいるような気がした」という答え。2回目。同じです。今度はR。Rは「隣の人を呼んでいると思った」と言う。3回目。Q。すると、Gが手を上げる。違うんですね。「違うなぁ〜」と声をかける。そういうことを何回か繰り返しているうちに、偶然かもしれないけれどB〜Zの中の一人が手を上げる。これは正解です。そこで、すかさず、ストップ。「聞こえたの?」と聞くと、「たぶん、私に向かって声をかけたんだろうな、と思った」と答える。つまり、声のベクトルを探るレッスンですね。誰に向かって台詞を言うのか、どの方向に声を飛ばすのか、ということを体験するのです。

 僕が今日、思い出したのはこの「Calling・You」の中の「calling」という概念だったんです。これはもちろん、callの名詞形で、呼び出すこと。でも、辞書を繙くと「天職」という意味があるのだ。

 仕事というのは、自分にどんな適性があるのか、自分が何をしたいのか、という「自分が」という考えを捨てたところから始まると思う。自分の志向することにプライオリティを与える。それはそれで当然と言えば当然で、否定はしないけれど、ここはひとつ自分から離れてみることが大事なんじゃないかと思うのだ。そもそも、与えられた条件の中で、自分にできる最高のパフォーマンスを発揮するべく仕事をする、というのが仕事の真の在り方だと思う。だから、極論を言えば何でもいいんだな、きっと。言葉は悪いけど、「成り行き」で仕事を始めても、その中で自分の適性を発見していく旅だと考えるといいかもしれない。それにしても、我ながら「成り行き」って言葉、いいですね。正式な離職率は知らないけれど、けっこう学校を卒業して初めての就職先を辞める人が多いと聞く。まあ、理由は人の数に対応するだろうし、理不尽なこともあるので、わからないでもないけれど、あれって結局自分が考えていたイメージと仕事が合わないことが理由としては多いんじゃなだろうか。こんなはずじゃなかった、とかね。それって、僕に言わせれば逆でね。仕事に自分を合わせるんです。そういう努力することが仕事をするということなんだと思うのですな。そして、たぶん、ここが重要なんだけど、「仕事がそれを求める」。つまり、この仕事そのものが就職した人間に求めること、これが「Calling」ね。やっと繋がった。だから、たぶん、それほど深く考えないで、何でもいいはずだ。問題はその先にあります。そういう意味では、「結婚」と同じ。結婚した後、幸福になるか、不幸になるか、それは雲が西から東に流れて行くような自然の在り方ではない。自分の力で構築するものです。仕事もおんなじなんだな。

 僕は、自分が就活というものをしたことがないので、(あ、つまり成り行きで仕事始めたから)就職先を見つけることに対してのバリアーはなかった。今のスケールでいうと規格外の、どうしようもない学生生活だったから、まともな就職なんて考えられなかったわけだ。でも、まあ、なんとかなるかというスタンスでした。これまでそれで生きてきたし、残り少ないこれからもそうだろう。だから、こんなことを書いても役には立ちそうもないけど。
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風通信208

2022/02/05(Sat)
風通信 |
 オミクロン株の脅威がひしひしと迫り来る中、昨日、完成した台本の読み合わせをスタッフで行った。え? 今頃? とお思いでしょうが、これは今回のタイトル「ザ・初見!」が意味する一連の流れです。「ザ・初見!」とは言ってみれば、メタタイトルになるんですね。正式なタイトルは当日まで不明。(もちろんスタッフは知ってます)役者にも知らせないところが味噌、醤油です。
 読み合わせでは、尺を測ることが第一の目標。ほぼ予定したとおりで、まずは祝着。あとは台本上の問題点を各々指摘。若干の修正をすると言うことで、これも難なくパス。題材はなんであれ、それが芸術文化であればアクチュアルでなければならない。その意味からも、スタッフの了解は取れた。
 どういう感じで参加するかは、今のところ不明だが、できたら生演奏があった方がいいなぁと考えて、アマチュアのギタリストに参加してもらったんだが、それもイメージに合った。開演時間とか、タイムテーブルとか、ザックリとした打ち合わせを制作として、荒々しい土の塊に、どうやら目鼻が付いた顔が見えてきたような気がする。こういう作業は通例だと1年前くらいから始めるものだが、今回は1ヶ月前。これはもう、拙速を通り過ぎて、「遅かりし由良之助」(仮名手本忠臣蔵)だけれど、今回に限っては、それもこれも順当なる進行具合です。近々、予約システムも稼働する予定だ。
 出演する役者さんを知っている人ならわかると思うが、若くて40代。その他は50代60代の中高年の男性ばかりです。さて、どういう芝居になるんだろう。年齢に見合った想定の芝居です。・・・徐々に、お知らせしていきます、あ、これを読んでいる人がいればの話だけど。
 冒頭に書いたように、新型コロナ感染症(オミクロン株)の感染者数が驚異的な数字を示しているけれど、役者さんが元気で居るかぎり、公演は中止になりません。
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