ニュース・日記

ニュース・日記

風通信111

2017/07/29(Sat)
風通信 |
ウインブルドン選手権が終わって、
はや一ヶ月近く経過しました。
錦織は残念だった。誰かが言っていたけれど、
誰もが認める才能と誰もが感じている体力の不足というのは
彼の試合を見るかぎり、そうかもしれないと思う。

選手権の期間中は、お酒こそないけれど、
自宅はまるでどこかのスポーツバーのように
一日中、試合の映像が流れている。
ときどき、風景のように見ることがあるけれど、
名のある選手の試合は、ほとんど例外なく面白いですね。
それ以外にも面白みのある試合などがあり、
ストロークの柔らかいコ〜ンという音と
それに伴う、パラパラという感じの拍手音が聞こえると、
つい腰を下ろして画面に見入ることがある。
スポーツの観戦は技術の凄さもさることながら、
そこに立ち向かう選手たちの姿に引き寄せられるのだ。

ことはテニスに限らないけれど、
日本で放映される多くの世界レベルのスポーツ・イベントは、
どうしても日本人選手が中心にプログラムされる。
視聴率とか、視聴者のニーズとか、いろいろ理由はあるのだろう。
世界最高のスポーツ・イベントはオリンピックだけれど、
たとえばクロアチアと南アフリカのホッケーの試合とか、
もう、これは絶対に放映されないと思います。だからだろうか、
これまで、オリンピックの放映には、
実はあまりその面白みを感じたことはない。
日本人選手の試合が中心で、しかも、知名度の高い競技が多く、
極端なことを言えば「スポーツ」そのものを
放映しているわけじゃないからだと思う。
外国ではどうなんだろう? 
やっぱり、自国選手中心のプログラムなんだろうか?

全国的に夏休みに入って、高校野球が始まっている。
「甲子園」です。「甲子園」という固有名詞は、
すでに普通名詞となって久しい。曰く、マンガ甲子園とかね。
それもどうかと思うけれど、高校野球と言えば、「甲子園」、
高校ラグビーと言えば「花園」という、一種の概念化傾向は
いまさら変えようがないんだろうなぁ。
そこで思うんだけど、
オリンピックも「アテネ」を目指すというのはいかがだろうか。
むやみに広告代理店にもうけさせることもないし、
開催地獲得レースに何億というお金も動くことはない。
組織委員会の収賄の疑惑もなくなるだろうし、
それを利用しようとする政治屋の暗躍もなくなるだろう。
もっとも、暗躍しているかどうかは分からないけれど。
運営資金だって出場選手の数で頭割りし、参加国が支払えばいいだけの話。
そんなに簡単にはいかないのかなぁ。。。
だって、「アテネ」はオリンピックの聖地だしさ。

また、そぞろオリンピックへ向けて、
国全体が一色に染まるんだろうなぁ。うんざりです。

ところで、
8月末にはテニスは全米選手権が始まる。
また、我が家はスポーツバーみたいになると思う。
それにしても、選手も大変だ。
錦織の名前を挙げるまでもなく、身体のケアをする暇もないよね。
このページのTOPへ

風通信110

2017/07/24(Mon)
風通信 |
勤務先が今日からサマータイムとなった。

夏の朝の手つかずの太陽。
空気はひそやかに予感する。
暑い一日の始まりの準備である。
世界が少しずつ動き始めるのが分かる。
6時40分には自宅を出て、16時40分には
自宅に帰り着くという生活です。
誰かと運命的に出逢うこともない。

事情が許し、僕自身の気が向けば、
コットンのサマーセーターを着た恋人と
図書館で待ち合わせてもいいけれど、
きっと図書館は、
夏休みを迎えて、学生で溢れているだろう。

読みたかった本や、観たかった映画を
この夏に制覇するための
リストアップをしようと思いながら、
ソフトバンク・ホークスの試合をつい見てしまう。
相変わらず、情けない。

ともあれ、サマータイム。
このページのTOPへ

風通信109

2017/07/22(Sat)
風通信 |
どこかで書いたことがあるけれど、
僕は、新婚まもない叔父の家で、
新しく叔母となった人(書き方が難しいですね)
が持っていた“A Hard Day's Night”を聴いてから、
完全無欠な(というのも変だけど)ビートルズ・マニアになった。
中学生の頃の僕を知っている人は、
たぶん、僕とビートルズは切り離して語ることはできない。
(実際のそう言われたことがあります)
だから、(という接続詞も変だけれど)ローリング・ストーンズは
ほとんど聴かなかった。
なんだか、ストーンズとビートルズって、
正反対な感じだったんです。
優等生と劣等生?
それなりに洗練されたなコーラスと、
ワイルドなギターサウンド?

今聴くと、まあ、なんというか、
甲乙つけがたいというか、どちらも本当にいいんだよね。
それぞれの良さがあって。
その当時、ビートルズだって、
やんちゃな音楽好きの少年たちという意味では(というか)
一皮剥けばストーンズと変わらなかったと思う。

ロン・ハワードが監督した
“ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK The Touring Years”
昨年、劇場に懸かった作品が、もうWOWOWで放映された。
観ましたよ、もちろん。
あの時、いちばんに観に行った後輩の大森が、
「なんだか、オジサンばかりでしたよ」と言ったので、
そういうお前だってオジサンだろ、という言葉を飲み込みながら、
結局は劇場に行けなかった作品です。
ロン・ハワードさんなので、
「ドキュメンタリー映画」としての勘所は押さえていて、
インタビューの人選も抜かりなく、僕は愉しみました。

一方、今年のWOWOWでは、ストーンズが取り上げられていて、
たぶん、レジェンドとなると思われる
「キューバ公演」をはじめとする貴重な4番組が順次放映された。
1995年、東芝EMIスタジオのアコースティックのレコーディングは、
ライブ盤『ストリップト』へと結実するものだけど、
観ていて本当に楽しかった。なにより、
この人たちが音楽をする歓びの中に生きていることを
感じられたからなんですね。
たしか、ミック・ジャガーは、
20代の頃に、40代になってプール付きの家で過ごすなんて
ロックをする人間じゃない、というようなことを言っていたと
記憶している。たぶん、その言葉には、
ロック音楽の社会的な意味が背後にあったと思う。
でもね、彼が、たとえば現在、プール付きどころか、
プライベートビーチを有する豪邸に住んでいたとしても、
それは結果としてそうだけなのであって、
その本質は、ただの音楽好きの少年が中年になり、
そして老年を迎えただけ(といっては失礼だけど)のような気がする。
愛や平和や、世界への呼びかけは見事になし。
(いや、根底にはあったかもしれないけれど)

ビートルズの音楽性は、半世紀が経っても、
その音楽の女神に愛されたような多彩な豊穣さは、減衰することはない。
でも、結局のところ、すごく下世話な言い方になるけれど、
ビートルズは、仲良くなかったのだろうな。
ストーンズのライブ映像を見ていて、彼らは仲がいいなぁと思った次第。
いや、案外大事なことなんだよね。
このページのTOPへ

風通信108

2017/07/15(Sat)
風通信 |
先月の『三文オペラ』は、よく知っている作品でもあるし、
だいいち長い作品なので、パスしたんだけど、
今月は観に行った。
NTLの『The Deep Blue Sea』(深く青い海)です。
今回の観客は五人。ゆったり観ましたね。

演劇評論家じゃないので論評は避けるけど、
愉しめる作品だった。いつも思うんだけど、
なんかね、演劇の文化が違うなって。

(以下の引用は、暗闇の中でメモったので、正確じゃない)
「人っていつも善い人よりも、素敵な人を好むのね」
で、オーディエンスは爆笑。僕も笑ってしまった。
作品はイプセンを想起させるような内容で、
かなり渋いのですが、こういうクスグリがある。
そうね、ときとして、
真実よりも優しさが人を慰めるものだし。

「理屈では説明しきれない、哀しみがあるわ」
うん、言葉はいつも不十分。だけど、
言葉に出来ないものを無理に言葉にする必要はない。
もしろ言葉に出来ないものを
抱えて生きることの方が重要だったりする。

ヒロインに向かって、
「希望がないということは
希望に裏切られることもないということです」
と言った医者はそれは言葉の綾だとなじられ、
「希望を通り越した向こう側で生きるんです」
と畳みかけると、
「希望の向こう側には何があるんです?」と尋ねられる。
その答えが「Go on living!」
(・・・ちょっとこの引用は言葉足らずですが)

主演のヘレン・マックローリーは素晴らしい演技。
残念ながら、
下世話な言い方だけど、あの顔、苦手なんだなぁ。

原作にはないと思うけれど、
演出のキャリー・クラックネルの創った
最後のシーンは秀逸です。
精神的にも肉体的(むしろこちらの方が重要)
にも愛する男に去られたヒロインが、
嗚咽しながら、ガス台に火を付け、卵を焼く。
嗚咽しながら、トーストにバターを塗る。
トーストの上に卵焼きを載せる。
そして、一口囓って、カットアウト。
巧い。

こういう芝居を観ると、
演出家のはしくれとして、舞台を創りたくなります。
このページのTOPへ

風通信107

2017/07/11(Tue)
風通信 |
『バーディ』という映画の中で、
主人公の二人が出会うシーンがある。
おそらく60年代後半のアメリカの地方都市だ。
妙に懐かしい風景だった。

廃車寸前の錆びたポンコツの横には、
背の高い雑草が茂り、
空き地では少年たちが三角ベースの野球をする。
ときどき、大きなフライが上がって、
近所の家の庭に落ちる。
そこにはちょっと小太りの小母さんがいて、
必ず洗濯物を干していたり、取り込んでいたりする。
そして、「あんたたち他で遊びなさい」とか、小言を言う。

日本でも同じような風景がいたる処にあった。
僕もそんな中で生きていたはずだ。

今の博多駅が出来る前は、祇園町に駅舎が建っていた。
絵に描いたようなという比喩があるが、
現在の門司港駅のようなルネサンス式の重厚な建築物だった。
駅の南側には多くの農地や空き地が広がっていて
そこで日の暮れるまで遊んでいた。
上空では灰色の軍用機が頻繁に飛んでいた。
現在の福岡空港が当時は米軍の板付基地だったからだろう。
民間機の離着陸も併用されていたように思うが、
なにしろ子供の記憶だ。はっきりしない。
祖母がベースの近くに住んでいて、よく遊びに行ったものだ。
歩いて行く時は、それが近道だったから、
御笠川に懸かっていたベースへの引き込み線の鉄橋の上を歩く。
ちょうど、『スタンド・バイ・ミー』の少年たちのように。
当時すでに錆びていたから、使用されていなかったのだろう。
自転車で走れば15分。でも、ときどきはバスに乗る。
降車するのは「板付ベース前」というバス停だ。
そのバス停は国道3号線に沿って
永遠まで続いているような金網の前に立っていた。
そして、その向こうには蒲鉾型の米軍の住宅があり、
住宅の前の芝生では軍人の家族の出入りが見える。
すごく、スマートに見えた。
バス停から少し歩くと、金網の下に沢山の弾薬が落ちていた。
それをよく拾って、サンドペーパーで磨いて、
戦利品のような感じで学校に持っていったものだ。
中には、薬莢付きの物もあって、
磨いている途中に暴発して、指をなくした友達もいた。

僕の家は典型的なブルーカラーで、
ご近所はたぶん、いちように貧しかったけれど、
どこまでも広がるような青空の下の生活だったように思う。
身を震わせるような幸せもなかったし、
魂を揺さぶるような不幸もなかった。
まるで初夏の昼下がりのような日々。
それは、あらかじめ失われた時間にちがいない。
心をほっこり温めてはくれる。
わけあって別れた女の子に
再び会ってはいけないのと同じようなものかもしれない。
このページのTOPへ

風通信106

2017/07/09(Sun)
風通信 |
ときどき、俺も年を取ったんだなぁと思うことがある。
いや、これは否定的な意味じゃなくての話です。

福岡のFMラジオの実験放送は1962年の開始だが、
僕が本格的に聞き始めたのは中学生の頃だったと思う。
夕方帰ってくると、たぶん夜の放送の始まりで、
(一日中、放送されているわけではなかった)
「ただいまから実験放送をはじめます。
まず右のスピーカーから信号音が出ます。
次に左のスピーカーから信号音がでます。
最後の左右のスピーカーから同時に出ます」
というようなアナウンスがあって、
左右のスピーカーのバランスを取って聞き始めた。

なんというか、FM放送にはずいぶんお世話になった。
当時はたしか深夜放送の走りみたいな時期で、
友達の多くはAM局のプログラムを聞いていたように思う。
僕もある程度は聞いたとは思うが、
それよりFENからFM放送に移行した印象が強い。
板付空港には米軍基地があり、当然FENも受信できていた。

FM専用の雑誌もあったね。
「FMファン」とか、「週刊FM」「FMレコパル」とか
巻末に一週間分か二週間分のプログラム表が巻末に付いていて、
聴きたい番組をチェックする。いわゆるエアーチェック。
ここでずいぶんとクラシックを聴いたし、
いうまでもなく当時のヒットポップス(洋楽)を聴いた。
もちろん、カセットテープに録音するわけだ。
そのことが分かっている放送局も
音楽とアナウンスを完全に切り離していたし、
あくまで音質重視のFMというのが売りだったから、
余計なおしゃべりはほとんどなかった。

ここで、冒頭のコメントに戻る。
最近のFM局は聴くに聴くに堪えないのです。
なによりおしゃべりが多すぎるように思うのだ。
情報なんかも豊富にあるし、若い人はそれでいいのだろう。
ところが、僕のような年寄りは、
DJ(?)、ナビゲーターともいいますか? の個人的な感想や、
個人的な日々の想いなんか、まあ、言っては何ですが、
どうでもいいことのように思えてしまうのです。
ほんと、ドーデモイイようなことをしゃべっている。
英語混じりにペラペラしゃべっている番組を聴いていると、
だから、「音楽」を流してくれと言いたくなる。
フム、老人は嫌だなぁ〜、我ながら。
だから、最近は、
ほとんどFM局にチャンネルを合わせることはしない。

ヤレヤレである。
このページのTOPへ

風通信105

2017/07/06(Thu)
風通信 |
僕は政治的には、
ラディカルではないにしても、
リベラルな方だと思っている。
少なくとも、コンサバではないですね。
でも、いわゆる「政治」にはほとんど興味がない。
ただ、ずいぶん前に、
これからの日本の政治には何も期待するものがない、
という感想は持った記憶がある。

顕著だったのは、
小泉のワンフレーズ・ポリティクス。
あれはいけなかった。
その小泉が安部を幹事長に迎えた張本人。
そして、イタリア国民が
ムッソリーニに万雷の拍手を送ったように、
僕らの隣人は小泉や安部を迎えた。
一国の宰相であるのに知性のかけらもない彼らを。

それにしてもだ、
好むと好まざるとに関わらず、
僕らはこの国で生きていくしかない。
その現実を受け入れるしかないわけです。

よくよく考えてみれば、
コーンパイプを咥え、
レイバーンのサングラスを掛けたアメリカの軍人が
ちょいと顎をしゃくっただけで、
すべてが変わったことを想起しますね。
これはもう、超ポストモダンな感じ。
きっと、構造的には何も変わっていないのだろう。
ワンフレーズ・ポリティクスだって、
「満州は日本の生命線!」とか、
「進め!一億火の玉だ!」とか、
いくらでも歴史の中に見出すことが出来るしさ。

東京都議選で、「都民ファースト」の圧勝という報道。
小池はしたたかな戦略家だなぁ。
たとえば、豊洲問題にしたって、
発表する時期を熟慮を重ねて決定したでしょ?
計算したとしか思えない。
同じ穴のなんとかとは言わないまでも、
似たり寄ったりですよね。

思うに、プラトンの哲人政治の主張は、
まあ、アクチュアルではないにしても
それなりに真理を含んでいるように思う。
哲学を忘却するどころか、
そのなんたるかをさえ理解していない群盲政治家によって、
操られている国家の混迷と悲哀を
まさに僕らは体験しつつあることからも明らかですね。

僕らは民主国家に生きているわけだが、
安部の都議選投票前日の街頭演説、野次る聴衆に向かって
「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と激高した、という
(なんとまあ、小さいこと!)報道の通りだとすると、
ちょっと北朝鮮を笑えないかなぁ。
もっとも、ヨシフ・スターリンの例を持ち出すまでもなく、
そこには粛清なるものが厳然としてある。
だから、その意味では、民主国家(笑)

この場所で、生き続けなければならないというのは、
ずいぶん、少なくとも僕にとっては、
シンドイことではあるけれど。
このページのTOPへ

風通信104

2017/07/01(Sat)
風通信 |
いつも、
夏は扉が開くように始まると思っている。

今日見上げた空は、夏の空だった。
梅雨はまだまだ続くけれど、
そこにはたしかに夏の空。
山の向こうに幸せがあるような夏の空です。
ペリカンのロイヤルブルーを流したみたいな
空に浮かぶくっきりと白く輝く雲。

あと何度、この季節を
くぐり抜けることが出来るだろう。

ネロは2回の夏だったけど、
僕は、60回を疾うに過ぎた。
ある年齢を過ぎると、人生というものは
いろいろなものを失っていく
連続的な課程に過ぎなくなる。
まるで櫛の歯が欠けるようにだ。
あるいは、掌に持っていたはずのものが、
滑り落ちていくように
愛する人々が一人、また一人と、消えていく。
しかし、彼らは多くの場合、
生きている僕らの在り方を変更させていく。
その変更を真っ当に受け入れることが、
僕らに残された
亡き人を弔う正しい在り方だろうと思う。

懐かしいあこがれのような夏が始まる。
このページのTOPへ

風通信103

2017/06/24(Sat)
風通信 |
今夜は、雨の夜です。
夜の雨はいい。

BGMは、山下和仁の無伴奏チェロ組曲。
言わずと知れたバッハです。
好きな言葉じゃないけれど、まさに超絶技巧。
しかし、それと感じさせない。
雨の夜にはふさわしい・・・と思う。

102便に、メールボックスのことを書いていたら、
早速、メールを送ってくれた人がいた。
読んでくれてるんだ! 奇特な!
それにしても優しいなぁ。
優しい人は受難者となる場合が多いので、
そういう内容の返信をしようと思ったけれど、
キーボードの上で手が止まってしまった。
もっと、ハッピーなことを書きたい。

昨日は、ほぼ1年ぶりに、芝居なるものを観た。
再演とは書いてなかったけれど、
あの劇団としては再演じゃなかったかしら。
相変わらず、肩の力が抜けて、愉しい芝居。
役者ものびのび。
僕にはああいう芝居は創れないから、羨ましい。
凄い金魚(の化身)に扮していたM君を久しぶりに見た。
巧くなっていて、びっくりした。
もともと間の取り方は巧かったけど。

いくつかの経験は多少なりとも人を変えるはずで、
どう変わるかはもちろん人によりますけどね。

Uさんも
演っていて気持ちがいいだろうなぁというような演技。
ツボにはまっていましたな。
彼が号泣するところは、
オーディエンスはしみじみ胸に迫るシーンなんだけど、
僕はおかしくて思わずフッと吹き出したら、
隣の席の人から、振り向かれた。
きっと変な人と思われたに違いない。
あるいは、ムッとしたかもね。
でも、可笑しかったんだもん。
役者が泣けば、それを観て観客は笑う、
役者が笑えば、それを観て観客は泣くという
そういう愉しみ方はあるような気がするんだけど。
もともとさ、
人間の心理状態なり、性格なりを表すとき、
悲劇とか喜劇とか分けることは出来ない。
そのことはすでに、
18世紀にモーツアルトがオペラで証明している。

オムレツを焼くために、卵を割る。
その行為だけで、
笑うことも出来るし、泣くことも出来るわけだしさ。

だいたいにおいて、
人の心というものは、習慣や常識では規制できない。
それは自由に羽ばたき、移動する。
渡り鳥が国境という概念を持たないのと同じです。

次の芝居は、7月のナショナル・シアター・ライブ。
5月の『ハングメン』のオーディエンスは
僕を含めて3人だった。
7月は『THE DEEP BLUE SEA』。ちょっと楽しみです。
・・・5人くらいはいるかな。
このページのTOPへ

風通信102

2017/06/22(Thu)
風通信 |
昨日は夏至でした。
日々の仕事に追われてうっかり忘れていた。
教えてくれたのは、「歴女」ならぬ「暦女」のGF。
流されていく日常を軽やかに分節化してくれる。
二十四節季とまではいかないけれど、
季節の変わり目にはいろいろ教えてくれる。
日本にはいないはずなんだけど。

FBや、つぶやきなんたらはしないので、
外部からの連絡は、たまさかのメールくらい。
メールボックスには一週間、
まるごと空っぽということがほとんどです。あは。
携帯のコールなんて、絶望的に鳴らない。
なかなかさわやかではある。
ちなみに今月は事務処理で当方からは二度、
お役所に連絡を取ったくらい。

それだけに、暦女のメールは貴重だ。
ありがとう。

そう、昨日は夏至でした。
なかなか陽が落ちない。
はじめて東京に行った年の深まりゆく秋。
大学で5限目の授業を終えて、教室を出たら、
外は真っ暗。
ああ、「東」に来たんだと散文的な感想を持った。

閑話休題

先日、吉田健一のエッセイを読んでいたら、
胡桃をつぶしてオリーブオイルで練り合わせたらしい
食後に食するスペインのお菓子の話があった。
ちょっと美味そう。
何という名前なのかなぁ。
スペイン生活が長い暦女に聞いてみようかな。

そのエッセイには、酒を飲む時の心得があって、
「犬が寒風をさけてひなたぼっこをしているようなものだ」
という。
僕はほとんどアルコールを嗜まないけれど、
なんとなく、そういう飲み方なら悪くないと思う。
このページのTOPへ

風通信101

2017/06/07(Wed)
風通信 |
昨年の6月に、若い友人が亡くなった。
ちょうど1年が経過した。

詳しいことは知らない。
今年、年賀状を出したところ、
ひと月ほどして、それを知らせる
母上からの手紙が届いたのだった。
亡くなったことさえ、知らなかったのだ。
40歳を前にしての別れ。

数年前にささやかな席で愉しく話をしたけれど、
僕の知っている18歳の時のままの、
そのときの面影がいつまでも残っている。
明るく、愛すべき天然。
やりたいことがいっぱいある、って・・・。
トルストイの小説に出てくる
永遠に真っ直ぐな農道を走り続けて、
そのまま帰って来なかったように。

いつでも、悔いは残るのだ。
もっと、会っていればよかっただの、
言葉を伝えていればよかっただの。

いつでも思うことだが、
自分が年齢を重ねていて、そしてある時、
若い人が亡くなったと聞くと、
ただただ言葉を失う。
悲しいという言葉は想いを表すには足りないのです。
でも、きっと無理に言葉にしてはいけないのだ。
言葉にならないままのものを
静かにじっと胸に抱いている方がいい。

美しい字を書く子だった。
このページのTOPへ

風通信100

2017/06/05(Mon)
風通信 |
先日、キャナルシティのMUJIに行った。

NPO法人エフパップの理事長時代は、場所柄、
週2回は普通に行ってたのに、最近はとんとご無沙汰で。

キャナルのMUJIは2フロア仕様。
3Fにはまるで本屋みたいに沢山の厳選された本がある。
今ハヤリの「こだわりの書店」みたいな感じ。
最近は、ほとんどネットで本を購入するので、
本やそのものに行くことはまずないから、
本棚を眺めて、
気になった著者やタイトルを目で追っていくという、
あの空気は久しぶりだった。

アラン・ロブ=グリエや、ルイ=フェルディナン・セリーヌ、
そしてレイ・ブラッドベリの横にガルシア・マルケス、
ホルヘ・ルイス・ボルヘスが並んでいて、
なぜかチャールズ・ブコウスキーの最晩年のエッセイがある。
そういえば、サン・テグジュペリもあった。
そんな本棚。
僕に残された時間はそんなに多くはないので、
この中で何冊読めるだろうかとふと、考えてしまった。
最近は小説をほとんど読まない。
きっと体力が落ちたんだと思います。

はじめて読んだ外国の小説は何だったろう・・・。
と考えて、そして思い出しました。

僕の初恋は、中学1年生の夏。
ジュラ紀か白亜紀みたいに遠い昔の話だなぁ。
相手は、村上キヌ子さんという女の子で、
当時同じ中学校の2年生だった。

僕は徒歩通学だったのだが、彼女はバス通学。
水色の夏用のセーラー服を着て、バス停にいた。
一瞬で見ている風景が変わったのを覚えている。
それは、かなり理不尽。
アイルランド出身の女優モーリン・オハラみたいでした。
そのころ、僕は父親と一緒に毎週日曜洋画劇場を見ていて、
『我が谷は緑なりき』などの
ジョン・フォードの映画に出てくる彼女は
世界一美しい人だなと思ってたから、そっくりに見えたんだと思う。
色が白くて、髪が豊かで。
でも、ちっとも似ていなかったようにも思う。

人は記憶を捏造するし、書き換えをする動物だから、
自分なりに合理化を図ったのかもしれない。

ある日、たまたま図書館で手に取った本の貸し出しカードに、
彼女の名前を発見した時は、狂喜した(ように思う)
今の人は分からないだろうが、
昔は本の一冊一冊に貸し出しカードが付いていて、
誰が借りたか分かるシステムだったんです。

その本はアーネスト・ヘミングウェイの『武器よさらば』だった。
もちろん、僕はその本を借りて、すぐに読みましたよ。
残念ながら物語の粗筋くらいしか分からなかったなぁ。
先に読んだ彼女もきっと分からなかったのではないかと思う。
地方都市の中学生が
第一次大戦の惨めなイタリア戦線を知るはずもなく、
ある意味でのハードボイルドなドラマは
「理解」を超えた作品だったんじゃないだろうか。
でも、おそらく中学生の読書とはそういうものだろうし、
それがある意味ではあり得るべき姿なのかもしれない。
中身の分かる本がすべてではないのだから。
最後まで読めるのなら、分かろうと分かるまいと
その本(小説)の持つ魔力を知ったということなのだ。
まあ、最後まで読まないとあの物語の良さは分からんよねぇ。

村上さんは、私立の女子校に進学し、ブラスバンド部に入った。
一度、聴きに行った記憶がある。
そして、ついに最後まで言葉を交わすことはなかった。
このページのTOPへ

風通信99

2017/06/01(Thu)
風通信 |
六月になりました。早いものだ。
ほとんど今年の半分が過ぎ去ろうとしています。

谷川俊太郎に「六月のうた」という作品がある。

あの日もあなたを好きだったのに
あんなに哀しかったあの日

あの日も私は私だったのに
あんなに苦しかったあの日

で始まり、

人気のない公園で
いつまでもぶらんこに座っていたあの日
アルバムにないあの日
日記につけられなかったあの日

と続きます。

冒頭の二連はそれぞれ二行構成。
シンタクス上、二つの意味内容が、
「のに」という逆説関係で連接している。
ところが、この逆説関係は、
順接関係でも表現することができると思うのです。

失礼を承知で、書き記すと、

あの日もあなたを好きだった から
あんなに哀しかったあの日

あの日も私は私だった から
あんなに苦しかったあの日

となります。

人を好きになるということは、
たぶん、哀しみを引き受けることになる。
そんな気がします。
私が私であり続けるかぎり、
それはやはり、かなり苦しいことではないでしょうか。
自分は大事だけれど、
自分が自分であるためには、
他者との繋がりがどうしても必要になる。
というかさ、
他者がいるからこそ自分がある。
そんな気がしている。
俺は俺で好きに生きるぜ、というのは格好いいけれど、
ずいぶんお気楽なスタンス。

僕なんか、
誰かにこの身を預けることが出来るなら、
それはそれで幸せのような気もするのです。
このページのTOPへ

風通信98

2017/05/28(Sun)
風通信 |
先日、たまたまなんだけれど、
NHK:FMの「夜のプレイリスト」(再)を聴いた。
その日のプログラムはBEATLESの“A Hard Day's Night”だった。
久しぶりだった。

僕の車は、
ウーハーが5個、ツイターを含めると、
合計9個のスピーカーが装着してあるので、
フルボリュームにはできないけれど、
それなりに、音量を上げる。
そして、あの冒頭のFadd9のコードだけで、
僕はいちどに天空へ持っていかれました。

本当に、久しぶりだったし。

僕が持っていた“A Hard Day's Night”は
まだオデオン版で、赤い透明なレコード盤だった。
叔父のところで、はじめてこのアルバムを聴いた。
たぶん12歳だったと思う。子供だったし、
特別な感想や、言葉を持ったはずもない。
ただ、何度でも聴きたかった。
繰り返し繰り返し、聴きましたね。
あれほど聴いたレコードはないなぁ。

「集団的記憶」というのがある。
1960年代のポピュラーミュージックを語るとき、
多くの人が「ビートルズは誰でも聴いていたよねぇ」
としたり顔で言う、あれです。
でも、実は誰もがビートルズを聴いていたわけではない。
多くの人はただのうるさい音楽と認識していたし、
失神まがいの女の子は
まともにビートルズの音楽を聴いてはいなかっただろう。
この「集団的記憶」については、
いろいろ思うこともあるが、それは別の機会に。

ともあれ、
通っていた中学校でも、ビートルズの話が出来るのは、
数人しかいなかったように記憶している。
その中の一人がM君だった。
昨年公開されたドキュメンタリー映画のタイトルは
『EIGHT DAYS A WEEK 』だったけれど、
ある土曜日の昼下がり、音楽室に向かう階段で、
M君がアフタービートでハンドクラップしながら、
この曲を歌っていて、いや、実にかっこいい、
と、当時の僕は思った。

ご多分にもれずというか、遠からず
僕らもビートルズのコピーをすることになるのだが、
そんなある日のM君の家でのこと。
たしか、“I’ll Be Back”だったと思うが、
2〜3度、レコードに針を落とした後、
冒頭の何小節かを彼はほとんどそのままコピーできた。
僕は今まで数え切れないほどの挫折感を味わってきたが、
その初期のひとつとしてあの時のことは今でも忘れない。
言うまでもないことだけれど、
才能というものはあるんですよね、間違いなく。
ただ、人にはそれなりの役割というものはあって、
僕の役割は、歌詞の日本語訳。
基礎英語しか知らない中学生が辞書を片手に、
必死で意味を探っていた。
副産物はね、
英語の成績が素晴らしく上がったことです。

M君は、高校に進学して、
天神にある『照和』という音楽喫茶で、
どういう形でしらないけれども
出演していたみたいだ。
そして、その後「○○バンド」のドラマーとして
全国デビューを果たす。そして、
このバンドは、今でいう、大ブレークした。
「チューリップ」の次の世代になるのかなぁ、
福岡は日本のリバプールと言われたことも懐かしい。

「○○バンド」デビュー前のこと。
彼らは今は懐かしい渋谷の“ジャンジャン”で
ビートルズがその初期にキャバーン・クラブでしたように
ライブ演奏をしていた。
大学生として在京していた僕も何度か見に行った。
ある時、リーダーの○○さんがMCで、
「Mはドラムのスティックを寝る時以外は外さない」
と言ったんですね。
僕は楽屋に行って「なんでギター弾かんで、ドラム?」
と訊いたように思う。彼曰く、「俺よりギターうまい奴がおるけん」
ああ、これがプロなのね、僕は深く納得したのです。
そして、同時に、
プロとは寝る時以外は自分の専門を極め続けるもんだ、とも。
我ながら、初々しい。

僕は、現在もまあ、どちらかというと
専門職として仕事をしているわけだが、
プロとはどうあるべきかをこのとき知ったような気がする。

19か20歳頃に手に入れた感慨は、生涯を支配する。
このページのTOPへ

風通信97

2017/05/19(Fri)
風通信 |
風通信は、今回が97回目になる。
前回の96回は、一度アップした後、
およそ半分以上削除した。
まあ、要するに気に入らなかったわけだが、
改めて、文章を書くという意味について考える
いい機会になった。

なぜ削除したかというと、
書いているうちに、自分の想いと
書いてある内容がだんだん離れて行く感じがしたからだ。
もちろん、言葉というものは、
未知の自分に巡り会うためという一面もあるのだから、
自分でも思いがけない展開になることはあるし、
われながら、そうだったの? と気付く事柄もある。
だから、予想外のフィールドを手に入れても問題はない。
ないどころか、それは望むところではある。

でも、自分の中で、これは違うよな、
というか、こういうことは書きたくないよな、
と思うこともあって、
それが、自分の想いから離れて行く感じなんです。

97回で言えば、
僕は、「寒いからこそ暖かい」ということを
落としどころかなと考えていた。
たとえば表層的な価値観を信じるべきじゃない、
くらいの哲理は考えていたかもしれない。
悲しいとだけ言えば事足りるのではなく、
悲しみを客体化する操作も必要なのさ、
くらいのことは考えていたのかもしれない。

97回で「そんな夢を見た」と書いたけれど、
夢であろうが、現実であろうが、
極端に言えば、嘘であろうと現実であろうと、
どっちでもいいんですね、僕としては。
かりに本当にあったことだとしても、
過ぎ去ったこの冬のことかもしれないし、
30年も前のある一夜の事実かもしれない。
あるいは、本当に夢だったかもしれないし、
僕のよこしまな妄想に近いのかもしれない。
まあ、どうでもいいわけだ。
どうでもよくないのは、僕が何らかの形で、
あの状況、あるいはシーンを
文章に書いて残したいという想いを持ったということ。
それだけ。
僕は書き残したかったんですね、
自分自身のために。
あんなことがあればいいなかぁと密かに思ったのか、
表層的な価値観に囚われる是非を
ひとつのシチュエーションを通じて表現したかったのか。
よくわからないけれど。

でも、ああ、あの時のことね、と
思う一人の人がいるかもしれないですね。ふふ。
このページのTOPへ

風通信96

2017/05/14(Sun)
風通信 |
寒い夜だった。
更地に造られた臨時の駐車場まで歩く。
オレンジ色の街灯。
信号待ち。
駐車場の入口には、
防寒ジャンパーに身を包んだ
警備員の黒い影が見える。
僕はポケットに手を入れて、
いくぶんか前屈みに歩く。
後ろを歩いていた彼女が、
やさしい子猫のように
スッと僕の腕に腕を絡ませた。
オレンジ色の街灯。
二人で、
小さな砂利をザクザクッと音を立てて歩く。
寒いはずなのに、
彼女の温もりが脇腹あたりに
ゆっくりと伝わる。
暖かな感触。
寒い夜だから。

そんな夢を見た。

日常の隣に非日常があって、
なんだか、その双方を行ったり来たりの生活。
このところ、ずっとそうだったなぁ。
一冊の本も読めず、一本の映画も観なかった。
でも、どうにか先が見えた来たような気がする。
ヤレヤレです。



このページのTOPへ

風通信95

2017/04/29(Sat)
風通信 |
昔、伯母の入院先に見舞いに行ったことがある。
どうしてそういう話になったのか、
覚えていないのだけれど、
なぜか僕を産んだ母の話になった。
・・・はじめて挨拶に来た時はねぇ、まあ、驚いた人でねぇ、
普通の人が着そうもない、びっくりするような着物で、
髪もそりゃ綺麗に結い上げてねぇ。
芸事が好きで、三味線、特に踊りは大好きだったねぇ。
あんたの芝居好きは、親譲りで、血は争えんということよ。
そういう伯母も、目鼻立ちもすっきりした派手め、
若い頃は福岡でもかなりの美人にカテゴライズされたようで、
玄洋社の進藤一馬なんかにも可愛がられた人であったらしい。
そういう伯母を驚かせたんだから、相当なものだろうと思う。
ついには芸者として身を立て熱海まで流れていった。
我ながら信じられないのだが、僕も学齢前は
股旅物の歌謡曲に合わせて踊らされていた記憶がある。

一方、縁があって父と結婚した育ててくれた母親は、
およそ芸事なんか愉しむことすらなかった法曹関係の家の出だった。
叔父は、若い頃、同窓だった丸山豊なんかと一緒に
詩誌に詩を残していたらしい。
当時の青年が読んでいた教養が本棚にたくさんあり、
中学生の頃に借りてきてはよく読んだ記憶がある。
統計的にどうなのかは分からないが、
昔は夫婦が離婚した場合、
親権は父親が持つことが多かったように思う。
今よりもずっと親戚の互助システムが完備していたというか、
子沢山の親戚が一人くらい増えても
ということで預かってくれることが多かったのだろうと思う。
たぶん見合いによる縁組みが整っていたせいか、
恋愛の果ての結婚というより、結婚がまずあって、
それから夫婦ならではの慎ましい愛情が育ったのではないかなぁ。
僕の場合は、わりとその典型的な例で、
海事従事者だった父の姉のところに短い期間、預けられ、
その後、二人目の母親の元で成長することになった。
こうして僕は対馬で生まれて、そして福岡で育っていった。

こんなふうに書くと、なんだかドラマが生まれそうだが、
心の井戸を掘り進めば、
多かれ少なかれ誰だってそれぞれのドラマがある。
ドラマのシナリオは人の数だけあるはずだからね。
なにも特別なことはない。

今日は、
木々の陰が揺れる爽やかな風の吹く日だった。
溢れる光の中を草をなびかせて風が渡る日。
一年でいちばん好きな季節のそんな風を感じながら。

二人目の母親のカサカサと音を立てる白い骨を
大きな竹の箸でつまんで壺に入れながら、
亡くなった父親との遠い日の約束を
どうやら果たせたようだと思っていた。
このページのTOPへ

風通信94

2017/04/26(Wed)
風通信 |
村上春樹の最新作『騎士団長殺し』の中で、
印象深く繰り返されているパッセージがある。
それは、「時間」にまつわるものです。
たとえば、
「あなたはものごとを納得するのに、
 普通の人より時間のかかるタイプのようだ。でも、
 長い目で見れば、たぶん時間はあなたの側についてくれる」とか、
「時間が与えてくれるものもある。
 時間を味方につけることが大事な仕事になる」とか、
「〜やがては薄らいで消えてしまう。しかし記憶は残る。
 記憶は時間を温めることが出来る」など、です。

『職業としての小説家』という昨年発売されたエッセイ集の中でも、
「時間を自分の味方につけるには、
 ある程度自分の意思で時間をコントロールできるように
 ならなくてはならない、というのが僕の持論です」とある。

村上春樹は哲学者じゃないので、
現象学的な「時間論」を披瀝したわけではないだろう。
おそらくここから読み取れることは、
時間に耐える力を身につけなくちゃならない
ということなのではないだろうかと思います。
韓国には「黒白論」という思想があるそうで、
とにもかくにも黒か、白かに
振り子が大きく揺れる傾向があるそうな。
時間に耐えるという思想は、それとは正反対の思想で、
振り子の揺れをじっと見つめ続けるということだろう。

それにしても、不思議ですね。
今、僕の前には生まれたばかりの赤ん坊がいるとする。
同時に死に逝く老人がいるとする。
そして、それをじっと見つめる僕がいるとする。
ジャネーの法則からすれば、その長さはまったく違う。
同じ時間を生きているんだけれどね。共通するのは、
その連続する時間の延長にある明日は未定だということ。

一時期はやった言葉に
「想定内」という、いかにも賢しらな言葉がある。
あれは嫌な言葉だったなぁ。
先に結論があるんじゃなくて、揺れ動く時間の中で、
ボクシングの軽量級世界チャンピオンのような
軽やかなフットワークを以て、
次の時間を生きるというのが大事なんじゃないかと思うのです。
だって、わかんないもん、明日のことは。
こんなことをいうと、
「君ィ、それは無節操で無計画で、およそ建設的じゃない」
と、必ず言う、恐ろしくきまじめな
頭の悪い教師みたいな人がいるけれどね。
たしかにそれはそうかもしれないですねと僕はきっと言うだろうし、
むげに否定はしないけれど、
じゃあ、節操があり、計画的で、建設的であることが、
そんなに素晴らしいことなの? と心の中でつい思ってしまう。

今日とは違う明日をしっかり生きる力があれば、
とりあえずいいんじゃないかと思う。
その中で緩やかに一貫した想いが流れていればいいんだし。
時間の重さに耐える力があれば、それは可能だろうし。
このページのTOPへ

風通信93

2017/04/16(Sun)
風通信 |
福岡の桜もどうやら終わりのようだ。
今日の室見川河畔公園の桜は、七分葉桜になって、
その花の下を人々がゆっくりと歩いていた。

例年、この季節に届く桜便りがある。
長いつきあいのガールフレンドからです。
今年は、夜桜の画像が添付してあった。
染井吉野じゃなく、
ぼってりと重い八重桜。

「年年歳歳花相似たり」ですね。
もちろん、この句の眼目は、その後の
「歳歳年年人同じからず」だけど。

たしかに、人の世は変化する。
世も変われば、人も変わる。
息をのむような素晴らしい恋も、
深い闇の中で行き惑う恋も、
いつか時間の中に消えていきます。

ものごとには潮時というものがあるような気がする。
その時は一度失われてしまえば、たいていの場合、
二度とやってくることはないというのが、
ささやかな僕の人生の教訓です。
谷川俊太郎が唄ったように、人は言葉を持っているから、
あの時、こうすればよかったとか、つい思ってしまう。
でも、失われた時は二度と帰っては来ない。
3月の悲しい犬なら、
海に向かって、ただ遠く吠えるだけ、
そうすることで、哀しみに耐えるんですね。
言葉で自らを騙したり、慰めたりはしない。

今年も春が逝く。
また来む春と、人は云う。
このページのTOPへ

風通信92

2017/04/09(Sun)
風通信 |
新聞を取らなくなってずいぶん経つ。
生まれた時から近年までずっと「朝日」を取っていたのだが、
ある時、もう読まなくてもいいかなと忽然と思った次第。
今の日本にジャーナリズムは存在しないような気がしている。
統制こそないけれど、
だんだん1945年より前の時代にさかのぼっているような気もするし。
僕はまた、ほとんどテレビを見ない。
たまさかのドキュメンタリーと、ローカルニュースくらいは見ます。
全国版のニュースは、
ちょっとばかり偏向しているような印象があるなぁ。
それに比べてローカルニュースは、
どっかの小学校の給食の話とか、地域のイベントの話題とか。
だから、人々のささやかな営みが映し出されるリアル感が心地よい。
その一方で、日本のドラマはここ20年近くほとんど見たことがない。
まず内容が透けて見えるし、台詞も予想の域を出ないことが多いのだ。
その点、欧米のドラマは違います。特に、ヨーロッパのドラマ。

最近終了した、NHKの『刑事フォイル』は珍しくすべて観た。
制作にも関わっていたアンソニー・ホロビッツが
ほとんどの脚本を書いていて、
いかにもイギリスの作家らしい彼の(脚)本は好きだったから、
飽きることなく見続けた。シニカルで、
つまり(と言っていいかどうか分からないのだけれど)現実主義、
声を荒げる場面もなければ、説教臭くもなく、
むやみに涙腺を緩めるようなエモーショナルなシーンもない。
冷静で紳士的、もちろん、さりげないユーモアはそこかしこに。

ピーター・シェーファー、アラン・エイクボーン、
少し硬派になるが、トム・ストッパードなど、
イギリスには優れた劇作家がたくさんいて、学ぶところは多い。
あ、アントンクルーで初演したパトリック・マーバーもいましたね。
もちろん、優れた小説家がそうであるように、
優れた劇作家は世界中に散在しているんだけど、
僕の趣味に合うのは、ほとんどイギリスの劇作家の作品になる。
有名どころは、上演権が高くて、
小屋で掛けることは難しいのが難点だけれど。

『刑事フォイル』は、イギリス南東部の港町ヘイスティングスでの物語で、
ジャンルとしてはミステリー・ドラマなのだが、
面白さを感じたのは、むしろ戦争中のイギリス地方都市の生活だった。
前回放送のシリーズから始まって、
今回のシリーズの最終回『警報解除』で第2次世界大戦が終わる。
作品は丁寧に造られている印象があり、制作費がかなりかかったと思われる。
戦争という状況がもたらすものは、
イギリスでも日本でも、要するにどこの国でも変わらない。
僕らが想像力を挟み込む余地がないほど現実的だ。
戦時下の圧倒的な狂気に翻弄される人々が
死の恐怖に襲われつつ、それでも日々淡々と過ごし、
ときには愚かしく、ときには賢明に生きていく姿が描かれます。

ところで、イギリスには、
劇作家兼、演出家兼、作曲家兼、俳優というマルチな才能を持つ、
ノエル・カワードという人物がいた。1899年生まれだから、
大戦中は脂の乗りきった40代だった。
ウエルメイドなその作品は好みではないのだが、
(三谷幸喜をソフィスケートした感じと思ってもらえればいいです)
アメリカにおけるジャズ・エイジな人々に近い。
たとえば、タートルネックのセーターも
彼が舞台で着たのが流行のはしりだったというのだから、
おしゃれ感覚は一流です。
当然のことながら、第2次世界大戦中も、我関せずで生きていた。
というより、戦争に背を向けたらしい。
そのため、「非国民」というレッテルを張られ、批判された。
そのとき、当時の首相ウインストン・チャーチルは、
まあ友人だったとはいえ、
「あんなやつ、戦場に行っても役に立たない。
 一人ぐらい恋だ愛だと歌っているやつがいてもいい」
と弁護したそうだ。

このあたりの感覚が、彼の国と本邦との違いかと。
このページのTOPへ
Copyright (C) anton-crew All Right Reserved.
このページの先頭へ戻る