ニュース・日記
今日は、ジョン・レノンの命日です。
この年になると、
有名、無名にかかわらず、
知っている人で、鬼籍に入られた数が多くなる。
声を交わした人だったりすると、なおさらに。
ただただ、切ない。淋しい。
ところで、
今日は、NTL「ヘッダ・カーブラ」を観てきた。
客席には僕も含めて3人だけでした。
脚色は、僕が日本初演を含む、
すべての作品演出した、あのパトリック・マーバーです。
それよりも、演出。
刺激的でした。
なにより、シャープだった。
鈍くさい舞台は観たくない
と、つくづく思う。
この年になると、
有名、無名にかかわらず、
知っている人で、鬼籍に入られた数が多くなる。
声を交わした人だったりすると、なおさらに。
ただただ、切ない。淋しい。
ところで、
今日は、NTL「ヘッダ・カーブラ」を観てきた。
客席には僕も含めて3人だけでした。
脚色は、僕が日本初演を含む、
すべての作品演出した、あのパトリック・マーバーです。
それよりも、演出。
刺激的でした。
なにより、シャープだった。
鈍くさい舞台は観たくない
と、つくづく思う。
続きます。
僕はもともと二次元の芸術の中では、
絵画よりも写真の方が好きだったのだが、
アンセル・アダムスは寡聞にして知らなかった。
なんでも、二十世紀の巨匠とか・・・。
「美と崇高の風景写真家」というキャッチだったので、
躊躇したんだけれど、ま、近くだしね、
時間的にも余裕もあったりして。
ちょっと古いけれど、ロバート・キャパや、
日本で言えば、沢田教一、石川文洋など、
戦場写真というか、報道写真にはほとんど興味がない。
以前、ピューリッツァー賞の作品展があった時、
見るに堪えられず、会場を途中で抜け出したくらい。
だから、僕のお気に入りは、
ヘルムート・ニュートンやエリオット・アダムスです。
日本にもすぐれた作家はもちろんいるけれど、
なんか、気持ちウエットな感じで今ひとつ乗り切れない。
で、そのアンセル・アダムス写真展。
ウームでした。
人物写真は意図するにせよ、しないにせよ、
写真の中にドラマがあるように思う。
自然のそれの場合は観る側に物語を要求する。
そうでなければ、対象物を演出するというかサ。
しかも、その演出は、表層的なことが多いように思うのです。
というわけで、新美術館に戻り、
地下のミュージアムショップへ。
美術館のミュージアム・ショップはどこも楽しい。
そして、ここは特に、だったが、今回は収穫なしでした。
乃木坂から表参道、そして渋谷へ戻る。
昨日に引き続き、Bunkamura。
ただし、この日は、
オーチャードホールのNHK交響楽団の定期演奏会。
プログラムは、
ベートーヴェンの『ピアノ・コンチェルト5番』と、
ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』(管弦楽版)
というオーソドックスなレパートリーだった。
ピアノはゲルハルト・オピッツ。
オピッツとベートーヴェンだから、
その取り合わせは言うこともないのだが、
なぜか、アンコールがないのですね。ちょっと残念。
いっぽう、N響の方は、
ラベルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』(管弦楽版)で、
これはお気に入りの曲だから、ちょっと満足。
東京でのコンサートはサントリーホールが多い。
ここは、建物の構造条件の制限もあるのだろうが、
やっぱり、サントリーホールは、
そのエントランスからの動線も含めて、
オーチャードホールとは違うという認識を改めて思ったのでした。
そして、
ほとんど最終便で、帰福。
誰にも会わず、誰とも話しもせず、
駆け足の二日間でした。
僕はもともと二次元の芸術の中では、
絵画よりも写真の方が好きだったのだが、
アンセル・アダムスは寡聞にして知らなかった。
なんでも、二十世紀の巨匠とか・・・。
「美と崇高の風景写真家」というキャッチだったので、
躊躇したんだけれど、ま、近くだしね、
時間的にも余裕もあったりして。
ちょっと古いけれど、ロバート・キャパや、
日本で言えば、沢田教一、石川文洋など、
戦場写真というか、報道写真にはほとんど興味がない。
以前、ピューリッツァー賞の作品展があった時、
見るに堪えられず、会場を途中で抜け出したくらい。
だから、僕のお気に入りは、
ヘルムート・ニュートンやエリオット・アダムスです。
日本にもすぐれた作家はもちろんいるけれど、
なんか、気持ちウエットな感じで今ひとつ乗り切れない。
で、そのアンセル・アダムス写真展。
ウームでした。
人物写真は意図するにせよ、しないにせよ、
写真の中にドラマがあるように思う。
自然のそれの場合は観る側に物語を要求する。
そうでなければ、対象物を演出するというかサ。
しかも、その演出は、表層的なことが多いように思うのです。
というわけで、新美術館に戻り、
地下のミュージアムショップへ。
美術館のミュージアム・ショップはどこも楽しい。
そして、ここは特に、だったが、今回は収穫なしでした。
乃木坂から表参道、そして渋谷へ戻る。
昨日に引き続き、Bunkamura。
ただし、この日は、
オーチャードホールのNHK交響楽団の定期演奏会。
プログラムは、
ベートーヴェンの『ピアノ・コンチェルト5番』と、
ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』(管弦楽版)
というオーソドックスなレパートリーだった。
ピアノはゲルハルト・オピッツ。
オピッツとベートーヴェンだから、
その取り合わせは言うこともないのだが、
なぜか、アンコールがないのですね。ちょっと残念。
いっぽう、N響の方は、
ラベルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』(管弦楽版)で、
これはお気に入りの曲だから、ちょっと満足。
東京でのコンサートはサントリーホールが多い。
ここは、建物の構造条件の制限もあるのだろうが、
やっぱり、サントリーホールは、
そのエントランスからの動線も含めて、
オーチャードホールとは違うという認識を改めて思ったのでした。
そして、
ほとんど最終便で、帰福。
誰にも会わず、誰とも話しもせず、
駆け足の二日間でした。
続きです。
とりあえず、ホテルで一息入れて、宵の口から、
シアターコクーンで『24番地の桜の園』を観る。
24番地というのは道玄坂2丁目にある、
シアターコクーンの番地ですね。
言うまでもなく、
ルイ・マルの遺作『42丁目のワーニャ』への
リスペクトなのかなぁと思います。
あの映画ドキュメンタリーは5回は観たな。
台本も良かった。デイヴィッド・マメットです。
だから、
あの方式を意識しての作品になるのかなと思っていたら、
フツーの『桜の園』、
というかそれをベースにした構成芝居だった。
特に、後半にそれが目立ちます。
舞台へのコメントはありません。
そんなものは芝居を創らない人間が、
勝手にやればよろしい。
26日(Sun)は、
見上げると恥ずかしくなるくらいの青空。
渋谷駅南口にあるホテルを出て、
六本木方面へ歩いて行く。
目的地は国立新美術館の『安藤忠雄展』。
今回の目的は『桜の園』を観ることにあったんだけれど、
ひとり旅だもの、時間の許すかぎり動き回るのです。
上京の折には、必ず立ち寄るのがこの新美術館だ。
当初は森の中の美術館をイメージしたいたらしいが、
それが成功しているかどうかは別として、いつの季節訪れてもいい。
ロビー(というのかしら)に設置してある
ゆったりとした籐の椅子に深く腰掛け、
背中越しに射し込む光陽射しを感じて読書する。
たくさんの人が歩いているけれど、
誰ひとり知った人がいない空間。
至福の時です。
ここを設計したというだけで、
黒川紀章は素晴らしいと思う。
それにしても『安藤忠雄展』は、
あんなに来場者が多いとは思わなかった。
回顧する時期に来たんだと思うんだけれど、
展示された模型の前に立てないほど人混みだった。
人の多さにヤレヤレである。
幸福な建築家なんだな、安藤は。。。と思う。
建築と光の共存について考える。
建築物は、光をどう取り込むかという課題と
格闘してきたんじゃないだろうか。
それは古い中世の教会から近代のモダン住宅まで。
コンクリート打放しで有名な安藤忠雄だが、
初期の設計施工された建物を観ると、
モダニズム建築そのものじゃないかと感じましたね。
ル・コルビジェの「ロンシャン教会」を観た安藤が、
ある種の啓示を受けたと、語ったことがあるそうだが、
彼の後期の作品「ラ・トゥーレット修道院」に
少しでも近づこうとしているように思われましたね。
そういえば、今、思い出したんだけど、
アントンクルーの解散葉書のカットに、
この「ラ・トゥーレット修道院」の
閉じられたドアの画像を使ったのでした。
再結成の折には、開いたドアのカットを使うかな。えへッ。
展示場を出たところで、気になるチラシを発見。
東京ミッドタウンにある「フジフイルムスクエア」、
そこの開設10周年記念として開催されている
『アンセル・アダムス写真展』です。
東京ミッドタウンは新美術館から歩いて5分だから、
足を延ばすことにした。
To be continued
とりあえず、ホテルで一息入れて、宵の口から、
シアターコクーンで『24番地の桜の園』を観る。
24番地というのは道玄坂2丁目にある、
シアターコクーンの番地ですね。
言うまでもなく、
ルイ・マルの遺作『42丁目のワーニャ』への
リスペクトなのかなぁと思います。
あの映画ドキュメンタリーは5回は観たな。
台本も良かった。デイヴィッド・マメットです。
だから、
あの方式を意識しての作品になるのかなと思っていたら、
フツーの『桜の園』、
というかそれをベースにした構成芝居だった。
特に、後半にそれが目立ちます。
舞台へのコメントはありません。
そんなものは芝居を創らない人間が、
勝手にやればよろしい。
26日(Sun)は、
見上げると恥ずかしくなるくらいの青空。
渋谷駅南口にあるホテルを出て、
六本木方面へ歩いて行く。
目的地は国立新美術館の『安藤忠雄展』。
今回の目的は『桜の園』を観ることにあったんだけれど、
ひとり旅だもの、時間の許すかぎり動き回るのです。
上京の折には、必ず立ち寄るのがこの新美術館だ。
当初は森の中の美術館をイメージしたいたらしいが、
それが成功しているかどうかは別として、いつの季節訪れてもいい。
ロビー(というのかしら)に設置してある
ゆったりとした籐の椅子に深く腰掛け、
背中越しに射し込む光陽射しを感じて読書する。
たくさんの人が歩いているけれど、
誰ひとり知った人がいない空間。
至福の時です。
ここを設計したというだけで、
黒川紀章は素晴らしいと思う。
それにしても『安藤忠雄展』は、
あんなに来場者が多いとは思わなかった。
回顧する時期に来たんだと思うんだけれど、
展示された模型の前に立てないほど人混みだった。
人の多さにヤレヤレである。
幸福な建築家なんだな、安藤は。。。と思う。
建築と光の共存について考える。
建築物は、光をどう取り込むかという課題と
格闘してきたんじゃないだろうか。
それは古い中世の教会から近代のモダン住宅まで。
コンクリート打放しで有名な安藤忠雄だが、
初期の設計施工された建物を観ると、
モダニズム建築そのものじゃないかと感じましたね。
ル・コルビジェの「ロンシャン教会」を観た安藤が、
ある種の啓示を受けたと、語ったことがあるそうだが、
彼の後期の作品「ラ・トゥーレット修道院」に
少しでも近づこうとしているように思われましたね。
そういえば、今、思い出したんだけど、
アントンクルーの解散葉書のカットに、
この「ラ・トゥーレット修道院」の
閉じられたドアの画像を使ったのでした。
再結成の折には、開いたドアのカットを使うかな。えへッ。
展示場を出たところで、気になるチラシを発見。
東京ミッドタウンにある「フジフイルムスクエア」、
そこの開設10周年記念として開催されている
『アンセル・アダムス写真展』です。
東京ミッドタウンは新美術館から歩いて5分だから、
足を延ばすことにした。
To be continued
気温はそれほど低くはないのだが、
今日は冷たい雨が降る。
渋谷東急から渋谷駅に向かう裏道、
敷き詰められたような銀杏の落ち葉も
明日は静かな雨に濡れるだろう。
先週末、その上をカサカサと音を立てて
歩いたばかりだ。
仕事の関係で、一泊しか出来なかったけれど、
ひさびさの東京だった。今回は渋谷拠点。
昼過ぎに駐cに着いて、ランチ。
京急の改札口近くの「うちのの卵かけごはん」です。
なにも東京に行ってまで福岡の地場物を、とは思う。
郷土愛というのではなく、単に卵好きなだけね。
いったん、品川に出て有楽町へ向かう。
有楽町インフォスで「ビートルズ展」をやっている。
楽器や舞台衣装など。
池袋でもグッズの販売が大々的にやってるんだけど、
今回は芝居が目的なので、ここで満足、浪費は避ける。
会場にいるのは、文字通りの老若男女でした。
「ビートルズは時代と共に生きた」と、
どこかで読んだ記憶があるけれど、そのことを改めて感じる。
モノ・レコーディングからステレオへ、
そして4チャンネル、8チャンネル、nチャンネルと、
音楽テクノロジー-は1960年代に革命が起きたように思う。
その時代と併走するように、
ビートルズは生きたのではなかっただろうか。
ブースで当時のインタビューやファンの声を聞きながら、
ビートルズ自体がビジネス的にも巨大になりすぎて、
ジョンや、ポール、ジョージ、リンゴという一個人では
制御できなくなったんじゃないかと思った。
自分たちが何をやっているのか、やろうとしているのか、
見えなくなったんじゃないかと思うことがある。
その点、ストーンズはしたたかですよね。
とりあえず、渋谷のホテルにチェックインして、
本命のシアター・コクーンへ向かう。
沢田研二が所属していたザ・タイガースの後期の傑作に、
「都会」という曲がある。昔から好きでね。
街の夕暮れはたいていは同じだ。
♪都会は今日もさざめきうたって
都会は何も こたえてはくれない
今日も人波に流れてゆくよ
人の押されて歩く夕暮れ♪
最後のフレーズは、南 沙織の「色づく街」でしたね。
To be continued
今日は冷たい雨が降る。
渋谷東急から渋谷駅に向かう裏道、
敷き詰められたような銀杏の落ち葉も
明日は静かな雨に濡れるだろう。
先週末、その上をカサカサと音を立てて
歩いたばかりだ。
仕事の関係で、一泊しか出来なかったけれど、
ひさびさの東京だった。今回は渋谷拠点。
昼過ぎに駐cに着いて、ランチ。
京急の改札口近くの「うちのの卵かけごはん」です。
なにも東京に行ってまで福岡の地場物を、とは思う。
郷土愛というのではなく、単に卵好きなだけね。
いったん、品川に出て有楽町へ向かう。
有楽町インフォスで「ビートルズ展」をやっている。
楽器や舞台衣装など。
池袋でもグッズの販売が大々的にやってるんだけど、
今回は芝居が目的なので、ここで満足、浪費は避ける。
会場にいるのは、文字通りの老若男女でした。
「ビートルズは時代と共に生きた」と、
どこかで読んだ記憶があるけれど、そのことを改めて感じる。
モノ・レコーディングからステレオへ、
そして4チャンネル、8チャンネル、nチャンネルと、
音楽テクノロジー-は1960年代に革命が起きたように思う。
その時代と併走するように、
ビートルズは生きたのではなかっただろうか。
ブースで当時のインタビューやファンの声を聞きながら、
ビートルズ自体がビジネス的にも巨大になりすぎて、
ジョンや、ポール、ジョージ、リンゴという一個人では
制御できなくなったんじゃないかと思った。
自分たちが何をやっているのか、やろうとしているのか、
見えなくなったんじゃないかと思うことがある。
その点、ストーンズはしたたかですよね。
とりあえず、渋谷のホテルにチェックインして、
本命のシアター・コクーンへ向かう。
沢田研二が所属していたザ・タイガースの後期の傑作に、
「都会」という曲がある。昔から好きでね。
街の夕暮れはたいていは同じだ。
♪都会は今日もさざめきうたって
都会は何も こたえてはくれない
今日も人波に流れてゆくよ
人の押されて歩く夕暮れ♪
最後のフレーズは、南 沙織の「色づく街」でしたね。
To be continued
久しぶりに、我が畏友、岩井と会う。
短い時間だったけれど、愉しい時間だった。
話は、カルロ・ゴルドーニの話から、
ローリング・ストーンズまで。
つまり、とりあえず、18世紀の劇作家の作品から、
20世紀を代表する音楽家までですね。
僕らのことだから、まあ、演劇が中心だけれど。
改めて、日本の近代劇作家の作品が「面白くない!」
という見解が一致した。良いとか悪いとかじゃないのですね。
ただ面白くない、ということ。
持ち味は違うにしても、昔から大概の見解は一致するから、
長い間一緒になって作品を創ってこられただろうね。
こと、文化現象において、
お互い、どういう話題を振っても、
たいていは応えるという関係はなかなか得がたい。
致し方ないとは言え、
彼が福岡を離れたのは返す返すも残念です。
そういえば、今日は映画の話はなかったなぁ。。。
あ、いや、マリオン・コティヤールの
『エディット・ピアフ』は出てきたなぁ。
ウディ・アレンの小洒落た作品
『ミッドナイト・イン・パリ』は僕の好きな作品。
ピカソの愛人という役柄も良かったのですよ。ふふ。
『サンドラの週末』と
『マリアンヌ』がライブラリーにはあるんだけど、
まだ見ていないので、明日は見ようか、と。
今のところ、
こんなふうに話せる相手がいないので、
こうしてときどき会うと、いろんな意味で、
俺も、前向きに、もうちょっとだけなら
頑張れるかなと思う。
短い時間だったけれど、愉しい時間だった。
話は、カルロ・ゴルドーニの話から、
ローリング・ストーンズまで。
つまり、とりあえず、18世紀の劇作家の作品から、
20世紀を代表する音楽家までですね。
僕らのことだから、まあ、演劇が中心だけれど。
改めて、日本の近代劇作家の作品が「面白くない!」
という見解が一致した。良いとか悪いとかじゃないのですね。
ただ面白くない、ということ。
持ち味は違うにしても、昔から大概の見解は一致するから、
長い間一緒になって作品を創ってこられただろうね。
こと、文化現象において、
お互い、どういう話題を振っても、
たいていは応えるという関係はなかなか得がたい。
致し方ないとは言え、
彼が福岡を離れたのは返す返すも残念です。
そういえば、今日は映画の話はなかったなぁ。。。
あ、いや、マリオン・コティヤールの
『エディット・ピアフ』は出てきたなぁ。
ウディ・アレンの小洒落た作品
『ミッドナイト・イン・パリ』は僕の好きな作品。
ピカソの愛人という役柄も良かったのですよ。ふふ。
『サンドラの週末』と
『マリアンヌ』がライブラリーにはあるんだけど、
まだ見ていないので、明日は見ようか、と。
今のところ、
こんなふうに話せる相手がいないので、
こうしてときどき会うと、いろんな意味で、
俺も、前向きに、もうちょっとだけなら
頑張れるかなと思う。
僕は天文少年ではなかったから、
星座のことなんて知らなかった。
あれがシリウスだと
教えられたのは、高校生の時。
その時以来、いつも冬になると、
空を見上げて冬の大三角形を認め、
シリウスを確認したものだ。
楽しいことや、哀しいこと。
辛いことや、嬉しかったこと。
いつでもシリウスは冬の夜空に輝いていた。
定家の歌を二首
見しはみな夢のただちにまがひつつ昔はとほく人はかへらず
風の上に星のひかりはさえながらわざともふらぬ霰をぞ聞く
今夜も、南西の空にオリオン座がかかる。
今夜も、シリウスは輝いている。
僕が生まれるずっと前から、
僕が死んだ後の永遠の時間まで。
星座のことなんて知らなかった。
あれがシリウスだと
教えられたのは、高校生の時。
その時以来、いつも冬になると、
空を見上げて冬の大三角形を認め、
シリウスを確認したものだ。
楽しいことや、哀しいこと。
辛いことや、嬉しかったこと。
いつでもシリウスは冬の夜空に輝いていた。
定家の歌を二首
見しはみな夢のただちにまがひつつ昔はとほく人はかへらず
風の上に星のひかりはさえながらわざともふらぬ霰をぞ聞く
今夜も、南西の空にオリオン座がかかる。
今夜も、シリウスは輝いている。
僕が生まれるずっと前から、
僕が死んだ後の永遠の時間まで。
気温、摂氏16度。
昨夜の強い雨が、空中の塵埃を
すべて地上に落としたようだ。
コバルト色の空は、
どこかに
透明な哀しみを隠しているかのように澄んでいる。
色づきはじめた銀杏の葉が風に揺れ、
音もなく舞うように落ちる。
まるで僕らの人生のように。
ふと生きていることがつらくなる。
こんな日もある。
たまたま生まれて、ドタバタ生きて、
失われてゆくだけ。
そろそろ芝居を創るかなぁ・・・
昨夜の強い雨が、空中の塵埃を
すべて地上に落としたようだ。
コバルト色の空は、
どこかに
透明な哀しみを隠しているかのように澄んでいる。
色づきはじめた銀杏の葉が風に揺れ、
音もなく舞うように落ちる。
まるで僕らの人生のように。
ふと生きていることがつらくなる。
こんな日もある。
たまたま生まれて、ドタバタ生きて、
失われてゆくだけ。
そろそろ芝居を創るかなぁ・・・
それほど興味があるわけでないだろうから、
おそらく気を遣って話題を振ってくれたのだろうが、
東京在住の若い友人から、
「決戦の舞台は福岡!」という件名のメールが届いた。
いや、確かに。
もっとも、リーグ優勝も、クライマックス勝利も、
ヤフオクドームでの胴上げはなかったし、
日本シリーズの優勝くらいは、本拠地だろうという
身びいきの憶測で、
日本シリーズの優勝は「ソフトバンク」に決まりです、
とメールしたものの、
勝負事はやってみないとわからないですね。
投手力並びに攻撃力、守備力の技術的な違い、
総合的な戦力の差はあるにしても、
なにしろ、今のDeNAには勢いがあるからね。
ほら、けっこう「勢い」って
こと勝負では大事なエレメントですもん。
でも、まあ、どこかに野球の神様がいるんなら、
順当にホークスに優勝をもたらすはずと思う。
いや、そういう話ではなかった。
届いたメールに、
むかし一度だけ、広島対ヤクルト戦で、
神宮球場に行ったことがあると書いてあったので、
その返信メールに、薄暮ナイターの記憶を書いた。
薄暮ナイターといっても、たぶん今の人は知らないだろう。
夕方の4時くらいから試合が始まって、
たいていの場合「ダブルヘッダー」といって2試合あることがあった。
たぶん、20世紀の終わりくらいまではあったんじゃないだろうか。
あれはなかなか良いものだった。
空が夕闇に包まれていって、2試合目くらいの一定の時間が来ると、
パアーッとカクテル光線(球場の照明のことです)が点灯される。
Tシャツのなかった時代、
多くの大人は揚柳シボの入った生地の下着のシャツだけになって、
ビールを片手に、ヤジを飛ばしながら観戦する。
夜間の外出という非日常の中に投げ込まれた
子供は大人の横で落ち着きなくお尻をムズムズさせながら、
それでも、一人前になったような気分で観戦し、
飽きたら野球そっちのけで通路を走り回る。
のどかな、そして豊かな時代。
そんなことを書いて送信した後、少しヤレヤレの気分になった。
どう考えても、これはフェアではないような気がしたのです。
先日も同じようなことがあったのだ。
ジェームズ・アイボリーの『日の名残り』。
いうまでもなくノーベル賞作家K・イシグロの名作です。
その演技を賞賛したメールがその友人から来て、
僕は返信に、監督の名前をリチャード・アッテンボローと間違え、
おまけに主役のアンソニー・ホプキンスを
アンソニー・パーキンスと間違えた。でへへ。
僕にはよくあることで、なんという失態! とは思わないんです。
問題はその先にある。
僕は、ついでに、
アンソニー・パーキンスが出ている映画の話をしたわけだ。
『さよならをもう一度』(Goodby Again)ね。
もちろん、ブラームスの3番がいかに効果的に使われたかを
得々とメールに書いてしまって、これがね、ヤレヤレなんです。
その友人は僕よりずいぶん若く、
もしかしたら、その映画を観たことがないかもしれない。
僕が観たのはずいぶん前だけど、
それでも、それは僕が彼よりも長く生きてきたからであって、
それをいかにも知ったかぶりに書いたような気がしたのだ。
ね、ヤレヤレでしょ?
これはファアじゃない。
そういう話はしてはいけないような気がするのです。
僕は教師ではないけれど、
こういうのを思い上がった教師面と言うんだな。
すぐに人生論をぶつ人気のない数学教師みたいな。
年齢の差というものはある。でも、
たとえば52才といってもいろいろな52才がある。
25才のような52才もいるし、62才のような52才もいるだろう。
25才といってもいろいろな25才があるようにだ。
だからそういう数字的な年齢よりも、
年齢を超えて分かり合える縦糸のようなものを
大事にしていくべきだろうと思う。
「同じ時代」を生きる者として。
アンソニー、といえば、
アンソニー・クイーンという俳優がいた。
まあ、『道』が有名ですが。
彼の『その男ゾルバ』は・・・、と轍を踏みそうになる。
だから、シメは、
今日の、ソフトバンクの勝利ということで(笑)
おそらく気を遣って話題を振ってくれたのだろうが、
東京在住の若い友人から、
「決戦の舞台は福岡!」という件名のメールが届いた。
いや、確かに。
もっとも、リーグ優勝も、クライマックス勝利も、
ヤフオクドームでの胴上げはなかったし、
日本シリーズの優勝くらいは、本拠地だろうという
身びいきの憶測で、
日本シリーズの優勝は「ソフトバンク」に決まりです、
とメールしたものの、
勝負事はやってみないとわからないですね。
投手力並びに攻撃力、守備力の技術的な違い、
総合的な戦力の差はあるにしても、
なにしろ、今のDeNAには勢いがあるからね。
ほら、けっこう「勢い」って
こと勝負では大事なエレメントですもん。
でも、まあ、どこかに野球の神様がいるんなら、
順当にホークスに優勝をもたらすはずと思う。
いや、そういう話ではなかった。
届いたメールに、
むかし一度だけ、広島対ヤクルト戦で、
神宮球場に行ったことがあると書いてあったので、
その返信メールに、薄暮ナイターの記憶を書いた。
薄暮ナイターといっても、たぶん今の人は知らないだろう。
夕方の4時くらいから試合が始まって、
たいていの場合「ダブルヘッダー」といって2試合あることがあった。
たぶん、20世紀の終わりくらいまではあったんじゃないだろうか。
あれはなかなか良いものだった。
空が夕闇に包まれていって、2試合目くらいの一定の時間が来ると、
パアーッとカクテル光線(球場の照明のことです)が点灯される。
Tシャツのなかった時代、
多くの大人は揚柳シボの入った生地の下着のシャツだけになって、
ビールを片手に、ヤジを飛ばしながら観戦する。
夜間の外出という非日常の中に投げ込まれた
子供は大人の横で落ち着きなくお尻をムズムズさせながら、
それでも、一人前になったような気分で観戦し、
飽きたら野球そっちのけで通路を走り回る。
のどかな、そして豊かな時代。
そんなことを書いて送信した後、少しヤレヤレの気分になった。
どう考えても、これはフェアではないような気がしたのです。
先日も同じようなことがあったのだ。
ジェームズ・アイボリーの『日の名残り』。
いうまでもなくノーベル賞作家K・イシグロの名作です。
その演技を賞賛したメールがその友人から来て、
僕は返信に、監督の名前をリチャード・アッテンボローと間違え、
おまけに主役のアンソニー・ホプキンスを
アンソニー・パーキンスと間違えた。でへへ。
僕にはよくあることで、なんという失態! とは思わないんです。
問題はその先にある。
僕は、ついでに、
アンソニー・パーキンスが出ている映画の話をしたわけだ。
『さよならをもう一度』(Goodby Again)ね。
もちろん、ブラームスの3番がいかに効果的に使われたかを
得々とメールに書いてしまって、これがね、ヤレヤレなんです。
その友人は僕よりずいぶん若く、
もしかしたら、その映画を観たことがないかもしれない。
僕が観たのはずいぶん前だけど、
それでも、それは僕が彼よりも長く生きてきたからであって、
それをいかにも知ったかぶりに書いたような気がしたのだ。
ね、ヤレヤレでしょ?
これはファアじゃない。
そういう話はしてはいけないような気がするのです。
僕は教師ではないけれど、
こういうのを思い上がった教師面と言うんだな。
すぐに人生論をぶつ人気のない数学教師みたいな。
年齢の差というものはある。でも、
たとえば52才といってもいろいろな52才がある。
25才のような52才もいるし、62才のような52才もいるだろう。
25才といってもいろいろな25才があるようにだ。
だからそういう数字的な年齢よりも、
年齢を超えて分かり合える縦糸のようなものを
大事にしていくべきだろうと思う。
「同じ時代」を生きる者として。
アンソニー、といえば、
アンソニー・クイーンという俳優がいた。
まあ、『道』が有名ですが。
彼の『その男ゾルバ』は・・・、と轍を踏みそうになる。
だから、シメは、
今日の、ソフトバンクの勝利ということで(笑)
今日、関東では木枯らしが吹いたらしい。
2週連続の台風は、一気に秋を連れてきたようだ。
木枯らしって、初冬ですかね?
台風は、ここ福岡では幸いなことに
二度とも直撃はなかったけれど、
いわゆる「吹き返し」というのかなぁ、
遙か南の海上を過ぎていった後に、
北西の風が吹き荒れた。
電線がヒューヒューと鳴り、
木々はザワザワと大きく揺れる。
夜の風は嫌だなぁ、本当に。
雨ならば、夜の雨、海に降る雨、等々
心が安まるんだけれど。
夜に風が吹くと、
どこから吹いてきて、どこへ行くんだろうと思う。
ちょうど、僕らのささやかな生がそうであるように。
「エリナー・リグビー」ですよね。
All the lonely people Where do they all come from?
All the lonely people Where do they all belong?
2週連続の台風は、一気に秋を連れてきたようだ。
木枯らしって、初冬ですかね?
台風は、ここ福岡では幸いなことに
二度とも直撃はなかったけれど、
いわゆる「吹き返し」というのかなぁ、
遙か南の海上を過ぎていった後に、
北西の風が吹き荒れた。
電線がヒューヒューと鳴り、
木々はザワザワと大きく揺れる。
夜の風は嫌だなぁ、本当に。
雨ならば、夜の雨、海に降る雨、等々
心が安まるんだけれど。
夜に風が吹くと、
どこから吹いてきて、どこへ行くんだろうと思う。
ちょうど、僕らのささやかな生がそうであるように。
「エリナー・リグビー」ですよね。
All the lonely people Where do they all come from?
All the lonely people Where do they all belong?
10月も終わる頃、季節外れの台風でした。
被害に見舞われた地域は大変だったろう。
自然は人間が制御しきれるものではない。
むしろ、自然とどのように共生するかを
時間をかけて考えていかなければならないのだろう。
たとえば、川の氾濫を制御するために、
護岸整備をするというようなお役所的対処療法でなく、
自然のシステムの研究をはじめとする、
人間優先の社会システム、それ自体を
根本的なところから考えるということだ。
福岡は、雨はほとんどなく風ばかりだった。
風はドドドドッと音を立てて、吹き荒ぶ。
ベランダに立つと、
周りの木々が風で大きく揺れている。
建物の壁面に狂った怪物のような影が
街灯の光で大きく作られる。
『ベストセラー(邦題)』という映画の中で、
編集者マックス・パーキンズが、
フランスから帰国したトマス・ウルフに対して
エドワード・ホッパーのタブローみたいな
ニューヨークの街を見下ろしながら、次のようなことを言う。
“先史時代、私達の祖先が身を寄せ合って、火を囲んでいる。
狼の遠吠えが闇に響く、そして誰かが話し始めた。ひとつの物語を。
皆が闇を恐れぬように。”
トマス・ウルフは何も言わずに、
放蕩息子が父親に許しを請うように、
パーキンズの肩に顔を預ける。
この場面の風景は素敵だったし、なかなかいいシーンです。
ノーベル賞を受賞したカズオ・イシグロの作品も、
たぶん、そういうふうに読まれるんじゃないかなぁ。
物語にもし効用があるとすれば、
この言葉に尽きるような気がする。
焚き火の傍らで身を寄せ合いながら、
今日のような長く暗い嵐の夜を過ごす時、
彼らの魂を慰めるものは物語だったはずだ。
木の根っこを囓ったり、
痩せた野鼠の肉を分け合って生きていても、
物語があれば、
明日を生きていけると感じたのではないだろうか。
パーキンズと半ば喧嘩別れした
トマス・ウルフは、37才という年齢で亡くなるけれど、
その死の床で、パーキンズに書き残した手紙がある。
映画の中でも、最後のシーンで引用されます。
“何が起こっても、そして過去に何があったにしても、
いつもあなたのことを考え、あなたに対して
3年前の7月4日と同じ感情を抱いています。
あなたがわたしを船まで出迎えてくれ、
二人で高いビルの屋上にのぼり、
人生と都会の異様さ、栄光、力が
眼下に広がっているのを見たあの日と同じ気持ちなのです。”
人生というのは、かくも哀しく、そして豊かです。
被害に見舞われた地域は大変だったろう。
自然は人間が制御しきれるものではない。
むしろ、自然とどのように共生するかを
時間をかけて考えていかなければならないのだろう。
たとえば、川の氾濫を制御するために、
護岸整備をするというようなお役所的対処療法でなく、
自然のシステムの研究をはじめとする、
人間優先の社会システム、それ自体を
根本的なところから考えるということだ。
福岡は、雨はほとんどなく風ばかりだった。
風はドドドドッと音を立てて、吹き荒ぶ。
ベランダに立つと、
周りの木々が風で大きく揺れている。
建物の壁面に狂った怪物のような影が
街灯の光で大きく作られる。
『ベストセラー(邦題)』という映画の中で、
編集者マックス・パーキンズが、
フランスから帰国したトマス・ウルフに対して
エドワード・ホッパーのタブローみたいな
ニューヨークの街を見下ろしながら、次のようなことを言う。
“先史時代、私達の祖先が身を寄せ合って、火を囲んでいる。
狼の遠吠えが闇に響く、そして誰かが話し始めた。ひとつの物語を。
皆が闇を恐れぬように。”
トマス・ウルフは何も言わずに、
放蕩息子が父親に許しを請うように、
パーキンズの肩に顔を預ける。
この場面の風景は素敵だったし、なかなかいいシーンです。
ノーベル賞を受賞したカズオ・イシグロの作品も、
たぶん、そういうふうに読まれるんじゃないかなぁ。
物語にもし効用があるとすれば、
この言葉に尽きるような気がする。
焚き火の傍らで身を寄せ合いながら、
今日のような長く暗い嵐の夜を過ごす時、
彼らの魂を慰めるものは物語だったはずだ。
木の根っこを囓ったり、
痩せた野鼠の肉を分け合って生きていても、
物語があれば、
明日を生きていけると感じたのではないだろうか。
パーキンズと半ば喧嘩別れした
トマス・ウルフは、37才という年齢で亡くなるけれど、
その死の床で、パーキンズに書き残した手紙がある。
映画の中でも、最後のシーンで引用されます。
“何が起こっても、そして過去に何があったにしても、
いつもあなたのことを考え、あなたに対して
3年前の7月4日と同じ感情を抱いています。
あなたがわたしを船まで出迎えてくれ、
二人で高いビルの屋上にのぼり、
人生と都会の異様さ、栄光、力が
眼下に広がっているのを見たあの日と同じ気持ちなのです。”
人生というのは、かくも哀しく、そして豊かです。
昨日、今日と、雨が降り続けた。
街路樹も濡れ、巷の家々も濡れ、
走る車も、街行く人も、濡れている。
雨は、まだ止みそうにない。
こんな日は、懐かしい恋人と逢いたくなる。
夕方には、垂れ込めた空の下を
烏が一羽、また一羽と西から東へと帰っていた。
激しい雨に打たれて、一瞬、下方に落ちるんだけど、
持ち直して再び彼の決めた高さを飛んでいく。
そう飛ぶしかないのだろう。
風の強い日も、同じだ。
押し戻されようとも怯まずに、
前に向かって飛んでいく。
定められた運命のように。
ヤレヤレ、生きていくというのは、大変だよなぁ。
きっと、
僕らの人生だって、似たようなものなのだろう。
でも、ふと思ったんだけど、
僕らは後ろを向きながら前に飛ぶことが出来るのですな。
昨今の政治状況(総選挙も含めて)を鑑みて、
そのことの重要さに思いを馳せる。
いつか来た道を未来に見つけることが出来そうだ。
街路樹も濡れ、巷の家々も濡れ、
走る車も、街行く人も、濡れている。
雨は、まだ止みそうにない。
こんな日は、懐かしい恋人と逢いたくなる。
夕方には、垂れ込めた空の下を
烏が一羽、また一羽と西から東へと帰っていた。
激しい雨に打たれて、一瞬、下方に落ちるんだけど、
持ち直して再び彼の決めた高さを飛んでいく。
そう飛ぶしかないのだろう。
風の強い日も、同じだ。
押し戻されようとも怯まずに、
前に向かって飛んでいく。
定められた運命のように。
ヤレヤレ、生きていくというのは、大変だよなぁ。
きっと、
僕らの人生だって、似たようなものなのだろう。
でも、ふと思ったんだけど、
僕らは後ろを向きながら前に飛ぶことが出来るのですな。
昨今の政治状況(総選挙も含めて)を鑑みて、
そのことの重要さに思いを馳せる。
いつか来た道を未来に見つけることが出来そうだ。
先週の金曜日、久しぶりの観劇。
演出家も旧知の人で、出演者にも知り合いがいた。
出演者八人の内、三人は一緒に芝居を創った人だった。
作品はガルシーア・ロルカの『ベルナルダ・アルバの家』です。
岩波文庫では、牛島信明さんの訳で、
「三大悲劇集」と銘打ってある中のひとつ。
若い頃、読んでいて、そのときに、
こういう作品は苦手だなぁと思っていました。
その後は、映画で。マリオ・カムス監督の作品。
そのときも、重たくて辛かった記憶がある。
確かに、アンダルシアの小さな村を舞台に、
家の権威を守ろうとした母が生み出した悲劇なんだけど、
なんだか、悲劇とは思えなくなりました。
妙に可笑しく、もの悲しい人間の姿とでも言えばいいかな。
演出のスタンスのせいかもしれないけれど、
ある種の猥雑感があり、それって、
喜劇とまでは言わないけれど、
単純に悲劇とは言えないような気がするのです。
年齢のせいなのかしらん。
来週は、火曜日に
National Theatre Liveの“As You Like It”を観に行く。
愉しい作品ではあるんだけれど、200分の作品。
いつものように20分程度のIntermissionはあるだろうが、
仕事帰りの身体にはちょっと辛いかもしれないなぁ。
寝ないようにしよう(笑)
演出家も旧知の人で、出演者にも知り合いがいた。
出演者八人の内、三人は一緒に芝居を創った人だった。
作品はガルシーア・ロルカの『ベルナルダ・アルバの家』です。
岩波文庫では、牛島信明さんの訳で、
「三大悲劇集」と銘打ってある中のひとつ。
若い頃、読んでいて、そのときに、
こういう作品は苦手だなぁと思っていました。
その後は、映画で。マリオ・カムス監督の作品。
そのときも、重たくて辛かった記憶がある。
確かに、アンダルシアの小さな村を舞台に、
家の権威を守ろうとした母が生み出した悲劇なんだけど、
なんだか、悲劇とは思えなくなりました。
妙に可笑しく、もの悲しい人間の姿とでも言えばいいかな。
演出のスタンスのせいかもしれないけれど、
ある種の猥雑感があり、それって、
喜劇とまでは言わないけれど、
単純に悲劇とは言えないような気がするのです。
年齢のせいなのかしらん。
来週は、火曜日に
National Theatre Liveの“As You Like It”を観に行く。
愉しい作品ではあるんだけれど、200分の作品。
いつものように20分程度のIntermissionはあるだろうが、
仕事帰りの身体にはちょっと辛いかもしれないなぁ。
寝ないようにしよう(笑)
四人の中では、森川がいちばん年下だった。
20代前半の男同士ではたとえ一年であっても、
学年の違いは絶対的なものだ。
だから、みんなから弟のように扱われていた。
それが森川の立ち位置だった。
そのせいでもないだろうが、
森川は面子が足りない時に駆り出されることが多かった。
それは絶対に断ることはなかったように思う。
じゃ、そのとき以外は、何をしていたかというと、
今になってみると、よくそんなことが出来たと思うけれど、
レコードを鳴らしながら、たいていは本を読んでいた。
六月頃だったか、彼が教育実習に行くことになった。
神奈川のある県立工業高校である。
そのときの詳しい話は知らない。
でも、いくぶんかは僕らにも責任があると思うのだけれど、
彼は2週目の月曜日に大遅刻をやらかしたのである。
いやね、日曜日の夕方から始まった勝負が
月曜日の未明まで続いたのです。
すでに勤め人だった一番上の村山は寝たら起きられないと、
始発の電車に乗ったと記憶している。
森川はどうしたか。もちろん寝たのである。
起きたのは午後3時の、すでに陽射しが窓から斜めに差し込む時刻。
実習校に電話を入れたら、
遅くなってもいいから顔を出せと言うことで、
すごすごと駅に向かっていく。
残った僕と野田は、にやにやしながら眺めていた。
たぶん、僕らが求めていたのは時間と自由だったのだ。
それらは、ある程度お金で買えるものだが、
そういう姿勢はたぶん経済の問題とは別の次元のことだ。
もうひとつ、エピソードがある。
森川には付き合っていた女の子がいた。
ミッション系の女子大学に通う女の子だった。
たぶん、実習で遅刻した年の年末のことだ。
彼女から、大学主催の「メサイア」のコンサートに誘われたんですね。
それが土曜日の夜。
僕らは金曜日からほとんど徹夜で。
森川は合唱が会場を満たす中、高々と鼾をかいてしまった。
彼女とはクリスマス、つまりその夜以降、
二度と逢うことはなかったようだ。
それでも、森川はそのことについては、一言も言わず、
今まで通りに家の管理をし、麻雀の面子が足りない時には、
断ることなく付き合っていた。僕らは、
彼が口に出さないことで痛みに耐えていると感じていた。
痛々しいほど僕らも若かったよね。
でも、なにも言わなかった。
その半年後、僕らの生活は終止符を打った。
村山は、会社で主任になたっ途端に忙しくなったとぼやき、
野田は、千葉の会社に就職した。
僕は、編集プロダクションに勤めはじめ、
森川は、奈良で中学校の教師になった。
最後の夜。ほとんど整理のついた部屋の窓を明けて、
四人で月を眺めながら、ゴールド・ブレンドを飲んでいた。
♪ダバダァ〜違いのわかる男・・・というCMがありましたね。
そんな台詞がまったく似合わない野田が、
「なあ、60になったら、みんなで集まって麻雀せんか?」と言った。
森川がすかさず「あい、いいですね」と応えた。
僕は軽く「うん」といい、村山は黙って月を眺めていた。
そうして、僕らはそれぞれの道を歩き始めた。
特別な話ではない。よくある話かもしれない。
たぶん、あのときが、
僕らの人生の中でカチャリと歯車が回った時だったんだろう、
今になって、そう思える。
そして、僕ら三人が再会するのは、30年後の奈良である。
膵臓ガンで死んだ森川の一周忌だった。
初めて会う森川の奥さんから、
「みなさんのことは何度も聞いています」と言われた。
案内されて彼の部屋に入り、
若い頃の面影を残した森川の遺影を眺めながら、
村山が「森川ぁ、なんかぁ、おまえ、はよ〜死んでから」と言い、
僕と野田は言葉を失っていた。
20代前半の男同士ではたとえ一年であっても、
学年の違いは絶対的なものだ。
だから、みんなから弟のように扱われていた。
それが森川の立ち位置だった。
そのせいでもないだろうが、
森川は面子が足りない時に駆り出されることが多かった。
それは絶対に断ることはなかったように思う。
じゃ、そのとき以外は、何をしていたかというと、
今になってみると、よくそんなことが出来たと思うけれど、
レコードを鳴らしながら、たいていは本を読んでいた。
六月頃だったか、彼が教育実習に行くことになった。
神奈川のある県立工業高校である。
そのときの詳しい話は知らない。
でも、いくぶんかは僕らにも責任があると思うのだけれど、
彼は2週目の月曜日に大遅刻をやらかしたのである。
いやね、日曜日の夕方から始まった勝負が
月曜日の未明まで続いたのです。
すでに勤め人だった一番上の村山は寝たら起きられないと、
始発の電車に乗ったと記憶している。
森川はどうしたか。もちろん寝たのである。
起きたのは午後3時の、すでに陽射しが窓から斜めに差し込む時刻。
実習校に電話を入れたら、
遅くなってもいいから顔を出せと言うことで、
すごすごと駅に向かっていく。
残った僕と野田は、にやにやしながら眺めていた。
たぶん、僕らが求めていたのは時間と自由だったのだ。
それらは、ある程度お金で買えるものだが、
そういう姿勢はたぶん経済の問題とは別の次元のことだ。
もうひとつ、エピソードがある。
森川には付き合っていた女の子がいた。
ミッション系の女子大学に通う女の子だった。
たぶん、実習で遅刻した年の年末のことだ。
彼女から、大学主催の「メサイア」のコンサートに誘われたんですね。
それが土曜日の夜。
僕らは金曜日からほとんど徹夜で。
森川は合唱が会場を満たす中、高々と鼾をかいてしまった。
彼女とはクリスマス、つまりその夜以降、
二度と逢うことはなかったようだ。
それでも、森川はそのことについては、一言も言わず、
今まで通りに家の管理をし、麻雀の面子が足りない時には、
断ることなく付き合っていた。僕らは、
彼が口に出さないことで痛みに耐えていると感じていた。
痛々しいほど僕らも若かったよね。
でも、なにも言わなかった。
その半年後、僕らの生活は終止符を打った。
村山は、会社で主任になたっ途端に忙しくなったとぼやき、
野田は、千葉の会社に就職した。
僕は、編集プロダクションに勤めはじめ、
森川は、奈良で中学校の教師になった。
最後の夜。ほとんど整理のついた部屋の窓を明けて、
四人で月を眺めながら、ゴールド・ブレンドを飲んでいた。
♪ダバダァ〜違いのわかる男・・・というCMがありましたね。
そんな台詞がまったく似合わない野田が、
「なあ、60になったら、みんなで集まって麻雀せんか?」と言った。
森川がすかさず「あい、いいですね」と応えた。
僕は軽く「うん」といい、村山は黙って月を眺めていた。
そうして、僕らはそれぞれの道を歩き始めた。
特別な話ではない。よくある話かもしれない。
たぶん、あのときが、
僕らの人生の中でカチャリと歯車が回った時だったんだろう、
今になって、そう思える。
そして、僕ら三人が再会するのは、30年後の奈良である。
膵臓ガンで死んだ森川の一周忌だった。
初めて会う森川の奥さんから、
「みなさんのことは何度も聞いています」と言われた。
案内されて彼の部屋に入り、
若い頃の面影を残した森川の遺影を眺めながら、
村山が「森川ぁ、なんかぁ、おまえ、はよ〜死んでから」と言い、
僕と野田は言葉を失っていた。
どのような国の歴史にも、
あるいはどのような人の歴史にも、
いくつかの分水嶺があると村上春樹は言っている。
たとえば、アメリカにとっての『1929年』
ユリウス・カエサルにとっての『ルビコン河』
アドルフ・ヒットラーにとっての『スターリングラード』
バイロン卿にとっての『チャイルド・ハロルドの巡礼』
ビートルズにとっての『サージャント・ペパー』
しかし、残念なことだが、それがいつかはわからない。
多くの場合、それを感知することはできないのだ。
その真の意味は、まるで長期手形の決済のように、
後日、静かにやってくる。
しかるべき歳月を隔てて、改めて知ることになるのだ。
大学時代の終わり頃、
府中競馬場近くの一軒家を借りていた。
僕はそのころは、適当にアルバイトをして、
かといって将来のことで漠然と不安を感じることもなく、
なんとかなるだろうというお気楽な生活に浸っていた。
年齢を重ねるにつれて、
時間はどんどん過ぎ去る速度を上げていくものだ。
だから、あの頃、時間は止まっていたような気がする。
家賃は友達四人で出し合っていた。
金曜日の夕方から人が集まり、未明まで麻雀大会。
アルコールはほとんどなかったが、
部屋がかすむほどにタバコの煙が充満していた。
明けて、土曜日の午前中の光の中を、
みんなで汚れたスニーカーやつっかけを履いて、
総菜パンと牛乳を片手に府中競馬場に行った。
パドックを見て、馬券を買って、一日過ごす。
そして、帰ってから、
再び牌を振る・・・信じられないような生活でしたね。
そこでは、人が人を呼び、
ずいぶんと大勢の人間が集まってきた。
その中には、後に服役した人間もいたし、
現在、日本を代表する企業の重役になった人間もいる。
多彩な人間が集まってきたけれど、
女の子は入れないことが不文律だった。
ごく自然に、そういうものだと誰もが感じていた節がある。
みんなほとんどバカで、いい加減で、
どうしようもなかったけれど、
人のあら探しみたいなことはしなかったように思う。
家賃を出し合っていた四人の中のひとりが森川だった。
To be continued
あるいはどのような人の歴史にも、
いくつかの分水嶺があると村上春樹は言っている。
たとえば、アメリカにとっての『1929年』
ユリウス・カエサルにとっての『ルビコン河』
アドルフ・ヒットラーにとっての『スターリングラード』
バイロン卿にとっての『チャイルド・ハロルドの巡礼』
ビートルズにとっての『サージャント・ペパー』
しかし、残念なことだが、それがいつかはわからない。
多くの場合、それを感知することはできないのだ。
その真の意味は、まるで長期手形の決済のように、
後日、静かにやってくる。
しかるべき歳月を隔てて、改めて知ることになるのだ。
大学時代の終わり頃、
府中競馬場近くの一軒家を借りていた。
僕はそのころは、適当にアルバイトをして、
かといって将来のことで漠然と不安を感じることもなく、
なんとかなるだろうというお気楽な生活に浸っていた。
年齢を重ねるにつれて、
時間はどんどん過ぎ去る速度を上げていくものだ。
だから、あの頃、時間は止まっていたような気がする。
家賃は友達四人で出し合っていた。
金曜日の夕方から人が集まり、未明まで麻雀大会。
アルコールはほとんどなかったが、
部屋がかすむほどにタバコの煙が充満していた。
明けて、土曜日の午前中の光の中を、
みんなで汚れたスニーカーやつっかけを履いて、
総菜パンと牛乳を片手に府中競馬場に行った。
パドックを見て、馬券を買って、一日過ごす。
そして、帰ってから、
再び牌を振る・・・信じられないような生活でしたね。
そこでは、人が人を呼び、
ずいぶんと大勢の人間が集まってきた。
その中には、後に服役した人間もいたし、
現在、日本を代表する企業の重役になった人間もいる。
多彩な人間が集まってきたけれど、
女の子は入れないことが不文律だった。
ごく自然に、そういうものだと誰もが感じていた節がある。
みんなほとんどバカで、いい加減で、
どうしようもなかったけれど、
人のあら探しみたいなことはしなかったように思う。
家賃を出し合っていた四人の中のひとりが森川だった。
To be continued
さっきテレビで、速報テロップが出た。
やっとというか、ついにというか、
カズオ・イシグロがノーベル賞を受賞した。
彼の“Never Let Me Go”はすばらしい小説だった。
映画はつまんなかったなぁ
はじめて読んだ時、胸に迫って泣きそうになった。
映画もよかったのは、
“The Remains of the Day”でしたね。
すばらしい小説というのは、
まず第一にストラクチャーが優れているものだ。
もちろん、コンテンツが優れているのは
いうまでもないですが・・・。
あとは、ミラン・クンデラですね。
やっとというか、ついにというか、
カズオ・イシグロがノーベル賞を受賞した。
彼の“Never Let Me Go”はすばらしい小説だった。
映画はつまんなかったなぁ
はじめて読んだ時、胸に迫って泣きそうになった。
映画もよかったのは、
“The Remains of the Day”でしたね。
すばらしい小説というのは、
まず第一にストラクチャーが優れているものだ。
もちろん、コンテンツが優れているのは
いうまでもないですが・・・。
あとは、ミラン・クンデラですね。
今日は、ブラームスの室内楽みたいに、
空が澄み渡る美しい秋の一日だった。
月末の墓参りをしてきた。
父親が亡くなったは、
24年前の冷たい夏の終わり。
そのとき以来、「月命日参り」を続けてきた。
欠かしたことはないので、300回近くの回数になる。
可愛がっていた八才の孫娘も母になった。
スペインで生まれた詩人の書いた一節を思い出す。
鳥は啼き、歌は残るだろう。
時は流れ、人は去るだろう。
僕の短気症は、父親譲りである。
今ではほとんど見かけなくなったけれど、
紙マッチみたいにすぐに火が付く男だった。
だけど、大声で語ることはなかった。
だから、
往々にして大声で攻撃的に語られる言葉には
負けることがあったと思う。
でも、中にはちゃんと注意深く
耳を傾けてくれる人がいたはずだ。
そういう人が必ずいると、僕は今でも信じている。
さて、
Wake me up when September ends
明日から、たそがれの十月。
武満 徹の唄を歌おうか。
♪昨日の哀しみ、今日の涙
明日は晴れかな曇りかな♪
空が澄み渡る美しい秋の一日だった。
月末の墓参りをしてきた。
父親が亡くなったは、
24年前の冷たい夏の終わり。
そのとき以来、「月命日参り」を続けてきた。
欠かしたことはないので、300回近くの回数になる。
可愛がっていた八才の孫娘も母になった。
スペインで生まれた詩人の書いた一節を思い出す。
鳥は啼き、歌は残るだろう。
時は流れ、人は去るだろう。
僕の短気症は、父親譲りである。
今ではほとんど見かけなくなったけれど、
紙マッチみたいにすぐに火が付く男だった。
だけど、大声で語ることはなかった。
だから、
往々にして大声で攻撃的に語られる言葉には
負けることがあったと思う。
でも、中にはちゃんと注意深く
耳を傾けてくれる人がいたはずだ。
そういう人が必ずいると、僕は今でも信じている。
さて、
Wake me up when September ends
明日から、たそがれの十月。
武満 徹の唄を歌おうか。
♪昨日の哀しみ、今日の涙
明日は晴れかな曇りかな♪
124便で菅原克己の作品を引用したら、
さっそく、香しい金木犀ような便りが来た。
彼が住んでいるところは、今夜は雨のようです。
福岡も夜の雨。
菅原克己・・・知らなかったけど、いい詩ですね、
とのことだったので、ちょっと嬉しくなって、
もうひとつね。
ただし、これは歌詞です。
Green Dayというパンク・バンドの詞。
傑作アルバム“AMERICAN IDIOT”から。
“Wake me up when September ends”
Here comes the rain again(また雨が降ってきた)
Falling from the stars(星夜から降りそそぐ雨)
Drenched in my pain again(繰り返す心の痛みに涙で濡れる)
Becoming who we are(そうして人は生きていく)
As my memory rests(多くを思い出さなくなっても)
But never forgets what I lost(失ったものを忘れることは決してない)
Wake me up when September ends(9月が終わったら起こしてほしい)
Summer has come and passed(夏が訪れ 過ぎ去っていく)
The innocent can never last(無邪気なまま いられるわけがない)
Wake me up when September ends(9月が終わったら起こしてほしい)
Translated by Yasunosukey
なんかね、こんな夜にぴったりです。
でも、歌はやっぱり、音で聴かないとね
さっそく、香しい金木犀ような便りが来た。
彼が住んでいるところは、今夜は雨のようです。
福岡も夜の雨。
菅原克己・・・知らなかったけど、いい詩ですね、
とのことだったので、ちょっと嬉しくなって、
もうひとつね。
ただし、これは歌詞です。
Green Dayというパンク・バンドの詞。
傑作アルバム“AMERICAN IDIOT”から。
“Wake me up when September ends”
Here comes the rain again(また雨が降ってきた)
Falling from the stars(星夜から降りそそぐ雨)
Drenched in my pain again(繰り返す心の痛みに涙で濡れる)
Becoming who we are(そうして人は生きていく)
As my memory rests(多くを思い出さなくなっても)
But never forgets what I lost(失ったものを忘れることは決してない)
Wake me up when September ends(9月が終わったら起こしてほしい)
Summer has come and passed(夏が訪れ 過ぎ去っていく)
The innocent can never last(無邪気なまま いられるわけがない)
Wake me up when September ends(9月が終わったら起こしてほしい)
Translated by Yasunosukey
なんかね、こんな夜にぴったりです。
でも、歌はやっぱり、音で聴かないとね
昨日、本を読む時間がないと書いた。
思うんだけど、時間がないと嘆くよりは、
別のことを考えた方がいいですよね。
それで、詩集をひもときました。
菅原克己の詩集。
ガールフレンドのひとりで、
詩の好きな子がいるんだけど、彼女知っているかなぁ。
戦前は投獄もされた
共産党系のすごくマーナーな詩人です。
たとえば、こういう詩。
『涙』という詩です。
どうしてよいかわからないとき、
涙はうぶ毛の頬を伝わった。
十七才の娘にはわからないことが多すぎて、
なぜ、素直なことが素直にゆかないか、
正直に言ったことがいろんな問題をひきおこすか、
それを抗議するように
涙はひとりでに流れた。
苦しいことを苦しいと
口に出して言えない言葉は
すぐに涙となってながれた。
(中略)
ああ、大人になりかけて
いろんな世の中の出来ごとが一時にあふれ、
やわらかい芽が雨にぬれるように
涙はあなたの蒼みがかった瞳を濡らす。
『ブラザー軒』は高田渡が曲をつけている。
東一番丁、
ブラザー軒。
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん氷を噛む音。
死んだおやじが入ってくる。
死んだ妹をつれて
氷水をたべに、
ぼくのわきへ。
色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら
細い脛だして
椅子にずり上がる。
外は濃藍色のたなばたの夜。
肥ったおやじは
小さい妹をながめ、
満足げに氷を噛み、
ひげを拭く。
妹は匙ですくう
白い氷のかけら。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
おやじはひげを拭く。
妹は氷をこぼす。
簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん氷を噛む音。
死者ふたり、
つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹が先に立ち、
おやじはゆったりと。
東一番丁、
ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の向うの闇に。
この年になると
こういう哀しみはいたく響くんだなぁ。
思うんだけど、時間がないと嘆くよりは、
別のことを考えた方がいいですよね。
それで、詩集をひもときました。
菅原克己の詩集。
ガールフレンドのひとりで、
詩の好きな子がいるんだけど、彼女知っているかなぁ。
戦前は投獄もされた
共産党系のすごくマーナーな詩人です。
たとえば、こういう詩。
『涙』という詩です。
どうしてよいかわからないとき、
涙はうぶ毛の頬を伝わった。
十七才の娘にはわからないことが多すぎて、
なぜ、素直なことが素直にゆかないか、
正直に言ったことがいろんな問題をひきおこすか、
それを抗議するように
涙はひとりでに流れた。
苦しいことを苦しいと
口に出して言えない言葉は
すぐに涙となってながれた。
(中略)
ああ、大人になりかけて
いろんな世の中の出来ごとが一時にあふれ、
やわらかい芽が雨にぬれるように
涙はあなたの蒼みがかった瞳を濡らす。
『ブラザー軒』は高田渡が曲をつけている。
東一番丁、
ブラザー軒。
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん氷を噛む音。
死んだおやじが入ってくる。
死んだ妹をつれて
氷水をたべに、
ぼくのわきへ。
色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら
細い脛だして
椅子にずり上がる。
外は濃藍色のたなばたの夜。
肥ったおやじは
小さい妹をながめ、
満足げに氷を噛み、
ひげを拭く。
妹は匙ですくう
白い氷のかけら。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
おやじはひげを拭く。
妹は氷をこぼす。
簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん氷を噛む音。
死者ふたり、
つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹が先に立ち、
おやじはゆったりと。
東一番丁、
ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の向うの闇に。
この年になると
こういう哀しみはいたく響くんだなぁ。
例年のことだが、
8月の下旬から10月の上旬までが、
本業の仕事の中でいちばん忙しい時期である。
いわゆる繁忙期です。
年によって、終わりがもっとずれ込んだりする。
今年はどうなるだろうか。
この時期は、本も読めず、映画も観られず、
ただひたすらベン・ハーの奴隷船の漕ぎ手みたいに、
昨日のことも振り返らず、明日のことも考慮せず、
目の前のなすべき事だけを見つめる日々だ。だけど、
充実しているというのとちょっと違う気もする。
以前だったら、これくらいの日々だったら、
睡眠時間を減らしてでも平気で本を読み、芝居を創り、
女の子と逢ったりした。(と言っておこう)しかし、
本が読めないというのは致命的ですね、僕にとって。
考えてみれば、新しい知識なんて
たぶん脳細胞が受け付けないだろうとは思う。
でも、ことはそういう問題じゃないですよね。
僕は、ウォルト・ディズニーの
I can never stand still. I must explore and experiment.
I am never satisfied with my work.
という言葉が昔から好きで、
そのようでありたいといつも願っていた。
いい芝居は創れないかもしれない。しかし、
前の作品より少しだけましな作品(芝居)が創ることを
願っていたし、やってきたつもりだ。
うまくいくこともあったし、そうでなかったこともある。
結果はもちろん大事だけれど、
そうありたいと願い続けた身の処し方こそ、
ささやかだけど、僕にとっては大切な記憶なんです。
今年も残すところ、三ヶ月。
いろいろありましたなぁぁぁぁ、今年は。
とりあえず、冬の初めに東京に行こう。
冬の盛りに京都に行こう。
8月の下旬から10月の上旬までが、
本業の仕事の中でいちばん忙しい時期である。
いわゆる繁忙期です。
年によって、終わりがもっとずれ込んだりする。
今年はどうなるだろうか。
この時期は、本も読めず、映画も観られず、
ただひたすらベン・ハーの奴隷船の漕ぎ手みたいに、
昨日のことも振り返らず、明日のことも考慮せず、
目の前のなすべき事だけを見つめる日々だ。だけど、
充実しているというのとちょっと違う気もする。
以前だったら、これくらいの日々だったら、
睡眠時間を減らしてでも平気で本を読み、芝居を創り、
女の子と逢ったりした。(と言っておこう)しかし、
本が読めないというのは致命的ですね、僕にとって。
考えてみれば、新しい知識なんて
たぶん脳細胞が受け付けないだろうとは思う。
でも、ことはそういう問題じゃないですよね。
僕は、ウォルト・ディズニーの
I can never stand still. I must explore and experiment.
I am never satisfied with my work.
という言葉が昔から好きで、
そのようでありたいといつも願っていた。
いい芝居は創れないかもしれない。しかし、
前の作品より少しだけましな作品(芝居)が創ることを
願っていたし、やってきたつもりだ。
うまくいくこともあったし、そうでなかったこともある。
結果はもちろん大事だけれど、
そうありたいと願い続けた身の処し方こそ、
ささやかだけど、僕にとっては大切な記憶なんです。
今年も残すところ、三ヶ月。
いろいろありましたなぁぁぁぁ、今年は。
とりあえず、冬の初めに東京に行こう。
冬の盛りに京都に行こう。
今日は台風一過。
小さい頃、「台風一家」と思っていて、
秋にいくつもまとめて台風が来るので、
そう言うと思っていた。
よくある話ですね。(そうでもないか)
こういう勘違いはありますよね。
「A級ライセンス」を「永久ライセンス」とか。
解散総選挙が近いとかで、またそぞろ情宣カー、
そこで言われる「ご声援ありがとうございます」なんか、
「5千円ありがとうございます」。
オイオイ、やばいんじゃないの。
ついでに「汚職事件」は「お食事券」。
「扶養家族」が「不要家族」になってはいけません。
台風には警報、注意報がつきものだけど、
「波浪注意報」が「ハロー注意報」になったら、
なんか、ほのぼのです。
童謡で「兔追いし」というのも「兔美味し」となったら、
それはやっぱり、どうかと思うし、
ボーリングの「ガター」は
ついつい「ガーター」と言ってしまう。
う〜む、潜在的欲望の前景化などと思われても困るので、
ここらあたりで止めよう。
今は夏の名残のような美しい夕暮れです。
暮れなずむ空に、小さな入道雲が連なっている。
上の方は光を受けて、白く輝いている。
風は緩やかに木々を揺らし、秋のはじまりを感じる。
季節は過ぎていきますね。
みなさん、お元気ですか?
小さい頃、「台風一家」と思っていて、
秋にいくつもまとめて台風が来るので、
そう言うと思っていた。
よくある話ですね。(そうでもないか)
こういう勘違いはありますよね。
「A級ライセンス」を「永久ライセンス」とか。
解散総選挙が近いとかで、またそぞろ情宣カー、
そこで言われる「ご声援ありがとうございます」なんか、
「5千円ありがとうございます」。
オイオイ、やばいんじゃないの。
ついでに「汚職事件」は「お食事券」。
「扶養家族」が「不要家族」になってはいけません。
台風には警報、注意報がつきものだけど、
「波浪注意報」が「ハロー注意報」になったら、
なんか、ほのぼのです。
童謡で「兔追いし」というのも「兔美味し」となったら、
それはやっぱり、どうかと思うし、
ボーリングの「ガター」は
ついつい「ガーター」と言ってしまう。
う〜む、潜在的欲望の前景化などと思われても困るので、
ここらあたりで止めよう。
今は夏の名残のような美しい夕暮れです。
暮れなずむ空に、小さな入道雲が連なっている。
上の方は光を受けて、白く輝いている。
風は緩やかに木々を揺らし、秋のはじまりを感じる。
季節は過ぎていきますね。
みなさん、お元気ですか?