ニュース・日記

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風通信209

2022/02/12(Sat)
風通信 |
 たしか40代の頃だったと思うけれど、福岡市の文化芸術財団から依頼されて「10代の演劇ワークショップ」を担当したことがある。参加者の母親が、それまで人前でほとんど話すことのなかった子どもがそのワークショップをきっかけとして、笑い、声を出すようになったので、どんなレッスンをしているのか知りたいと見学に来たことが記憶にある。「演劇の力」を感じた日々だった。ワークショップを企画するに当たって、半年をかけて文献やネットを検索し、さまざまなレッスンを考案した。おそらく20数種類のレッスンを考案したんじゃなかったかなぁ。そののち使う機会もなく、その時の資料はどこかにあるはずなんだけれど、所在は不明だ。

 先日、若い友人からメールをもらった。大学を卒業するにあたって、就職のことでモヤモヤ悩んでいる内容だった。なにか言葉を掛けてあげたいと思った。そして、突然ワークショップのレッスンのひとつを思い出したのだ。そのレッスンが「Calling・You」です。僕はオリジナリティがないから、たぶん何かをヒントにして考案したんだろうけど、こういうレッスンです。

 参加者の中から一人選ぶ。いちおうAとしておきますが、残りの参加者を仮にB〜Zとして、B〜ZをAから20メートルほどの距離を空けさせ、その離れた場に、Aに対して背中を向けた状態で、いわゆる体操座りでランダムに座らせる。定まったところで、AにB〜Zの誰かを選んで、声をかけなさいと指示する。ルールは名前を呼んではいけない、親密な(つまり、二人だけしかわからない)話をしてはいけない、くらいだったか。声だけで、呼びかけるだけで。それがルール。それを繰り返す。一方、B〜Zは自分に声が届いたと思ったら、そっと手を上げなさいと言っておく。一回目。誰ひとり手を上げない。続けさせる。Aはあれこれ工夫し始める。でも、これとわかる言葉は禁じられているので、とにかく「あなた! 君! ねぇ、こっち向いて!」・・・エトセトラ。誰も振り向かない。ここでストップ。B〜Zの向きをAに向かわせる。さて、Aが誰に声をかけたのかが発表される。Fだったとしよう。そこで、Fに聞くわけです。「呼んでたんだよ、聞こえなかった?」すると、Fは、「いや、なんだか、自分を飛び越えて、もっと、後ろの人を呼んでいるような気がした」という答え。2回目。同じです。今度はR。Rは「隣の人を呼んでいると思った」と言う。3回目。Q。すると、Gが手を上げる。違うんですね。「違うなぁ〜」と声をかける。そういうことを何回か繰り返しているうちに、偶然かもしれないけれどB〜Zの中の一人が手を上げる。これは正解です。そこで、すかさず、ストップ。「聞こえたの?」と聞くと、「たぶん、私に向かって声をかけたんだろうな、と思った」と答える。つまり、声のベクトルを探るレッスンですね。誰に向かって台詞を言うのか、どの方向に声を飛ばすのか、ということを体験するのです。

 僕が今日、思い出したのはこの「Calling・You」の中の「calling」という概念だったんです。これはもちろん、callの名詞形で、呼び出すこと。でも、辞書を繙くと「天職」という意味があるのだ。

 仕事というのは、自分にどんな適性があるのか、自分が何をしたいのか、という「自分が」という考えを捨てたところから始まると思う。自分の志向することにプライオリティを与える。それはそれで当然と言えば当然で、否定はしないけれど、ここはひとつ自分から離れてみることが大事なんじゃないかと思うのだ。そもそも、与えられた条件の中で、自分にできる最高のパフォーマンスを発揮するべく仕事をする、というのが仕事の真の在り方だと思う。だから、極論を言えば何でもいいんだな、きっと。言葉は悪いけど、「成り行き」で仕事を始めても、その中で自分の適性を発見していく旅だと考えるといいかもしれない。それにしても、我ながら「成り行き」って言葉、いいですね。正式な離職率は知らないけれど、けっこう学校を卒業して初めての就職先を辞める人が多いと聞く。まあ、理由は人の数に対応するだろうし、理不尽なこともあるので、わからないでもないけれど、あれって結局自分が考えていたイメージと仕事が合わないことが理由としては多いんじゃなだろうか。こんなはずじゃなかった、とかね。それって、僕に言わせれば逆でね。仕事に自分を合わせるんです。そういう努力することが仕事をするということなんだと思うのですな。そして、たぶん、ここが重要なんだけど、「仕事がそれを求める」。つまり、この仕事そのものが就職した人間に求めること、これが「Calling」ね。やっと繋がった。だから、たぶん、それほど深く考えないで、何でもいいはずだ。問題はその先にあります。そういう意味では、「結婚」と同じ。結婚した後、幸福になるか、不幸になるか、それは雲が西から東に流れて行くような自然の在り方ではない。自分の力で構築するものです。仕事もおんなじなんだな。

 僕は、自分が就活というものをしたことがないので、(あ、つまり成り行きで仕事始めたから)就職先を見つけることに対してのバリアーはなかった。今のスケールでいうと規格外の、どうしようもない学生生活だったから、まともな就職なんて考えられなかったわけだ。でも、まあ、なんとかなるかというスタンスでした。これまでそれで生きてきたし、残り少ないこれからもそうだろう。だから、こんなことを書いても役には立ちそうもないけど。
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