
ニュース・日記
いつもそうですが、公演が決まると、こうして君に手紙を書く。今回は「ザ・初見!〜雨の、静かな週末」の2回目です。
前回の「ザ・初見!」は、コロナ禍の終盤だった。とはいえ、社会的にはまだまだ現在形でそれは進行していたし、そのぶん僕らだけでなく、多くの劇団が演劇の公演も思うようには出来なかった。あの企画はその中で生まれたものだった。何しろ初めての試みだったし、イメージ通りにいくかどうか、当日まで試行錯誤だったことを憶えている。ただ、だからこそ、役者というより台本で勝負すべきだと考えていたんだ。その意味から台本を書いていた別府君には何度もダメ出しをした。舞台は思いがけず、よい仕上がりでお客さんは少なかったものの愉しい時間を作れたように思う。
それから半年くらいしてだろうか、元団員の栃原が偶然山口ミチロウさんと会った時に、彼から「またやろうよと伝えてください」という伝言を伝えられた。同じく元団員の岩井からは毎年の年賀状に「初見2」はいつ?という言葉。そしてあるとき、40年来の付き合いのある照明家のマッキーからは立ちまでやれますよ、という言葉ももらった。今回企画するにあたって、「粗立ち」まで視野に入れたのは彼の言葉が大きい。まあ、色々助けてもらってます、彼には。
それでね、今回は厳密な台本というより、緩やかな構成をひとつのコンセプトにしたいと思ったんだ。つまり、役者が生(き)のまま遊べるような本ね。僕はもともとアドリブは認めない演出方針を持っていて、多くの舞台を一緒に作った元GIGAの菊澤君から、まるで映画を作るみたいですねと言われて、ちょっとショックだったこともある。まあね、いまにして思えば、壁に手を付く角度まで注文してたもんな。それはやはり、生の舞台の醍醐味を大きく逸脱することなのだろうと思う。それやこれやで、今回の舞台は、アドリブOK。むしろ好きにやって、という方針です。だから、本もそういうつもりで最終チェックをした。別府君、ありがとう。
それもこれも、役者さんたちを信用しているからだ。全員がおそらく20年以上舞台にかかわって来てるんじゃないかな。誰だったか、今回の出演者一覧を見て「ありゃ、座長公演ですかッ」と言ったが、それは結果論です。実は新しい人を知らないのと、やはり長年演劇に携わっている人の演ずる力は信ずるに足るし、人間的にも信が置ける人たちばかりに声をかけただけね。芝居を始めて舞台でかかわった人は千人と下らないだろう。いやぁ、これまでいろんな人がいたんだ。良い意味でも悪い意味でもとんでもない人もいたし、中央の舞台やTVでよく見かける人も。話し出せばキリがない。あたりまえだけど信じられないくらい幸せなことも地獄に落ちるような悲惨なこともあった。でも、それは今は霧の向こうにうっすら見えるだけです。それにしてもさ、みんなどこへ行ってしまったんだろうと思うことがある。思いは遠い草原に及ぶ。誰だって与えられた場所で、与えられたことに懸命に取り組んでいるとは思うけれど。そして、ときどき「俺も若い頃は素人芝居だったけど、舞台に立ったことがある」などと酒の席で話しているのかもしれないけれど。僕の場合はしかし、なにより志半ばで倒れた人の思いをつなげなくてはならないんです。11月の枯れ葉の舞うころ逝った人を忘れないためにも、劇団という組織は解散したって「アントンクルー」の名前は消せないわけでね。
また、書きます。
前回の「ザ・初見!」は、コロナ禍の終盤だった。とはいえ、社会的にはまだまだ現在形でそれは進行していたし、そのぶん僕らだけでなく、多くの劇団が演劇の公演も思うようには出来なかった。あの企画はその中で生まれたものだった。何しろ初めての試みだったし、イメージ通りにいくかどうか、当日まで試行錯誤だったことを憶えている。ただ、だからこそ、役者というより台本で勝負すべきだと考えていたんだ。その意味から台本を書いていた別府君には何度もダメ出しをした。舞台は思いがけず、よい仕上がりでお客さんは少なかったものの愉しい時間を作れたように思う。
それから半年くらいしてだろうか、元団員の栃原が偶然山口ミチロウさんと会った時に、彼から「またやろうよと伝えてください」という伝言を伝えられた。同じく元団員の岩井からは毎年の年賀状に「初見2」はいつ?という言葉。そしてあるとき、40年来の付き合いのある照明家のマッキーからは立ちまでやれますよ、という言葉ももらった。今回企画するにあたって、「粗立ち」まで視野に入れたのは彼の言葉が大きい。まあ、色々助けてもらってます、彼には。
それでね、今回は厳密な台本というより、緩やかな構成をひとつのコンセプトにしたいと思ったんだ。つまり、役者が生(き)のまま遊べるような本ね。僕はもともとアドリブは認めない演出方針を持っていて、多くの舞台を一緒に作った元GIGAの菊澤君から、まるで映画を作るみたいですねと言われて、ちょっとショックだったこともある。まあね、いまにして思えば、壁に手を付く角度まで注文してたもんな。それはやはり、生の舞台の醍醐味を大きく逸脱することなのだろうと思う。それやこれやで、今回の舞台は、アドリブOK。むしろ好きにやって、という方針です。だから、本もそういうつもりで最終チェックをした。別府君、ありがとう。
それもこれも、役者さんたちを信用しているからだ。全員がおそらく20年以上舞台にかかわって来てるんじゃないかな。誰だったか、今回の出演者一覧を見て「ありゃ、座長公演ですかッ」と言ったが、それは結果論です。実は新しい人を知らないのと、やはり長年演劇に携わっている人の演ずる力は信ずるに足るし、人間的にも信が置ける人たちばかりに声をかけただけね。芝居を始めて舞台でかかわった人は千人と下らないだろう。いやぁ、これまでいろんな人がいたんだ。良い意味でも悪い意味でもとんでもない人もいたし、中央の舞台やTVでよく見かける人も。話し出せばキリがない。あたりまえだけど信じられないくらい幸せなことも地獄に落ちるような悲惨なこともあった。でも、それは今は霧の向こうにうっすら見えるだけです。それにしてもさ、みんなどこへ行ってしまったんだろうと思うことがある。思いは遠い草原に及ぶ。誰だって与えられた場所で、与えられたことに懸命に取り組んでいるとは思うけれど。そして、ときどき「俺も若い頃は素人芝居だったけど、舞台に立ったことがある」などと酒の席で話しているのかもしれないけれど。僕の場合はしかし、なにより志半ばで倒れた人の思いをつなげなくてはならないんです。11月の枯れ葉の舞うころ逝った人を忘れないためにも、劇団という組織は解散したって「アントンクルー」の名前は消せないわけでね。
また、書きます。