ニュース・日記

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風通信212

2022/12/30(Fri)
風通信 |
久しぶりに手紙を書きます。
 半年掛けた芝居が終わりました。一夜かぎりの奇跡のような公演だった。なにごともなくここまで来られたことは主催者として喜ばしい。いろいろあるのがつきものだから。けれど、僕は、なんだか、燃え尽きた感じです。とても疲れた。公演を終えて、こんな気持ちになることは初めてです。もちろん年齢のこともあるだろうな。でも、年齢という言葉では括れないものが身体の深いところにあるように思える。いろんなものが静かにそして着実に変化していて、その変化に身を晒す体力は僕にはもう残されていないような気がするんだよ。とても残念なことだけど。本多さんのときも、勘タンさんのときも、時間の重さに堪える体力はあった。勘タンさんの最後の公演、あの幻の『アントンクルーのワーニャ』公演のとき、僕は当日パンフにこんなことを書いている。「僕は芝居を創るたびに自分なりの目標を立て、毎回新しいことに挑戦してきたし、同じ技法は使わないようにしてきた。どんな場合にもそうだけど、その試みがうまくいったこともあれば、いかなかったこともある。でも、しないわけにはいかなかったのだ」確かに今回も同じスタンスで、初めての試みに挑戦した。そして、観劇したお客さんの評価は別にして、自分なりに思っていたことの80パーセントは達成したと思うよ。でも、だから? と空行く雲を眺めるような気持ちになってます。何だろうね。 
 と、ここまで書いて病に伏せっていました。どうやら快復したようだ。病が癒えて一週間、今日は卯月八日。この間に僕は誕生日を迎えて数値的にはひとつだけ年齢を重ねました。

2022年が終わろうとしている。
今年の3月に『大観望』を上演した後、演劇活動をしていない。舞台も見ていない、劇場でも、録画でも。新型コロナ感染症の影響ではない。ただただ、「演劇」というものから距離を置いたということだ。アントンの仲間とも3月以来話していないし、『大観望』を書いた別府とも別の要件で20分ほど言葉を交わしただけ。食肉解体業の冷凍倉庫で働くアルバイトみたいに仕事場に行き、仕事が終われば帰ってくる。さすがに家族とは食事を共にし、若干の会話もあるが、床につくまでの数時間は、ぼんやりと十月の海を眺めているように過ごすだけだった。
いつだったか、我が畏友である岩井眞實が「演劇は世界を変える力がある」ということを言ったことがある。そう信じることができると付け加えたようにも思う。いま僕は、彼の言葉に素直に心から頷くことができると同時に、結局は言葉なのではないかと思う。その意味では、音楽も世界を変えることができるはずだ。おそらく、岩井はそうありたいと願いつつ劇作家として、あるいは表現者として今も生きているだろう。僕は彼ほどの信念を持てたろうか。世界を変えようと志したろうか。劇作家として彼が書いたあの傑作『アントン・ユモレスカ』をはじめとして、僕の創作してきた舞台は残念ながら何も残せていないと思うし、一ミリの変化もなかった。ただ「時」が風のように吹きすぎただけだ。それはひとえに演出家としての僕の力のなさなのだと思う。それを実感した半年だった。俺はいったい何をしてきたのだと吹き行く風に問いたいくらいだ。僕のレゾンレートルは演劇しかなかったのに、である。定家の「見しはみな夢のただちにまがひつつ昔は遠く人はかへらず」という歌が、身に沁みる年の瀬である。
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